5話
場所を移動しよう、とバーに移動して飲み直す計十人だが、相変わらずそのうち二人は非協力的で、他の八人はその件についてはもうあきらめているようだ。そのため、非協力的なキーランとオリガは並んでカウンターに座っていた。他の八人は向かい合うように広いテーブルについている。
「やっぱり苦手だ、こういうの」
「帰ればよかったんでしょうか」
二人とも消極的であった。何となく流されてきてしまったが、せっかくの機会だ。上官副官として、交流を計ってみよう。
「そう言えば、言ったことがありませんでしたか」
「ん?」
何を話そうか迷っている間に、オリガが口を開いた。キーランが先を促すと、オリガは職務中のような生真面目な口調で言った。
「ありがとうございました」
「え、何が?」
「私が先の所属先で上官に逆らったこと。営倉入りも覚悟していたのですが、降格と始末書だけで済みました。少将が抗議してくれたおかげだと聞いています。ありがとうございました」
「あー、うん。事実を話しただけなんだけど……」
あの時、オリガが迅速に判断していなければこちらは瓦解していた。それなのに、上官に逆らったからとオリガを処罰するのは間違っている。
「ちなみに、あの時中将に殴られたの?」
「……殴ったのかとは何度も聞かれましたが、そう聞かれたのは初めてです」
少し驚いたように、オリガは言った。スクリーンに現れたブルーベル『少佐』は、頬を腫らしていた。ぶつけてああいう風に腫れるとは思えないのだが。
「……まあ、手が当たったのかもしれませんね」
はっきりとは答えなかったが、殴られたのだろうな、と何となく察するキーランであった。
「私からもひとついいかな」
「どうぞ」
キーランはオリガの方を見る。グラスを傾けていた彼女に、どれだけ飲むのだと聞いてみたい気もしたが、発した質問は違った。
「さっき、私の年齢を確認していたが、もしかして私の言った教授に心当たりがあるのか?」
「そう思いますか?」
「……うん。そう思う」
キーランがうなずくと、オリガはいたずらっぽく笑った。みんなで話しているときは見せなかった笑顔だ。自分だけに見せてくれるのかと思うと、少し気恥ずかしいような嬉しいような気持ちだ。
「先ほど、私の両親が宇宙軍の軍人だったと言う話はしましたよね」
「うん」
実は、両親が軍人だ、という軍人は多い。だから、あまり気に留めなかったのだが。
「私、正式な名はオリガ・リーシン・ブルーベルと言うのですけど」
辞令にも軍の身分証明書にもその名前で載っているし、キーランが見た彼女の経歴書にもそう載っていたはずだが、知っている相手だったので名前のあたりはスルーしたかもしれない。
そして、キーランが教えを受けた教授はヴィエラ・リーシン教授と言った。最終的な軍での階級は今のキーランと同じ、少将だったはずだ。
キーランは微笑むオリガを眺める。金茶色の髪に碧眼の美人。落ち着いた真面目な様子が印象に残っていたので気づかなかったが、顔立ちだけに限定すれば見覚えがある。
「……ブルーベル大尉は、ヴィエラ・リーシン教授の娘さん?」
「ええ。顔は似ていると言われるのですが」
「性格は父上に似ているって言われない?」
「言われますね」
ヴィエラ・リーシン退役少将の夫は連合宇宙軍の宇宙戦闘機パイロットだった。確か、最終階級は中将だったはずだ。戦死ではないため、特進はなかったと思う。キーランはヴィエラの葬儀には参列したが、彼女の夫の葬儀には参列しなかった。直接のかかわりはなかったからだ。
ヴィエラ・リーシン教授の葬儀の時、親族席にいた十歳を少し超えたくらいの金髪の少女を覚えている。顔を伏せていたので、顔立ちまでははっきりしないが。あの少女が、オリガだったのだろう。
「……大きくなったね」
何となく感慨深くて思わず彼女の頭を撫でたが、大人の女性に失礼だった。しかし、オリガは嫌がることはなく、「なんですか」と少し顔をしかめるにとどまった。
「母は、どんな先生でしたか」
「破天荒だったね」
キーランの言葉に、オリガは何度か瞬きした後、「でしょうね」と答えた。彼女の母は、家でも破天荒だったのだろう。
「私に戦術や用兵学、航海術を教えてくれたのはリーシン教授だ。教授の教えは、一般的な学校教育とは違っていて、実戦的だった。行動学だったかを用いた方法で、戦術論を教わった。ただの講義を聞いているより、ずっと楽しかった」
通常の大学と同じく、士官大学では研究室を決め、卒業論文を書かなければならない。キーランは迷わずヴィエラに教わることを選んだし、論文も戦術論で書いた。その結果がこれだ。
「勉強するのは楽しかったんだけど……」
「実際にやるのとは違いますか」
「そうだね……」
なのに、ヴィエラの教えが良かったのだろう。キーランはうまくやってしまった。そして、今、師と仰いだ女性と同じ艦隊司令官をしている。
「私も、母から考え方を学びました」
オリガがふわりと微笑む。キーランは目を見張る。なんと言うか、そう言う表情の彼女はとてもかわいらしかった。
考え方は母に、生き方は父に習った。彼女はそう言った。やはり、ヴィエラは生活力のない人だったようだ。キーランはヴィエラを思い出して微笑む。
「破天荒だし、自分で出した課題のことは忘れるし、放っておけば参考文献は開きっぱなしだし。何となく片付いてはいるんだけどね。でも、学生のことを本気で心配して、叱って、生き残るための術を教えてくれた。いい先生だったと思うよ」
「……そうですか」
両手でグラスを持つオリガの目が細められた。そのまま一度瞳を隠し、それから目を開いた時、彼女は笑みを浮かべていた。
「ありがとうございます。久々に母の話ができて、楽しかったです」
「いや……まさか、教授の娘さんが自分の副官だとは……これからもよろしく」
「はい」
微笑むオリガは可愛らしいし、生真面目な表情を浮かべているよりはとっつきやすい。今なら言える気がした。
「大尉……ちょっとお願いがあるんだけど……」
「はい?」
オリガが不思議そうに首をかしげる。あー、とキーランは口ごもりながら言った。
「できれば、勤務中も笑ってくれないかな。ほら、私、ふわっとしてるからまじめな空気って苦手でね……」
キーランの恥ずかしげに言った言葉に、オリガは目をしばたたかせた後、くすくすと笑った。
「わかりました。努力してみます」
その少し困ったような笑みが可愛らしくて、キーランは視線を逸らした。
たぶん、オリガは公私の切り替えがはっきりしている人なのだ。キーランは公私の境目がゆるゆるなので、どこでもこんな感じにボーっとしているのだが。
「……なんかそっち、いい感じ?」
おつまみのお替りをもらいに来たディマスが、キーランとオリガを見て首をかしげた。オリガの表情がすーっとなくなり、真顔になった。キーランは苦笑する。
「一応上司と部下だからね。大尉は着任して間もないから、親睦を深めてみようかと思って」
「あ、先生、絶対そんなこと考えてないでしょ。下心あるでしょ! ブルーベル大尉、美人ですもんね!」
ディマスが決めつけるように言った。まあ、無いと言えば嘘になるが、基本的には上司部下の交流である。
「じゃあ、お邪魔虫は退散しますね!」
ディマスはいつもテンションが高いが、今日は輪をかけて高い気がする。オリガが「酔ってるんでしょうか」と首をかしげている。
「まあいつも酔ってるような感じだけど……そう言えば、大尉。お酒強いね」
「自分ではわからないのですが、そうかもしれません」
たぶん、キーランの倍は飲んでいると思うんだ。キーランも強い方だが、彼女はさらに強い。ざると言うか、枠だ。
そんな彼女に釣られて飲んだのが悪かったのだろうか。
途中から、記憶が、ない。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。