サリナの独白 アユムと私
アユムと出会ったのは、葬儀がすべて終わり、母様と夕餉の支度をしていたときのことです。
マリおばさんと一緒にいたその少年は私と同じくらいの小さな体で、可哀そうにさっきまで泣いていたのか、目を真っ赤に腫らしていました。
「ねぇ、泣いていたの?」
私は意を決して訊ねました。すると男の子は驚いたようにじっと私を見つめます。
私が赤く腫れあがった目元に手を添えると、少年ははっと我に返り私の手を払いのけ、そのまま走り去ってしまいました。
「迷い人らしいわ」
少年の後姿を見つめていると、母様が近づいてきて言ったのでした。
※
「迷い人」。その言葉の意味を知り、次にアユムと出会ったのはその年の夏のことでした。
それまでもレイから話だけは聞いていました。レイは初め随分嫌っていたのに、どんな心境の変化やら、最近はいつも一緒にいるようです。ですが、家にいる私が会う機会などそうそうある筈もなく、想像だけが膨らんでいました。
夏に実際会ったとき、アユムは自信無さそうにこちらを伺い見る、可愛らしい男の子でした。ちらちらと私を見てくるのに、いざ私が顔を向けると顔を赤らめさっと目を逸らすのが可愛らしかったです。
レイの提案に乗りいつもの川に着くと、レイとアユムは二人で遊びだしました。
最初はビクビクしていたアユムもしばらくして慣れたのか、パンツ一丁で何度も川に飛び込むのを見て、やっぱり男の子なんだなと感心して見ていました。
きっと優しい子なんでしょう。夢中で遊びながらも、時折はっと気づいたようにこちらを心配そうに見てくるのが微笑ましく思えたものです。
遊び疲れた二人が青い唇をして戻ってきたので、今度は釣りをすることにしました。
レイから聞いてはいましたが、本当にアユムは魔法をこれまで使ったことがない様子だったことには驚きました。でもちょっとやり方を教えるだけで、乾いたスポンジが水を吸うようにみるみる上達し、ついには独りで魚を獲ることができたのですからこれならすぐにでもうまくなるでしょう。
……とはいえ、生き物が魔法を使えると聞いたときのアユムの顔といったら。
目を大きく見開いて、魚のように口をパクパクするものだから、私は笑いをこらえるのに必死だったのです。
まったく、アユムはこれまで一体、どんな生活をしていたのでしょうか。
体は細く女の子のように肌白いので、きっと外で力仕事をしたことはほとんどないのでしょう。運動も苦手みたいです。
もしかしたら私と同じように、家にいなければいけない事情があって逃げ出してきたのかもしれません。そうだといい、きっとそうに違いない。私はアユムの秘密を私だけが知っているようで嬉しくなりました。
アユムは私が魔法を使うと、初めて見た子どものように目をキラキラさせてはしゃぎます。その姿が何とも可愛らしく、私もついつい張り切ってしまいます。水のカーテンで空を覆ったときのアユムの喜びようといったら。私まで楽しくなってしまいました。
でも一瞬だけその表情に影が差したのが気になります。いったい彼にはどんな事情が隠されているのでしょうか。
でも私たちにとっては当たり前のことが、アユムにとっては違うかもしれない。そう思えばこそ私はアユムのことが心配でした。だって彼はオオカミ様のことさえ知りません。もし夕方を過ぎて村の外に出てしまったらと思うと、私は気が気じゃありませんでした。
それからというもの、すっかり仲良くなった私たちはレイを交え、アユムと3人で遊ぶようにました。仲良くなるにつれ、アユムはさまざまな表情を見せてくれるのが嬉しかったです。私たちは本当に仲の良い友達になれると思っていました。
※
それから季節は過ぎ行き、私はたくさんの人の最期を見送ってきました。分け御霊の儀のときに感じる厭な感覚は人によって違うため、ときに失敗することもありました。
それでも次第にそれにも慣れ、失敗することも減っていきました。
私はこの村が好きなのです。
イチイのおばあちゃんの家には村で一番古い梅の木があり、何年かに一度咲く花は本当に見事です。
村外れのメイおばさんはほかの料理はからきしなのに、漬物づくりではマリおばさんにも負けない名人です。
朝誰よりも早く起きて道を清めてくれるのはメアリーおばさん。村を歩けば誰もが私の知り合いで、皆が明るく挨拶してくれます。私はこの村のことが大好きでした。
だから、そんな村のためにできることなら、私はどんなことでも辛くないのです。
村での時間は静かに流れ、私はこのまま何も変わらず、当たり前のように生きて死んでいくのだと思っていました。
でもそれが、がらがらと崩れたのは私が15歳の頃でした。
その日はばたばたと、家全体が落ち着かない気配に包まれていました。
突然呼び出されヨミばあ様の部屋へと行くと、中には深刻そうな面持ちで話す、ヨミばあ様と母様の姿がありました。私が部屋に入ると二人はピタリと話を止め、黙って座るように促されました。
苦しくなるような沈黙が続いた後、ヨミばあ様は言いました。
「アユムは、オオカミ様の御使いたりえるかもしれん」
一体何を言ったのか。私は頭の中が真っ白になったのを憶えています。
だってそれは、あり得ないことだったのです。しかもアユムは、生きたシカから命の光を奪ったそうです。特別な修行を受けたわけでもないアユムが何故?
私の苦労は何だったのか。胸を締め付けるような悲しみと、じりじりと焦がすような怒りが私の中を駆け巡り、ぐらぐらと世界が揺れているのがわかります。
まさか真実であるはずがない。しかしそんな私の願いともいうべき思いは、すぐに打ち砕かれることになりました。
呼び出されたアユムは私たちの目の前で、見事に目を赤く染めあげたのです。
あぁ、あの時の私の驚きといったら。足元がなくなったような気さえしたのです。
ところがそう思ったのは私だけだったようで、ヨミばあ様はアユムが帰った後、嬉しそうなのが見て明らかでした。
その日、私と母様はヨミばあ様に呼ばれ、ある話を聞かされたのです。
「今日は我が一族にとって、大変なことが起きた。その意味を、お前たちには知っておいてほしいと思ってね。
今よりおよそ200年は前のこと、その頃この村は獣に怯えながら暮らすどこにでもある小さな村じゃった。そこに南より現れたのが、オオカミ様とその御使い様である。
オオカミ様は村を脅かす村を追い払い、村に平和と安寧と齎してくださった。
しかしそのときオオカミ様は深く傷ついており、このままでは命の灯さえいつ消えてもおかしくなかった。そこで身を捧げたのが我が一族なのじゃ。
我が祖先はその血をもってオオカミ様を癒した。そしていつしか御使いとの間には子が生まれ、赤き目とともにその役目も受け継がれてきた。
だがその力は年を経るにつれ弱まってきておる」
そこまで言ってヨミばあ様は黙り込み、深く考え込んでいるようでした。母様は痛ましそうに私を見ています。しばらくして、ヨミばあ様はにやりと笑って言いました。
「オオカミ様は我々をお見捨てにならなかった。今日ここに、赤き目を示す者が現れたのじゃ。
その力はおそらく、初代の御使い様に匹敵するやもしれん。アユムはオオカミ様より我が一族に齎された祝福に違いない」
「人身御供」。その話を聞いたとき、真っ先に私の頭をよぎった言葉です。私は、いえ私たちは村のための犠牲だった。しかもそれも、まがいものの。
私はひっしと爪を立て、体を強く抱きかかえました。感じる血潮が、この肉が、とても汚らわしいもののように思えて仕方がありませんでした。




