自覚
ぼちぼち続けております。
読んでいただけたら幸いです(*^^*)
銭湯の広い湯船は一人で入ると贅沢な気分を味わえた。中に入ってみれば、無骨であってもレトロで味わいのある、親しみの持てる場所だった。清掃も行き届いており、お決まりの壁の富士山も清々しく感じられた。
ただ、男湯の方から賑やかな笑い声が聞こえてくると、少し寂しく感じてしまった。脳裏に父と一緒に男湯ではしゃいだ記憶が浮かび上がってくる。お風呂にはゆっくり浸かる派だが、なんとなくさっさと上がってきてしまった。
タオル一枚胸から垂らしただけでは恥ずかしくて、脱衣場にひょっこり顔だけ出して様子を伺えば、番台には喜一ではない大男がどっしり座っていた。
目隠しのように黄ばんだ表紙の単行本を顔の前にかざしているので、表情は伺えない。きっと美月夜に気を使ってくれているのだ。
配慮に感謝して、手早く着替えた。佐倉が貸してくれた薄手のパーカーを羽織ればこちらの守備も無事整う。お礼を言おうとそろそろ近づいていくと、単行本が下ろされて体同様に常人よりひと回りは大きい顔が美月夜を見下ろした。
「あの、お風呂ありがとうございました。あと、目隠しも」
男の細い目が少しばかり開かれた気がした。
「……いや、ゆっくりできたなら何よりだ。君みたいに若い娘さんが来ることは稀だから、これぐらいしか目隠しがなくて申し訳ない」
男が本を軽く振るだけで、扇風機より心地良い風が巻き起こる。聞いたことがないくらい低い声だが、見た目よりずっと優しい口調にすっかり安心して思ったまま問いかけた。
「あなたが熊さんですか?」
「ああ、みんなそう呼ぶ。よろしく」
ずいと差し出された手も大きかった。立派な葱より太い指に触れると、さっきまで入っていたお湯と同じくらい熱い。緩く胡座をかいた脚や膨らんだお腹、がっしりした肩までが本当に熊のようだ。
「みんなそう呼ぶってことは本名は違うんですね」
くすっと笑うと男の目もほころんだ。
「そう言ったのは君で二人目だな。本名は佐田という。知ってる奴の方が少ないぞ」
「それはなんだか光栄ですね!」
二人でにこにこ会話を楽しんでいる間に佐倉も上がってきていたようで、焦った声が番台を越えてきた。
「悪い、待たせたか?」
「いいえ、全く。熊さんと楽しくお話してました」
佐田が男湯を見下ろして佐倉に話しかけた。
「できたお嬢さんだ。お前さんが羨ましいよ。うちのクソ坊主と交換しちゃくれんか?」
「熊さんまでそんなことを。嫌ですよ、喜一みたいな奴は俺の手に負えませんから」
そこでやっと美月夜は喜一がいないことを思い出した。
「あの、そういえば喜一くんは?」
「あいつには今ボイラーの整備をさせとる。きっちり叱っておくが、また何かやらかしたらすぐに私に教えてくれ。まだ子供だからと甘やかし過ぎたようだ。君みたいにしっかりした子もいるんだから、あいつも少しは更生せんとな」
発作のときより謝罪に来たときの方がとんだとばっちりだったようだ。他人事ながらかわいそうになる。
佐倉が佐田と話始めたので、美月夜は「じゃあまた」と手を振って邪魔にならないよう外に出た。
商店街の客が続々帰路に着く中、美月夜は空を見上げた。つい数日前にも同じような夕暮れの空の下を佐倉に肩を貸して歩いた。そう、たった数日しか一緒にいないのだ。それなのに、もう一緒にいることが当たり前で、約束がなくてもいつまででも佐倉を待っていられる心地なのが不思議だ。
こんな心境には初めて出くわす。
私たちは友人なのだろうか?それとも家族?
ヤドカリという制度だけで繋がっているはずなのに、もっと確かな何かを感じる。
佐倉に対して好意があるから、良いように解釈したいだけなんだろうか。
運命とか、そういった類のものだと。
「……まさか。私もいい加減、夢見過ぎだわ」
独りごちていたら、ガラス戸が開いて佐倉が出てきた。髪が湿気ているからか、いつもと少し印象が違う。美月夜にはまだあまり縁がないが、これが色気というものだろうか。
「悪い、結局俺も熊さんと話し込んで……」
はた、と美月夜を捉えた瞬間、佐倉が固まった。何事だろうと瞬きしていると、もう一度銭湯のガラス戸の中に有無を言わさず押し込まれた。
「ミツ!な、何を着てるんだ、何を!」
「え?何って、佐倉さんの服ですよ?借りますよーって声かけましたよね?」
「聞いたけど!パーカーを借りたいって話じゃなかったのか!?」
「そのつもりでしたけど、探してたら他にも良さそうなのがあったから、つい」
結果、下着以外は全部借りることにしたのだ。めいお手製の服は昼間は着れるものの、寝間着には適さない物ばかりだった。無地のTシャツと綿の短パン、グレーのパーカーは実に楽ちんだ。
「俺はパーカーくらいならいいかと……!」
「そうでしたか、ごめんなさい。気持ち悪かったですね……」
美月夜は調子に乗りすぎたらしいことに気づいて項垂れた。自分だって、服の貸し借りなんて気のおけない友人としかやったことがないくせに、相手が佐倉だからなんとなく許してくれるんじゃないかと思っていた。
「いや、違う!気持ち悪いとかじゃなくて!だってそれ俺の寝間着だから、次に着るときに困るというか、その」
混乱の極みにあるのか、佐倉は両手を振り回して事情を説明しようとしているが、さっぱり言いたい事が伝わってこない。
「ええと、気に食わないってことはわかりました。とりあえず、もう一回脱衣場だけ借りて着替えてきます」
言いつつドアノブに伸ばした手を、がっと佐倉に掴まれた。
「いや、いい!そこまではしなくていいけど!その、今度からはちゃんと言ってくれ」
「は、はい、わかりました。以後、気をつけます」
「うん、俺の心臓に悪いからな。頼んだぞ」
懇願する佐倉にこくこく頷いて見せると、はあぁと大きく息を吐いて彼は自らを落ち着けた。
「騒いですまん。さ、もう帰ろう」
がっちり掴んだ美月夜の手首を離してくれるかと思いきや、佐倉はそのままするりと手を繋いだ。なんとも自然な成り行きだが、今度は美月夜が悲鳴を上げる番だった。懸命にも心の中に留めたが。
こ、この人は!さらっとこういうことをする!!
お互い繋いでいない手には洗面器を抱えて、風呂上がりの上気した頬や、濡れた髪までお揃いだ。
普通、こういう姿って恋人同士とか、夫婦とかに限られるんじゃ!?ああでも家族ならありなのかな?ヤドカリってみんなこんなものなの!?
考えれば考えるほど、恥ずかしくなって周りが見れなくなる。誰も彼もが自分達に注目している気がして、これまた借り物のサンダルだけを見つめながら、何とか足を前に出して佐倉についていった。
◆ ◆ ◆
何気ないフリをして手を繋いで商店街を歩く佐倉は、美月夜が真っ赤になって俯いているのに気づいていた。
(恥ずかしがるところがおかしいだろ、まったく)
俺の服を湯上がりの肌に着て平然としているくせに、手を繋げば赤くなるなんて、彼女の基準がわからない。
こっちだって手を繋ぐなんて恥ずかしい。けれど、商店街のあちこちから美月夜に注がれる視線すべてに喧嘩を売るには、こうでもしないと対応しきれないのだ。
(俺も源さんのことはあまり言えないな。めいを守る気持ちってこんなだったのか)
美月夜は自分のことを過小評価しているが、ただの女子高生にあんなに人が群がるわけがない。気の強い彼女らしくキリッと切れ長な目や、通った鼻筋、血色のいい唇、それらすべてが凛とした独特の雰囲気を醸し出し、人を魅了するのだ。彼女の背格好から皆『可愛い』と評するが、もう少し大人びたら『綺麗』に変わっていただろう。
だからこそ、気が抜けない。『中洲』の住人は根のいい奴ばかりだと思いたいけれど、どこに狼が隠れているかわからない。
「あの、佐倉さん?佐倉さん!」
「ん?どうした?」
無言のまま商店街を抜けるだろうと予想していたので、美月夜に話しかけられて少し驚く。
「さっきから源崎さんが呼んでますよ」
美月夜がくんっと手を引く方へ目を向けると、団扇で口元を覆った源崎が小刻みに震えながら立っていた。
「哀しいな。害虫駆除に必死になって私の声なぞ届かないと体現しているのか?それとも、私も害虫なのかな?」
くっくっくっと肩を揺らす様は誰かを小馬鹿にしていても美しい。が、見慣れた佐倉には腹立たしい男以外の何者でもない。
「用件はなんです?害虫がいることを知ってるなら帰るところを邪魔しないでください」
「まぁそう怒るな。今晩もめいが夕飯を作り過ぎそうなんでね。誘えそうなのを探しにここまで来てみたんだ。どうだい?美月夜が来てくれればめいも喜ぶ」
源崎の誘いに美月夜がぱぁっと顔を輝かせるから、断るわけにもいかなくなった。渋々源崎に従い、三人並んで歩きはじめる。
「美月夜がきてから聡一郎が御し易くなって助かるよ」
笑い上戸な源崎はまだくつくつと楽しそうに笑っている。
「手のかかる子供みたいに言わないでください。だいたい、源さんは俺の保護者じゃないでしょうに」
「まぁ公式にはな」
ふと優しく微笑まれ、佐倉は照れから目を逸らした。
わかっている。いつも源崎が何かと気遣ってくれていることも、寂しく感じないように夕飯にちょくちょく誘ってくれていることも。
あの日突然一人になったとき、最初に訪ねてきてくれて、肩を叩いてくれたその恩は忘れないけれど。
もう佐倉は一人ではなくなった。
「俺はもうヤドカリじゃないですから。ミツがいるからやっていけます」
繋いだ手に力がこもる。美月夜からも握り返してくれた気がした。
「聡一郎は素直な男だな。めいが言っていた通りだ」
源崎は嬉しそうに頷き、そこから先は佐倉の耳もとで囁いた。
「私も人のことは言えないが、好いた女を守りたいがために孤立するなよ。あまり周囲に目くじらを立てんことだ」
「え?」
佐倉は源崎の言葉にきょとんと目を見張った。
「なんだ、まだ自覚してなかったのか?」
釣られて源崎も目を丸くする。
「え?自覚?人のことは言えないって、それは?」
「そこからなのか。疎いな、聡一郎は」
呆れて空を仰いだ源崎から、さっさと宣言される。
「めいは私の女だよ。でなければ家に置いてない」
「や、やっぱり!」
静かに話を聞いていた美月夜が頬を赤らめて軽く跳ねた。
「ほら、美月夜はちゃんとわかってるじゃないか」
「そんな!だって年の差いくつあるんですか!?俺はてっきりヤドカリのままなんだと……」
「見た目がそう変わらんのだから気にするほどでもないだろう?死んだ後に年の差などと、どこに気を遣っているんだ」
けろっと言い放つ源崎に佐倉は目眩がした。信頼する集落の長がこんな奔放なジジイだったとは夢にも思わなかったが、美月夜からの評価はうなぎ登りらしい。
「素敵です!めいさん、愛されてるんですね」
すっかり興奮して源崎を讃える美月夜が、ふと年相応の女子高生として目に映る。未成年だけれど、背格好はもう十分大人だ。源崎に年の差なんてと言われてしまえば、自分と美月夜だって男女として関われるのでは。
途端、佐倉は自分の行動の素になる感情に気づいてしまった。
頭を撫でた時。
肩を掴んで揺さぶった時。
そっと手を繋いだ時。
無くしたはずの心臓がどくんと胸を叩く、この感覚。
「源さん、恨みますよ」
じろりと睨みつければ、源崎はおどけて肩を竦めた。
「お門違いと言うやつだな。早晩自分でも気づいていたさ。いや、気づかずにこじれてもっと厄介なことになっていたかも知れん。礼を言われてもいいくらいだ」
ハッハッハッと偉そうに笑う源崎を見て、美月夜がくすりと笑う。
「源崎さんて、あの笑い方お好きですよね」
「ああ、芝居掛かってて、それが余計に相手の神経を逆撫でするのもわかってやってる」
平静に答えているつもりで、佐倉は内心慌てふためいていた。正直、源崎のことなどどうでもいい。自覚したその時に、わざわざ手を繋いでいたのも混乱に拍車をかけた。それでも、美月夜の手を離す気はさらさらないのだからしょうがない。
「佐倉さん、あの……」
そんな時に美月夜が手を離そうと揺するので、つい逃がすまいと引き寄せた。
「嫌なのか?」
「嫌じゃないです!けど、あ、汗が……」
言われてみれば互いの手の隙間がしっとり濡れている。気持ち悪いと言いたいのだろうが、いま手を離すなんて絶対嫌だった。源崎にからかわれるのはごめんだし、周りの目だってまだ気になる。何と言えばまだ手を繋いでいられるのか悩んだ挙げ句、
「俺はまだ繋いでたいんだ。我慢してくれ」
口をついたのはわがままな気持ちそのままだった。
「は、はい……」
耳まで真っ赤になりながら、美月夜が答えた。振り払われなくてよかったと安堵し、また期待する。
(嫌われては、いないよな……?)
佐倉はようやく気づいた自分の気持ちに向かい合うのに精一杯で、周りから生温かい視線が送られていることには気づかなかった。結局、この日を境に噂が広がり、どこに顔を出してもからかわれるので、佐倉は商店街の連絡網の範囲とスピードに恐れおののくことになった。
◆ ◆ ◆
最後までありがとうございましたm(_ _)m
今までにも勝手に設定していましたが、
◆…佐倉目線
◇…めい目線
で切り替わっております。
佐倉がやっとやる気に……!なってくれるといいけど(-_-;)