第十五章 ゲルマニクス神話 場面五 夜(三)
「アントニア」
ティベリウスはアントニアの髪を撫でた。
「休んでくれ。起こして済まなかった。身体に障る」
アントニアは弱々しくかぶりを振る。
「違うの。いいの。起きていたいのよ」
駄々を捏ねるように言い、それから、無理に身体を起こそうとした。
「アントニア、止めなさい」
「わたしを、腫れ物に触るように扱わないで!」
乱れた息で叫び、アントニアは動きを制しようとしたティベリウスに縋りついた。ティベリウスはためらったが、思い切ってアントニアの身体を強く抱いた。義妹の身体は微熱のせいで熱く、汗のせいでしっとりと湿っていた。
「アントニア………」
アントニアはかすれた声で、喘ぐように言った。
「何故、あの子を行かせたの?」
「アントニア―――」
「何故、あの子は死んだの?」
ティベリウスには答えられなかった。ティベリウスが黙っていると、アントニアは「ごめんなさい」と言った。
「わたし、どうかしてるわ………。ごめんなさい。今日、わたし、本当におかしいの………」
ティベリウスは、義妹の身体を抱いたまま、背をさすり、頬に軽く口付けした。
「ウィプサーニアも、呆れていたでしょう?」
「何も言わなかった」
「嘘―――」
「嘘は言わない」
義妹はまるで子供に戻ったようだった。嫌々をするようにかぶりを振り、そのまま身体を預けてくる。ティベリウスはそれをじっと抱いていた。
もしも身体がこれほどまでに弱っていなかったら、ティベリウスは今夜、この女を抱いたかもしれない。だが、もうずっと以前から、肉体を交わすことも、口付けを交わすこともなく、愛の囁き一つ交わさなくても、ティベリウスも、そして恐らくアントニアの方も、自分たちが互いに誰よりも深く信頼し合い、愛し合っている事を知っていた。互いが互いの父であり母であり、兄であり姉であるというような、余りにも深く親密な愛情は、本来であれば当然伴って然るべき性愛というものが入り込む事を難しくしてしまったのかもしれない。
ティベリウスは一晩中、義妹の身体を抱いていた。父親のように。時折、額や頬や髪にキスをした。義妹は途切れ途切れの言葉を呟きながら、腕の中で眠りに落ちた。
この日を境に、アントニアはゆっくりとではあるが健康を取り戻していった。少しずつ笑顔が戻り、言葉や眸に力と明るさが戻ってきた。とはいえ、気持ちが大きく揺れ動くことも珍しくはなく、ドゥルーススが献身的に彼女を支えた。ドゥルーススにとっては義叔母であり、義母でもある。妻リウィッラと共に、実母のようにこの女性を労わりながら、兄の遺骨を迎える支度に追われた。