10話
十二歳で両親を亡くしたオリガは、母方の叔父に引き取られた。その叔父も戦死し、今は叔父の妻とその息子と三人暮らしをしている。養母ハリエットは第二航空宇宙学研究所所属技術少将で、オリガの現在の上官キーラン・オブライエン少将の暮らす官舎の近くに部屋を構えていた。オリガもそこで暮らしているので、キーランの部屋と行き来する、と言うことができたのである。
まあそれは置いておき、今、オリガは従弟にあたるイザークと近くのショッピングモールへ買い物に来ていた。ハリエットの誕生日が近いので、プレゼントを買いに来たのだ。
イザークは中等部一年生の十二歳。キャメル色の髪に大きな蒼の瞳をした少年で、母親のハリエットに似た可愛らしい顔立ちをしている。性格は完全に母親似だ。まあ、彼の父に当たりオリガの叔父にもあたるミランも、どちらかと言うとクールな人だったが。
「さて。何にしよう」
「母さん、服とかアクセサリーとか興味ないしね」
「工具とかにした方が喜ぶんじゃないかしらって思うわよね」
養母ハリエットは好みが難しいのだ。一般的な女性が喜ぶものに喜ばない。オリガの生母ヴィエラもなかなかの変人だったが、夫からの贈り物に柔らかな笑みを浮かべていたのを思い出す。
「……渡す人によるのかしら」
なんて邪推してしまうが、プレゼント選びに移行する。
装飾品などを好まない人なので、どうしても日常的なものを選ぶことになる。キッチン用品は使わないだろうし、クッションとか? 機械に関してはハリエットの方が詳しいので、あまり選びたくないところ。
「物欲がないってのも逆に難しいね……」
「いっそ、髪飾りやコートにした方がいいのかもしれないわね……」
飲み物片手にベンチでうなだれる義理の姉弟である。本当にプレゼントが決まらないのだ。
「やっぱり……お菓子でも買っていく?」
「ケーキを買うのにこれ以上お菓子を買うわけにはいかないでしょ……」
家族三人なのだ。いくら三人とも甘いもの好きでも、食べきれないだろう。
「花? 花にする?」
「世話をするのは私かイザークになりそうね」
「……駄目かぁ」
「駄目ねぇ」
再びため息。その時、何やら聞き覚えのある声が飛び込んできた。
「いやっ、だから、そうじゃなくて」
「こんな人目の多いところで連れ去ろうとするなんて……!」
男性の声と女性の声だ。男性の声の方に聞き覚えがあり、オリガはそちらに視線を向けた。
青みがかった黒髪が見える。振り返った時に見えるその瞳が、虹彩の冷たげなアイスブルーに反する温かさを持っていることを、オリガは知っていた。ふらりと立ち上がる。
「姉ちゃん?」
イザークが呼びかけるが、オリガはまっすぐにその見覚えのある男性の元へ向かった。
「ここにいたのね。探したわ」
できるだけ親しげに話しかける。顔にはほのかな笑みを浮かべていた。黒髪の男性は振り返り、ともすれば冷たくも見えるアイスブルーの瞳を見開く。
「え、たい……オリガ」
大尉、といつも通り言いそうになったのだろう。キーラン・オブライエン少将はとっさに取り繕ってオリガの名を呼んだ。オリガは首をかしげる。
「どうかしたの?」
彼の隣に立ちながら、女性に視線を向ける。彼女は娘らしい女の子を抱きしめていた。
「いや……その子が迷子みたいだったから、迷子センターに連れて行こうとしたんだけど」
その前に母親が戻ってきて誘拐と間違われたらしい。たまに、男性から聞く話だ。親切で声をかけたのに、誘拐に間違われたという。まさかキーランのような優しげな男性が間違われるとは思わなかったが、やはり三十代と言うのがネックなのだろうか。二十代なら二十代で、ロリコン疑惑だけど。
オリガは、せいぜい呆れた声を出した。
「あなたが一緒に迷子になるのがオチでしょう? すみません。彼がご迷惑を」
「いえ……こちらこそ、疑ってしまってすみません」
お騒がせしました、と母親は恐縮したように肩をすくめながら頭を下げた。女の子はばいばーい、と手を振って母親と共にその場を後にする。
手を振り返していたキーランは、同じく手を振っていたオリガに礼を言う。
「ありがとう大尉。助かったよ」
「たまたま目に入ったので。すみません。とっさに恋人のふりをしてしまいました」
「合わせたのは僕だから、気にしないで」
とっさに助けるためとはいえ、一番手っ取り早い方法を取ってしまった。キーランは優しいから、ということをわかってやっているので、オリガはやはり、謝るべきなのだろう。
「姉さん」
「あら、イザーク」
置いてきたイザークが近寄ってきて、キーランを見上げる。
「誰?」
不審げなイザークである。オリガはくすくすと笑った。
「そんな顔しないの。私の上官で、キーラン・オブライエン提督。提督、義弟で、イザークです」
「キーラン・オブライエンです。お姉さんにはお世話になってます。よろしく、イザーク君」
「……イザーク・ブルーベルです。姉がお世話になっています」
イザークの倍以上の年のキーランが丁寧にあいさつをしたので、イザークも同じように返した。その辺は、ハリエットが厳しいので、年の割にしっかり者のイザークである。
「提督はお買い物ですか?」
「ああ、うん。さすがに夏物をそろえようと思ってね。二人は?」
何となく一緒に歩きながら、オリガとキーランが話す。
「母の誕生日プレゼントを見つくろいに来たんですが、なかなか決まらなくて」
「ああ、人に渡すものを選ぶのって難しいよね」
苦笑を浮かべて同意したキーランに、オリガは微笑む。しかし、キーランは何故かイザークの方を見てびくりと肩を震わせた。
「……ええっと。二人とも、お昼は食べた? 助けてくれたお礼にごちそうするよ」
オリガは小首をかしげたが、イザークにも説得されて一緒にランチに行くことにした。ランチと言っても、ショッピングモール内だが。ショッピングモールでは世界各国の料理を食べることができる。三人はパスタを食べに行った。まあ、他にもピザなどを頼んだが。
「話には聞いていましたが、本当にあるんですね。誘拐に間違われること」
「そうだね。僕も驚いた……そんなに不審だったのかな」
キーランは軍人には見えないが、別に不審であることは無い。
「誘拐事件、多いもんね……かといって無視するのもなぁ」
「提督、結構真面目ですよね」
「普通、小さい子が一人でいたら声をかけるでしょ」
心配して。それができない人が多いから、キーランはできた人なのだろう。
「ええ。昔、士官大学で一人でいた私にも声をかけてくださいましたしね」
「えっ?」
キーランがピザ片手に驚いた表情をする。オリガはくすくすと笑った。
「やっぱり覚えていないんですね。私、小さいころ提督に声をかけられたことがあるんです。まあ、私も最近思い出したんですけど」
父に連れられて、大学で講義中の母を待っていた時のことだ。ちょうど父も離れていて、一人で図書館で本を読んでいたオリガに声をかけた男子学生がいる。それが、キーランだった。と思う。
「あー、いや、うん。大学の図書館で女の子に声をかけた覚えはあるけど……」
「私でしょうね」
「……」
キーランが「まじか」と言わんばかりの表情をしている。まあ、オリガも割と「まじかー」と言う感じだ。
「少将さんは姉ちゃんのお母さんの教え子なの?」
「そうよ」
「へえ~。俺も会ってみたかったな、姉ちゃんのお母さん」
オリガは少し困って微笑んだ。何となく、イザークと母ヴィエラは、気が合いそうな気がした。ヴィエラが亡くなった時、イザークはまだ小さくて覚えていないのだろう。アルバムに、ヴィエラがイザークを抱っこしている写真ならあるが。
「……それはそれで恐ろしいことになりそうね……」
「まあでも、楽しかっただろうね」
キーランが空気を読まずにそんなことを言った。オリガは、仕事よりも先に、キーランには空気を読む方法を叩き込んだ方がいいのではないか、と思ってしまった。
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