第二十章 シジフォス―――苦行 場面三 両刃の剣(四)
ティベリウスはカプアでユピテル神殿の、ノラでアウグストゥス神殿の奉献式を挙げた後、しばらくネアポリス近郊で時間を過ごしてから、カプリ島に渡った。完成したばかりの別荘は、ティベリウスの予想通り素晴らしいものだった。敷地の半分は庭園が占めており、それは果樹園であったり、花園であったり、人工の小川を持つ遊歩道であったりする。海を見下ろすバルコニーに置いたベンチに腰を下ろし、上質のワインを味わいながらの文学談義に花を咲かせていれば、いつの間にか夕闇が迫り、紺碧の海を葡萄酒色に染めた。
だが、ティベリウスの心は、期待したほどには愉しまなかった。ドゥルーススに都を任せ、ネアポリス近郊に滞在していた頃とは、やはり比べるべくもない。ドゥルーススは真の意味でティベリウスの代わりを務めることができたが、セイヤヌスではやはりそうはいかない。セイヤヌスはしばしばティベリウスの傍を離れローマへ出張した。セイヤヌスは、多くの人間にとってあくまでも「新人」であり、「親衛隊長官」に過ぎなかった。ティベリウスの持つ権威以外に、この男に敬意を払うべき理由を人々は持たなかったに違いない。
ティベリウスは一人だった。同行した友人の誰一人として、ティベリウスに政治上の助言が出来るような人間ではない。ティベリウスは各地から届けられる報告書をもとに、ただ一人決断を下し、それをセイヤヌスに持たせたり、書簡の形にして元老院に送った。この国の統治は、それで何一つ問題なく進んでいた。ローマが大火に見舞われたときも、円形競技場が崩壊し、五千人近い人々が死傷するという惨事が起こったときも、元老院の議決を待つよりも、ティベリウスの指示書の方が早かったのだ。ティベリウスは義捐金を贈り、医師の派遣と医薬品の手配を命じ、有力者たちに可能な限り邸を開放し病人を収容するよう指示した。元老院はそれを議決するだけでよかった。元老院と市民は、この惨事にあたってもローマへ戻ろうとしなかったティベリウスを非難するよりも、その措置が迅速で的確だった事を称え、感謝の議決を行ったほどだった。




