目覚めた先は奇妙な村
歩向が目を覚ますと、チクチクした肌触りのするベッドの上だった。ぼんやりとさっきまで話していたことを思い出す。
いまにして思えば、何故あのときすぐにサインをしたのかもわからない。声も体も自分とは違ったし、夢の話だった気もしてくる。
だがもやがかかったような頭で自由自在に炎を操るサクラの姿を思い出した歩向は、ぱっとベッドから跳ね起きた。
「うーーーん!!」
あのときサクラがやっていたように手から炎を出そうと、歩向はワクワクしながら広げた手を見つめていた。しかしどんなに力をこめようと、炎どころか小さな火さえ出てこない。
だがおかしいなと思ってもう片方の手でぺちぺちと触ってみると、確かに手のひらがいつもよりも温かいような気がした。
「すげぇすげぇ、なんだこれ」
思っていたよりもしょぼい成果ではあったが、いつもとは違う確かな実感に歩向は興奮して、ベッドの上を何度も飛び跳ねた。
どんなに小さな力でも、魔法の力は実在して、それがいま自分の手の中にある。そのことが歩向には嬉しかったのだ。
するとその音を聞きつけたのか、部屋の外から何かが近づく音がした。
「おやまぁやっと起きたのかい」
突然開いた扉からは、かっぷくのいい茶髪のおばさんと、こちらをにらみつける金髪のおじさんが部屋に入ってきた。その顔立ちはどう見ても日本人のものではない。
歩向の怯えた様子に気がついたおばさんは、にこにこと笑いながら歩み寄り、歩向の頭をくしゃくしゃと撫でた。
「あんた、名前は何ていうんだい? どうしてあんなところで倒れていたの? 親御さんはどこにいるの?」
やつぎばやに投げかけれられる質問に、歩向は混乱して答えられずにいた。
「落ち着け、マリ。一度には答えられない」
するとおじさんが、つぶやくように言った。歩向はほっとしてそちらを見るが、すぐに顔を伏せてしまう。ぴくりとも動かない表情が恐ろしかったのだ。
「あの、僕小林歩向です。おばさんたちは誰?」
それでも歩向はおずおずと顔を上げながら、絞り出すようにして質問した。
「あぁごめんよ、怖がらせたかい? ここはうちの宿屋で、私は女将のマリっていうんだ。で、こっちは狩人のクオン」
「お前は南の森の入り口で倒れていた」
クオンはそう言うと歩向に近寄り、何かを確かめるように体のあちこちを触ったり、関節を曲げたり伸ばしたりした。
歩向はその間くすぐったい思いをしたが、目の前の男が怖かったので我慢していた。
しばらくするとクオンは満足したのかすっと離れ、窓際にもたれかかったきり話すつもりはもうないようだった。その様子を見て、マリは肩をすくめて言った。
「まったくクオン、あんたの不愛想っぷりはどうにかならないもんかね。アユムが怯えているじゃないか。
でもその様子なら大丈夫そうでなによりだ。クオンが小さな男の子を抱えてやってきたときは、死んでるんじゃないかとびっくりしたよ。アユム、何があったのか、話せるかい?」
「えっと、家は埼玉県の川越市●●です。昨日お姉さんに魔法が使えるようになるからって言われて。でも気がついたらもうお姉さんはどこにもいなくて。
でもさっき魔法を使おうとしたらすごいんだよ! 手が温かくなったんだ」
さっきまでのことを思い出し、急にまくしたてて話す歩向に対して、さっきまでにこやかに笑っていたマリの表情に、さっと影が差したように見えた。
「そうか、あんたは迷い人なんだね」
「迷い人? それ何? 僕は歩向だってば」
先ほどまでとは打って変わった態度に、興奮していた歩向も急に不安になってしまった。
「本当にこんなことがあるんだね。噂には聞いていたけれど、実際に目にしたのは私も初めてさ。
ある日突然、あんたみたいな子どもが森の中に捨てられていることがある。
どこから来たのか聞いても知らない土地。親がどこにいるかもわからない。
私たちはあんたたちのことを『迷い人』って呼んでいる。こんなことが本当に起こるなんて、かわいそうにね」
マリはそう言うと顔を逸らし、目を拭っているようだった。
「これは私らじゃどうしようもないね。アユム、あんた立てるかい?」
マリはそう言って歩向の手を掴んだ。歩向が怯えながらも意を決したように頷くと、またくしゃりと頭を撫でてくれた。
歩向がマリに手を引かれながら部屋を出ると、後ろからは何も言わずクオンがついてくる。マリの足取りは早く、歩向はついていくのに必死だった。
一度、もっとゆっくり歩いてくれるよう頼もうとしたのだが、さっきまでとは打って変わって深刻な表情をしたマリに、歩向は何も言えなかった。
ぐいぐいと引っ張られる手が痛いし、後ろからはクオンに駆り立てられているようだったから、歩向は怖くてたまらなかった。それでも必死についていったが、あるとき歩向は小石につまづき転んでしまった。
マリが慌てて駆け寄り、心配して手を差し出す。しかし歩向はその手をはねのけるようにして走り出した。
走っても走っても、見慣れた建造物はない。
TVで見たような、木だけでできた家や畑がそこには延々と広がっている。どこまで駆けても同じような景色が広がり、逃げ場などどこにもなかった。
息が切れて横っ腹が痛む。しかしそれでも懸命に足を動かすと、民家は無くなり畑ばかりが広がるようになった。
歩向は肩で息をしながらその場に座り込んだ。すると道路の脇に犬だろうか、耳まで口が裂けた石像が立っていた。その形相の恐ろしさに、思わず息を呑んだ。
「リーン」
そのとき、美しい鈴の音が歩向の耳に届いた。思わずそちらを見ると、そこにはいままで見たことのないような光景が広がっていた。
白装束を着た集団が、棺のようなものを持ち、ゆっくりと歩いている。その顔は伏せられ、表情は見えない。
ただ袖口に着けられた鈴だけが、ゆっくりとした歩調に合わせるように涼やかに鳴り響いている。
その異様な光景に思わず叫ぼうとした歩向の口を、誰かが手で塞ぎ、さっと道の脇に引っ張り込んだ。
「大丈夫だ」
暴れる歩向を覗き込むようにして見ていたのは、クオンだった。
走って追いかけてきただろうに、息一つ乱していない。歩向は鈴の音がすぐそばを通っていくのを聞きながら、クオンから目を離せずにいた。
しばらくすると、マリが息も絶え絶えな様子で走ってきた。
「突然走り出したら危ないじゃないか。こんなところまで来ちまって」
マリはちらりと石像を見た。歩向もそんなマリにつられるように石像を見る。するとさっきまでの恐怖を一気に思い出したのか、泣き出してしまうのだった。
それから二人はしばらく、ぐずって動こうとしない歩向をあやしながら歩かなければならなかった。ようやく落ち着き、とある民家の前に辿り着いた頃には、すでに日も暮れてしまっていた。
その家は、綺麗に刈り込まれた生垣に囲まれたお屋敷のような家だった。
「さ、この中だよ。ついておいで」
マリは歩向から手を離し、歩向と自分の服を手で叩いて身なりを整えてから、再び手を引いて中に入っていった。門を抜けるとそこには庭でイモを洗うおばさんと、歩向と同い年くらいの子どもがいた。
「あらミコちゃん、それにサリナも。サリナは今日顔色がよさそうでよかったわね。今日は忙しいだろうにごめんなさいね。じつはこの子のことで、ちょっとヨミばあちゃんに話があって」
マリは歩向から手を離すと、ミコと呼ばれていたおばさんと何やら話し込みだしてしまった。クオンは何も言わずに後ろで立っている。
何とも言えない居心地の悪さに歩向がとまどっていると、そこに同い年くらいの青い髪をした子どもが近寄ってきた。女の子だ。
「ねぇ、泣いていたの?」
心配そうにこちらを見つめる目はとても優しそうで、そっと目元に添えられた手は冷たくて気持ちがよかった。
「やめろよ、泣いてなんかいないってば」
歩向は一瞬少女に見とれてしまったことが恥ずかしくて、サリナの手を払いのけた。邪険に扱われてなお、サリナは心配そうにこちらを見つめているのが顔を背けていてもわかった。
「アユム、こっちにおいで」
そんなマリの声をこれ幸いとばかりに、歩向はサリナを置いて駆けだした。
※
「アユム、よくお聞き、残念だけどお前さんはもう元の場所には戻れない。親にも友だちにも会うことはできないよ」
マリに手を引かれ連れてこられた部屋で、ヨミはアユムにそう言い放った。
ヨミは年老いた小さな老婆だった。しわしわの顔に、曲がった腰。だがその声はよく通った。後から聞いた話によると、アユムがたどりついたカズイシ村の長老役を務めているということだった。
(何故こんな意地悪をこの人は言うんだろう?)
涙を目にいっぱい貯めこみながら、アユムはヨミをにらみつけていた。
「いいかい、よくお聞き。あるとき突如として現れる、我々とは異なる常識を持つ存在。それが迷い人と呼ばれるものだ。
来し方を聞いても知らぬ土地。帰してやることもできない。コバヤシアユムといったね、その名前さえも、我々には聞き覚えのないものだ。
アユム、あんたはこれから一人、ここで生きていかなければならない」
一体何を言われているのか、アユムは理解できずにいる。
「幸い、子どものあんたなら、どこの家でも引き取り手があるだろうさ」
「そうだよアユム、あんたさえよかったらうちにおいでよ。男ばっかりでうるさい家で悪いけどさ。料理の腕には自信があるよ」
後ろで心配そうにこちらを見ていたマリが言った。
「……クオン、そろそろお前もいい歳だ。狩りの仕事を誰かに教えてもいい頃だろう。任せられるね」
「しかしヨミばあちゃん、クオンの家は……」
有無を言わさず言い切ったヨミの言い分に、マリが慌てたように言い寄る。しかしアユムをちらりと見たかと思うと、何か言いにくそうにしてそれ以上何も言わなかった。
「わかった」
それまで一言も発していなかったクオンの口から、静寂を破るようにただその一言だけが発せられた。
アユムは何が決まったのかもわからないまま、おずおずとその声がしたほうを見る。するとクオンの目がじっと自分だけに注がれている。アユムはそのまっすぐな目線に耐えられず、視線を自分の膝に落としたまま上げることができなかった。
アユムとクオンの共同生活は、こうして決まったのだった。




