第十四章 対立 場面六 決裂(四)
それからしばらく、ゲルマニクスはピソの前に姿を現さなかった。滞在先にしているローマ人貴族の邸にこもっているらしい。聞くところによると、急に高熱を出して倒れたとかいう話だったが、ピソには正直それが真実病であるのか、仮病であるのか判らなかった。やがて、ピソは使者を通して、ゲルマニクスからの書簡を―――いや、通達を受け取った。
通達は書式に則り、東方世界総司令官ゲルマニクスの名において、シュリア総督ピソ宛に書かれていた。
「グナエウス・カルプルニウス・ピソを、シュリア総督より解任する」
通達は更に続けて、これは総司令官命令である事を重ねて述べ、ピソが直ちにシュリア属州から立ち退く事を命じていた。ピソはため息をついた。もう怒る気にもなれない。話を聞きつけたプランキナは憤慨した。
「あちらでは、あなたやわたしがゲルマニクスに毒を盛ったと騒いでいるわ。マルキアを使って調合させた、とか、バカバカしい話をでっち上げて。こんな侮辱がありますか」
マルキアは、プランキナお抱えの調剤師だ。
「毒か」
ピソは失笑する。では、体調を崩しているのは事実なのだろう。思い込みの激しいアグリッピナあたりが言いそうなことだ。プランキナも同じ考えらしく、アウグスタ(リウィア)に手紙を書く、と言った。
「あの高慢なでしゃばり女にはもう我慢できません。軍団にも官邸にもいつでも子供を連れてきて、事あるごとにアウグストゥスはこの子が大のお気に入りで、私室にそっくりの像を作って朝晩キスしていた、とか、顔立ちも話し方も、若い頃のアウグストゥスに生き写しだそうよ、とか言いまわって。六歳の子供を連れてくるのも非常識だけど、乳飲み子を連れてくるに至っては、正気の沙汰とは思えないわ。官邸を何だと思っているの」
彼らの三男ガイウス・カリグラは、確かに人目を惹く愛らしい子供だった。淡い金髪や聡明そうな灰色の眸は、美男子で有名だったアウグストゥスの子供時代に、ひょっとすると本当に似ているのかもしれない。アグリッピナはこの子供をどこへでも連れて歩いていたから、ピソも何度も見かけている。物怖じしない、礼儀正しい子供だ。愛らしいことは愛らしいが、少々子供らしくないところがある。ピソはこの子供と直に接した際、妙に大人の顔色を伺うことに長けている、という印象を持った。自らの整った容姿がもつ効果を、この子供は自覚しているのではないか、とさえ感じた。六歳児にしてまさかそれはないだろうと思うが。
「乳飲み子」とは、ここへ来る途中、アグリッピナがエーゲ海の島レスボス島で出産した三女ユリアのことで、先日一歳になったばかりだ。




