この街の歪み
「テッドの様子がおかしい」
浮かれるアユムの寝耳に水を差すように、ある日レイが言った。
テッドと最近会っていないことに気がつく。具体的にどうおかしいのかレイに聞いても「それがよくわからない」と要領を得ない。
とにかく二人でテッドの住処へ行ってみることにした。
アユムはこの街に来て、初めてテッドの家を訪れた。
それまで何度か行こうかと思ったのだが、テッドがいまいち乗り気ではなかったのだ。
街の北西にある貧民街にほど近い場所にテッドの家はあった。
明るい大通りとは打って変わって、家が重なり合うように密集して薄暗い印象を与える。
道行く途中ですれ違う人も、すえた臭いがしたり、ぶつぶつと何やらつぶやいていたり、酔って大声で叫ぶ人などもいた。
「テッド、いるか?」
レイが集合住宅のとある一室をノックして訊ねる。
すると中から何かががたがたと音がして扉が開いた。出てきたテッドは昼にもかかわらず寝間着姿だった。
「おうレイ。それにアユムか。突然どうしたんだ?」
その姿を見た瞬間、アユムはレイの言ったことを理解し顔をしかめた。
テッドの顔は痩せ細り、目には覇気がない。かつてのはつらつとした姿とは似ても似つかない姿だった。
「たまには3人で会って話でもしようと思ってな」
レイはいつの間に用意していたのか、サンドイッチを差し出した。
「いつもすまねぇなレイ。まあ狭いとこだけど上がってくれ」
※
テッドの部屋はごく簡素なものだった。
6畳一間にベッドと小さなテーブルが一つ。食べた後の容器などが床にまで乱雑に置かれていた。
テッドがベッドに腰かけたので、適当に物を除けて床に座り込む。
「それで、最近体調はどうなんだ?」
戸惑い、何を聞いたらいいかわからず口を閉ざすアユムを尻目に、レイが切り出した。
「体調はいつもと変わらない。ただここんとこ、いくら寝ても眠くてな。休みの日は何をする気も起きなくて、寝てばかりいるよ」
「飯はちゃんと食ってるのか?」
レイは部屋を見渡しながら言った。
「気が向いたときに屋台で適当にな。
まあいいじゃねえか。俺の話なんかより、お前らの話を聞かせてくれよ。最近はダンジョン探索も順調なようじゃねえか」
テッドが力なく笑う。とても大丈夫だとは言えない姿だ。
「まあ俺らはぼちぼちやってるよ。それよりお前…」
「ぼちぼち、か。すごいよなお前らは」
レイの言葉を遮り、言った。顔はうついたまま下からねめつけるように。
「この街でご立派にやっていけてる。
でも俺は駄目だ。どことも知らないこの街で、毎日同じことの繰り返し。生きるために飯を食って、糞出しているだけだ」
「なぁ、いつまで工場で働くつもりなんだ?」
「いつまで、か……。いつまでもさ。俺みたいなやつには、この仕事しかないからな。お前たちとは違うさ。
この街は自由だが、何もない人間を許してはくれない。何かできるとはやし立てるが、そんなものありはしないんだ」
「なんで、なんでこの街にいなければならないの?」
口から思わず漏れた言葉に、アユムは自分で驚いていた。テッドの言葉の一つひとつが、胸を貫き痛かった。
「何でだろうなぁ」
テッドが力なく笑う。
「俺なんか何もできないなんてわかってるけどさ、それでも何か俺が必要とされていることがあんじゃないかと期待しちまうんだよ。みっともねえよな」
テッドはすべてを出し切ったかのように深いため息をついた。
「もういいか? 明日も仕事があるんだ。もう少し寝かせてくれ」
※
二人は追い出されるようにして部屋を出た。扉の前で再度声をかけようか逡巡したのち、レイはため息をついて帰ろうとした。
「お前もよくやるよ」
その背中に声をかけてくる男がいた。
「あんなやつ、この街じゃざらにいる。気にするだけ無駄じゃねえか。同じような奴が同じように消費されて消えていく。その繰り返しだ」
酒臭い息をまき散らすその男は歳は60にも届こうかといったところだが、髪や髭が伸びっぱなしでわかりにくいため本当はもっと若いのかもしれなかった。
「アユム、行こう」
レイは男をにらみつけると帰ろうとした。
「アユム? お前、もしかして迷い人か⁉」
男は急に眼の色を変えて歩み寄ってきた。かばうようにレイが1歩前に出る。
「俺は山田、山田裕貴。お前と同じ、向こうの世界じゃ生きられなかったつまはじきの迷い人だ」
男は狂ったように笑いだした。
「なぁ、お前はどこまで覚えている? いつからここにいるんだ?」
レイは男を不快そうに見ると、アユムの手を引いて帰ろうとした。しかしアユムは足を止め、レイの手を抜けて前に進み出た。
「俺は小林、小林歩向です」
随分と昔のことだから、自分でも思い出せたのが不思議だった。
「俺がこの世界に来たのは10歳の頃です。前の世界のことはほとんど覚えていません。気づいたらこちらに来ていました」
「そうか、お前も記憶を狐に売り渡したクチか」
男はくっくと笑っている。
「だが俺は違う。俺は狐に何を売ることもなく飛ばされた。新世界で生まれ変わる?
冗談じゃない。
俺はお前らとは違う。俺であることを売り渡すことなんてするものか。
まあでも、あんなくそったれた世界から救い出してくれたことには感謝しているけどな」
「じゃあ、あなたは全部覚えているのですか?」
「当たり前だ。だからこの世界の歪みにもすぐ気がついた」
男は自慢げに片方の口角を上げる。
「お前は初めてこの街に来たとき、おかしなことに気がつかなかったか?」
アユムはイナリについた日のことを思い出すが、おかしなことは何も思いだせない。困り果てるアユムに対し、レイは口元に指を当て眉根を寄せている。
「そうだ。お前がわからず、こちらの世界に生れ育ったそっちの坊主がわかること。それがこの街の歪みの正体だ。
いいか、この街は俺たちの世界に似通いすぎているんだ」
驚きレイの顔を見ると心当たりがあるのか、レイは目をそらした。
「この世界の技術は元の世界の一部を切り取ったように歪だ。技術が発達する過程にある筈のものがないのに、突然完成形のような技術が現れる。
たとえばこのランプだってそうだ。人はかつて明かりを灯し続けようと、木や脂を使った。
さらに火を長く、煤が出ないように改良を重ね、そしていつ日か電気と電球が生まれた。
だがこの街にはそれがない。精製された油よりも先に、魔石という訳がわからない動力を使った電球のようなものが使われている。
電球を知らなければ起こりえない技術発展が起きているんだ」
男は段々と熱が入ってきたようで、その口調も徐々に激しくなっていく。
「だが一番おかしいのがこの魔石だ。何でできているのかさっぱりわからん。
よくわからんものに、誰もが頼り切っているこの現状に誰も違和感を持っていない。
村からは魔石から魔力を採り、抽出するための工員が毎年やってきて、この部屋の奴のように皆死んでいく。
おかしいって誰もが知っている筈なのに、誰も何もしないんだ」
男は自嘲するように笑う。
「随分余計なことまで言っちまったな。忘れてくれ。
なぁそっちの坊主。この部屋の奴を助けたかったら、さっさとこの街から連れ出すこった。狐にさらわれちまう前にな」
※
「あんな人、勝手にすればいいんですよ」
じつの兄弟であるはすのジミーの反応はすげないものだった。
「家族じゃないか、心配じゃないの?」
アユムにとって家族とは憧れだった。
血のつながりは何が起きても切れることがない。そんな強い絆で結ばれた兄弟とはどんなものなのか。理解できないからこそ、強く憧れていた。
ジミーはアユムをじろりと見てから、ため息をついて言った。
「テッドの体調が悪いことは知っています。
だからあの仕事を辞めるように言いました。新しい仕事を紹介したこともあります。
でもあの人は面接に来ることもなかった。だからもうどうしようもないんです。
それどころかいつまでも保護者面をして。あんな人、私はもう、知りませんよ」
結局アユムも何度かテッドの家に行ったのだが、扉を叩くことすらできずその足は自然と遠のいていった。




