ダンジョンは膜を隔てすぐ傍に
幼馴染のジミーは善良な人間だと、いまでもアユムは思う。
彼はこの街で長年商人として生きたが、他人を騙そうとか、傷つけようとしたわけではない。
ただこの街のルールに則り、自分にできることを模索しただけだ。
ジミーのアユムを見る目は以前の友人を見るものではなく、いつしか商売相手を見るようになったように思えてそれは悲しかった。
だけどそれでもジミーのためならと思って、アユムはジミーの頼みはなるべく聞くようにしていた。
魔石や素材の納品やパーティーの人脈づくりに協力したのだって、ジミーのためならばと思ったからこそだ。
だけどアユムは気付いていた。いつしかジミーが、この街に飲み込まれつつあるのを。
そのきっかけになったのはルチと呼ばれる怪しい男だった。
ジミーはその男をチューター(教育者)と呼んでいた。あるときからルチは急にジミーの話題に現れ、みるみる話題のすべてをさらうようになっていた。
「あれほど勉強熱心で、実際に行動を起こせる人はいません」
「ルチさんはこの街で、裸一貫から誰よりも成功した人です」
「私はついに、最も尊敬できる人と出会うことができたのです」
ルチの話をするとき、ジミーの顔はきらきらと輝いていた。
ルチは自分の考えを体験談と一緒に1冊の本にまとめて販売しており、それを読んだこともある。
なるほど、書いてることは至極真っ当で、楽しく読めるものであった。
「システムに使われるのではなく、お金を生み出すシステムを使いこなせ」
「金貨の奴隷ではなく、主人になれ」
人を引き付ける言葉が麻薬のように随所に散りばめられていた。
さらにお金の使い方を学べるという、人生ゲームのようなボードゲームをやったこともある。
ジミーの案内に従いついていくと、一見民家のような貸しスペースには同じくほかのチューターに率いられた人がたくさんいた。
プレイヤーの中には何度もやったことがあるだろう人もいた。多くのルーキーがなるべくお金を使わずに勝利しようとする一方で、彼らはお金をうまく活用して勝ち抜けていた。
彼らとの面会には、そんな意識改革のような甘い罠がダンジョンのトラップのように潜んでいるのだった。
アユムが驚いたのは自称貴族という男と出会った日のことだ。
彼は最新式の魔石エンジンを搭載した馬車でやってきた。
ジミーやルチを向かい側に座らせるとアユムは彼の隣に座らせられた。
座席はすべて柔軟性に富んだ魔物の皮でつくられているのだろう。座り心地がよく、走っていてお尻も痛くならなかった。
またその男の腕にはいままで見たこともないような豪華な腕時計が着けられており、それを見たジミーがほぅとため息を漏らしていた。
彼はルチのさらにチューター役を務めていた人物らしく、馬車で街を回る中でいかに自分が成功したかについて語ってくれた。
だが彼が「挑戦には相応の努力とリスクがつきものである」と言い出したところから、雲行きは怪しくなったように思う。
「俺ができるのはチャンスとなるシステムを、ちょっとしたお金と引き換えに与えることだけ」
「指導しているのに、努力できない奴が落ちぶれていくのはどうしようもない」
などと言うのだ。リスクを個人に負担させ、成功者は仲間に引き入れ自分の手柄にしているようにしか思えなかった。
アユムはその陰で、たくさんの人が嘆き、苦しんでいる姿を幻視した。テッドもかつての自分も、そうだったのではないだろうか。
「多くの人を踏みつけてまで、何が得たいのか」
「金貨の数字を競うゲームの果てに、一体何があるのか」
アユムがそう訊ねると「あなたは変わった人だ」と言われて、すぐに馬車から皆降ろされてしまった。
「せっかくお忙しい中時間をつくっていただいたのに、あの言い方は失礼ですよ」
ジミーはルチと一緒にアユムを責め立てた。
アユムは急にジミーが別の言語を話しているような気がして、何を言う気にもなれず、黙るしかなかった。
以来アユムはジミーと会うことを避けるようになった。
※
ジミーがヨーグ商店を追い出されたと聞いたとき、アユムは驚くのと同じく、頭のどこかでそうなることを知っていた気もしていた。
新しく始めた事業で詐欺に遭い、すべての資金と信用を失ったのだ。
久々にレイとテッドも呼び、安居酒屋で4人が顔を合わせることになった。
ジミーは打ちひしがれ、何も話そうとしない。
一方で、同じく久しぶりに会ったテッドは随分と顔色がよくなったようだった。
「俺いま魔石工場を辞めて、屋台で飯売ってんだ」
少しやつれた顔をしているが、その笑顔は明るい。
「工場を辞める前は、もしここで辞めたらもう俺の人生すべてが駄目になる気がして辞められなかったんだよ。
だけど突然どうしても寝床から起き上がれなくなってな。頭は痛くなるし眩暈はするしで、もう俺は駄目なんだなって思ったよ。
いくら寝ても眠気はとれねえし、何で生きてんだろうって不甲斐なかった。
でもそんな中で助けになったのが、屋台の飯だった」
テッドは厭そうにするレイと肩を組み、にやりと笑う。
「どっかの誰かが毎日いろんな屋台飯を持って、部屋の中にこっそり入れてくんだよ。
そしたら現金なもんだぜ。もう死にたいと思ってても腹は減るし、うまいもん食べたら元気になる。
難しいことあれこれ考えていたけど、結局単純にできてるんだなって笑ったよ」
おかしそうに笑うテッド。
「その内好みの屋台とか出てきてな。それが来るのを心待ちにするようになる。だけど中々来ねえから、ある日レイを捕まえて一緒に買いに行くことにしたんだ」
「こいつ、部屋を出るとき足震わしてたけどな」
レイが茶々を入れると、テッドは顔を真っ赤にしてレイを殴っていたが、冒険者として高いレベルのレイはちっとも痛くないようで、逆にテッドがこぶしを痛めていた。
「それでいまの師匠の下で修業して、いまは一人で屋台をやっているってわけだ」
(よかった)
アユムは楽しそうに笑う二人を見て、心からそう思えた。
アユムはテッドのことが怖かった。あの姿がかつての自分の姿と重なる気がして、自分もそうなる未来を恐れ直視できなかったのだ。
テッドを見捨てた自分は、おめでとうなんて言えない。だからアユムは一気に酒を飲み、心の中で何度もおめでとうと繰り返した。
「くだらない」
だがそんな中で、ジミーの声が冷たく響いた。酒が回り始めたのか、顔が少し赤い。
顔をしかめ、掴みかかろうとするレイをテッドが押し留める。
「屋台なんて、くだらないんですよ!
それで一体どれだけの利益になるっていうんですか?
この街に来て散々迷惑や心配をかけて、行きつく先が屋台って。こんな場末の居酒屋で安酒飲んで。どんな冗談ですか、渡ってしまいますよ」
「じゃあお前は、何になれたって言うんだ」
レイがぴしゃりと言い放つと、ジミーは血走った目でレイをにらみつけた。
「私は……私はあなたたちとは違う。いつまでもこんな場所で満足したくないんです。もっと、もっと先に進まないと」
ジミーの目からぽろぽろと涙がこぼれる。それを見てテッドが黙ってタオルを押し付けた。
「ジミー、お前は頑張りすぎだ。もっと肩の力を抜け。
お前がこれまで頑張ってきたのは俺が一番よく知っている。お前は俺の自慢の弟だからな」
ジミーの涙が治まるのを待って、テッドは続けてこう言った。
「なぁ、ものは相談なんだが。俺の屋台おかげさまで結構繁盛していてな。大忙しなんだ。
だけど俺計算はどうも苦手でな。だから金勘定の得意な奴を探しているんだが、ジミーお前誰か心当たりはいないか?」
ジミーはタオルに顔を押し当てしばらく黙っていたが、次に顔を上げたとき、そこにはいつもの澄ましたジミーの顔があった。
「そんなの、私しかいないじゃないですか。給料はもちろんちゃんともらえるんでしょうね?」
テッドは嬉しそうにほほ笑んだ。
「……あぁもちろん。3食部屋付きだ。俺と同室だけどな」
ジミーが盛大に顔を引きつらせるのを見て、3人は思わず声を出して笑った。子どもの頃を思い出し、本当に心から。




