第三話 特別
「先輩! 案内終わりました〜」
リビングに戻り、ローナがそう言うと彩先輩は携帯で誰かと話していた。
「はい。はい。申し訳ありません。失礼します」
かしこまった言葉使いだ。俺たちが来たことにすら気づかないほど通話に集中している彩先輩は、通話を終えると安堵したようにため息をつき、携帯をしまいながらようやく俺たちに気づいた。
「案内、終わったのね」
「はい。今の電話、誰ですか?」
「フリクセル様よ」
「フリクセル? 誰だ、それ?」
彩先輩が俺を睨みつけるような目で見る。だから怖いって……。隣にいたローナが苦笑しながら教えてくれた。
「魔法の国で一番偉い人です」
「そうよ。間違っても、呼び捨てになんかしてはいけないわ」
「……フリクセル様、怒っていましたか?」
ソファーにちょこんと座り、ローナは恐る恐る尋ねた。俺もソファーに飛び乗る。ジャンプの勢いが良すぎてソファーから落ちそうになったが、なんとか落ちずにすんだ。
「いいえ。起こってしまったことは仕方がないとおっしゃってくれたわ」
彩先輩の言葉を聞いて、作戦が失敗し俺がカエルにしてしまったことを言っているのだろうと思った。
ローナは彩先輩の言葉を聞いてホッとしたようにため息を吐いた。
「でも、これ以上ミスは許されないわ。駿之介の呪いを解くためにも、明日は必ずヤツを捕まえるわよ」
「はい!」
ローナは気合いが入った返事を返した。その時、インターホンが鳴った。
「来たわね」
神妙な面持ちで、彩先輩は玄関に向かう。
「こんな時間に、誰でしょうか?」
顎に手を当て、首をかしげるローナ。彩先輩はすぐにリビングに戻ってきた。手には薄い箱を持っている。
「それってもしかしてーー!」
ローナがテーブルを叩いて腰を上げた。彩先輩はわずかに口元を上げる。
「ピザよ」
いやいや、ピザを頼んだだけでそんなに凄いことを言ったような顔をするなよ。と思ったが、異世界から来た人にとってはピザは珍しい食べ物なのかもしれない。
「先輩ー! さすがですー!」
ローナは子供のように、手を上げて飛び跳ねた。
「それにしても、けっこう買いましたね」
「ええ。男の人もいるからね」
彩先輩の手には、四箱もピザがある。
「さすがに、三人で四箱は多くないか?」
「なにを言っているの?」
「?」
彩先輩は当たり前のように返した。
「私とローナで一箱よ」
「え」
俺の前に並べられた、Lサイズのピザ三箱。いったいこれをどうしろと?
「食べ盛りでしょう。遠慮しないでどんどん食べなさい」
彩先輩は、いったいどんな食べ盛りの人を見てきたのだろうか。いくら食べ盛りの男と言っても、これは食べられる気が全くしないのだが、彩先輩をチラリと見ると、バッチリ目が合った。ニコリと笑う彩先輩の表情からは、全部食べれるわよね? 食べるでしょ? まさか残さないわよね? といった無言の圧力を感じる。
「い、いただきます!」
一枚が、俺の身長の三倍ほどはある大きさのピザ。物理的に無理だった。一枚と半分だけでも食べれた俺を、誰か褒めてほしい。食いすぎた……動けん!
「あなた、意外と少食なのね」
大の字に横になる俺を見た彩先輩は、そう言うと慣れた手つきで余ったピザを冷蔵庫にしまった。
「さあ、明日に備えてもう寝るわよ」
「はい。駿之介くん、私たちも寝ましょうか」
「寝るって、俺がお前と一緒に⁉」
「はい? そうですけど。なにか問題でもありますか?」
ローナは不思議そうに首をかしげた。問題大ありだ。これでも俺は健全な男子高校生なんだ。自分で言うのもなんだが、女子と同じ部屋で寝るなんていかがなものかと思う。
「俺は、ここでいいよ」
リビングのソファーでも十分寝れる。カエルの姿だから、ソファーでさえ俺からしたらキングベッドのサイズはある。そう思って言ったのだが、
「それはダメよ」
「それはダメです!」
二人に即答された。
「別に、あなたを信用していないわけじゃないけれど、なにかあったら困るのよ」
彩先輩はそう言ったが、ローナの部屋に行かせるというのは、ただ単に部屋が無いからというだけじゃなくて俺がなにかしないか見張るためでもあるのかもしれない。
いやでも、女の子と二人きりの部屋はなぁ……そう思っていると、彩先輩は言った。
「安心して、今のカエルになったあなたがなにを思ったところでなにも出来ないから」
「うっ……!」
それを言われると、ぐうの音も出ない。ローナは相変わらず首をかしげて意味を理解していないようだった。が、それでも踏ん切りがつかないでいると、
「わかったわ、選びなさい。ローナの部屋で寝るか、ケルちゃんの部屋で寝るか。好きなところで寝ていいわ」
「ローナの部屋に行きます」
俺は即答した。
「よろしい」
彩先輩は満足そうに頷くと、
「それじゃあローナ、先にお風呂に入りなさい」
「はい! 私、着替えを取って来ますね」
ローナが二階に上がって行った。先輩と二人きりになると、何を話していいのかわからない。壁にかけられた時計の秒針の音だけがリビングに聞こえる。なにか会話はないか思考していると、先輩が話しかけてきた。
「ケルちゃんは見た?」
「ああ、あの化け物だろ。あんな所、近づきたくもないね」
「懸命ね。ケルちゃんに慣れているのは、あの子だけだから」
「あの子だけって、先輩にも慣れてねぇのか?」
彩先輩が俺をギロリと睨んでくる。
「……慣れてないんすか?」
「そうよ」
「しっかし、あのローナにしか懐かないなんてなんか意外だな」
「…………あの子は、特別だから」
ポツリとそう言った彩先輩の顔は、少し寂しげだった。
「特別?」
「ええ。この国ではちょっと変わってるなんて言われてるような子だけど、魔法の国ではトップの実力を持つ凄い子なのよ」
「へぇ〜、そんなに凄いんだな」
「凄すぎたのよ」
「え?」
「能力が高すぎるのも可哀想なものよ。小さい頃から過酷な訓練を受けさせられて他の子のように自由な時間なんてない。悪魔と契約するのなんてね、普通は一人一体、契約出来ればいい方なのよ。だけど、あの子、何体契約してると思う?」
「え? 何体って……そうだな、ニ、三体ぐらいすか?」
「三十三体」
「三十三⁉」
「産まれた時から大人に負けないほどの魔力を持ってしまったせいで、周囲の人から酷い妬みをかってたわ」
「人の実力を妬むなんて、魔法の国にもしょーもないやつがいるんだな」
「それでもあの子は、私を許してくれた……」
「え?」
「なんでもない。少し喋りすぎたわね、忘れて」
ローナが一階に降りてきて、お風呂に入るドアの音が聞こえた。彩先輩は、それからなにも話さなかった。しばらくして、パジャマ姿で首にタオルをかけたローナがリビングに戻ってきた。
「あー、気持ち良かった〜」
「ローナ。部屋に戻ってていいわよ」
彩先輩が俺の首をむんずと掴まえた。
「グェッ!」
く、苦しい……! まるで猫のような掴み方をされた俺は、彩先輩に連れられ、風呂場に着いた。風呂場に入ると、彩先輩は俺を白色のバスチェアに置いた。
「俺に触るのは嫌だったんじゃなかったんすか?」
「見慣れてきたというのもあるけれど、あなたと話していたら気持ち悪いという気持ちが薄れてきたわ」
「そーすか……」
薄れてきたということは、まだ気持ち悪いと少しは思うんだなと軽く傷つくが、平静を装う。
彩先輩はオレンジ色の容器を数回プッシュすると、俺の頭をゴシゴシと洗ってくれた。フルーティーな良い匂いがする。彩先輩の美容師のような手つきに眠りそうになった俺はふと目の前に壁掛けられた鏡を見てハッとする。そこには、泡がアフロヘアーのようになった不細工なカエルがいた。
彩先輩は手際良く俺を洗い風呂場を出ると、脱衣所でタオルに包み、そのまま二階に上がった。
「入るわよ」
ローナの部屋をノックしドアを開けると、ローナは風呂を出た時のままタオルを首にかけた状態で、テレビに釘付けになっている。
「駿之介はお風呂に入れたから」
「ありがとうございます」
「それじゃあ、明日のために早く寝るのよ」
「分かってます〜!」
彩先輩は俺を部屋に置くとドアを閉めようとして、手を止めた。
「ローナ」
「はい」
「寝る前に髪は乾かしなさい」
「了解です!」
そう言って彩先輩はドアを閉めて行った。まるでローナの母親のようだ。
だがローナはドラマに夢中で、髪を乾かす様子がない。
『僕は、あなたのことが好きです。あなたを守る為なら、僕はなんだってできる!』
ドラマの中で、男性俳優がヒロインと思わしき女の人に告白をしているシーンが流れる。その言葉がなんとも甘ったるくくて、ムズムズしてきた。
ローナがテレビを食い入るように見ること三十分。ドラマのエンディングが流れたところで、ローナはようやく立ち上がった。
「続きが気になるー!」
ベッドに腰かけながら、ドライヤーで髪を乾かす。
「……しかし、よくもあんな恥ずかしいセリフを言えるよな」
「駿之介くん、なに言ってるんですか! そこがいいんじゃないですか〜」
ローナは分かってないなぁというように指を振った。
「私もあんな素敵なセリフ、言われてみたいです」
「そういうもんかね」
「はい。そういうもんです」
俺はさっき彩先輩から聞いたことを思い出した。もし、ローナがこの世界に住む女の子だったなら、普通の恋愛をして、理想のデートをしていたのかもしれない。
けれども実際は、この世界に住む同じ年頃の娘が恋をしている時、ローナは訓練を受けていたのだろう。そう考えると、ローナの言葉は、当然といえるかもしれない。
「さぁ、寝ましょう」
髪を乾かし終えたローナが、ベッドに入るなり手をこまねいた。
寝るってまさか一緒にか⁉ いや、それはさすがにあり得ないだろう!
「いや、俺はここでーー」
地面で寝ようと言葉を発すると、ローナが手を前にかざした。地面に現れた魔法陣から、コインのような丸い体から人間の手と足が二本づつ生えた姿の悪魔が現れた。
「シトリー、彼と私を繋いで」
「うん! わかった!」
シトリーと呼ばれた悪魔は子供のような声でそう言うと、両手手を俺に向けた。その手から鎖のチェーンが伸びてきて、俺をグルグル巻きにする。
シトリーが、綱引きのように鎖を引っ張ると、俺はローナの隣に飛ばされた。グェッ、と変な声が漏れる。乱暴な扱いに抗議しようとすると、
「見慣れると、カエルも可愛いものですね。フフッ」
目の前のにいたローナがそう言った。端正な顔立ちの彼女に目の前でそんなことを言われて、ドキドキしてしまった。
「シトリー、ありがとう」
「うん!」
シトリーはすぐに消えた。
「おやすみなさい、駿之介くん」
そう言って、ローナはすぐに寝息を立てだした。俺はと言うと、同級生の女の子の隣で鎖で巻かれたまま横になり、眠りにつく……はずもなく、緊張して全く寝れなかったのだった。