9話
いつまでたっても呼び出し音がやまないので、さすがのキーランも目を覚ました。まだだるいが、薬も効いているのか寝る前よりはすっきりしている気がする。
「はい……」
『起きましたか? 玄関開けてください』
オリガだ。本当に来た。いや、来るのはわかっていたが。遠隔操作で玄関のロックを解除した。慣れたもので、オリガはそのまま上がってきた。
ノックをしてからオリガは寝室に入ってきた。
「おはようございます。体調はどうですか?」
「……昨日よりはいい」
「それはよかったです」
薄暗い部屋の中で、オリガが目を細めるのがわかった。遠慮なく近づいてきたオリガは、キーランの額に手をあてて熱を確認する。首筋にも手を当てられた。看病のためだとわかっているが、少し気恥ずかしい。
「でもまだ熱いですね。食欲はありますか?」
「……あんまり」
「わかりました。かぼちゃのポタージュ持ってきますね」
「……」
相変わらずオリガのキーランへの扱いが雑だ。というか、最近雑だ。仕事レベルではよく察してくれる優秀な副官なのだが。
オリガが持ってきたかぼちゃのポタージュはとてもおいしかった。
「……手作り?」
「ええ。まあ、うちの晩御飯だったのですが」
つまり昨夜、リーシン家でもこれが提供されたわけだ。家事は主にオリガが担当しているらしかった。
「おいしいね」
「ありがとうございます」
前回の朝食といい、このままでは胃袋をつかまれそうな気がする。レストランの料理もおいしいが、たまにこういう家庭料理も食べたくなる。だが、キーランにはこんな料理はできない。
「大尉と結婚する人は幸運だね……毎日こんな料理が食べられるんだから」
「どうでしょうか……基本的には艦隊勤務ですし」
「ああ、そうか」
宇宙に上がれば料理も何もないのだった。なんだかんだでポタージュを平らげ、薬を飲まされる。
「いいですか。私、司令本部に行ってきますから、ちゃんと寝ててくださいね。ポタージュも粥もキッチンにありますから、食べてください。冷蔵庫の中にカットフルーツとゼリーもあります。仕事が終わったらまた来ますが、何か欲しいものはありますか?」
慣れてる。すごく慣れている。キーランは弱弱しく微笑み、「大丈夫だよ」と答えた。
「むしろ、出勤できなくてごめん……」
「長引くようなら代決をお願いしますけど、今日のところは私の裁量権が及ぶ範囲で進めておきます」
「ありがとう……」
おなかが膨れて薬も効いてきたのか、眠くなってきた。オリガがキーランの頭を軽くたたいた。
「おやすみなさい。良い夢を」
優しげな声で眠りに落ちたキーランだが、彼はインターホンの連打で目を覚ますことになった。携帯端末の呼び出し音で起こされるのと、どちらがマシか比べがたい。
「はい……」
オリガが枕元に置いてくれた携帯型のインターホンを入れ、キーランは応じる。すぐに女性の声が聞こえてきた。
『早く開けなさい! 風邪で寝込んでるっていうから来たのに!』
「……は? え、母さん?」
一気に目が覚めた。とりあえず玄関を開けると、遠慮なく母は入ってきた。何となく既視感がある。
「何よ。あんた、元気そうね」
「いや、まだ熱あるんだけど」
さすがに三十九度は切ったが、三十八度は余裕で越えているのだ。
「とりあえず、食べやすいもの買って来たよ。キッチン借りるよ」
「ああ、うん……いや、ちょ」
待って、と言い終える前に母は出て行った。しばらく中途半端に起き上がった姿勢のままかたまっていたキーランだが、すぐに起きだして着替えはじめた。寝汗で気持ち悪かったのである。母が来たのならついでに洗濯してもらおう。オリガなら遠慮するが、母にはそんな遠慮はいらない。
その母は、キーランが着替え終えてベッドに戻ったころに戻ってきた。
「ちょっと! キッチンにポタージュとかあったけど、誰か上がったの? 彼女? 彼女!?」
母が面倒くさい。キーランは半分眠りながら答える。
「副官だよ……面倒見良くて……」
あの様子では、一緒に暮らしている養母とその子供の面倒も見ているだろう。ちょっぴり女性としての危機感についてが心配だが、そこまで踏み込むのはキーランの仕事ではない。
「副官? 確かに、優しそうなお兄さんだったけどさ」
「は?」
キーランが思い描いている副官とは性別が違う言葉を聞いて、キーランは一瞬戸惑ったが、熱っぽい頭でもすぐに気づいた。それは前の副官だ。前の副官は、二十代半ばの青年だったのだ。オリガが副官に着任してから三か月。特に話す事でもないので、母には副官が替わったことを話していなかった。
「……それより、なんで母さん来たの……連絡、してないよね」
オリガがしたのか? と思わないでもないが、それなら母は今の副官が優しげな美女だと知っているはずだ。と言うことは、どこから連絡が行ったのだろう。キーランがした覚えもない。
「いや、軍医さんから一応連絡来てね。あんた一人暮らしだから心配で来たんだけど、いらなかったね……」
「……」
まあ、来てくれなくても大丈夫だったかもしれないが、久々に会い、元気そうでよかったという思いもある病床の少将だった。
結局、母は手つかずだった家事をやってくれた。洗濯、掃除などだ。ゴミ捨てはオリガが出勤ついでに出してくれたようで、ありがたいやら申し訳ないやら、である。
そして、キーランは忘れていた。終業後に副官殿がまた来る、と言っていたことを。
夕刻、インターホンが鳴った。その音でうつらうつらしていたキーランは目を覚ましたが、実際に応対したのは母だった。
「はーい」
ぼんやりとその声を聞きながら、はっとした。がばっと起き上がると、頭がくらりとした。思わず手をついたところに母が入ってくる。
「ちょっと! きれいなお嬢さんが来てるんだけど!」
「ああ……金髪の? 副官のブルーベル大尉……入れてあげて……」
せっかく来たのに追い返すのもどうかと思う。母はうきうきしながらオリガを招き入れにいった。
「提督? 失礼します」
母親の目があるからか、オリガはちゃんと挨拶してから入ってきた。軍服の上にコートを着ている。
「大丈夫そうですね」
オリガはキーランを見てほっとしたように言った。キーランは「何とかね」と微笑む。
「君にもお世話になったね……念のため、明日も休むよ」
「そうしてください」
オリガがしっかりとうなずいてキーランの言葉に同意した。
「お母様がいらっしゃったのですね」
「なんか先生が連絡したらしくて……」
一人暮らしだから気遣ってくれたのだろうか。ありがたいが、おかげで面倒なことになっています。
「なるほど……」
「まあ、母の到着を待ってたら僕は干からびてたかもね……だから、ありがとう」
「いえ。おせっかいですみません」
オリガが苦笑を浮かべて言った。まだ少しボーっとした頭でやっぱり笑うと可愛いなあと思う。
「仕事の方は大丈夫?」
「今のところは問題ありません。決裁はたまっていますけど、この調子なら明後日まとめて処理していただくことになりそうですね」
ニコッと笑ってとんでもないことを言われた。たぶん、彼女のことだから、自分の裁量権の及ぶ範囲では処理してくれてあるだろう。ただの脅しだ。たぶん。
「それと、お母様がいらっしゃるなら、明日は来なくても大丈夫そうですね」
「ああ、うん。いなくても、多少は動けるから大丈夫」
「そう言って放置するのもちょっと……」
まあ、オリガの気持ちもわかる。彼女としては、キーランの元へ生存確認に来ている、と言うのもあるだろう。
「そう言えば、ポタージュとミルク粥、おいしかったよ。ありがとう」
「お口に合ったならよかったです」
腹が減るのは治ってきた証拠だ。オリガも嬉しそうに微笑む。そんな彼女に、キーランは控えめに言った。
「今回のお礼は、その、治ってから……」
「気になさらなくていいですのに」
「僕が気にする」
「じゃあ、楽しみにしておきますね」
そう言って、オリガはくすくす笑う。そう言われると、ちょっと難易度が高くなる。キーランは年齢=彼女いない歴であるから。つまりは女性への接し方に不安があるのだ。幸い、オリガは寛容だが。
オリガは帰宅前に母といろいろ話していったようだが、彼女は当たり障りのないことしか答えなかったのだろう。不満げな母がキーランに夕食の提供に来た。
「いいお嬢さんだけど、本当に副官なんだね。お前にはあれくらいしっかりしてる子がいいと思うんだけど」
ぐずぐずになるまで煮込んだ野菜スープを口にし、飲みこんでから「否定はできないけど」とキーランは肩をすくめる。
「あれだけ美人なら恋人がいるかもよ」
ちなみに、いないということは知っている。以前の合コンの際に聞いたのだ。
「……うーん」
「それに、彼女、僕の恩師の娘さん」
「ドラマみたいだね」
嘘だと思ったのか、母は取り合わなかった。まあいいか。その日はシャワーを浴びてから眠ったので、だいぶすっきりした。
翌日には出勤できる気がしたが、もう一日休むことにした。むしろ、ここまで来たら出勤したくない。
それを見越してか、翌々日の朝、見事な敬礼を披露するオリガが迎えに来た。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。