第十章 混乱 場面三 遺言状(五)
アウグストゥスの遺体は予定通り首都に入り、厳粛な雰囲気のうちにパラティウムのアウグストゥス邸に運ばれた。警察隊を配置していたこともあって大きな混乱もなかった。玄関大広間に紫の布で飾られた祭壇が設置され、その上に黄金に輝く棺と、凱旋将軍の衣をまとったアウグストゥスの蝋製の肖像とが安置された。氷漬けにされていたとはいえ、半月近く経過した遺体は既に公開に耐えられる状態ではなく、人々は傍らに置かれた精巧な肖像で故人を偲ぶ以外になかった。ドゥルーススも、せめて遺体を一目見ようとしたが、父に制止されて断念した。アウグストゥスはそれを望むまい、と言われると、確かにその通りだという気もする。
ティベリウスは淡々と喪主を務めた。多くの弔問客が訪れた。弔問客の応対には当然のこととして自らも当たったが、ノラからの途上とは違い、今回はドゥルーススや、国葬ゆえに執政官もその役割に不釣合いではない。ドゥルーススが心配したように、一日中遺体に付き添って離れないという行動はとらなかった。父は礼儀にさえ欠かなければ、他人に任せることが出来る男でもある。
棺の前に跪く市民の列は、一晩中途切れることはなく、改めてアウグストゥスの存在の巨きさが知れた。異例なことに、明らかに主人に求めて伴に加えてもらったと思われる奴隷たちもいた。まず主人がティベリウスら喪主の許可を取り、ようやく主人から許可を与えられた奴隷たちは、最初はおずおずと、だが次第に悲しみに耐えぬ様子で肖像に取りすがり、泣きながら足に口づけをした。
アウグストゥスは奴隷たちに対しても、非人道的な振る舞いは決して許さなかった。ドゥルーススは話を聞いただけだが、宴会で貴重な水晶の器を割った奴隷を、主人が肉食のウツボの池に放り込もうとしたことがあった。アウグストゥスは彼の面前でその場にあった水晶の器を全て叩き割り、更に養魚池を埋めるように命じ、厳しく叱責したという。「君の盃が割られたら、人間のはらわたが引き裂かれるのか!」と。
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