第二十一章 タルタロス ―――地獄 場面四 断崖(三)
マクロに付き添われ、ティベリウスは寝室へと戻った。広い部屋には引き裂かれた手紙や、書棚から叩き落された文巻や調度品が散乱している。マクロは部屋の惨状については何も言わず、ただ許可なく都を離れてきた事を詫び、どうか少しだけでも休んで欲しいと言った。ティベリウスは椅子に掛け、親衛隊長になったばかりの男の栗色の眸を見つめる。
「我が親衛隊長が、用もなくここへ来た訳でもあるまい? 一昨日には首都にいたはずの君が、今はこのカプリ島にいるとは、いささか軽々しい振る舞いだ」
そう言って、ティベリウスは薄い笑みを浮かべる。マクロは少しためらった様子だったが、真っ直ぐにティベリウスの眸を見つめ返してきた。
「アピカータから、手紙を受け取られたでしょう」
ティベリウスは僅かに眉を上げる。
「さすがに耳が早い」
「カエサル」
マクロは、やや語気を強めた。
「アントニア殿が、リウィッラ殿に死の罰を課そうとしています。ドゥルースス殿同様地下に幽閉し、一切の食物を与えないよう命じました」
ティベリウスは目を瞠った。マクロは訴えるように言う。
「どうか止めて下さい。止められるのはあなただけです」
「エウデムスやリュグドゥスはどうしたのだ」
それは、リストにあった共謀者の名前だった。毒薬を調合した、リウィッラの侍医エウデムスと、彼らの手足となってドゥルーススの動きを探り、陰で動いたドゥルーススの解放奴隷リュグドゥス。手紙の事を知ってここへ来たのなら、当然、それも読んでいるだろう。
「彼らについては、幽閉を命じただけです。処置はあなたからの指示を待つと仰っていました」
ティベリウスはしばらく黙っていた。夫を―――ドゥルーススを裏切り、セイヤヌスと通じた女。あの男の子を宿し、何食わぬ顔でティベリウスにそれを抱かせた女。夫を毒殺するという大罪を犯した女。死んで当然の忌まわしい女だった。だが、アントニアに実の娘を処刑させるようなことをするわけにはいかない。リウィッラの罪を不問にすることは到底出来ないが、あの女を罰するのは、法律なり、家長であるティベリウスの役目だった。
ティベリウスは嘆息し、頷いた。
「アントニアにはその権限はない。家長として、わたしが彼女を制止しよう」
「ありがとうございます」
マクロは言った。それから、再び静かに口を開いた。
「カエサル。わたしは、大切な友の言葉を伝えるために来ました。そもそも彼がいなければ、わたしはあなたとこうして話をすることもなかったでしょう」




