死闘と別れ
足を踏み入れた瞬間、場の雰囲気が明らかに変わったのを感じた。
ダンジョンに漂う厭な空気が部屋の中央へと集まっていく。ナニカが風のように体をすり抜けていくおぞけに、アユムは身を震わせた。
レイは即座にアユムの手を引きその場を出ようとしたが、目に見えない障壁が立ちふさがり、部屋から出ることができない。
障壁を隔てたすぐ目の前には、こちらをじっと見つめるシンの姿があった。
「シンさん! 助けてください。閉じ込められてしまったんです」
レイは障壁を叩き、懸命に助けを求める。しかしその声は果たして届いているのか、シンの表情に変化はない。
そのとき、背後で蠢く気配がした。
アユムが恐る恐る振り返ると、そこには巨大なオーガが立っていた。
「……あり得ない」
目の前に広がる光景に、隣に立つレイがつぶやいたのがわかった。
それもそのはず、オーガは深層にのみ出てくる魔物であり、こんなところに出るなんて聞いたこともない。
その圧倒的な威圧感を前に、二人は一歩も動けずにいた。
その姿は人と似ているが、赤い肌に加えて頭部に二つの角が生えているところが異なる。
オーガの好物は人肉だ。
オーガは二人のことを見て滝のような唾液を流しながら、舌なめずりをするとニタリと笑った。
次の瞬間、オーガがすぐ隣にいた。
高く蹴り上げられた足と、壁に打ち付けられ倒れるレイがいる。アユムは自分を鼓舞するように叫び声を上げると、持っていたナイフで切りかかった。
「パキン」
しかしナイフはオーガの肌に当たると、傷一つつけることなく根元から折れてしまう。
折れた刀身が当たり、右手から血が流れる。
オーガはアユムは煩そうに払いのけ、アユムはものすごい衝撃と共にレイとは反対側の壁へと叩きつけられた。
ぼやける視界の中で、オーガがレイの元へと歩み寄っていくのがわかる。
レイが動く気配はない。このままではレイが死ぬ。
(ここで、使うしかない)
アユムは胸元に下げた革袋から、神石を取りだした。
神石は以前と変わらず、淡く美しい青い光を放っている。ヨミの顔が思い浮かぶ。いつかピンチが訪れたらと思っていたが、できれば使いたくはなかった。
矢に括り付けて使うことも思い浮かんだが、あの素早さでは避けられてしまう。
アユムは目を閉じ、神石から流れる膨大な力に身を任せた。
放つのは炎。アユムの頭上にみるみる巨大な火の玉ができあがる。
アユムは限界まで大きくした炎を、そこからさらに圧縮していった。「ピシリ」という音と共に、神石に亀裂が入る。もう限界だ。
アユムは炎をオーガに向けて放った。圧縮された超高温の炎が蛇のようにうねり、逃げるオーガに迫る。
するとオーガはくるりと体を反転させ、腕をクロスして防御態勢をとった。
すべての力を使い果たした神石は砕け散った。
炎によりむっとした熱気に包まれ額から汗が流れる中、炎が消えるのを見守る。
すると「ドサっ」という音を立て、オーガが膝をついた。
(やった!)
しかし現実は甘くなかった。
ゆっくりと顔を上げるオーガ。その顔は般若のようで、目は爛々と輝きアユムをにらみつけている。
(もう駄目だ、終わった)
アユムはへたへたとその場に座り込んでしまった。
歩み寄るオーガの姿を見て、アユムは死を覚悟した。
「諦めるな!」
そのときレイの叫ぶ声がした。
見るとフラフラになりながら手持ちのポーションを頭から浴び、立ち上がるレイがいた。
ふらつく足取りで、渾身の叫び声とともにオーガに切りかかる。
オーガはそれを面倒くさそうに躱しつつ、手で弾いて対処していた。
レイの必死の攻防に目を奪われるアユム。
一瞬、目が合った。
その目には絶望など宿っていない。叱りつけるような力強い眼差しだった。
(一体何をやってるんだ)
アユムは両頬を強く引っぱたいた。
(何かあるはずだ。何かできることが)
アユムは必死になっていま自分にできることを考えた。
(矢はどうだろう。
駄目だ、あの硬い皮膚にはこんな矢じゃ刺さりもしない。
あの素早さでは逃げることもできないし、逃げたところで障壁があるからどっちにしろ死ぬ。何か、何かないのか!)
そのときアユムの体に何かがぶつかり、激痛が走る。驚いて周りを見ると、足元に魔石が転がっていた。
(そうか、これなら!)
アユムは急いで魔石を手に取り、カバンの中からもいくつか魔石を取り出した。
しかしそこでアユムの脳裏にいつか広場で目撃した魔法使いの死骸と、「冒険者ならよくあることですから」と普通のことのように言っていたサリナの顔と声がよみがった。
魔石は強力な魔法の行使を可能とする。しかし一方で、暴走により毎年少なくない人数が死んでいるのも事実だった。
だがそうこうしている間にも、攻防に飽き始めたのか徐々にレイは押されていく。
二人が死ぬ未来が、じりじりと身近に迫ってきていた。アユムは大きく息を吐き、覚悟を決めた。
魔石を手に目をつむり、意識を集中する。
途端に神石のときのように、強い力が流れ込んできた。しかしそれはゾッとするような冷たさと、蟲が皮膚を這うようなおぞけを伴うものだった。
アユムは懸命にたえながら、より深く意識を集中させていった。
(魔石の力は泣き叫ぶ子どものようだ)
暴れ狂う力を前に、アユムはそう思っていた。泣く子どもを宥めすかすように、力を優しく誘導し、魔法を発動させた。
レイとオーガの間に、一瞬で壁が盛り上がる。次の瞬間、魔石が砕けると共に、するどく尖った石柱がオーガに襲い掛かった。
鬱陶しそうにそれを払うオーガ。しかし魔石一つ分の魔力をふんだんにこめた石柱は中々砕けず、オーガを力強く拘束している。
レイはその間に体を引きずり離れていった。
「この時間が欲しかったんだ」
矢をつがえる。その先には煌々と光を明滅する魔石が括り付けられている。
――矢が放たれた。
矢が突き刺さった瞬間に臨界を迎えた魔石は、その魔力を一気に暴走させ爆発した。
キーンという音が耳の中に響く。
爆炎が収まるとそこには風穴を開けられ、血塗れになったオーガが、ゆっくりと倒れるところだった。その体は徐々に風化していった。
「レイ……やった、やったよ‼」
アユムがレイのいた方向を見ると、そこには倒れ、大量の血を流すレイがいた。
全身に負った深い傷から、止めどなく血が流れている。そのまぶたは力なく閉じられ、いくら呼びかけても返事はない。
「そんな。レイ、こんなことってないよ」
アユムは何度も呼びかけながらカバンの中からありったけのポーションを取り出してレイに浴びせた。傷はみるみる塞がっていく。
しかしレイが目を開けることはなく、拍動も徐々に小さく、弱くなっていく。
「レイ。レイ。起きてくれ、目を開けてくれよ」
だがその声はむなしく響くばかりだ。
……アユムがレイの体に顔を伏せていると、レイの胸元からこぼれる強い光に気がついた。
それは暖かい青い光だ。
まさかと思い見れば、首から下げた袋から漏れる光のようだ。
急いで中を開けてみると、神石がいままでに見たこともないほど強い光を放っていた。
その光は美しく、どこか懐かしい気持ちにさせるものだった。
はっと手を見ると、それまで血を流していた手から傷が消えていた。
神石はそれからしばらくの間光を放ち続けていたが、ついに力を使い果たし、砕けていった。
いま何が起きたのかわからず、ぼうぜんとしているアユム。
「うっ」とうめき声が聞こえ、慌ててレイを見た。
するとなんとレイが苦しそうに顔を歪めながらも、ゆっくりと目を開いたのだった。
「レイ! 生きてる、生きてるんだね」
アユムは起き上がったレイに思い切り抱き着いて喜んだ。目の前が涙でにじんでいるのがわかる。
「いてぇよ、アユム」
レイはされるがままになりながら、気だるそうに答えた。
アユムはレイが倒れてから見た、あの神石の光のことを話した。
するとレイは、「そっか」とだけ呟き、いまは空になった袋を大事そうに握っていた。
「アユム、お前オーガをやったんだな」
アユムは涙を服でがしがしと拭い取り、満面の笑顔で頷いた。
「やっぱりお前すげえよ」
二カっと笑ったレイとこぶしをぶつけ合った。




