第十五章 ゲルマニクス神話 場面四 ウィプサーニア(一)
あれから、一体幾日経ったのだろう。十日? 一カ月? 半年? それとも、一年?
薄いもやに包まれたような、向こうを見通すことの出来ない不透明な時間。目を凝らしても、何も見えない。伸ばした指の先さえ―――
誰を探しているのかしら………?
アントニアはぼんやりと思った。
そうだわ。行かなければ。あの子を迎えに。
あの子は、一人ぼっちが何より嫌いなのに。
きっと、誰かが来てくれるのを待っているわ。
ふと、耳を澄ます。
誰かが話している………
「あれがあの子の、天命だったの………」
あれはわたし?
天命って何? 何を言っているの?
みんな、何を言っているの?反響が大きすぎて、何も聞きとれないわ。
切れ切れに聞こえてくる単語は、どれも黒い響きを帯びていて―――
ドクサツ?
カンケイ?
一体、何の話?
てぃべりうす ハ げるまにくす ガ ジャマダッタ。
ジツノ ムスコニ ケンリョク ヲ ユズルタメニ ………シタ。
カワイソウニ。カワイソウニ。
アンナニ ワカクシテ ワルダクミノ ギセイニ ナルナンテ。
わたしは、ただ、あの子を迎えに………
「あれがあの子の、天命だったの………」
お願い。もう少し静かにして。皆で一斉に話すのはよして。頭の中がぐちゃぐちゃにかき乱される。どれが自分の声なのかも判らないわ。
カワイソウナ あんとにあ………
ツヨイヒト。ワタシナラ トテモ ソンナフウニ レイセイデハ イラレナイワ。
「わざわざお見舞い下さってありがとう。話していれば、少し気も紛れるの」
「あの子の子供たちこそ本当に可哀想だわ。成人式も迎えないうちに父親を失うなんて。わたしも早くに父を亡くしたから、心細い気持ちはよく判るの」