第十章 混乱 場面三 遺言状(四)
二冊の冊子本は、娘と孫娘のユリアの遺骨は、決して自分の霊廟に持ち込むことは許さない、という記述で終わっていた。ドゥルーススならずとも、多くの者が気づいただろう。アグリッパ・ポストゥムスの名前は、遺言状のどこにも記されていなかった。遺言状が書かれたのは、今から一年以上前のことであるにもかかわらずだ。だとすると―――結論は一つしかない。
アウグストゥスは、この遺言状を作成した時から、既に心を決めていたに違いない。ポストゥムスを自らの死と共に葬り去ることを。数ヶ月前にプラナシア島へ渡ったと噂されるが、だとすると死を目前にして、間もなく処刑されるはずの実の孫に、彼なりに別れを告げるためではなかっただろうか。年月が粗暴な孫を変えていないかと、一縷の希望も胸にあったかもしれなかったが―――
短い休憩を挟んで、朗読は三巻の巻子本に移った。一巻は葬儀の指示書、二巻目はアウグストゥスが記していたという「業績録」―――これは、青銅版に刻み、霊廟の正面に掲げて欲しいと書かれていた―――、三巻目はローマの国力を記した資料だった。現在の兵力、国庫とアウグストゥスの金庫の保有額、間接税の延滞額など、これも実に律儀に一つずつ記してあった。更に最後に、カエサル家の解放奴隷と奴隷の名を挙げ、詳しいことはこれらの者に聞けば判る、とまでわざわざ書き残していた。遺言状の公開には、ドゥルーススとて何度か立ち会ったが、こんな報告書めいた遺言に触れたのは初めてだった。
※