第十六章 ピソ裁判 場面三 父と息子(二)
その時、玄関大広間のほうが騒がしくなった。
「多分父だよ」
マルクスは入り口の方へ目をやり、ドゥルーススに「少し待っててくれ」と言い残して部屋を出て行く。間もなく、ピソが姿を現した。元老院からの帰りなので、赤い縁取りの長衣姿のままだ。ドゥルーススの姿を見て、厳しい表情で入り口に立ち尽くした。
「ドゥルースス………」
「ピソ殿、突然来てしまって―――」
「帰りたまえ」
ピソはドゥルーススの言葉を遮って言った。
「君がここへ来てはいけない。ティベリウスは承知か?」
「父は何も知りません」
「そうだろうな。あの男が君にそれを許すはずがない」
「ピソ殿」
ドゥルーススは必死で言った。
「少しでいいんです。話をさせてください」
「ドゥルースス」
ドゥルーススは自分からピソに歩み寄り、その手を取る。ピソの青い眸をじっと見つめた。
「生きてください」
ピソは瞬きもせずにドゥルーススを見つめ返す。
「そのチャンスは十分にあります。今日、ぼくは改めてそう思いました。どうか最後まで諦めないで下さい。マルクスやグナエウスのためにも、父のためにも。あなたを必要としている人間がたくさんいるんです。どんな判決が下されるのかは判りません。でも、財産や身分がどうなっても、どうか生き抜いてください。ぼくたちには、あなたが必要なんです」
ピソの眼差しが揺れた。何か言おうとするように唇が僅かに動いたが、そこから洩れたのは吐息だけだった。ピソは小さくかぶりを振り、マルクスを見た。
「ドゥルーススを家人に送らせろ。邸の手前まででいい」
「ピソ殿!」
「帰りなさい」
言い聞かせるようにピソは言った。それから、低い声で囁く。
「帰ってくれ」
悲痛な響きに、ドゥルーススは続けるべき言葉を失った。涙が出そうになり、数回強く眸を瞬く。ピソはドゥルーススを見つめ、不意に身体を抱き寄せた。細い身体の温みに、ドゥルーススは余計にたまらない気持ちになる。