第十五章 ゲルマニクス神話 場面四 ウィプサーニア(八)
「お久しぶりです」
「いつ戻ったの………?」
「二日前です。ご挨拶もせずに済みません。中々、うまく時間が合わなくて。お休みの邪魔をするのも憚られたものですから」
甥は折り目正しく言い、アントニアの眸をじっと見つめた。
「戻るのが遅くなってしまって、本当に申し訳ありませんでした。ゲルマニクスのことも、リウィッラの出産のことも―――こんな大変な時期に、ローマにいられなくて。倒れられたと聞いた時には、臍を噛む思いでした」
アントニアは弱々しくかぶりを振る。
「あなたには、国境を守る役目があったわ」
「でも、本当に申し訳なくて。どうかゆっくり休んで下さい。今は、ご自分のお体のことだけを考えて。後のことはぼくたちできちんとやりますから」
甥の優しい言葉に、アントニアはつい涙をこぼした。甥の頼もしさに安堵する思いと、彼と二歳違いだった息子の喪失感とが入り混じった涙だった。ドゥルーススは義叔母の涙にうろたえる様子もなく、安心させるように寝台の上を軽く叩いた。
「どうか、早く元気になって下さい」
柔らかい声音で言い、それからウィプサーニアを見る。
「お送りしましょうか」
「お願いがあるの」
ドゥルーススは頬笑んだ。
「何でも聞きますよ」
「あなたのお父様にお会いしたいの。取り次いで下さる?」
「父に?」
ドゥルーススの声の調子が少し跳ね上がった。アントニアも驚いてウィプサーニアを見る。
「お忙しいようなら、日を改めるわ」
ウィプサーニアは落ち着いていた。ドゥルーススはややあって「判りました」と言った。
「伺ってきます」
ドゥルーススが部屋を出て行き、アントニアはウィプサーニアを見た。ウィプサーニアは頬笑む。
「そんな心配そうな顔をしないで」
「何を話すの? わたしのこと?」
ウィプサーニアは小さくかぶりを振る。
「話さなければならないことがあるの」
静かに、ただどこか決然とした口調で言ってから、ウィプサーニアはアントニアを見つめた。
「ゆっくり休んでね。会えて嬉しかったわ」
ドゥルーススは程なく戻ってきて、お会いになるそうです、と告げた。ウィプサーニアは礼を言い、アントニアの額に軽くキスをしてから、ドゥルーススと共に部屋を出て行った。