少年
ぼちぼちの更新ですが、読んでいただけたら幸いです。
よろしくお願いします(*^^*)
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佐倉は慣れた道に車を走らせていた。とうに住んでいる集落は見えなくなっており、目の前には山並みが広がる。丁度視界の中央に捉えている山に目指すべき牧場があるのだが、今は牛達や馴染みの牧場主の顔よりも、源崎に預けてきた女の子の顔がちらついて仕方がなかった。
(連れてこればよかったのか?)
待っていると俯いて言う彼女の寂しそうな顔は、皆より一段下に立っていた佐倉にはよく見えていた。源崎にのせられて、彼女が望めば宿を移してもいいと言ったことを受けてのあの顔なら、あれは。
(俺がさせたのか)
自惚れでなければ、そういうことになる。佐倉の家に置いてもらえなければ寂しいと、佐倉が帰って来てくれなければ寂しいと、彼女が思っていたのだとしたら。
(いや、昨日『中州』にきたばかりで心細いだけだ)
軽く頭を振って都合のいい想像を追い払う。まだまだ親の庇護下にいるべき年頃の少女が、まずは自らの死を受け入れ、この先どうするのか自身で決めていかなければならない。その状況でたまたま近くにいた大人を頼りにしているだけだ。
ただ、頼られるのが思っていたより嬉しかった。
あいつがいなくなってから、家に誰かがいるのも久し振りで。
無邪気に笑いかけてくるのも。
必死に縋りつかれるのも。
照れて耳まで真っ赤になっているのも。
全部、可愛らしくて、できることをしてやりたくなる。
(裕太と関わるのと何が違うってんだ。何だったら抱っこしてやりゃいいんだ)
記憶の中の3歳の甥っ子と同列に並べて、勝手に納得する。
頭を撫でてやるのになけなしの勇気を総動員したくせに、佐倉はまだ自分の身に何が起こっているのかわかっていなかった。
◆ ◆ ◆
源崎は佐倉の言った通り、この辺りでは一番『中州』に在る時が長いらしく、皆に頼りにされてこの集落の長を担っていた。相談にのったり、仕事を斡旋したりする返礼に食材を譲られるのが常なので、めいは毎日楽しく調理しているそうだ。そして今現在、大量の小麦粉が食料庫を占領しているため、本日の昼ご飯はめい特製のキツネうどんになった。
源崎も動員して3人がかりで生地を踏み、甘く煮た油揚げと、たっぷりの鰹節で出汁をとったつゆをかけて、暑い中、熱いうどんを、汗を流しつつお腹いっぱい食べた。
食後に冷たい麦茶を飲んでいるとき、玄関戸を叩く音がした。
めいが出迎えに行くのを見届けて、源崎が立ち上がった。
「やれやれ、飽きずによく訪ねてくるものだな。美月夜、私はちょっと奥で昼寝でもしてくる。君が追い出されることはないと思うが、適当に相手をしてやってくれ」
顔も見ていないのに誰が来たのかわかっているようで、退散していく源崎は素早かった。あまり歓迎されていない来客に、美月夜は少し身構えた。すっかりリラックスして首にかけていた手拭いは畳んで、さっと髪を直す。めいが居間に伴ってきたのは、美月夜より年下の男の子だった。
「こいつ誰?」
美月夜に気づいて、不躾な視線で全身くまなく観察しながら、少年が不満そうに言った。すぐにめいが窘める。
「失礼ですよ。まずは挨拶でしょう」
めいに迫力が無いのか、少年が相手にしてないのか、結局彼はむっつり黙り込んでしまった。いたたまれなくて、美月夜から挨拶した。
「はじめまして、吉良美月夜です。よろしく」
「…須藤喜一、です」
そっぽを向いたまま、とりあえずは名乗ってくれた。補足はめいがしてくれる。
「喜一くんも熊さんのところのヤドカリなの。私より『中州』に来たのは先でね。たまにこうやってお話しに来てくれるのよ」
せっかくだから一緒にお茶をしようと、めいは台所に茶菓子を取りに行った。話すこともなく沈黙に耐えていると、喜一から「おい」と呼ばれた。
「お前はどこのヤドカリだ?いつからここにいる?」
猫のようなつり目が興味深々だと告げていた。成長途中の男子らしい、ひょろ長い足を畳に投げ出した姿は、行儀がいいとは言えない。
「佐倉さんにお世話になってて、昨日きたばか…」
「じゃあ絶対年下だな。なあ、佐倉ってどこの奴?この近所?」
こちらの回答を聞き終える前に、質問を重ねてきたのが嫌な感じだ。あまり関わりたくない相手だと思いつつも、自身も客なのでなるべく平静に会話を続けた。
「近所だと思う。今日は車で出かけていったけれど」
「もしかして、あの配達とかしてるおっさんか?」
「たぶん、そう。そういう仕事だって言ってたから」
「ふぅん、あいつ佐倉っていうんだ。知らなかった。ああ、そうか、今日って牛乳が届く日だな」
それを聞いて、ちょっと対応がまずかったかと反省した。佐倉の仕事相手にとる態度としては失礼かと思ったのだ。美月夜が背筋を伸ばして座り直したところを見て、喜一は意地悪く笑った。
「俺が住んでるのは銭湯なんだ。やり取りしてるのはうちのジジイだよ。別にお前の態度が悪くてもチクったりしない」
「それは、どうも」
喜一は座卓に肘をついて、こちらに近づいてきた。相手が呆れてしまうのと反比例して、興味を持ってしまう質らしい。年上だと主張するが、美月夜としては見た目相応のやんちゃ坊主の相手を任されている気分だ。
「キラって変な名前だな。まぁいいや。お前もどうせ毎日暇になるし、俺が面倒見てやろうか」
「結構です。畑仕事とか、できることは手伝うつもりなので」
「すぐ飽きるって」
喜一は決めつけて笑い飛ばした。
「なぁ、めいさんも誘ってドライブいこうぜ。お前ん家の車なら許可とかいらないだろ?2、3日かけて旅行みたくさ」
「結構です」
きっぱり断っているのにしつこい。そもそも相手にしていないため頭にくることはないが、上っ面だけなのに粘着質な感じが不快だ。台所から話を聞いていてくれたのだろう、めいが足早に戻ってきてすぐ話を切り替えてくれた。小皿に取り分けたクッキーを差し出して、さり気なく視線も遮る。
「喜一くん、熊さんはお元気?この間持って帰ってもらったケーク・サレはお口に合ったかしら」
「ああ、あれね。食ってたよ。ニコニコしてたから美味かったんじゃない?」
「それはよかった。今日はピザがあるのだけど、帰る前に焼くから持っていってね」
めいは美月夜に対するのと変わらない柔和な態度で喜一に接した。これが大人の余裕かと尊敬の眼差しを向けていると、めいが気づいてはにかんだ。
「さっき一緒に作った生地ね、ピザにするつもりだったの。もちろん、みつやちゃんも持って帰って。佐倉さんと食べてね」
「そうなんですか。てっきりあれも後で踏むのかと思ってました」
「あんなにたくさんうどんじゃ飽きちゃうよ」
クスクス笑うめいは、こちらもつられて笑いたくなるほど可愛らしい。見惚れそうになって、はたと気づいた。先程までのいけ好かない態度はどこへやら、喜一が眩しそうに目を細めていた。
ああ、この目は知ってる。
途端に、この場に居るのが申し訳なくなる。たぶん、美月夜に気づかれたことは喜一にとっても不本意だろう。とは言え、逃げるところも隠れるところもないのだから、喜一が帰るまで知らないフリを通すしかない。
喜一が出された麦茶で口を湿してから、照れくさそうに切り出した。
「めいさん、俺、ピザは好きなんだけど、ピーマンって苦手でさ」
「うん、そうだったね。大丈夫、具材はこれから好きなものをのせたらいいから。クッキーを食べたら皆で作ろう」
皆でという言葉に喜一が目に見えてがっかりしている。がっかりなのはこちらも同じだ。できるだけ視線が絡まないよう、美月夜はしばらく小皿のクッキーを見つめることになった。
喜一は予想に違わず好き嫌いが多かった。ピーマンどころか、玉ねぎもトマトも茄子もダメで、さらにはキノコ類も全ていらないと宣った。許容できる具材がじゃがいもとコーンくらいだったので、それでは寂しかろうと、めいは急遽照り焼きチキンを作ることにした。
「みつやちゃんはできた?放っておいてごめんなさいね」
様子を見に来ためいに、美月夜は笑って手を振った。
「大丈夫ですよ。ピザは作ったことありますし、具材がたくさんあって楽しいです」
定番の夏野菜、秋を感じるキノコ、ピリ辛の根菜きんぴらの3枚を作り上げて、美月夜はすっかり満足していた。
「どれも美味しそう。みつやちゃん、お料理上手ね。お昼に一緒にうどん作ってるときにも思ったけど、手際がいいもの」
「慣れてるだけです。めいさんこそすごいですよ。豆腐がチーズの代わりになるとは知りませんでした」
しかも、豆腐は大豆から手作りしたと言うのだから頭が下がる。豆腐を裏ごしして味噌と菜種油を加えたソースは、クリーミーなのにあっさりしていて、野菜たっぷりのピザによく合いそうだった。
「こっちも準備出来たよ。めいさん、火加減見てくれる?」
喜一は庭の石窯担当だった。火起こしも薪割りも手慣れたもので、彼もまた『中州』の住人なのだと納得させられた。ここの人達は思い出の中で暮らすからなのか、現代より少し不便なこの環境に適材適所で対応している。
めいと入れ替わりで喜一がこちらにやってきた。頭と首に巻いた手拭いは汗でぐっしょり濡れている上、顔も体も煤まみれだ。労いの言葉を掛けようとしたが、先にピザを見た喜一がギョッとした。
「誰がこんなに食うんだよ。いくらなんでも作りすぎだろ」
「うーん、やっぱりそう思う?でも生地を余らせる訳にもいかないし」
答えた美月夜もこめかみを掻いた。並べた大皿は全部で8枚もあった。
縁側は色とりどりのピザで足のふみ場がない。
「めいさんって料理は上手いんだけど、毎回作り過ぎなんだよなぁ」
忍び笑う喜一の意見に美月夜も頷く。
「今日のお昼もうどんでお腹はち切れそうだったのに。作ったはいいけど食べ切れそうにないなぁ」
「キラのところはまだ食う奴いるからマシだろ。うちのジジイはデカい図体してる割に食が細いんだ。ほぼ俺の分だぞ、これ」
喜一が持って帰るのは直径30センチのピザをまるまる2枚だ。気の毒だが笑えてしまう。口を覆って笑いを噛み殺していると、喜一がデコピンしてきた。
「いった!何するの!」
「うるさい!そもそもお前がこんなに作るからだろ!」
『うるさいぞ!お前は向こう行ってろ!』
その一言で自分の目の色が変わるのがわかった。
目の前にいるのは喜一だ。わかっていても、どろどろとした怒りが腹の底からせり上がって来るようだった。
その怒鳴り声が嫌い。
私のことをお前って呼ぶのも。
母さんさえ名前で呼ぼうとしないのも。
あいつの全部が許せない。
あんな奴…!
「ミツ!おい、大丈夫か!」
目の前に急に佐倉が現れて、美月夜は目を瞬いた。
いつの間にか振り上げた足を、佐倉がしっかりと掴んでいる。
庭に尻もちをついた喜一も、美月夜と同様何が起こったのかわからないという顔をしていた。
「だ、大丈夫…、だけど、私…?」
「大丈夫なんだな。よし、とりあえず押すぞ」
足裏から押し返されて、縁側でたたらを踏んだ。ふらついた美月夜の肩をそっと支えてくれたのは源崎だった。
「聡一郎が本当に飛んで帰ってきてくれて助かったな、美月夜」
「あ、源崎さん、すみません…」
振り返って謝ると、源崎は難しい顔をして言った。
「美月夜、君はもしかして、死んだことそのものを覚えていないのか?」
どうして今そんなことを問われているのかわからないが、美月夜は呆けたまま頷いた。
「はい」
「なるほど、それで合点がいったよ。昨日も君は死んだことすら信じていなかったね。気づいてあげるべきだった」
源崎の察した事は、この場にいる源崎以外の全員に理解出来ないことだった。自然と集まる視線に、源崎が答える。
「美月夜は死の瞬間に記憶喪失になったんだ。そういう死に方をした者が『中州』にたどり着くのは非常に稀だ。かなり強い意志がなければ普通はここまで来れないからな。でも、美月夜は忘れたはずの心残りに導かれてここへ来た」
はらりと、源崎の髪が一房、頬にかかる。
「君の心残りが何なのか、君の魂が一番知りたがってる。先刻もきっと何かきっかけがあって、白昼夢を見たんだ。これからも普段の君に関係なく、ふとした時に怒ったり泣いたりするだろう」
そこまで聞いて、さっき自分が何をしようとしたのかわかった気がした。喜一を見やると、彼はビクッと震え上がって目を逸らしてしまった。
「つまり、『中州』に来た理由を思い出すまで、発作みたいなことを繰り返すってことだな」
切り返したのは佐倉だった。
「そうだ。発作というのは言い得ている。どこで何をしでかすか、本人にもわからない」
「稀と言ったが、以前にも同じように発作を起こした奴がいたんだろう。どうやって対処したんだ」
「私が知っているのは一例だけだ。彼は思い出すまで閉じ込められていたよ。おそらく、10年ほど」
美月夜は全身から力が抜けていく感覚を味わった。その場にへたり込んでしまい、何を言ったらいいのかわからないまま、口を半開きにして足元の畳を見つめた。
「そんなのは参考にならない」
佐倉は静かに言い切って、縁側から居間に直接入ってきた。源崎を押し退け、美月夜の肩をぎゅっと掴んで揺さぶった。
「ミツ、よく聞け。発作は俺がついてれば大丈夫だ。閉じ込められたりしないからな」
佐倉の険しい目が確信を持って美月夜を見据えた。
「どういうこと?」
「俺とミツの体格差なら力で止められる。何をしたって止めてやるから。それなら構わないだろう?」
最後の言葉は源崎への確認だった。拳を口に当ててしばし考えた源崎は、一度目を瞑ってから顔をあげた。
「美月夜が女の子だったのは不幸中の幸いだったということだな。聡一郎に任せてみよう。ただし、私への報告は逐一すると約束してくれよ」
集落の長としての言葉の後に、源崎は微笑んで言った。
「まったく、聡一郎がこんなに真剣なのはいつぶりかな。美月夜を引き離そうものなら、私が危ういな」
ここまで読んでいただき、ありがとうございます!
登場人物はもうちょっと増える予定です。
みんなを魅力的に書いてあげられるといいな。
次回更新もできるように頑張ります。