第十章 混乱 場面六 軍団の暴動(七)
ティベリウスは報告を聞き終えてから、しばらく黙っていた。
パンノニアとダルマティアの軍団は、ティベリウス自らが鍛えた軍団だ。五年前に終結した反乱の時はもとより、二十年前にもティベリウスは彼らを率いて戦っている。兵役期間は二十年だから、現役兵たちは直接には当時のことを知らないだろうが。つい先日も、アウグストゥスの死によって中断されなければ、ティベリウスはまずダルマティアを、そしてその後はこのパンノニアの軍団を訪れていたはずだったのだ。
確かに、前線で彼らと共に戦った経験から、ティベリウスには彼らの気持ちもよく理解できた。北の国境に配属された軍団兵たちの労働条件は、シュリアやアフリカといった文明国に比べれば劣悪といっても過言ではない。非番の日でも文明国のような娯楽も少なく、国からの支給品はともかくとして、買い物をしようにも物資自体も乏しい。冬は慣れない雪に鎖され、一応平定されているとはいえ、常に敵を意識する生活を送らなければならない。それが、ゲルマニアやイリュリクムに駐屯する兵士たちなのだった。
また、その兵たちの心理には、恐らく最高司令官を直接知るが故の、一種の甘えも働いているのだろうと思う。また、新しい権力者が支持獲得のために待遇改善を約束するのはよくあることだ。アウグストゥスもそれを行っている。彼は、神君カエサルが定めた軍団兵の給料をほぼ倍に増額したのだ。
今、兵士たちはそこから更に一・五倍の増額を求めている。だが、統治者が代わるごとに軍団兵の給料を増額していては、国家財政は早晩破綻することは明らかだ。現在の一日十アス、つまり年間二二五デナリウスの給料と三千デナリウスの退職金、それを支給される十五万人の軍団兵、というのが、アウグストゥスが限られた財政と必要な防衛力とを睨みながら、彼らしい緻密さではじき出したギリギリの数字なのだ。ティベリウスには身にしみて―――ひょっとするとアウグストゥス以上にそのことが判っていた。
そう、問題は一万八千人ではない。国家全土を守る、二十五個軍団―――十五万人の問題なのだ。軍団兵たちには移動命令に服する義務がある。ヒスパニアからダルマティアへ、シュリアからアフリカへ、必要に応じて移動するのだ。それを可能にするのが、ローマ全軍団に共通の軍規と待遇であり、その為にも例外は絶対に許されない。
考えるまでもなく、結論は出ていたのだ。要求拒否―――という。だが、武器を取り気勢を上げる一万八千人への対処は、緊急に考え出さなければならない。




