呪詛
決行の前日、アユムは一人悩んでいた。
最後に分け御霊の儀を行なったのはいつのことだったろう。もう10年以上前のことだったと思う。
ショウはこの力を、神々から権能を奪う力だと言っていた。あの儀式にそんな意味があったなんて知らなかった。
(俺は何も知らなかったんだな。…キュウコ様を弑して、俺は一体どうするのだろう?)
オオカミ様を殺した日のことを思い出す。あれは果たして正しいことだったのか、いまだに答えは出ないままだ。
レイはかつて、「ダンジョンコアを破壊して、魔物のいない世界で家族と平和に暮らすことが夢だ」と言っていた。
ダンジョンコアは実在しなかったけれど、キュウコを弑することで、ダンジョンは消失し魔物は生まれなくなるのかもしれない。
だがダンジョンはいまやこの街にとって欠かせないものだ。アユムはそれをここ数年肌で感じていた。
でも理想に近づけることはできる。神の権限を手にし、何に使うかを制限できれば犠牲者は減らせるかもしれない。
それはレイの夢通りではないだろうけど、せめてそれが少しでも可能なら。
アユムは戦う覚悟を決めた。
※
決行は深夜。
何も知らない人々が、最後まで何も知らないでいられるように。
通い慣れたダンジョンへの道なのに、緊張して胸がどきどきする。
子どもの頃、行ってはいけないと言われていた場所へ友だちと連れだって出かけたときに似ているかもしれない。
隣にはアユムと同じ稀人だという3人と、後ろには目的を同じくする冒険者たりが連なり歩いている。
誰もが何も語らず、ただ黙々と教会へと向かっている。
教会に辿り着くと、そこには一人のシスターが祭壇に向かい静かに祈りを捧げていた。どこか見覚えのあるその人は、降り注ぐ月夜の明かりを一身に受けていた。
アユムはその光景に目を奪われた。
「あれがキュウコです」
赤い眼でにらみつけながら、鋭い声でショウが言った。すぐに皆が戦闘態勢をとる。
意識を集中させたアユムの目にも、シスターが溢れんばかりの黄金の光に包み込まれているのがわかった。
「こんな夜更けに皆さん、どうされたんですか? ちゃんと寝ないと、怪我の元ですよ」
ピリピリと高まる緊張感の中、シスターはいつもとまるで変わらない調子で言った。
「あら、そちらの4人の方は珍しい眼をされてますね。何とも懐かしい光景です」
シスターがにこりと微笑むと、ゆらりと両側の闇が揺らいだのがわかる。
次の瞬間、赤い眼を輝かせる2体の石像ウコとサコが姿を現した。
「まったく、人ってのはいつになっても馬鹿ばっかで変わんねえなぁ」
「不敬極まりない愚かどもの集まり。キュウコ様からの恩を忘れ、このようなことになるとは。不愉快極まりない生き物よ」
パラパラと石が剥がれ、現れたのは白い狐。真っ赤な口を裂けんばかりに開き、襲い掛かってきた。
身構えたアユムだが、ウコとサコは何故かアユムたちには目もくれず、後ろの冒険者たちを狙っていた。激しい戦闘音が鳴り響く中、キュウコがゆっくりと口を開いた。
「お久しぶりです、私の可愛い眷属たち。あなたたちは私を憶えていますか?」
すると4人は一斉に頭を抱えだした。靄が晴れるように、契約を交わしたあの日のことが頭の中で蘇る。
「私は何と名乗っていたでしょう。ウメでしょうか、レンゲでしょうか、それともサクラだったでしょうか。
改めて初めまして、イナリの街の神、名をキュウコと申します」
「私が初めてこの場所に訪れたときも、あんな風に戦ったものです」
キュウコは後方で戦う冒険者たちを懐かしそうな目で見ていた。
「フェンリルは強い神でしたから、とても苦労したものです。
このダンジョンの、いえこの街の神に取って代わり、もう何百年になるでしょうか。
あなたたちの営みを見るのはとても楽しかったですよ。滑稽で」
さっきまでの清楚な顔つきは消え、獣のように顔を歪め笑うキュウコ。
「何も考えず、与えられて当然だと疑わない雛鳥の純真。
見果てぬ夢を見て、現実を知らぬ子どもが心砕かれ崩れるときの絶望。
誰とも違う特別な何かを自らに幻視して、他者を蹴落とす傲慢。
尽きることのない欲に、積み上げた金貨ばかり見て欲しいものを見失った空虚。
あなたたちの愚かさは、私の孤独を慰めた。
数多の悪意は雪のように降り積もり、いまでは底も見えぬほど深いダンジョンをつくりあげた。その力はついに、神を貫くほどの強い力をあなたたちに与えたのですね。
いいでしょう我が子らよ。あなたの力を示しなさい。命ある限り」
キュウコから9本の尾が生えたと同時に、異常な魔力の高まりが、びりびりと空気を揺るがす。アユムは稀人の3人を後ろに下がらせた。
収納カバンに手を入れ、次々と大きな袋を取り出す。中にはヨーグに頼んで仕入れさせた膨大な魔石が詰まっている。
キュウコが手を振ると、幾千幾万もの火の玉がアユムに襲い掛かる。
迫りくる火の玉が見えていないように静かにアユムは意識を集中させると、袋の中にあった魔石は一斉に砕け散った。
すると同じく幾千幾万の火の玉が生まれ、キュウコの火とぶつかり合い、相殺されていく。
火が舞い、雷が轟き、氷の矢柱が降る。
そのすべてをアユムは打ち砕いていった。お互いの魔法がぶつかり合い散っていく姿は、初めて魔法を目にした時のあの美しい景色を思い出させる。
いまアユムは、かつて夢描いた主人公そのものだった。
※
だがそんな時間もついに終わりを迎える。魔力が尽きたのだろう、がっくりと項垂れるキュウコ。
「何故。何故あなたは魔石を人に与え、自らは使えないのですか?」
キュウコは力なく顔を上げ答えた。
「魔石はダンジョンに集まった人の悪意が、魔物の中で安定化し、形作られたもの。
魔物を倒したあなたたちに与えられし祝福。だから神である私には使えない代物なのです」
気づけばすべての戦闘音は止み、静寂が辺りを包んでいた。後ろを見れば、血に塗れたウコとサコがいる。
「見事です。もう私の力も要りませんね、あとは好きに生きなさい」
目をつむるキュウコを前に、アユムはその言葉の意味を考えていた。
ではいま自分が使った力とは。レベルアップとは何なのか。これまで漠然と感じていた知りたくもない事実が、アユムの中で形を成していく。
「……やはり君はまだまだ幼い。何を悩むことがあるんですか、アユム君」
声がした方を向けば、キュウコの傍にはシンが立っていて、刀を振り下ろしていた。「ヒュンっ」という軽やかな音と共に首が落ちる。
「シンさん一体何を! まだ話が……」
「狐から聞くべき話などありません。私は依頼通り邪神を打倒しただけです。それに、この程度では神は死にませんよ。
さ、アユム君たちも稀人としての勤めを果たしてください」
見ればころころと転がる生首は、シンと向かい合うようにぴたりと止まると、悠然と笑みを浮かべながら言った。
「そういえばあなた、どこかで見覚えある顔ね。お会いしたのは何百年前かしら」
シンは何も言わず、アユムに向けて首を蹴飛ばした。
「さぁ神の権能を人の手に。分け御霊の儀を行ないましょう」
3人は体に向けて、アユムは膝に乗せた頭を前に力を集中させていく。
「かしこみかしこみももうす」
キュウコを包む黄金の光は、触れれば太陽のように膨大なエネルギーを蓄えていた。
この手にすくいあげようと、苦悶の表情を浮かべながら力を集中する。
マイやナオ、そしてショウまでも力尽き倒れていく。ついにはアユムも意識を失いかけたそのとき、キュウコの目が開き言った。
「信じるべきものを失った、あなたたちの未来に幸せがありますように。
誰に与えられた幸せではなく、自ら決断し足を前に出すあなたたちの行方がどうなるか楽しみにしているわ」
その言葉をきっかけに急速に力はまとまり、アユムの手の中には血のように赤い神石が遺された。




