第十五章 ゲルマニクス神話 場面四 ウィプサーニア(六)
「ウィプサーニア………」
アントニアは泣きながら言った。
「あの子は死んだの」
涙で、ウィプサーニアの顔も見えない。アントニアは繰り返した。
「死んでしまったの。わたし、どうしたらいいか判らないの。ウィプサーニア、わたし、どうしてあの子を止めなかったのかしら? 病気になったって聞いた時、どうしてすぐにあの子のところへ駆けつけなかったのかしら? あの子は、きっとわたしに会いたかったはずよ。なのに、ひどい母親だわ」
ウィプサーニアは空いているほうの手で、アントニアの髪を撫でた。その掌は、母親のような優しさだった。
「どうしたらいいのか判らないの。みんな、ティベリウスやピソ殿を悪く言うわ。でも、ウィプサーニア、あの人たちは悪くないの。本当よ。あなたなら信じて下さるでしょう?誰も悪くないの。判っているのよ。でも―――」
アントニアは両の手のひらで顔を覆った。
「ウィプサーニア、わたし、あの人を恨んでしまうの。ひどい逆恨みだって判っているのに、自分で自分を止められないの。いくら違うって自分に言い聞かせても、みんなが言うような人じゃないって、ウィプサーニア、わたし、判っているのに、どうしてあの子を、あんな遠くへ行かせたのって、あの子を返してって―――あの人を詰ってしまうの。何度も、何度も。ウィプサーニア、あの人は悪くないの。なのに、どうしたらいいのか判らないの」
何も感じ取れないほどに消耗しきっていた心に、一体何が起こったのだろう。随分長い間、誰とも話していなかったような気がする。夢とも現ともつかぬ不透明な時間の奥で、嵐のように荒れ狂っていたもの。言葉が、涙と共に溢れ出して止まらない。苦しくて、辛くて、悲しくてたまらない。判らない。何故、あの子は死んでしまったのだろう。わたしでも、他の誰かでもなく、何故あの子が、わたしのあの子だけが、一体どうして死んでしまったのだろう。それがどうしても判らない。




