第二十章 シジフォス―――苦行 場面一 忘却の河(二)
ティベリウスは仕事に没頭した。裁判を主宰、あるいは傍聴し、諸都市の嘆願を聞き、市民の要望を聞いた。各属州から上がってくる報告書、要望書は膨大な量に上っている。治安維持、社会資本の整備、福祉政策、宗教対策―――ローマの覇権は、主だった属州や地域だけを挙げても、ヒスパニア、ガリア、パンノニア、ダルマティア、アカイア、小アシア、シュリア、アエギュプトゥス、アフリカの広大な領域に及び、その中で四千五百万人をはるかに越えるといわれる人々が生活している。当然、人種も宗教も伝統も、気候も風土も違う。その運営が、ティベリウスの肩にかかっている。仕事は尽きることなく目の前にあった。
自分は、果たしてこの国を愛しているのだろうか。ティベリウスにはもはや判らなくなっていた。かつては、確かにティベリウスは祖国を愛していた。ローマのためにティベリウスは戦い、山積する問題の解決に全力で取り組んできた。だが、今はどうだろうか。ドゥルーススの死と共に、ティベリウスの中で何かが死に絶えてしまったかのようだった。何の魂の昂揚もなく、ティベリウスはひたすら仕事をした。そうする以外に、生きてゆく理由も力も見出せそうになかった。義務によって自分を縛り付けていなければ、自分自身を保てなかったのだ。
ヒスパニアから、ティベリウスとリウィアのために神殿を建立したいという申し出があった。ティベリウスは元老院で使節に謝意を述べた上で、演説をした。
「元老院議員諸君。わたし自身は、死すべき定めの一人の人間である。あなた方がわたしに与えた「第一人者」の名に恥じぬよう努めることは、わたしにとって確かに大変な激務だ。だが、それでもわたしが果たすべき義務は、一人の人間としての義務である。
もし、わたしが祖先の名に恥じぬ人間であり、元老院のために思慮深く振る舞い、危機に際しては毅然たる態度をとり、このローマのためにならばどんな誹謗中傷にも決して怯まぬ人間であると信じてもらえるなら、諸君の心の中にあるものこそ、わたしにとっての神殿である。どんな大理石よりも美しく光り輝く彫像である。石で建てた神殿は、もしも後世の評価が変われば、墓石も同然に軽蔑されるだろう。
わたしは神々に祈る。どうか命が終わる日まで、平静な魂を持ち続けていられるように。人間と神々の法を理解する精神に恵まれるように。この祖国のために生きる力を、どうか与えて下さるように」
そして、わたしは祈る。
どうか、わたしにこの国を愛する力を下さい。憎しみでも、軽蔑でもなく、まして呪いでもなく―――ただ、愛させて下さい。わたしは、人を憎みたくはない。まして祖国を憎みたくはないのだ。だが、神々よ。どうか教えて欲しい。この国は、一体どこへ向かおうとしているのか。わたしには、もはや何も判らないのだ。共和国は死に、共和政信奉者は次々とこの世を去ってゆく。共和国を心から愛する独裁者であるわたしは、その中でどう生きてゆけばいいというのだろう。




