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ヤドカリ  作者: まちこ
7/9

回顧

遊びに来ていただき、ありがとうございます(*^^*)

拙い文章ですが、最後までお付き合いいただけると幸いです。

 我が家は今どき珍しくもない親ひとり子ひとりの母子家庭で、「私もそうなんだ」と手を挙げる人には次の「父親は死別です」の台詞で距離を取ってもらっていた。もうやめてと懇願しても周りに仲の良さを見せびらかすほど相思相愛だった両親を、あなたの親と一緒にしないでと内心毒づいていたのは誰にも秘密だ。

 父が亡くなったのは、私が小学生の頃。突然、校内放送で呼び出された時から、その日はずっとパニックだったんだと思う。先生が車で送ってくれた病院で待っていたのは、危篤の父と放心状態の母だった。母とお互い縋りつくように病院の長椅子に座り、とてもとても長い間、震えていたのを覚えている。日が暮れてから父のもとに案内され、医師が「力及ばず、申し訳ない」と頭を下げたとき、傍らで母は崩れ落ちた。

 もともとしっかり者だった母は四十九日までをソツなくやり通し、私には「ここまで出来たんだからもう大丈夫」と強がって見せた。けれど、いくら母が働いても、私が明るく振る舞っても、いつもニコニコ笑顔を振り撒いていた父が欠けた家は途端に色褪せてしまい、違和感は残り続けた。


 風向きが変わったのは、高校に入学した春。母が職場の後輩を紹介したいんだと私に言った。

「どうしたの、急にかしこまって。職場の人に私を引き合わせても意味ないでしょ?」

「うん、まぁ普通はそうなんだけど。ミツには会ってほしいのよ。いまお付き合いしてる人だから」

 私は表情が強張りそうになるのをなんとか堪え、「そうなんだ」とだけ答えた、と思う。細く線香の煙が登る仏壇を見ないように、間違っても母を責める言葉が湧いてこないように、思考停止するのが精一杯だったから。

 後日、母が連れてきた男性は九条雅也くじょうまさやと名乗った。笑ったときの雰囲気が少し父に似ている、というのが第一印象だった。私より父の面影を探している母が痛々しくて交際を反対する気にはなれず、「二人の好きにしたらいいよ」と干渉せず、また拒絶もしないことを宣言した。その言葉を良いものと受け取ったのだろう。母と九条は夏には籍を入れ、同居するようになった。

 そして、暮らしてみて初めて、九条の酒乱が露見した。

 普段はおとなしいというより引っ込み思案な印象の九条だったが、落ち込んだり不安になったりするとすぐに酒に頼り、飲み散らかしては暴れたのだ。アルコール依存も強く、帰宅途中から酒を入れ始めるのも当たり前で、玄関を開けるときにはまず九条が帰っているか確かめ、帰っているなら鞄を盾に構えてドアを開けなければならなかった。

 病院に連れて行こうとする母に九条が手をあげるようになると、私ももう黙っていることはできなかった。母と家で二人になった時を見計らって意を決して切り出した。

「離婚、した方がいいと思う」

 隠せない疲労を抱えダイニングテーブルに座る母も、悲しそうに同意した。

「そうね。あの人がきちんと話せるときに伝えてみるわ」

 さすがに九条も職場では飲酒していない。母には申し訳ないが、きっとこれで怯えながら暮らさなくてよくなると思った。

 けれど、昼間の酒の入っていない九条は気の毒なほど気弱になってしまっており、母に縋り付いて詫びたのだそうだ。

 離婚はしたくない。病院に行ってきっと治すから、一緒にいたいと。

 母は昼間の九条を信じ、夜になると暴れる男に耐え続けることを選んでしまった。

 事態は何も変わらず、いや、どんどん悪くなっていき、次第に家に帰ることは苦痛になっていった。


- - - - -


 話の合間に息をつく私の顔の前で、佐倉がひらひら手を振った。

「え、なんです?」

「いや、あんまり生気のない顔してるから、もしかして静かに発作が起きてるのかと思って」

 心配そうに覗き込む佐倉の後ろから、爽やかな夏の風が吹き込んでくる。自分の内側の真っ暗な思い出を覗き込みすぎて、急に周囲が明るくなったように感じた。瞬きを繰り返し目を慣らす。

「大丈夫です。思い出したらちょっと滅入っちゃって」

 力なく笑う私を励ますために、「甘いもんでも飲むか」と佐倉が出してきてくれたのは琥珀色の梅シロップだった。とろりとコップに注いで水で割れば、華やかで酸味のある梅の香りが広がった。

「わ、美味しい。もっと酸っぱいのを想像してましたけど、甘いですね」

 甘いものでほだされて、自然と笑顔もこぼれた。佐倉も満足そうに頷く。

「俺もこれは気に入ってる。でも年に1度しか作れないからな。大事に飲めよ」

 大事にしているものを分けてもらえるほど、大事にされている。それが何より嬉しくて、目が潤んだ。父を失ってから坂を転げ落ちるように最悪へ向かっていた人生が、死の向こうで救われるなんて思っていなかった。

 これだけで『中州』に来た意味はあるのだと、胸を張って言える。

 思い出したのがどれだけ身の毛のよだつ出来事でも、佐倉のヤドカリになれた事で私の中で折り合いもついた。

「昨日、喜一くんとのやり取りで思い出したのは、今話していた九条さんとのことです。今までの話から察せる通りあまり気持ちの良い話ではなくて、でも」

 コップを置いて顔を上げると、真剣な顔をした佐倉と向き合った。

「聞いていただけますか」

「ああ」

 力強い同意に今一度勇気を奮い立たせる。


- - - - -


 その日も家路は憂鬱で、しかし補導されるわけにも行かず、塾終わりにファミレスでとことん時間を潰してからマンションへ帰った。

 母は残業で遅くなると聞いていた。もう帰ってきてくれているといいが、母がいなければ九条と家で二人になってしまう。友人達に頼るのも気が引けてくる頃で、母が帰るまでは部屋で耐えようと決心していた。

 都合の悪いことに、やはり母は帰っておらず、さらにはドアを開けてすぐ出かけようとしていた九条と鉢合わせてしまった。

「ああ、お早いお帰りで。毎日のん気に学校行って楽しく暮らせて幸せか?」

 九条は壁に寄りかかって嫌味を垂れた。息が酒臭い。

「お前の母親は毎日お前のためにって下げたくもない頭下げて働いてるってのに。わかってんのか?あ?」

 普段から酔うと話し相手が欲しくなるようで、私が怒って噛み付いてくるよう適当にけなしてきた。

 無反応を心がけても気持ちは簡単にささくれる。内心では猛烈に反論しているのを押し隠して、何とかして廊下をすれ違い、部屋にいけないかとそれだけを考えた。

「わかるわけないよな。俺たちが毎日どれだけ辛い思いしながら働いてるかなんて。当たり前に飯が食えるのも誰のおかげだと思っているんだか」

 少なくとも九条のおかげではない。彼は飲み代欲しさに給料を家計に入れなかった。母は私に買物を任せていて、銀行のカードを持たせてくれていたので、何となく母の給料も把握していたし、九条と同居するようになってから金額が増えていないことも承知していた。

 反応しない私にイライラしすぎて、九条は持っていた財布や鍵を取り落とした。床を睨んで盛大に舌打ちする。

「あーあー!お前のせいだぞ!拾えよ!」

 何かまた職場で失敗でもしたのか今日は一段と機嫌が悪い。外に一時避難すべきかと考えていると、いきなり胸ぐらをねじり上げられた。

「無視してんじゃねーぞ!お前!」

 突きつけられた九条の顔は、まともな人間の顔ではなかった。

 血走った目と紅潮した顔面は醜く歪んでしまっていた。

「離してください!」

 制服を引っ張ってもがくが、成人男性の渾身の力は振りほどけなかった。

「いつもいつもバカにしやがって。一回痛い目見せとかないとダメだな」

 狭い廊下を引きずられて台所までくると、九条は私を押し倒して馬乗りになった。

「ほら、力では絶対に敵わないぞ。どうするんだ?」

 嘲笑されて悔しくて、唇を噛んだ。打って変わって上機嫌になった九条は、片手で私の両腕を頭の上で押さえつけ、ぴたぴたと頬を叩いてきた。

「悔しそうだなぁ。でも、お前が悪いんだぞ。俺を舐めてるからバチが当たったんだ」

 優勢になって楽しそうな九条が、ふと何か思いついたように改めて私を見下ろした。

「お前、女子高生なんだよな?」

 何を意味する問いかけなのかがわからず、怪訝な顔を取り繕えないでいると、九条の手が太腿を撫でた。

「な、何するんですか!」

 今度は九条が何も答えなくなった。てのひらが遠慮なく腿を往復する度、ぞわぞわっと背筋に悪寒が走る。

「やめて!やめてってば!」

 一際大きく声を張り上げ、動かせるだけ体を捻って抵抗したときだった。

「何やってるの!」

 玄関で母が叫んだ。

 私も九条もその声に竦んで、一瞬硬直した。

 母は靴も脱がずに台所までツカツカ歩いてきて、もう一度大声で問い詰めた。

「何やってるのかって聞いてるのよ。答えなさい!」

「うるさいぞ!お前は向こう行ってろ!」

 振り向いて母を突き飛ばした九条に対して、抑えきれなくなった怒りが燃え上がった。

 母さんをお前って呼んだな。

 私が何を言っても悲しそうにあんたを庇ってきた母さんに手を上げたな。

 よくも!よくも、よくも!

 起き上がりざま、恨みも不満も全部乗っけて、思いっ切り九条の背中を蹴飛ばした。

 ぐえっと情けない声を上げて九条が床に突っ伏したところで、さっと立ち上がり、母を助け起こす。

「母さん、ごめん。大丈夫?」

 母は力なく頷いた。

「大丈夫よ。ミツは?」

「私は平気」

「そう、よかった。ねえ、酷いお願いだけど聞いてくれる?」

 辛そうに涙をにじませる母に、「うん、何?」と聞き返すのと同時に、呻きながら九条が起き上がろうと手を床についた。母も気がつき、すぐさま男を押さえつけた。

「警察呼んできて!」

 その一言に母の思いが全部詰まっている気がした。

「任せて!」

 私はスニーカーを突っ掛けて全速力で駆け出した。


- - - - -


「……この後の事が、今はまだ思い出せません」

 そう締めくくると、佐倉は自分のコップに注いだ梅ジュースを飲み干した。

「悪い。辛いことを話させたな」

「いえ、初めて人に話せたので私はスッキリしました」

 本当にそう思った。溜め込むばかりだった負の感情は口から出すと蒸発していった。全部は消えなくても、随分軽くなったと思う。

「そうか、ならよかった。話を聞いたらよく蹴っ飛ばすだけで済ませたなと感心したよ」

 怒りに眉をひそめ、佐倉の声が低くなった。

「俺がそいつに会うことはもう無いだろうが、できるなら探し出してタコ殴りにしてやりたい」

 グッと握り込んだ拳が佐倉の怒りをあらわにしていて、私は嬉しくなってしまう自分をたしなめた。親しい友人達に話したら同情くらいは得られたかもしれない。でも、ここまで怒ってくれる人は今までいなかった。

「私、佐倉さんのヤドカリになれてよかったです」

 滑り出た言葉は、発してから確信に変わった。

「迷惑ばっかりかけて申し訳ないと思ってました。でも、佐倉さんじゃなきゃこんなに素直に頼れなかった。私、これからも甘えちゃうと思いますけど、どうか、発作が治るまで力を貸してください」

 頭を下げてしばらくしても、佐倉からの反応はなかった。あれ?と思ってそっと起き上がると佐倉は机に伏せていた。

「え?佐倉さん?」

「いや、すまん。ミツは本当に直球勝負だから俺が慣れる。慣れるけど、今はまだ時間をくれ…!」

 起き上がるまでにはたっぷり時間を要し、その間何が起こったのか不思議に思いながらとにかく待った。佐倉は額を赤くしていたが、何事もなかったように「さあ、さっさと洗濯しちまおう」と立ち上がり、伏せていた理由は聞くに聞けなかった。

ここまで読んでいただきありがとうございましたm(_ _)m

今回は内容がダークなのでどこまで書こうか色々迷って更新が遅くなってしまいました。迷いすぎてあっさりし過ぎたかな、とちょっと後悔中……

美月夜の素直さに照れる佐倉ですが、彼も美月夜に引っ張られて随分と素直になってます。後から自分の発言を思い出して赤面してることもあるとか笑


次回も更新できるように頑張ります!

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