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第十章 混乱 場面五 ラビュリントス(三)

 玄関大広間に入ると、ひんやりとした空気がティベリウスを包んだ。ピソの邸の玄関大広間には見事な噴水があり、それが雨水用水槽(インプルウィウム)を兼ねている。噴水から溢れる豊かな水が、吹き抜けから注ぐ光を反射して煌いていた。両脇には祖先の彫像が並び、その中には、七年前に死去したピソの父の像もあった。老グナエウス・ピソはブルンディシウム(ブリンディシ)の別宅で息を引き取り、本人の希望で葬儀はその地で簡単に済ませてしまったという。ティベリウスはパンノニアで反乱軍鎮圧に忙殺されており、ドゥルーススからの手紙でそれを知った。

 数人の家人と共に、ピソの妻プランキナが出迎えた。ピソの愛妻で、かつ唯一の泣き所かのしれない。莫大な財産と高貴な血統を誇るプランキナは、夫より十歳は年少だから、まだ四十代後半だろう。気性の上でアグリッピナに似たところがなくもない上、アウグスタの取り巻きのひとりでもあったから、ティベリウスはこの女は少し苦手だった。ティベリウスの姿を見とめるとわずかに驚いた様子だったが、気取った仕草で一礼し、頬笑んだ。

「ようこそおいで下さいました。驚きましたわ」

「今日から晴れて元老院の第一人者(プリンチェプス・セナートゥス)殿だ。最初に言っておくが、アウグストゥスと呼ぶと怒る」

 ピソが横から口をはさむ。プランキナはおかしそうに言った。

「それはまたどうして?」

「話せば長い。この男の思考はミノス王のラビュリントス(迷路)よりも曲がりくねっているからな。アリアドネの糸でもこれには歯が立つまい」

「では何とお呼びすればよろしいの」

「今までどおり、カエサルでいい」

 プランキナはティベリウスを軽く抱擁して言った。

「カエサル、元老院の第一人者殿に、心からお祝いを」

「ありがとう」

 ティベリウスはそれだけを言った。ピソはティベリウスを促しながら妻に声を掛ける。

「我々には構わなくていい。部屋で呑むから、酒とつまみだけ持たせてくれ」

「判りました」

 プランキナは奥へと姿を消した。私室へ向かおうとしたピソは、ティベリウスの顔を見て訝しげな表情になる。

「どうかしたか」

「………」

 ティベリウスは薄く笑ってかぶりを振った。

 ミノス王の妻パシパエは、夫が海神の怒りを買ったためにその呪いを受けた。牛に恋心を抱かされ、牛の頭を持つ怪物ミノタウロスを産み落としたのだ。ミノス王はこの忌まわしい子を巨大なラビュリントスの奥深くに閉じ込めた。光さえ届かぬ深い迷宮の底で、人肉を食らって生きたミノタウロスは、やがて勇者テセウスによって殺される。テセウスはミノス王の娘アリアドネの導きで迷路を脱出した。

 ミノタウロスは運命を呪っただろう。この怪物に、一体何の咎があった? 血のつながらぬ父によって、闇の底に幽閉されたミノタウロス。生贄に捧げられる少女を食らって生きるしかなかった哀れな怪物。ああ、誰かわたしをここから出してくれと、幾度となく叫んだことだろう。

 出口のない迷宮、ラビュリントス。―――そこを訪れるのは、生贄と殺人者だけ。暗く冷たい、迷宮の底………

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