第一話 悪魔の罠だよ
誰も居ない倉庫で俺は一人、掃除をしていた。外はもう日が落ちていて、オレンジ色の空が段々と暗くなりはじめている。たまに通る生徒の笑い声が、俺のイライラを増幅させる。
「あー、くっそ! やってらんねぇよ!」
雑巾を放り投げ、目の前にあったダンボールに腰かける。積もった埃が舞い上がり、俺はむせ込んだ。
「はぁ……なぁーんで俺が、こんなことしなきゃなんねーんだよ」
俺は職員室に呼び出され、担任の金丸に言われた事を思い出す。
『駿之介、お前はいつになったら髪の色を戻すんだ!? 授業中も居眠りばかりして……。今日も社会科の授業サボったそうじゃないか!』
校則違反である金髪に不真面目な授業態度を注意された。筋骨隆々の体に刈り込んだ頭。ラグビー部の顧問をしているため肌は日に焼けている。馬鹿でかいのはその体だけではなく発せられた怒鳴り声もだが、広い職員室の外にも聞こえたであろう声にもかかわらず、職員室にいた先生は特に気にする様子もなくパソコンを打ち込んだり書類整理をしたりと、仕事に専念している。
二日後に控えた学園祭の話しを先生としていた数人の生徒がチラチラと俺の方に視線を向けたが、金丸が怒鳴っているのに誰も俺の方を気にする教師がいないのは、金丸が学校で厳しいと有名だからか、はたまた俺が何度も呼び出しを受けている常習犯だからか。おそらく後者だろう。
『罰として俺が部活の指導を終えて来るまで、第二倉庫の掃除をしていろ! 分かったな!?』
金丸は、なにかにつけて俺に口うるさく説教してくるのだ。
「アホらし」
ほとんど人の出入りが無いここの倉庫は、埃だらけで籠もった匂いがしていて空気が悪い。もうサボって帰ってしまおうか。そう思った時、ふと地面に落ちている物が目に入った。
「なんだ? これ」
暗くて良く見えないが、白くて丸い、野球ボールほどの大きさの玉だ。それを手に取った瞬間、玉がグルリと動き、黒い小さな丸が俺を見つめた。
「うわぁぁあああ!」
まるで目玉のようなソレを、驚いて放り投げたが、ソレはドクロに変化し、不気味な笑い声を出して俺に向かってきた。
急に足元が無くなったかの様な感覚がして、底無しの真っ暗闇に落ちて行くような恐怖に襲われた。
「ーーーーい! ーーさい! 起きなさい!」
誰かの声が聞こえる。気がつくと、目の前に二人の少女がいた。
「あ、先輩。気づいたみたいですよ!」
そう言った一人は、見知った人物だった。同じクラスの藤崎ローナだ。腰の辺りまで伸びた栗色の綺麗な長髪に、日本人離れした端正な顔立ち。ローナという珍しい名前から、どこかのハーフだと思われる。あまり喋ったことは無いが、彼女は少し変わっていると聞いたことがある。
「観念しなさい。もう逃げられないわよ」
ローナの隣に立つ少女が、腰に手をあてそう言った。黒色の長髪をポニーテールに結んでいて、キリッとした瞳とその表情からは相手にNOとは言わせない雰囲気を醸し出している。藤崎ローナとは違ったクールな印象の美少女は、生徒会長だ。確か入学式の日に壇上で挨拶をしていたが、名前は覚えていない。
「なんだ!? どうなってやがる!?」
俺は目の前の光景に叫んだ。ローナと生徒会長の二人が超巨大化していて、俺はその足元にいるのだ。部屋の壁や天井、周囲にあったダンボールから投げ捨てた雑巾まで、全ての物が大きくなってしまっている。
「なんだこれはーーーー夢か……?」
訳が分からない。そんな俺を見て、ローナと生徒会長の二人は顔を見合わせ「何か様子がおかしいわね……」と呟いた。
「おい、なんで周りが大きくなってんだ!?」
俺がそう叫ぶと、ローナが顔を近づけた。
「もしかしてその声、駿之介くんですか!?」
ローナの言葉を聞いた生徒会長が顔を引き攣らせた。
「なに言ってんだ? 俺ってことは見れば分かるだろうが」
少し変わった奴だとは聞いていたが、だいぶ変なやつじゃないか。そんなことを思っていると、
「先輩、どうしましょう! 私達……」
「えぇ、最悪ね。間違えたわ」
二人は何やら意味の分からない会話をしたと思ったら、生徒会長は頭を手で抑えうなだれている。
ローナが再び俺に振り向いた。
「駿之介くん、落ち着いて聞いて下さい」
そう言って鞄から携帯を取り出し、何やら操作して携帯の画面を俺に見せた。
携帯には一匹のブサイクなカエルが映っている。
「これって、エドワードか?」
エドワードとは、YouTubeで人気のバーチャルキャラクターで気持ち悪い見た目に反しコミカルな動画が子供から大人に人気のバーチャルユーチューバーだ。
だけどなんで今、こんな画像を見せるんだ? そんなことを思っていると、ローナは言いづらそうに答えた。
「あのー……………………これ、駿之介くんです」
「は?」
俺は携帯を二度見した。
「このカエルが、俺?」
しかし携帯の画面を良く見ると、画像を表示しているのではなく、カメラモードになっているようだ。んなバカな。俺は信じられずに右手を上げた。すると、画面のカエルも鏡の様に手を上げる。
それでも信じられずに今度は逆の手を上げると、画面のカエルはバンザイをした。
「嘘だろ……これが、俺?」
両手を下ろし、画面を見つめながら手で顔を触ると、ヌルッと嫌な感触がした。画面越しの俺が再び同じ動作をして、ブサイクなカエルがより一層ブサイクな顔になった。
「誰かに見られたらマズイわ。とにかく、詳しい話しは後よ。今は私達の家に行きましょう。いいわね?」
「あ、あぁ」
有無を言わさぬ生徒会長の迫力に押され、俺は頷いた。ローナが携帯を鞄に閉まい、俺に近づいた。
「駿之介くん、行きまーーーー!」
が、すぐに動きを止めた。
「どうしたの?」
「?」
生徒会長が不思議そうに尋ねる。俺も首をかしげた。ローナは申し訳なさそうな顔をした。
「すいません、私カエルはちょっと…………無理です」
「人を汚い物みたいに言うんじゃねぇ!」
「はぁ……、ローナ。そんなこと言ってる場合じゃないわ。今は急いでいるのよ?」
「じゃあじゃあ、先輩がやって下さいよ!」
駄々をこねるようなローナに生徒会長は大きなため息を吐くと「しょうがないわね」と言って俺の所へ来た。
「ひとまず、学園を出ましょう。話しはそれからーーーー」
生徒会長が俺を持ち上げようと両手を伸ばしたが、その手は俺のすぐ側で止まった。
「…………」
「…………」
「…………」
俺は生徒会長を見上げた。生徒会長の顔は引き攣り、手がワナワナと震えていた。
そんな生徒会長をローナがジト目で見つめている。生徒会長は俺に伸ばしていた手を下ろし、肘と口元に手を当てると、
「ン、ンン!」
わざとらしい咳払いをして、ローナにこう言った。
「ジャンケンをしましょう」
勝敗は一回で決まった。チョキを出した生徒会長が笑いを堪えながら勝利したボクサーのように高らかとピースを頭上に上げ、パーを出したローナが手をドアに挟んだかのようなポーズで頭を地面につける。
俺はその光景を無言で見つめていた。
「駿之介くん、入って下さい」
ローナが肩を落としてうつむきながら鞄を広げた。
「やめろ! それじゃあ俺が悪いことしてるみてぇじゃねえか」
ふと、前に進もうとして手がもつれた。人間の時と違って手も地面に着いているため、どうやって前に進めばいいのか分からない。あぁ、そうか。歩くんじゃなくてジャンプするのか。
俺は屈伸するようにして、鞄にジャンプした。のだが、軽く飛んだはずなのに想像以上に跳躍し、俺はローナの顔に向かって飛んでいく。
「う、ぉぉおおおおおお!?」
「え? キャーーーーー!!」
ローナの顔にぶつかりそうになった時、ローナの手が俺をはたき落とした。全身に強い衝撃を受け、鞄にゴールインすることができた。
「すいません! だ、大丈夫ですか!?」
「お、おぉ…………」
鞄の中でひっくり返り、かっこ悪いポーズのまま俺は手を上げた。
「それじゃあ、行きましょう」
「はい!」
そう言うと、ローナと先輩が倉庫のドアを開けて出る音がした。少し揺られていると、ガヤガヤとたくさんの人の楽しそうな声が聞こえた。鞄の隙間から外を除くと、二日後に迫った学園祭の準備をしているのが見えた。
二人がそのまま校門を目指していると、後ろから声が聞こえた。
「ローナー! 生徒会長ー!」
振り返ると、物凄いスピードで遠くから二人の元に駆け寄る少女が見えた。少女は二人の前に来ると、膝に手をついて呼吸を整えた。
「ハルコ。まだ仕事片づかない?」
「はい。でも、もう少しで終わります!」
生徒会長にそう聞かれ、ハルコと呼ばれた少女は顔を上げ背筋を伸ばして答えた。ショートカットの髪がピョンと揺れる。見たことはないが、腕に生徒会と書かれた腕章を着けているので、生徒会役員なのだろう。ハルコは心配そうな顔をローナに向けた。
「ローナ、体調が悪いって聞いたけど大丈夫?」
「え!? あ、あぁ、うん! ちょっと頭が痛くて……」
「あれ、お腹が痛いんじゃなかったの?」
「え? あ、そうそう!」
ローナが頬をかいて苦笑した。生徒会長がため息を吐いて頭を押さえた。と、その時、俺はハルコと目が合ってしまった。
「え? ローナ、鞄になにかーー」
「ごめんなさいね。先に帰ることになって、ハルコに仕事を押しつけてしまって」
生徒会長がハルコの言葉を遮り、俺を隠すようにローナの前に立った。
「いえいえ、とんでもないです! そんなことより、ローナ。ゆっくり休んで早く良くなってね!」
「うん。ありがとう、ハルコ」
「それじゃあね! バイバイ!」
ハルコは台風のように居なくなった。ローナと生徒会長は再び歩き出す。
「打ち合わせしたでしょう?」
「そうでした……どうも嘘をつくのが苦手で」
「私達がここにいる間だけは慣れなさい」
生徒会長に叱られて、ローナは小声で「善処します」と答えた。
段々と、ざわついた声が遠ざかって行き、もう学校を出た辺りで完璧に生徒達の声は聞こえなくなった。
しばらく、俺は暗闇の中でジッとしていた。夢じゃ……ないんだよな。先ほどローナの携帯に写った自分の姿を思い出し、絶望感に押しつぶされそうになった。それを振り払うように俺は頭を振る。少し、目を瞑ろう。目を開けた時には自分が元の姿に戻っていて、全部夢だった。ということになれば良いのにと思った。
◇ ◇ ◇ ◇
「もう良いわよ」
「はい!」
ローナが鞄を開ると、新鮮な空気が入り込んできた。鞄が横に傾き、さらにひっくり返り、俺は地面にポテンと落ちた。
「駿之介くん!?」
ローナが俺を見て驚いた。俺はぐったりと大の字になったまま動けずにいる。狭くて熱くて、むさ苦しい鞄の中で酸欠になってしまったようだ。
「こんな時はどうしたらーーあ、そうだ! 水ね! 水の精霊よーー」
「ちょっと待ちなさい! 私がやるわ」
生徒会長がそう叫び、ローナを制止した。
「水の精霊よ、この者を包み込みたまえ!」
俺の周囲から水が現れた、俺を包み込んだ。そして体がフッと軽くなった。あっという間に、俺を中心として円の形をした水があり、俺は宙に浮いていた。先ほどまでの疲労感が嘘のように消えていく。カエルになったから、水分に触れる事で体調が良くなるのだろうか。
数秒して、段々息が苦しくなってきた。俺は水から出るべく犬かきをするように体を動かしたのだが、一向に前に進む気配が無く、ブクブクと空気を吐いた。
「先輩! 死んじゃいます!」
「あら、ごめんなさい」
生徒会長が指を鳴らすと、俺を包んでいた水が一瞬で消失した。再び地面に落下する。
「死ぬところだったぜ……」
「安心して、生きてるわ」
悪びれる様子もなく言い放つ先輩に、愚痴の一つでも言いたくなった。
「ローナがやってた方が良かったんじゃねぇか?」
それを聞いた生徒会長は一瞬真顔になった後、嘲笑した。
「この子がやってたら、あなた確実に死んでたわよ」
「は?」
「魔法学校で水魔法を初めて練習した時、この子魔法学校を崩壊させそうになったっていうのは、有名な話しよ」
「や、やだなぁ、先輩。あはははは」
「……それってどういうことだ?」
「そうね。この世界で分かりやすく言うと、学校の教室にナイアガラの滝を出現させた。というところかしら」
俺はつい最近見た、世界の衝撃映像というテレビ番組に出ていた巨大な滝の映像を思い出した。あんな滝に打たれたらと思うと、俺はゾッとして考えるのを辞めた。
「ありがとうございました」
俺は生徒会長に頭を下げた。
「よろしい。さぁ、話しをしましょう」