帰路
更新に時間がかかっておりますm(_ _)m
やっと最初の1日が終わります。
はじまったの夕方からなのに、結構かかってしまいました…
よろしくお願いします。
外灯が少ない田んぼの畦道には、まさにカエルの合唱が響き渡っていた。宵闇に目を凝らしても姿は見当たらないけれど、遠くから近くからゲコゲコ鳴き声があがるので、つい「あ、今度はこっちから」と振り向いてしまう。
夕飯を食べ終わった後に風呂まで借りて、砂で汚れていた体はすっかりキレイになった。ひっつめていた髪も解いたので、夜風が頭皮まで行き渡ってなんとも言えない開放感だ。
こんなに気分がいいのに、前を行く背中は逆に沈んでいる。
あの後、佐倉は何とか美月夜を源崎のところに残していこうと努力したが、すべて空振りに終わった。源崎が自室に下がってからめいに頼み込んでも、家主が断っているからと取り付くしまもなかった。終いには、お土産や着替えを持たされた美月夜を玄関で引き渡され、笑顔で「おやすみなさい」と見送られた。
「あの、佐倉さん」
おずおずと話しかけると、佐倉が耳だけはこちらに向けてくれた。
「ホテルとか旅館とか、泊まれるところがあったら私そこに行きますよ。無理に押し掛けようとは思ってないですし」
美月夜の提案に、佐倉が今度こそ振り向いた。
「宿泊施設は存在しない。各々勝手に空いてる住居に居座っているだけだから。今から空き家を探すのは無謀だ」
「そう、でしたか」
美月夜は目を閉じて苦りきった。源崎には断られ、佐倉が嫌がっているとなれば、宿泊施設くらいしか行くあてがないのに。季節は夏のようだから野宿しても一晩なら大丈夫だろうか。
「では何処か屋根のあるところは?川がありましたよね。橋の下とかなら…」
美月夜の発言に、意気消沈していたはずの佐倉がカッと燃え上がった。
「お前は…!女子高校生なんだぞ?魂だけの存在でも、襲われることはあるんだ!一体何を考えてる!」
怒鳴られて、反射で肩が震えた。
「あ、ご、ごめんなさい。私、ずっと佐倉さんを困らせているみたいだから、何とかしなきゃって思って」
「ああ、困ってるよ!なんでこう考え無しなんだ。どうしてヤドカリなんか…!」
むしゃくしゃしているのか、自らの髪をかき回し、「ああもう!」と佐倉は小さく唸った。
「とにかく、今晩は俺の家に泊まれ。わかったな?」
念押しした割に返答を待たず、大きな背中はさっさと歩きだした。その態度にふいにかちんときた。
いくらなんでも理不尽だ。美月夜だって好き好んでこんな状況になったわけではないのに、当てつけのように詰られるのはまっぴらごめんだ。
「ヤドカリ、ヤドカリって何なんですか、さっきから!」
腹から沸き上がった怒りを吐き出すように、地面に向かって叫んでいた。視界の端で佐倉の影が大きく揺れた気がしたが、構うものか。一度大きな声を出すと、勢いがついた。
「死後の世界とか、夢みたいな話ばっかり、もうたくさんです!私だって混乱してるし、困ってます!こんな険悪な状態で、迷惑だって思われてる人の家に泊まるなんて、できるわけない…!」
お腹に抱えた唐揚げの入ったタッパーが暖かくて、唯一頼れるもののような気がして、腕に力を込めた。
「源崎さんのところに戻ります。私からもう一度、お願いしてみます。転ばせた上に怪我させてすみませんでした」
一方的に言いたいことを全部吐き出した。向こうだって似たようなことをしたからおあいこだろう。やってやったと思う反面、佐倉の反応を見たくなくて、地面を睨みつけたまま来た道を戻りはじめた。
「…源さんの家まで結構あるぞ」
ぽつり、と後ろから声がかかる。
「一本道だったので平気です」
「女の子が一人で夜道を歩くのが心配なんだ」
意識して抑えられた声に足を止めると、佐倉の方から近づいてきた。
「俺の家はもうそこだから。前に一緒に住んでた奴もいたから部屋も別れてる。今晩だけでもいいから泊まっていけ」
何と答えればいいのか、口をもぞもぞさせていると、佐倉が続けた。
「迷惑じゃない。悪かった。だから、ついてきてくれ」
非を認めて殊勝な態度を取る佐倉に逆らうことはできなかった。美月夜の性格からしても、一度爆発を経て幾分スッキリしているので怒りは持続しない。渋々頷くと、佐倉はホッとしたのか肩の力を抜いて「こっちだ」とまた先導し始めた。
佐倉が帰り着いたのは、源崎の家と比べれば築年数の浅い、だがやはり懐かしい雰囲気の平屋の家だった。周囲に塀はなく、適当な間隔で木が植わっているので、そこまでが佐倉の所有する土地なのだろう。芝生の庭に面して縁側があり、蚊取り線香が焚いてあるのか独特の香りが漂っている。そしてこの家には自動車があった。古ぼけた軽自動車だが現役なのだろう、運転席側のドアにキーホルダーのついた鍵が差しっぱなしだ。
「これ、大丈夫なんですか?盗難とか」
さっきまでむくれてだんまりだったのに、心配が上回って思わず声を上げた。
「別に。盗られたらその時だ。厳密に言えば俺の持ち物でもないし。しょっちゅう誰かが借りに来るから、その方が楽だろ」
太っ腹な返答に呆気にとられた美月夜の目の前で、佐倉は鍵も出さずに玄関ドアを開けた。用心しろと美月夜にはあれほど口うるさく言う癖に、自分のことは見事に棚上げだ。それとも鍵を必要としないのはこの辺りの常識なのか。後で聞いてみないといけない。
「とりあえず寝床だな」
佐倉は廊下を進み、右手奥の部屋に入った。薄い木製ドアの向こうは6畳ほどの洋室だった。両開きの窓、布団や衣類が収まる押入れ、細い紐が垂れた照明、あとは小さな文机とその上にランタンがひとつ。
「この部屋は好きに使っていい。一応掃除はしてる。布団もこの間一緒に干したから、たぶん大丈夫だろ。何か困ったことがあれば大きい声で呼べ。その辺にいるから」
佐倉は押入れの上段から布団を引っ張り出し、シーツまで整えてくれた。「これも腹に掛けとけよ」と水色のタオルケットも手渡された。
「ありがとうございます」
美月夜がぺこりと頭を下げると、佐倉は何故か神妙な顔をしてその場に座った。なんだろうと向かいに正座すると、美月夜に後頭部を晒して佐倉が頭を下げた。
「申し訳なかった」
「え!そんな、顔上げてください!私の方こそさっきは…」
「いい。お前が怒るのはもっともだから」
片手で美月夜を制して、佐倉は俯いたまま話した。
「いきなり知らないところに来て、変な話聞かされて、混乱がピークのときに険悪な雰囲気作った俺が悪い。もともと人と関わるのが苦手なんだ。言い訳のようだが」
そうだろうと薄々感じていたので、美月夜は首を振って気にしてないと伝えた。佐倉の表情が幾分なごむ。
「さっき源さんも言ってたが、ここに初めて来た奴は、一番最初に会った奴が世話することになってる。別に強制じゃないが、それが自然だったからそのまま決まりになった。俺もそれは知ってたんだが、いざ自分のこととなると慌てた。お前は年の離れた女の子だったし」
確かにこんな状況でもなければ、これほど年上の男性と一緒に暮らすなんて考えられないことだった。頷くと、理解を得られたと思ったのか、佐倉はホッと息を吐いた。
「それで源さんに委ねた方がいいかと連れて行ったんだが、あの人は一度決めたら曲げない人でな。俺の考えもわかった上でお前を任されて、その、ちょっとむしゃくしゃして…」
項垂れた佐倉に、美月夜は吹き出してしまった。だって、こんな大人の男の人がなんだか可愛らしい。
「そこで笑われると情けなくなるから勘弁してくれ」
「すみません、なんていうか、安心しちゃって」
「安心?」
「佐倉さん、帰り道ずっと沈んでたから、私のことがそんなに嫌だったのかって思って、凹んでたんです。でも、こうやって話してもらえて原因がわかったから」
ふふ、と堪えきれなかった笑いをこぼしつつ、視線を合わせると、佐倉も穏やかな顔をしていた。
「そうだな。俺もお前が笑ってるほうが安心する」
ふっと釣られて笑う佐倉はやっぱり素敵だった。鋭い目元が柔らかく垂れて、大きな口が緩く弧を描くと、惹き込まれて腰が抜けそうになるほど。
直視できなくなって目を覆うと、佐倉は「もう眠いのか?」と少々的はずれな気遣いをしてくれた。
「ああ、あともうひとつ謝っておく。質問はしていい。その、お前が嫌じゃないなら、このままここに住んでも構わないし、その場合は俺に何も聞かないなんてことは出来んだろ」
佐倉の歩み寄りに、美月夜は素直に感謝した。
「助かります。聞きたいことばかりなので」
「まぁそうだよな。本当に説明は下手だから、そっちから上手に聞き出してくれ。イライラしてなかったら付き合うよ」
自嘲気味の台詞に、また笑わされる。
「今も聞いていいですか?」
「ああ」
佐倉は頷いて、胡座を組み直した。
「じゃあ、ヤドカリっていうのは?皆、私のことをそう呼ぶんですか?」
「そうだ。ここに来たばかりの奴はヤドカリと呼ばれる。『宿を借りてる』間はな。自分で家を持って暮らせるようになるまで、助けてやるって意味だ」
「そういうことでしたか。じゃあめいさんもヤドカリ?」
「どうだろうな。最初はもちろん源さんのところのヤドカリだったが、今はあの家のことはほぼめいがやってるから。最近はめいをヤドカリだと思うやつも少ないだろうな」
ということは、出て行かない訳が何かあるのだろうか。ピンときて、そんな必要もないのに小声で尋ねた。
「それって…あの、お二人は付き合っているんですか?」
女子高校生としては気になるところだ。こういう微妙な物事は先に周りの意見を聞いておかないと、地雷を踏んでしまいかねない。ところが、佐倉は片方の眉を吊り上げて否定した。
「何を勘繰ってるんだ。確かに見た目だけなら釣り合いも取れてるが、実際の年の差はたぶん何十年と離れてるんだぞ。源さんは俺の知る限り1番の古株で、めいはまだ新しい顔ぶれだ。お互いそんな対象じゃないだろ」
それで美月夜にもやっと『中州』の人間関係が見えてきた。記憶を頼りに存在するため、亡くなったときの姿そのままで暮らす人々は、ここに来た順番で大体の上下関係が決まるらしい。長居する者、早々に去る者、様々だが、見た目の姿に『中州』に存在する年月を加算するのが基本のようだ。
「とは言っても、『中州』には正確な時間を計る術はないからな。あいつより先だとか、後だとか、大体のことしかわからん」
季節は巡り、花が咲けば雪も降る。なんとなく1年はあるため、『昨年の夏』くらいの大まかな時間であれば共有できるが、先週とか先月とかは全部『この間』だ。
「逆に言えば、それだけで事足りるんだ。『中州』は今のところ助け合いでやっていけてるから。仕事したい奴はするし、したくない奴はしない。食べ物も本当は食べなくてもいいからな」
うんうんと頷きながら聞いていたが、ふと佐倉のことを尋ねたくなった。
「佐倉さんは?お仕事してるんですか?」
「一応な。ただの便利屋だ。車貸したり、配達したり、タクシーみたいな事やったりだ」
報酬は現物支給で、大抵食べ物をもらってくるらしい。
「そっか、食べ物が欲しかったら仕事が出来ないといけないんですね。私ができるのは何だろう…」
ファミリーレストランでバイトはしていたが、ウェイトレスの経験が活かせそうな仕事はなさそうだ。宿泊施設がないのだから、飲食店もたぶんない。ああでもないこうでもないと唸る美月夜に、佐倉が見かねて提案してくれた。
「もらって来るのもいいが、自分で育てるのが基本だぞ」
佐倉が言うには、裏に立派な畑があるらしい。まずは畑の耕し方を学ぶべきだと言われて、納得した。
「畑仕事は未経験ですが、体力だけはあります。置いていただく以上、佐倉さんの分もきっと作れるようになりますので、教えてください」
居住まいを正してお願いすると、佐倉は一時停止した。
「佐倉さん?」
「いや、だって…」
佐倉はしばらく視線を彷徨わせ、しどろもどろになりながらも確認した。
「こんなおっさんと、その、本当に暮らしていくつもりなのか?もっと他に、頼りになる奴とか、それこそ、めいを説得して女同士で暮らしたりとか、やり方はいろいろあるんだぞ?」
「それは、考えてませんでした、ね」
正直、めいと暮らすというのは楽しそうだ。けれど、もう美月夜はとっくに佐倉と暮らすつもりでいた。『中州』に来て一番初めに出会った人は、すでに『中州』で一番頼りになる人になっていた。
「私が選んでいいなら、ここに置いてほしいです。佐倉さんはやっぱり、困ります?」
上目づかいで佐倉を伺うと、眉間に皺はあるものの恐くはない顔で、腕組みをしていた。
「俺は、別に困らん。お前が嫌じゃないなら、居ていい」
「あ、でも…」
言い淀む美月夜に、佐倉が視線で続きを促す。
「その、お前って呼ばれるの苦手で…」
へらりと笑うと、佐倉は首を傾げて不思議そうな顔をした。言うかどうか迷っていたが、佐倉に他意がないのはわかっていても、嫌悪感が拭えなかった。どうしても嫌いな人間を思い出してしまう。
「美月夜だったな。ミツって呼んでも平気か?」
どきっと心臓が跳ねた。友達はみんな美月夜のことをキラと呼んだ。ミツと呼ぶのは、両親だけ。どれだけ仲良くなっても、両親以外に名前を呼ばせるのは意識して避けてきたのだ。
「ええと、そうですね…」
中空を見つめて悩んでいると、佐倉が返答を待たずに立ち上がった。
「嫌ならキラだな。じゃあ俺はそろそろ…」
「嫌じゃないです!ミツって呼んでください!」
かばっと立ち上がって宣言して、自分で自分に驚いてしまった。二人して唖然としている時間が無駄に浪費されていく。静寂を壊すため先に口を利いたのは佐倉だった。
「わかった、ミツって呼ぶ」
「あり…がとう、ございます…」
恥ずかしくて、消え入りそうな小さな声しか出なかったが、なんとか返事はできた。
「とりあえず、もう今日は寝よう。疲れてるだろうから、明日の朝は特に起こさないし、ゆっくり寝てていいから」
「はい…」
両手で顔を覆って、最低限の返事ですませてしまった。この失礼は明日詫びようと固く誓う。今はもう顔が上げられない。
「じゃあ」と出ていこうとした佐倉が、立ち止まり、また近づいてくる。どうしたんだろうと思っていると、頭に何か被さった。
「おやすみ、ミツ」
その優しい声に。
暖かな手のひらに。
見てもいない眼差しに。
背骨を貫かれて、かくんとその場に膝をついた。
ありがとうございましたm(_ _)m
次回更新もできるように頑張ります。