7話
オリガさん視点。
独身少将であるキーランの暮らす官舎と、家族のいる少将であるオリガの養母ハリエットが与えられている家族用官舎の建物は、近い。はっきり言って、裏にある。
予期せず上官宅から朝帰りとなったオリガは、自宅の玄関を開けて顔をしかめた。家に上がるとまずキッチンに向かった。
「……なんでだろう。解せない……」
「解せないのはこっちなんだけど……何してるの、エティ」
キッチンで鍋に向かって何やらつぶやいていたアッシュブロンドの女性がはじかれたように振り返る。そして、その青い瞳がオリガを認めると何度か瞬いた。
「お帰り、オリガ」
「ただいま……ねえ。何してるの」
「何って……料理?」
首をかしげるのでオリガは鍋の中を覗き込んだ。謎のダークマターが出来上がっていた。しかも何やら異臭がする。
「……ちなみに、何作ろうとしたの?」
「普通にコンソメスープだけど……なんでオリガみたいにうまくできないんだろうね」
はあ、とため息をついたその金髪美女は、オリガの養母ハリエットである。オリガの母の弟の妻になるので、オリガとは血のつながりはないが、姉妹のように仲が良い、とは言われている。ハリエットは今年で三十八歳となるが、元の顔立ちが整っているので若く見える。クール系美女だ。
第二航空宇宙学研究所所属技術少将。それが、ハリエットの身分だ。大学時代の研究に目をつけられ、連合軍に勧誘されたのだと聞いている。頭がよく手先も器用なはずなのに、何故か料理だけはできない。不思議だ。その他の家事もだいたいできるのに。
「これ、どうにかなる?」
「いくらなんでも無理」
と言うことで、謎の物体は廃棄処分となった。ひとまずシャワーを浴びて軍服に着替えてきたオリガはそれから、ハリエットに尋ねた。
「イザークはもう学校に行ったの?」
「まあね。自分で朝ごはんも弁当も用意していったよ……」
母親らしいことができない、とハリエットが落ち込んだ様子でトーストをかじっている。結局、朝食はトーストとサラダになったらしい。オリガはヨーグルトも出してやる。
「オリガは朝ごはんどうする?」
「もう食べて来たからいいよ」
「……ただの好奇心なんだけど、今までどこにいたの?」
ハリエットがトーストを咀嚼するのを眺め、オリガは答える。
「近所」
「恋人? 連合軍の将官なの?」
「……」
何気に鋭い。恋人ではないが、いたのは連合軍将官のところだからだ。ここでそうだが、恋人ではないと言っても問題なので、オリガは黙秘権を行使した。
「……まあいいけどね。言えるようになったら教えてね」
「……ありがと」
ハリエットが支度をしている間に、オリガは皿を洗った。ハリエットはグレーの技術任官の軍服を着て出てきた。
「……そう言えばオリガ。行かなくていいの?」
「行くわよ。でも、まだ大丈夫だから」
キーランには昼から出てきても構わないと言われている。まあ、そこまでゆっくり行くつもりはないが。オリガがいなければ、キーランはその分仕事が進まない。できないわけではないだろうが、何かと手際が悪いのがキーランであった。
「お前、どこでも世話してるね……」
ハリエットが言った。と言うことは、彼女も自分が世話をされているという自覚があるらしい。
二人は同じ連合軍人だが、向かう場所は違う。オリガは連合宇宙軍司令本部に、ハリエットは第二航空宇宙学研究所へ向かう。どちらも連合首都圏に存在するが、場所は違う。二人で仲良く出勤、と言うわけにはいかない。
「すみません、遅くなりました」
オリガは第八特殊機動艦隊の地上事務室に入ると、すでに出勤していたキーランが「思ったより早かったねぇ」とコンピューター画面から顔をあげた。
「で、早速で悪いんだけど……」
キーランが申し訳なさそうに声をあげた。オリガの上官である彼が、小さくなる必要はない。彼の補佐をして、手の届かないところをフォローするのが彼女の役目なのだ。
オリガはキーランの困りごとを聞くと、さくっと解決してしまった。キーランが「さすが」と感心する。
「ごめん、助かったよ」
キーランは少し困ったような笑みを浮かべると礼を言った。オリガはいつも通り、生真面目な表情で「いえ」などと言ったが。
「そう言えば、次の命令は出ているのですか」
オリガが尋ねると、キーランは「まだだよ」と首を左右に振る。
「演習に行ったつもりが、戦端を開いてしまったからね。部隊を再編し、次はそのまま戦場に放り込まれると思うけど」
「……そうかもしれませんね」
オリガも何となく納得できるのでうなずいた。そんな彼女を、キーランはじっと見つめていた。
「……なんですか」
どこかおかしいのだろうか。軍服はちゃんと着ているし、今までと同じように接しているつもりなのだが。
「……えーっと。大したことじゃないんだけど」
「はい」
「もう少し、あー、笑ってもらえないかな……」
「……」
昨日の話だ。オリガは目を見開き、それから目を細めて微笑んだ。
「そうでしたね。失礼しました。どうも、私は不器用で仕事、と思うと笑顔ができなくて」
と、オリガが顔を押さえると、キーランは苦笑した。
「うん。たぶん、君たちの方が正しいんだろうけどね……」
一応わかっているらしい。戦闘指揮を取っているときもどこかふわん、とした感じだったので、それがキーランの性格だから仕方がないのかもしれない。士官学校に入った理由を聞けば、軍人になりたかったわけでもなさそうだし。
キーランはオリガの実母ヴィエラの講義を受けたくて、士官学校、果ては士官大学まで行ってしまったらしい。すごい根性であるとオリガは思う。
本人の口から聞くまで、彼が母の教え子であると気付かなかったオリガだが、後から考えれば確かに、その片鱗はあった気がする。考え方が母と近いのだ。たぶん、母が亡くなった時十二歳だったオリガよりも、彼は母の影響を受けているのではないだろうか。まあ、進路を母のせいで決めるくらいなので、当然か。
それにたぶん、オリガは幼いころに彼と会ったことがある。母が教えていた士官大学に出入りしていたからだ。たいてい、父も一緒だったが、一人の時にかまってくれた学生もいた。その中にキーランがいたかは、ちょっと思い出せないが、母の研究室にいたのなら、確実に顔を合わせたことがあるはずだ。年の差を考えれば、オリガが十二歳の時、キーランは最終学年のはずだからだ。
不思議な縁にちょっと笑えてくる。前の配属先で上官に逆らったうえで降格処分となったオリガが、転属だけで済んだのはキーランがはっきりと状況を説明してくれたおかげ。とても感謝しているし、それに尊敬もしている。
とっさの機転で作戦を立てられるのはさすがだ。最上の判断だったと思う。という判断をとっさに出来るオリガも、周囲から見ればかなり頭の良い方に入るだろう。そして、彼女自身も知らず知らずにうちに母の考え方を身に着けていたから、キーランの考えを理解できる。
とはいえ、全く同じではない。成人してからヴィエラの教えを受けたキーランと、日常生活の上でその考えを学んだオリガ。オリガに関しては、父コールからの影響も大きいのだろう。
オリガはうーうーうなりながらコンピューター画面とにらめっこしているキーランを眺め、我知らず目を細めた。十歳も年上の男性なのだが、なんだか可愛い。
「提督。たぶん、計算式が一つずれているんですよ」
「え、どこ?」
「ここです」
ボールペンの先で画面を示すと、キーランはそこに数式を打ち直した。何故こういうことができるのに、確認するとわからないのだろう……。
「あ、合った。ありがとう、大尉」
「いえ」
そもそもその数式、オリガが作ったものなのだが、どこをどうしたらずれるんだろう。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
オリガさんもなかなか複雑な家庭事情。




