6話
眼を覚ますと、キーランは官舎の自室で寝ていた。官舎と言っても、マンションのようになっている高級士官用の社宅だ。キーランは少将なので、結構いい部屋に住んでいた。
ベッドに寝ていたキーランだが、自分がどうやってここまでたどり着いたのかさっぱりわからない。
しばらく横になったまま考えていると、何やらいい匂いが漂ってきた。そこで、キーランは空腹であることに気が付いた。
「って、そうじゃないでしょ」
口に出してツッコミを入れ、キーランは起き上がった。キーランは独身の少将だ。自分がここにいるのに、いい匂いがするのはおかしいだろう。明らかに誰かが料理をしている。はっきり言って恐怖体験である。昨日の恰好のまま寝ていたキーランは、そのまま寝室からリビングの方へ顔をのぞかせる。
対面式キッチンでは、金髪の女性が料理をしていた。何かを焼いているようだ。じっと見つめていたら、相手も気が付いた。碧眼が細められる。
「おはようございます」
「……おはよう、大尉。なんでここに……」
微笑んでいたのはオリガ・ブルーベル大尉だった。彼女も昨日と同じ格好だ。と言うことは、当たり前だが彼女も帰宅していないのだろう。
「何故、と言われましても。昨日、泥酔した提督をお連れしてお邪魔したのですが、私も酔っていたのでそのまま気を失ってしまって、今にいたります」
しれっと、しれっと彼女は言ってのけた。
「……電子ロックは?」
「さすがに提督にはずしてもらいました」
網膜認証もあるので、さすがにハッキングでは開けられなかったらしい。いらないことを聞いた……。
「と言うか提督、冷蔵庫の中に何もなかったんですけど」
「……あんまり自炊しないから」
気まずくキーランは視線を逸らした。いや、自分の家なのに何故気まずくならないといけないんだ。
「あ、台所をお借りしています。朝食を作ってみたのですが」
「ああ、うん……ありがとう」
オリガが有り合わせで作ったらしい朝食だった。ちゃっかり自分の分も用意しているが、作ってもらった手前文句を言いにくい。というか、もはやどこからつっこんでいいかわからない。
「……なんで大尉が私を送ってくれたんだい?」
この時点でかなり恥ずかしいが、キーランは尋ねた。朝食の皿を並べたオリガは、小首をかしげた。
「家が近かったので」
「……士官用宿舎って少し離れてるよね」
「ああ、私は技術将校の義母と一緒に暮らしていますから」
住民登録上は、彼女……ハリエット・ブルーベル技術少将の娘になるらしい。母と言うより姉に近い、とオリガは言った。彼女の夫はオリガの母方の叔父、つまり、ヴィエラ・リーシン教授の弟の妻にあたるのだそうだ。なお、彼は既に戦死している。
所属は違っても、ハリエットはキーランと同じ少将。似たような区画に住んでいても不思議ではない。実際、オリガがハリエットと暮らしている官舎はキーランのいる官舎の裏手だった。
「そうだったんだ……あ、オムレツおいしい」
「チーズオムレツです。お口に合ったならよかったです」
オリガはそう言って少し微笑んだ。昨日も思ったが、やはり笑うと可愛らしいし、親しみやすい。
ちゃんとした朝食を食べるのは久々だ。キーランは料理ができないわけではないが、一人だとどうしても手を抜きがちになってしまう。特に、朝は。適当でいいか、と簡単に食べられるものにしてしまう。かといって夕食をそれほど作るわけでもない。昼食は、出勤日は軍の食堂だ。
「大尉は家でも料理をしてるのかい?」
「ええ。エティ……養母のことですけど、彼女は料理が苦手なので」
「へえ。そうなんだ」
なので、基本的にオリガが料理を作っているとのことだった。ちなみに、そんな彼女は父親に料理を習ったらしい。
彼女の実父、キール・リーシン中将は宇宙戦闘機の名パイロットだった。亡くなる前は、妻と同じく後進の育成に精を出していたが、その腕は衰えてはいなかっただろう。戦死ではなく、事件に巻き込まれて亡くなったはずだ。
キーランには彼の記憶もある。たまに、妻ヴィエラが教える士官大学に来ていたからだ。そうでなくても、映像を見せられたこともあるし、写真で見たこともある。
背の高い精悍な男性だった。生真面目な人で、オリガの性格は父親譲りだろう。第三次宇宙戦争で片腕を失い、左腕が義手だった。昔はそういう人も多かった。ヴィエラ自身も、薄いが顔に傷があった。
「提督はちなみに、ご家族は?」
朝食をとりながらの他愛ない話である。確かに、キーランばかりがオリガのことを聞くのはフェアではない。
「両親ともフェレル王国にいるよ」
「一人っ子ですか? 何となく、下の子っぽいですよね、提督は」
「……わかる? 兄が一人いるよ」
「やっぱり」
そう言うオリガは一人っ子であるが、養父母の子供が十歳年下なので、事実上姉のようなものだ。だからこんなにしっかり者なのか、と納得するキーランである。
「ごちそうさま。……副官に家まで送ってもらって食事作ってもらうって、上官としてどうなんだろう……」
「大丈夫です。提督が少々残念なのは感づいていましたから」
「……」
その言葉のどこに安心できる材料があるのだろうか。というか、会って二ヶ月ほどしかたたないオリガにもそう思われていたのか。ちょっとショックである。言葉の端々にサドっ気のあるオリガだった。
「それに、私も勝手にキッチンを使わせてもらっていますから」
「……」
それも確かに。家まで送ってもらい、朝食を作ってもらったことと、勝手にキッチンを使われたこと。おあいこだと思っておけばいいだろうか。
「うん……まあ、以後気を付けます……」
「そうですね。提督のうっかり具合だと、たちの悪い女に捕まってしまうかもしれません。というか、私が寝込みを襲うような女だったらどうするんですか」
普通、その心配をするのはキーランで、心配されるのはオリガではないだろうか。何故、キーランがオリガに説教されているのだろうか。
「いや……君がそんな女性ではないと言うことはわかっているし、というか、むしろ私は君の方が心配なんだけど」
何しろ、彼女は美人である。生母ヴィエラほど華やかな美貌ではないにせよ、百人いれば九十五人は美人だと言うくらいの美女だ。良くないことに巻き込まれないか、という心配はある。だが、オリガはふふっと笑った。
「ご心配いただき、ありがとうございます。でも、不埒な族を撃退する方法は実の両親にも養父母にも教わっていますから、大丈夫です」
そう言えば、びっくりするぐらいの軍人一家だった。実の父母、養父母ともに連合軍の軍人。オリガなら、不埒なことをしようとすれば遠慮なく投げ飛ばすだろう。
「ああ……うん。まあ、そうなのかもしれないけど」
彼女が美人なことには変わりないし、彼女だけではどうしようもないことがあるのだ……まあ、そんなことを言おうものなら、そのままそっくり自分に返ってくるだろうから言わないけど。
「では提督。私、一度家に帰ってから司令本部の方へ行きます」
食器を片づけ終えたオリガが言った。確かに、このままではいけないだろう。キーランはうなずく。
「うん。今日は急ぎのこともないから、ゆっくり出勤してきていいよ」
「ありがとうございます」
失礼します、とキーランの部屋を出て行こうとするオリガに、キーランは声をかけた。
「大尉。朝食ありがとう。おいしかった」
オリガは驚いたように振り返り、それから微笑んだ。
「はい。どういたしまして」
その笑みに一瞬見とれたが、すぐに玄関扉はしまった。キーランはぺしっと両の頬を叩く。
今日次に会ったときは、また上司と部下だ。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
書いてから思ったけど、キーラン宅、皿も二人分なさそう…。