サリナの魔法
「ヨミばあさんとこに行こうぜ」
夏が来てうだるような熱さが続く中、唐突にレイが言った。
「サリナっていう俺らと同い年くらいの友だちがいるんだ」
アユムが気だるげにレイを見る。体の周りには熱を少しでも下げようと、魔法で風とわずかな水が巡っている。
冷房に慣れきっていたアユムにこの暑さは厳しいものだったので、この魔法はレイにも驚かれるくらい早く覚えた。やっぱり、能力は必要に応じて伸びるものなのだ。
「ヨミばあさんの家か……」
アユムの頭にはこちらの世界に来た日のことがよみがえっていた。
(確かあのとき挨拶した女の子がいたな、あれがサリナか)
アユムは顔が熱くなるのを感じた。とはいうものの、アユムはヨミばあさんが苦手だったので、行くのを渋っていた。だからレイはそんなアユムを引きずるようにして、サリナの家へと向かった。
「サリナは体が弱くて、あまり外に出してもらえないんだ」
前を進むレイは言った。それまで気が重そうに歩いていたアユムは、それまでと調子の違う様子に気がついて前を向いたが、その顔は見えない。
「でも魔法は誰よりもうまく使うんだぜ。特に水魔法がすごくてさ。きっとアユムも驚くと思うぜ」
そう言って振り返るレイの表情はいつもと同じ明るい笑顔だ。ずんずんと進むレイに置いてかれないように、アユムはあっけにとられながらも走ってついていった。
「もうすぐサリナの家だぞ」
「…ねぇレイ、本当に行くの?」
門前で足を止めたアユムを見て、吹き出すように笑いながらレイは言った。
「なんだよアユム、早く行こうぜ?
…わかった、お前ヨミばあさんが怖いんだろ?」
ケタケタと笑うレイにムッとしたアユムは引き返そうと向きを変えた。
「アユムごめんて。からかうつもりじゃないんだ」
レイはそんなアユムを見て慌てて駆け寄り肩を組んで言った。
「安心しろ、ヨミばあさんは皆怖いもんだ。かくいう俺だって怖いさ。でも心配しなくても、ヨミばあさんは家の中からめったに出ないから、外でサリナと遊ぶなら何も問題ない」
悪だくみをするいたずらっ子のように笑って先を進むレイを追って、アユムは軽くため息をついてついにヨミの家の門をくぐった。
「いらっしゃいレイ。そして改めてよろしくね、アユム」
そう言って笑いかけるサリナは、以前会ったときと変わらず青い髪の美しいかわいい女の子だった。どぎまぎとしているアユムを見て、おかしそうに笑うレイ。
「サリナ、今日は体調もよさそうだな。じつはこいつも連れて、今日は例の川まで行こうと思うんだが、大丈夫そうか?」
「えぇもちろん大丈夫よ。もう、レイも心配性ね。最近はほとんど寝込むことも無くなったんだから」
そう言って大げさに肩をすくめるサリナは、普段日の光を浴びていないのか肌の色は青白く儚げに見える。そんなアユムの心配そうな視線に気付いたのか、サリナはアユムに向かって笑いかけた。
「よし、じゃあ決まりだ。今日は3人で川へ行くぞ!」
レイの元気な声が響き、慌ててサリナが「静かに」と言って口を塞いでいた。
※
その場所は村から東へ歩いて1時間ほどのところにあった。
麦わら帽子を被ったサリナとレイが先頭を歩く。あらかじめマリからもらっていた二人分のお弁当を持って。まるでピクニックにでも行くような、懐かしく、晴れやかな気分だった。
サリナが疲れていないか様子を見ながら何度か休憩を挟んだのと、村を出るときに恐ろしい顔をした石像にお祈りを捧げようとするサリナを急かすことはあったものの、通い慣れた道ということもあり、迷うようなトラブルもなかった。
「ここは秘密の場所なんだ」
森を通り深い茂みを抜けるとき、レイが耳打ちするようにして言った。
茂みをくぐり抜けた先は、森にひっそりと囲まれた隠れ家のような場所だった。小さな滝つぼがあり、明るい木漏れ日が差す場所もある。
馴染みの場所なのだろう。慣れた様子で大きな石の上に荷物を広げる2人に従って、アユムも荷物を降ろした。
「よし、泳ごうぜアユム!」
体を伸ばし、準備体操を始めたレイ。
「え、でも水着なんて持ってないよ」
レイはそれを聞いて呆れたように笑う。
「水着? そんなもんわざわざ持ってるやるなんていんのかよ? 下着だけ来てれば十分だろ? さ、早くしろって」
言うや否や、ポンポンと着ているものを脱ぎだすレイ。
(さすがにサリナの見ている前では)
戸惑うアユムだったが、当のサリナはにこにこしながら脱ぎ捨てられたレイの服を畳んでいる。アユムは観念して服を脱いだ。
こちらの世界では下着は麻のようなガサガサとした繊維でできていて、外観はステテコパンツのようだ。ヒモで腰にくくり付ける簡素なものだから脱げやしないかと心配だったが、どうにでもなれとパンツ一丁になる。
サリナはどうするかと振り返ると、さすがにサリナは「体に障るから」という理由で川には入らないらしい。
(可哀そうだな)と思いつつ、残念なような、どこか安心したような複雑な気持ちになるアユムだった。
3mはあるんじゃないかと思われる大きな岩から、レイが川へと飛び込んだ。
水しぶきが上がる。思わず歓声を上げながら水面を見ていると、しばらくしてレイが浮かび上がり「アユムも早く来いよ」とはやし立ててくる。
しかしアユムは飛び込んだことはおろか、プール以外の場所で水遊びすらしたことがない。
川は水底が見えないから何がいるかわからない。
底が平らなプールと違って、岩が飛び込んだすぐ下にないとも限らない。
(大きな生き物暗い水底にはいて、いますぐレイごと飲み込まないとも限らないじゃないか)
正直に言えばアユムは怖くて仕方なかった。今すぐこの場から逃げ出すか、飛び込むにしても、少しでも低い位置から徐々に体を慣らすように入りたかった。先生もそう言っていたし。
(水に入るのは同じなのだから、わざわざ飛び込まなくてもいいじゃないか)
そんな考えが頭をよぎる。だが下からは「早くしろ」と笑い声をあげるレイと、後ろからは「頑張って」とほほ笑むサリナがいる。
(ここは行くしかない!)
覚悟を決めたアユムは目をつむったまま川に飛び込んだ。
水しぶきが上がる。途端、大きな衝撃と一緒に、僕は一度死んだ気がする。
それまで聞こえていた虫や鳥の声、川のせせらぎ、夏のうだるような暑さ。あれほど強く水面に叩きつけられたのに痛みもないのだ。
それら一切を置き去るように、静寂な水の世界がそこにはあった。
だがそれも体が自然と浮かび上がるとすぐに終わった。嘘のように盛大な音がよみがえる。恐る恐る目を開けると、そこには満面の笑みを浮かべたレイがいた。
「やったなアユム。だけどお前、いますごい顔してんぜ」
アユムは慌てて鼻水と一緒に顔から手で水を拭うと、ムッと顔をしかめてレイに水を浴びせ大きな声で笑った。川の水は冷たくて、最高な気分だった。
しばらく二人で遊んでからサリナの下へと戻ると、3人で昼食のための魚を獲ろうという話になった。それも釣り竿は使わず、魔法で獲るということにアユムは驚いた。
一体どうやるのだろうとワクワクしながら二人の様子を見るアユム。最初に手本を見せてくれたのはサリナだった。
レイから聞いていた通り、サリナは抜群に水の魔法を使うのが上手かった。
水面を見て魚が泳いでいるのを見つけると、すっと目を細めたかと思うと、次の瞬間には水球に包まれた魚が空中へと昇り、そのまま川辺へと運ばれていく。
ほかにも水中で細い針のような氷をつくり、泳ぐ魚を串刺しにするといった離れワザも見せてくれた。
レイに聞いてみると、あんな細い氷を自在に水中で動かして仕留めるなんてことができるのは、サリナくらいなものだろうということだった。
お手本を見てアユムも魚獲りに挑戦してみたが、初めは中々上手くいかなかった。魚を水球で包もうとしても、水球をつくっている間に魚が逃げてしまうのだ。
水が言うことを聞いてくれず、上手くいかないことにアユムはいらだっていた。
「もっと集中しなきゃダメよ。魚だって逃げようと魔法を使ってくるんだから。それを打ち消すくらい力をこめなきゃ」
「え、今なんて?」
サリナの言うことに衝撃を受けたアユムは開いた口がふさがらない。
「お前、魚みたいだな」なんて笑うレイを差しおいて、サリナが説明してくれた。
「魔法は人だけじゃなく、生き物皆が使えるものなのよ。
魚は泳ぐとき、ヒレを使うのと同じように魔法を使って水の抵抗を減らして早く泳ぐの。鳥だって風を操ってより高く、速く飛んでいるんだから。中には火を吐く鳥なんているのよ」
当たり前のように言うサリナの言葉はさらに続く。雨を降らすという蛇。火を纏うネズミ。風で切り裂くカワウソなど。それこそかつて聞いた夢物語のようだった。
「だから、魚を捕まえるときは魚と綱引きするように力をめいいっぱいこめて包まなきゃダメなのよ」
その後も何度か2人に教えてもらいながら練習を重ね、レイが腹減ったと騒ぎ出す頃、ようやくアユムは魔法で魚を獲ることに成功したのだった。
枯れ木を集めたたき火の横で、枝に差した魚がじりじりと焼かれていく。じっと見ているとパチリという音ともに皮が弾けて脂が跳ねる。
アユムは我慢ができず何度ももう食べられるか聞いて笑われた。ようやく出来上がった魚は2人と比べるとやや小ぶりだったが、かぶりついた瞬間に豊かな香りと甘みで最高だった。
※
残った魚は魔法で水分を抜き、いつの間にかサリナがツルで編んでいた籠に入れて持ち帰ることにした。マリへのお土産だ。
食後3人で日当たりのいい石の上に寝そべっていると、レイはいつの間にか寝てしまったようだった。
「レイはいつも元気で、たまにこうして私を連れ出してくれるんです」
独り言のようにサリナが言った。
「私は小さいころから体が弱くて皆みたいに外で遊べないの。だからいつも家の中や庭先で、皆が楽しそうに遊ぶ声だけを聞いていたわ。
それが当たり前なんだと諦めてた。
だって私は外に出たらすぐに倒れて迷惑をかけてしまうから。でもレイは時折家にやってきては、色々な話をしてくれるの。石や木の枝とか、外で拾ったものをお土産にね。それが嬉しかった」
そう言ったきり、サリナはしばらく目をつむり言葉を発しなかった。
「でもね、同じくらい悔しかった。なんで私だけがって」
「それくらい当然でしょう?」サリナは寂し気に笑う。
「レイは日に日にたくましくなっていくわ。前までは私たち、見た目には違いなんてそこまでなかったのに。どんどん離されていく」
サリナの視線を手繰ればレイがいた。確かに鍛えられた腹筋はうっすらと割れており、腕や足にも筋肉の盛り上がりが見える。
自分はと思ってみれば、サリナと変わらない細腕に、アユムは気恥ずかしくなった。
「アユムはもっと、頑張らなきゃね」
サリナはそう言って明るく笑った。
レイが起きてからは3人で遊んだ。魔法を使った水のかけあいでは、サリナが空中に浮かぶ水球から4本同時に打ってきた。
レイは風を起こして、当たる直前に水鉄砲を避けようとするのだが、最後には必ず頭に当てられていた。
びしょ濡れになり寒くなったのでまた温かい石の上に寝そべっていると、レイが言った。
「サリナ、あれ見せてくれよ」
サリナはクスリと笑うと立ち上がった。その服にはすでに水気はない。
一体何が起こるんだろうと疑問に思いアユムはレイに尋ねるのだが、レイは「すぐにわかるから」と教えてくれない。
サリナはしばらく目をつむり集中していたかと思うとゆっくり手を振り上げた。
次の瞬間、川の水がヴェールのように薄いドームとなって3人を覆った。川からは滝登りをするように、魚が泳いで上がってくる。きらきらと乱反射する太陽光が皆の顔を明るく照らしていた。
「すごい、まるで水族館みたいだ」
思わずアユムがはしゃぎだす。
アユムは以前に家族で行った水族館のことを思い出していた。
あのときはたくさんの種類の魚やペンギン、クラゲなど海にはこんなに生き物がいることに驚かされた。アユムは父親に「あれは何?」と何度も訊ね、その都度父親が答えてくれる静かな声が嬉しかった。
いまは懐かしい思い出に思わず涙が出そうになったが、アユムはそれを必死に堪えた。いまは楽しそうに笑う2人の顔を覚えていよう。そう思った。
日が傾き始めた頃、「そろそろ帰ろう」とレイは言った。まだ遊びたかったので渋い顔をしたアユムを見て、レイはにやりと笑って言う。
「アユム、早く帰らないとオオカミ様に食われちまうぞ?」
(レイに相談なんてしなければよかった。)
アユムは顔をしかめながらレイをにらみつける。
「でも、夜が危険なのは本当よ。夜はオオカミ様に遭わないようにしないと」
「ねぇアユム」そう言ってサリナはアユムの手を掴んで言った。
「お願い、約束して。絶対に夕暮れ以降に村の外に出ないって」
サリナの手は川遊びの後だからか、ぞっとするように冷たい。アユムは何度も頷くと、それからは2人を率先するようにして村へと帰るのだった。