はじめての資金調達
レンズさんはレイリーを書斎の外で過ごすよう促して遠くに行かせた。
水力紡績機とやらの再形成にあたり材料が必要という話になったが、その話をレンズさんにすると実に興味深そうに話を聞いてくれたのだ。
その話を詳しく聞こうという流れになって、今は先ほどカレンが座っていた机にレンズさんがおり、新しく二人分用意してもらった椅子に腰かけながら俺とカレンがレンズさんに相対する形になっている。
レンズさんは40代半ばの紳士であり、頭からはすでに生命の気配が喪失してしまっている。直接的に言えばハゲている。レイリーが時々、太陽光が反射するレンズさんの頭を見て「パパまぶしい!」と言って心の奥深くからレンズさんが傷ついているのを俺は知っている。アーメン。
鼻筋はすっと整い、目も細く鋭い眼光を放っている。
丸眼鏡をかけているおかげで、その視線の鋭さが多少緩和されている気がするが、それでもできるビジネスマン然としたたたずまいはゆるぎない。
常に時代の先を見ながら動いてきた経営者としての鋭利な思考が、その所作のすべてからあふれてくるようだった。
「水力紡績機というのを作りたいわけか」
レンズさんはカレンが渡した設計図を舐めるように眺めている。
「そうなんです。これがあれば、太い糸の生産の大部分は自動化できます」
「自動化か……。生産能力は?」
ここからしばらく、カレンとレンズさんの対話が始まる。
生産能力、それを生産するのにかかるもろもろのコスト、この中に建設のための材料費なども含みながらカレンはつらつらと説明していく。
俺はいてもいなくてもいいかなと思う状況が続き、どうにも居心地が悪いので適当に錬金術のことを妄想しながら過ごしていた。
次はどういうものを作ろうか。
川があるし、大量の水源を使って、水の外側に薄い透明な膜でも再形成して、丸い水のオブジェでも作ろうかしら。
いや、それ想像するだけでめっちゃ綺麗やん。
これは作るしかないな。
俺がアーティストとしての創作意欲にあふれた思想を色々と巡らせていると、いつの間にか二人との間で話が固まっているようだった。
「カレンと言ったかな。君に助力しよう。材料調達や建造コスト、運営コストもろもろ私が持つ。工場の固定費と変動費の合計金額が、工場が稼働してから発生した累計利益額と一致するタイミングまではコストを持とう。ただし、そこから利益が出始めたら、そこまでにかかった金額の2倍を出資の対価として返してもらおうか」
「ありがとうございます!」
「おま、それって結構な額じゃないか? 失敗したらどうするんだ?」
「え? 話聞いてなかったの?」
「失敗したら回収はなしだ、アル」
「え? そういうものですか?」
「ああ。まあ、俺にとってはある種、社会に意義がある大博打みたいなもんだ。愉快に見させてもらうよ」
「え、あ、ええ、まあレンズさんが良ければ……」
「いいさ。久々に面白いビジョンを見させてもらったよ」
レンズさんは懐かし気に目を細めていった。
懐かしげなのはいいんですが、目を細めるとさらに眼光が鋭くなってもうあっち系の業界の人かと思っちゃうところあるんでやめてもらっていいですか? 今にもヤクとか売りつけられそうなんだけど?
「カレン、君は世界の流れが見えているんだな」
「ええ、まあ、それなりには」
世界の流れが何かは知らないが、こいつの話を聞いてるとおそらく俺たちが経験している世界の数百年先を生きてる人ですからね……。先が見えてるどころか、先で生きてるまであります。
「いいじゃないか。この世界で何が起ころうとしているのか、何を起こすべきなのか。そういうことを考えながら生きている若者は好きだ。私自身、昔はそうだったし、今も一応そのつもりだ。そういう若者がいれば、応援するよ」
「レンズさんは今もそうですよ、なんて言っても、私たちに投資してくれたんですから」
「ああ、そうだな」
レンズさんはそう言ってから俺の方を見た。
「アル、いいパートナーを見つけたな」
あれ、なんか親御さんが我が子を婿に送るみたいな慈愛に満ちた雰囲気が漂ってるんですが? 俺いつの間にか結婚するの決まっちゃった? 政略結婚反対!
「え? え、ええ? まあ?」
もう疑問符しか出てこないんですが? この人たちの間でどんな会話が交わされてたか、聞いてなかったから全く分からないよぉ……。なんか怖いよぉ……。既成事実とか生まれてないか心配だよぉ……。
「さて、話が付きましたね。おじさん、行こうか」
「待てカレン」
「あ、はい! どうしましたか?」
「契約書にサインしてないだろう? 何の取り決めも交わさずにその話を無碍にされても困るからな?」
「あ、確かにそうですよね……! 申し訳ありません!」
カレンはぐわっとすごい勢いで顔を下げる。
何か知らんが俺も下げとこ。
俺の地位の低下がすごい。
まあ、なんだかんだそこから色々あって契約まで交わして、俺たちはレンズさんの元を後にした。ていうか俺までサインさせられた。
あれ、俺話ほとんど聞いてなかったんだけど適当にサインしちゃって大丈夫な奴でしたかあれ?
失敗したら奴隷として売り飛ばすみたいな契約とかなかった?
っべー、もっと真剣に聞いとくべきだったわこれ。
契約はちゃんと話を聞こう。適当は駄目、絶対。
「明日からさっそくレンズさんが材料調達を含めて始めてくれるって。その準備ができたら、連絡がもらえるらしいから、そこから私たちも取り掛かろう」
「そうか。なんというか、トントン拍子に話が進んでいくな。というか、そもそも俺はどういう契約などが交わされているか全く把握してないんだが」
「おじさん、私は時々おじさんが物凄い馬鹿なんじゃないかって思うことがあるんだよね」
「否定はしない」
「否定しないんだ!? ロリコンとかよりは馬鹿の方がマシな称号なんだね……」
カレンは呆れたようにため息をついた。
そして俺とカレンは帰路についた。