第二十一章 タルタロス ―――地獄 場面六 神々よ(二)
数日後、元老院議事録が、いつものようにティベリウスの許へと送られてきた。議事録には、元老院はティベリウスの「慈悲」に感謝する議決を行ったこと、毎年この日にはユピテル神殿に供物を捧げる事を決めたことが書かれていた。
卑屈な豚どもめ―――
ティベリウスは、コッケイウス・ネルウァに議事録を見せた。ネルウァは議事録に目を落とし、黙ってティベリウスに返してきた。
「ユピテル神は、この供物を嘉納なさるだろうかな」
ティベリウスは薄く笑って言った。ネルウァは黙っていた。
「栄光に満ちたローマを、お護り下さるだろうか」
「………神々の御心は、神君の息子であるあなたこそ、よくご存知でしょう」
ネルウァは静かに言い、一礼して踵を返した。
「ネルウァ」
ティベリウスはネルウァを呼びとめた。ネルウァは足を止め、振り返る。ティベリウスは少し間をおいて、言った。
「ローマへ戻ってはどうだ」
ややあって、ネルウァの頬に、淡い微笑が浮かぶ。
「「法律顧問」は、お役御免ですか」
「そうではない。………だが」
ティベリウスは言いよどんだ。コッケイウス・ネルウァ―――「わたしの法律顧問」。今のティベリウスに、今のローマに、法律が一体何の意味を持っただろう。ティベリウスがこの男に法律上の助言を求める事など、とっくになくなっていた。ネルウァは、セイヤヌスを粛清して以来二年間、怒りと憎しみのままに人を断罪し続けたティベリウスの傍らを離れなかった。最初こそ一度だけ、ティベリウスに法の遵守を説いたものの(ティベリウスは、そのためにこの男をカプリ島から追い出すところだった)、その後は何事もなかったように傍にいた。「恐ろしきティベリウス」とさえ呼ばれるようになった、この怪物の傍に。
何故、この男はここにいるのだろう。
「あなたには息子もいる。首都に友人も多い。それに、法律学校もある。いつまでも、こんな辺鄙な岩の島に留まることはない」
「カエサル」
ネルウァのあるかなきかの淡い笑みを、微かな波が過ぎって消えた。
「わたしは、どこへも行きはしませんよ」
ネルウァはゆっくりとティベリウスに歩み寄り、皺だらけの手でティベリウスの手を取った。手の甲に軽く唇を触れてから、再び優雅に一礼してティベリウスの前を去った。
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