第十三章 ゲルマニア戦役(二) 場面三 ゲルマニア(六)
更に、ローマ軍が受けた損害は甚大だった。いや、そう形容するのが適切かどうか判らない。この「損害」は、戦闘によってというよりも、これはもう率直に言って、ゲルマニクスが「退路の確保」という、極めて重要な点を軽視したためだ。軍事作戦は、侵攻し、勝利して、それで終わりではない。危地で勇敢に戦った兵士たちを、無事に安全な地へ帰営させてこそ、初めて無事に完了したということが出来るのだ。総督カエキーナは沼地に囲まれた細い道を退却することを強いられ、そこでケルスキ族の首領アルミニウス―――「ウァルスの悲劇」の首謀者の一人だ―――の攻撃にあった。沼地に橋を架けながら辛うじて進軍していた軍団兵たちは、危うく全滅するところだったのだ。カエキーナ自身も馬から突き落とされ、突き殺されそうになったという。アルミニウスは軍団兵たちを指差し、嘲笑した。
「見ろ、ウァルスだ! 同じ運命にとりつかれた哀れなローマ人がそこにいるぞ!」
その日、どうにか全滅を免れたのは、彼らが敵を殺すことよりも略奪行為に走ったからだった。多くの武器を失い、血や泥で汚れた食糧を分かち合った軍団兵たちは、適切な道具もない状態で、それでも律儀に築いた仮の陣営の中で、天幕もなく、薬も包帯もなく、苦しみながら弱ってゆく負傷兵たちの声を聞きながら夜を過ごすしかなかった。
それでも敵を突破して本営に辿り着けたのは、もう戦術云々の問題ではなく、彼らの精神力のおかげだったというしかない。カエキーナは彼らに、もはやこうなった以上は決死の覚悟で総攻撃に出て、その勢いでレーヌス河まで活路を開く以外に方法はないと言った。翌朝、軍団兵たちは敵が陣営を取り囲み、堡塁に取り付くのを辛抱強く待った上で、合図のラッパと共に総攻撃に出た。ラッパと角笛を吹き鳴らしながら、咆哮を発し、死に物狂いで押し寄せるローマ軍に、油断していたゲルマン人たちは恐れをなした。呆気なく戦場を捨てて背を向けた蛮族たちを、軍団兵たちは容赦しなかった。それまでに受けた苦しみに対する怒りが、彼らを獰猛な殺戮者に変えていた。そうしてようやく、レーヌス河西岸の基地に辿り着くことができたのだった。アグリッピナが、まるで総司令官のような態度で彼らを迎えたという―――
海沿いを歩いて帰還するよう命じられた部隊も、北海の荒々しい海に翻弄される羽目になった。季節柄珍しくない、高波が彼らを襲ったのだ。波にさらわれた軍団兵たちは、荷を捨て、鎧を脱ぎ捨てて必死に陸を目指した。やっと高台に辿り着いた時には、多くの兵が負傷し、ほとんどの兵は裸に近かった。火を起こす道具も、食糧も失われていた。彼らは震えながら身を寄せ合い、一夜を明かした。夜が明けると、空腹と疲労に耐え、互いに励ましあいながら、ゲルマニクスに命じられた集結地を目指した。




