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オオカミ様がいた村  作者: 降雪 真
第1章 田舎暮らしはカズイシ村で
23/57

屍龍襲来

 レイ達が旅立って数年の時が過ぎた。


 村では何人もの子どもが生まれ、成人し旅立ち、そして戻ることなく死んでいく。村は変化を拒むように、ゆるやかで歪な代謝を続けていた。


 しかしそんな平和な営みも、ある日突然終わりを告げることになる。


 ――それが舞い降りたのは、昼前のことだった。


 皆が見たのは1体の大きな屍龍(しりゅう)。巨体を窮屈そうに広場に押し込んでいる。

 それが舞い降りると、肉が腐ったような凄まじい悪臭に、多くの者は家から飛び出し何事かとわめいていた。


 御使いとしての修行を終えたアユムは、屍龍が着地した近くにたまたま出くわしそれを見ていたのだった。


 屍龍の体からは腐肉がとろけ落ちている。


 ぼとり、ぼとりと肉が落ちるたびに悪臭がより強くなっていく。その両翼には羽根もなく、どうやってここまで飛んできたのかと不思議に思えるほどだ。


 と、突然屍龍が咆哮をあげた。それはゴボゴボとくぐもり、鳴き声と呼べるようなものではなかったけど、あまりの声量に皆は耳を塞いで座り込む。


 次の瞬間、座り込む人達に向かって屍龍が口を開き、黒いナニカを吐き出した。


 すべては突然だった。


 口から出たナニカが地面に当たった瞬間、耳をつんざくごう音と巻き上がる粉塵に、アユムは世界の終わりを感じた。


 アユムはとっさに神石の力を使い、屍龍との間に大きな壁をつくり、さらに風で村人を守るように結界を張った。


 アユムがうずくまる中、それから何度も何度も爆音は続いた。


 何度目かの攻撃に、ついに力を使い果たした神石は砕け散ってしまう。アユムはそのまま気を失ってしまうのだった。




 どれほど時間が経ったのだろうか。気がつくとアユムはガレキの中にいた。苦心して抜け出したとき、周囲には何もなかった。


 見覚えのある景色はすでに跡形もない。そこにはかつて親しかったものの残骸が散らばっている。


 屍龍の声は村の中央から聞こえてくるようだ。アユムは訳が分からないまま、走り出した。


 走りながら、目の端に映るさまざまな惨劇に、足を取られそうになる。腐敗した臭いに混じり、さまざまな悪臭が息をするたびに体の中に入り込んでくるのが不快でたまらない。


 アユムはただただ足を前に降ろすことだけに集中した。立ち止まってしまっては、もう歩けない気がしたから。




 村の大広場が見えたとき、そこにはクオン以外にも、屍龍とサリナたちの姿があった。


 屍龍をサリナと母親のコトが取り囲んでいる。魔法を使って牽制しあうことで屍龍の注意を散らし、うまくその場に拘束しているようだ。


 クオンのかたわらにはヨミが立っており、1本の矢に光り輝く神石を結び付け懸命に呪文を唱えているようだった。神石からはいままで見たこともない程強い光が放たれている。


 クオンがその矢をヨミから受け取り、つがえた。


 シュッという音と共に矢が目の前を過ぎていく。クオンが矢を放つと同時に、サリナたちは示し合わせたように地面に伏せていた。


 矢が屍龍に刺さった次の瞬間、ものすごい爆音とともに、屍龍の体の大半が消失した。


(やった!)


 これでもう大丈夫。安心したアユムは地面に伏したサリナを助けに行こうと再び駆けだした。

 ところが引き起こしたサリナを見ると、その目は大きく開かれ、屍龍の方向を見つめている。


 アユムはいぶかしがりながら後ろを振り向いた。


 するとそこには、ぐもぐもとうごめく屍龍の姿。


 屍龍の肉は次第に形を変えていたかと思うと、元の姿を諦めたのか、突然周囲にいくつもの肉片を飛び散らせた。そしてなんと、周囲に転がっていた村人たちを吸収し始めたのだった。

 中にはまだ息もあった者もいたのだろう。微かな悲鳴と共に、屍龍に引きずり込まれていった。


 それには近くにいたコトも巻き込まれてしまった。

 村人を取り込んだ屍龍はまた形を変え、元の姿を取り戻そうとしている。


「くぅーん」


 盛り上がった肉塊が頭の形を取り成し声を上げた。その頭がこちらを向き、笑っているのをアユムは見た気がした。


(ならもう一度)


 アユムがクオンの方を振り返り見たそのとき、アユムを掠めるようにして咆哮が放たれた。クオンたちがいたところに、もうもうと土煙が上がる。


 やっとそれが晴れたとき、そこには最後の力で守ったのだろう。倒れ伏すヨミと、傷だらけのクオンの姿があった。


「もう駄目だ」


 へたへたとその場に座り込んでしまうアユム。そのとき。


「諦めるでない、戯けが」


 弱々しい声が聞こえた。ヨミの声だ。アユムはサリナと共に駆け寄った。


「お主は辛いとき、すぐに逃げようとする。ここが踏ん張りどころだと心得よ。


 よいか、奴が先程取り込んだのは血肉だけではない。無残に殺された村人らの恨み・つらみを取り込んでいるのじゃ。そしてその力を膨大な魔力に変えようとしておる」


 そこでヨミは何がおかしいのか、くっくと笑った。


「しかし奴はミスを犯した。さっき一緒にミコトまで取り込んだのじゃ。見てみよ」


 ヨミが指差す先を見ると、屍龍の体は一部、明らかに再生が遅れその身が崩れている場所がある。


「その身を悪しき神に捧げ、猛狂たけくる御霊みたまを鎮める。それもまた我が一族に伝わる秘事よ。だがこの屍龍は、コト一人では手に負えんようじゃ」


 ヨミはそう言って深くため息をついた。


「ならあとは同じことをするまでよ」


 ヨミは立ち上がろうとするが、激しくせき込み、血を吐いてしまった。見れば腹部から血の染みが広がっている。


「おばあちゃん、無理はやめて」


 サリナが悲鳴を上げた。だがヨミの目はきっと屍龍を睨みつけ離さない。なおも這うようにして進もうとしていた。


「そのお勤め、私にお任せください」


 そんなヨミの姿を見て、サリナが力強く言った。はっとサリナを見ると、固く握られたこぶしが震えているのがわかった。


「私があの屍龍を、鎮めてまいります」


「ま、待ってくれ。サリナがなんでそこまでしなきゃなんないんだよ」


 アユムはサリナの前に立ちふさがった。


「もういいよ、十分だ。皆で逃げよう」


 サリナは頭を振る。そして柔らかく笑うとアユムの肩に手を置き、すれ違い際に言うのだった。


「駄目よ、ここは私たちの帰る村だもの。私が守らなきゃ」


「おかしいよ!」


 アユムはかっとなり、振り返ることなく言った。


「周りをよく見てみろよ。もう帰る村なんてどこにもない。別の村か、そうだ、皆で都市へ移り住めばいいじゃないか」


 サリナの歩みは止まらない。


「レイはどうするんだよ! レイはサリナ、君がいる場所に必ず帰ってくるって、そう言ってたじゃないか」


 サリナが立ち止まるのがわかった。アユムは思わず後ろへ振り返る。サリナが変わらぬ笑顔でそこにいた。


「アユム、この村は森に眠る御先祖様たちに守られてきた村よ。森も、田畑も、私たちの生命さえも、私たちのものではないの。


 だから、いまを生きる私たちが守らなければ」


 そこまで言うとサリナは目を伏せる。


「それに、レイはもう帰ってこないわ」


 アユムはサリナのことが理解できなかった。


 田畑なんてどこに行ったって変わらないじゃないか。生きていくのに必要な場所なんていくらでもある。なのにこの場所にこだわる理由がわからなかった。 


 レイだってきっと帰ってくる。そう信じているアユムは「そんなことはない!」と大きな声で言ってやりたかった。


 しかしそんなアユムを止める手があった。クオンだ。傷だらけになったクオンは、何も言わず頭を振っていた。


「クオンさん、ありがとう。アユムあなたはこの村ではないところでも生きていける。だからせめてあなただけでも生きて」


 サリナの目から、涙がこぼれ落ちた。


「……もしレイに会うことがあれば、『ごめんなさい』とだけ伝えて」


 サリナはそう言うとキッと屍龍を睨みつけ走り出した。


 屍龍は異常のあった部位を飲み込み、形だけでも元の姿を取り戻そうとしている。

 駆け寄るサリナに向かって、屍龍は咆哮を浴びせようと構えるも、クオンが放った矢が頭を貫き、ヨミの魔法が体をねじ曲げ抑えつける。


 そしてついにサリナは屍龍の体を抱きかかえるように飛びつき、飲み込まれていくのだった。


「くぅーん」


 サリナを飲み込みしばらくすると屍龍は切なくなるような声で一鳴きした。


 腐肉がばらばらと崩れ落ちていく。最後には骨だけになり、その骨も徐々に砂のように砕け散り、風に流されていった。


「……終わったのか?」


 アユムはぼうぜんとしながら言った。その声は空しく響くばかりで、応える者は誰もいなかった。




「クオン? ヨミばあ?」


 アユムは二人の元へ駆け寄った。そこには倒れ伏したまま、一向に起き上がらないヨミがいる。


 最後の攻防にすべての力を振り絞ったのだろう。既にこと切れている。

 涙で顔をぐしゃぐしゃにさせながら、アユムはヨミの死骸に縋り付いた。


 そこに「うっ」といううめき声が聞こえてきた。

 アユムが声のする方向にぱっと向くと、そこにはクオンがいた。まだ息がある。


「クオン! よかった、生きていたんだね」


 クオンの体にはあちこち傷があり血塗れだ。アユムはこれまでに教えられてきたことを思い出し、必死に血を止めようとする。


 しかし腕や足を縛っても、腹や頭から出る血は押さえても押さえても溢れ出て、止まらない。その手に、クオンがそっと手を重ねた。


「もう、いい」


 アユムはいやいやと言うように首を振る。顔は涙と、顔を拭ったときについたクオンの血でぐしゃぐしゃだ。


「厭だ。クオン、死なないでくれよ。クオンがいなくなったら、僕はもう生きていけない」


「アユム」

 いつも通りの声でクオンは呼びかける。


「お前は自由だ。どこへでも行ける。そこにお前の居場所はきっとある」


「これを」クオンは苦しそうに胸元から何かを取り出した。その手にはオオカミの牙でつくられたお守りがあった。


「俺が先代に一人前の証としてもらったものだ。お前にやる」


「厭だ、そんなものいらない。生きてくれよ」


 すがり付くように泣くアユムを見て、困ったようにクオンは笑い、頭を撫でる。


「まだ一人前には早かったな。


 ……もっと見守っていてやりたかった。教えたかったこともまだまだたくさんある。最後まで一緒にいられず、すまない。オオカミ様の加護が、お前にあらんことを」


 クオンの手が、力を失い落ちた。


「……クオン? クオン!?」


 どれほど泣き叫んでも、それ以上クオンが応えることはない。


 カズイシ村には誰もいなくなった。アユム一人を残して。

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