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第二十一章 タルタロス ―――地獄 場面二 アピカータの手紙(一)

 その日は、よく晴れていた。抜けるような秋空と紺碧の海に囲まれたカプリ島で、はるかな本土を眺めていたティベリウスの眸に、待ち望んでいた合図が飛び込んできた。

 静かに立ち上る狼煙(のろし)は、計画の成功を告げるものだった。太陽はまだその頂上を極めてもいない。全てが順調に進んだ証拠だった。ティベリウスは傍に控えていたゲルマン人の護衛兵に、万一の時に備えて控えている護衛兵と軍船の軍団兵に、直ちにこの事を伝えるよう命じた。

 ティベリウスはしばらく陽光をきらめかせる海を眼下に見下ろしたまま、その場を動かなかった。

 誰一人予想もしていなかった結末に、今頃首都はさぞ大騒ぎになっていることだろう。

 わたしは中々の劇作家だったと思わないか、セイヤヌスよ。

 ティベリウスは、口元に薄く笑みを浮かべた。

 わたしはよい役者では全くなかったが、少なくともこの最新のシナリオは、まずまずの出来であったと思うのだが。

 ルキウス・アエリウス・セイヤヌス。ロードス島に引退していた頃、四十代に入ったばかりだったティベリウスは、ガイウス・カエサルの東方への旅に同行していた二十代の若者に出会った。あれから三十年が過ぎている。お前は確かによくやった。だが、最後に道を誤ったな。お前は己の分を超え、このローマの統治権を望んでしまった。もしも有能な一人の長官であり続けようとする分別を持ち合わせていれば、近い将来、わたしの遺体を首都へと護送するのは、恐らくお前の役割であっただろうに。野心のある男は、両刃の剣だ。だが、野心のない男などは、総じてなまくらが多く使い物にならない。

 アグリッピナとネロ、ドゥルーススを破滅させた際の、お前の手腕は見事だった。わたしは手放しでお前を褒め、お前を執政官同僚にすると宣言し、リウィッラとの婚約まで承認した。「わたしのセイヤヌス」とお前を称え、高貴な家柄の元老院議員たちが、お前の機嫌取りに汲々とする様を黙って眺め、わたしの友人をお前が姦計によって破滅させることさえ黙認した。お前は自分がこの第一人者にとってなくてはならぬ、何者にも代えがたい存在になったのだと思ったことだろう。

 お前は気づかなかった。お前の役割は、あの三人を葬り去った瞬間に終わったのだ。わたしはそのためにこそお前を飼い続けた。お前はこの任務に、まさにうってつけの男であったのだ。わたしがこのローマをお前に委ねようとするなどと、本気で考えていたのか。

 だとすれば全くおめでたい、哀れな男だ。

 ティベリウスは踵を返し、螺旋状の長い階段をゆっくりと降りていった。来月で七十二歳になるティベリウスだが、相変わらず身体は強健なまま、精神も極めて明晰だった。ああ、一体いつまで神々は、この醜い老人を生かし続けるのだろうか。




 二日後、各地からの報告書や書簡がいつものようにティベリウスの元に届いていた。ティベリウスは朝食と朝の散策を終え、執務室代わりに使っている広い私室の椅子に掛け、書面の束の中から、首都から届いた一通の手紙を取り上げた。差出人はアピカータとなっており、セイヤヌスのかつての妻だった。恨み言でも言ってきたのだろうか。ティベリウスは封を切り、パピルス紙に綴られた長い文章に目を落とした。



          ※




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