降車
はじめまして。
少しずつ書いていこうと思います。
よろしくお願い致しますm(_ _)m
星空を見上げるのが嫌いだった。
果てしなく広がる宇宙を垣間見るなんて、足がすくむほど恐ろしい。
宇宙でさえ始まったからには終焉を迎えるのだと知った時、死が恐ろしくなった。
全て消えるなんて信じられない。
そんなことを考えていると、腹の底が血の気を失って冷えていくこの感覚すら、いつか手放すものだとは。
そして、それがこんな唐突に自らに起こり得る事象だったとは。
- - - - -
気がつくと、私は電車に揺られていた。
赤いビロードで覆われた座席に見覚えがある。毛を逆立てるように手のひらを滑らせてみると、私の手が通ったところだけ色が濃くなった。
懐かしい。こんな意味のないことを前にもしていた。
おしりの下から、心地よい振動が伝わってくる。目を閉じてしまえばゆっくり寝られると思うけれど、なぜだろう、今は眠らないほうがいい気がする。
これから何処へ向かうのだっけ?
何か用事があった気がするのだけど、頭がぼぅっとして思考が形を結ぶ前に溶けていってしまう。
眠りに落ちる前の、幸せなまどろみのよう。
意識を手放すことは当たり前のこと。
大丈夫、何も怖いことなんてない。
「おい」
はっと顔を上げると、開いたドアの向こうに男が立っている。
私に話しかけているの?
「降りるんだったら早くしろ。もうドアが閉まるぞ」
ずっと遠くの方から笛の音が聞こえてきた。
ここで降りるのだっけ?
わからない。
でも、足は立ち上がろうとしている。
そちらに行きたい。
もう一度、笛の音。
ああ、もう時間がない。
早く立ち上がらなければ。
早くあちらへ、行かなければ!
瞬間、私はドアの向こうへ全力で飛び出していた。
「はっ、はっ、はぁ…!」
あばらの中で、心臓が跳ね回っていた。全身に血が巡って、頭が冴えてくる。耳障りな自らの激しい息遣いや、鼻を通り抜ける焼けた砂の匂いが、全身に浸透していった。
地面に四つん這いになって、必死に空気を取り込もうとする私に、男が声を掛けてきた。
「制服だな。高校生か?」
息が整ってないのに質問をされ、少々ムッとしながら答えた。
「高校…、2年…!」
「17くらいか。しかも女の子…」
はあぁ、と長いため息が聞こえてきた。顔を上げると、うんざりだと言わんばかりの態度で男が顔を撫で下ろしていた。線は細めだが背が高い。クセのない黒髪は短く、きれいな後頭部のラインがよく分かる。何より印象的なのは、眉間にしわを寄せると随分と迫力のある鋭い目元だ。口を突いて出ようとしていた文句が言えなくなった。
「あなたは、誰?」
私の質問に、男はまた軽くため息をついた。
「佐倉だ。質問は締め切る」
そのまま佐倉は歩き出した。私のことなど見なかったとでも言うように、さっさと行ってしまう。
「え、あ、ちょっと待って…」
声を掛けても、広い背中は遠くなる一方だ。ついていくべきなのか判断に迷って、私はとにかく立ち上がった。
汗ばんだ体に風が吹き、顎に張り付いた髪が後ろに流れた。夕暮れの橙色の光が目に飛び込んでくる。立っているのは幅の狭い土手の上だった。道の両側は雑草が生い茂る急な斜面。左に下った先にはさらさら小川が流れている。右手には目線の高さに民家の屋根があった。
「…え?」
慌てて振り返ると、背後には前方の景色と連続する、土手と川と民家があるだけだった。
「どういうこと?私、電車に…」
これでは一瞬前の出来事と、今が繋がらない。疑問が次々と湧いてきて、さっきよりも息苦しくなってくる。そう、走ったはずだ。電車から降りるために。本当に?立っていられなくなるくらい、息を切らして?
「ねぇ!あの…佐倉さん!」
怖ろしくなって大きな声を出したが、返答はない。呼び掛けた背中はただただ遠く離れていくだけだった。
「なんなの、もう…!」
冷たい予感が背筋を這い上ってくる。自然と走り出して、彼を追いかけた。追いつきたい気持ちと振り切りたい気持ちが、疲れた体に全力疾走を強いた。すぐに色褪せたグレーのポロシャツが射程距離に入る。私はスピードを保ったまま、思い切り飛びついた。
「うわっ!」
予想外の衝撃に佐倉は思わず変な声を上げて、前方につんのめった。二人の体は、硬い砂と砂利の地面に叩きつけられた。
「いってぇ…!こら、何考えてるんだ!」
佐倉が体を捻って怒鳴った。声が低いから、腹に響く。恐くて体が勝手にビクッと震えた。
「ご、ごめんなさい…」
腕を緩めて起き上がろうとして、体が離れるのを意識した途端、私はまた佐倉にしがみついた。
「おい…」
「ごめんなさい!でも何か、怖くて!」
ぎゅうっと抱きしめる腕に力が入る。少しでも力を緩めたら目の前のこの人も消えてしまうんじゃないか。そう思ってしまったら、何が何でも離すわけにはいかなくなった。
ふと、佐倉の体から力が抜けた。
「…俺はまだ消えないから、落ち着け」
佐倉は、私に言い聞かせるようにゆっくり喋った。私の考えが透けているのだろうか。
「まだ?まだってことはそのうち消えるの?」
「先の話だ。お前が落ち着いて、俺から離れてもさっぱり何も感じなくなった後の、さらに先だ」
落ち着いた、確証を込めた声だ。佐倉の背中に押しつけた頭から、その声が直接響いてくる。私は、やっと詰めた息を吐き出すことができた。握り込んでいた拳も緩める。
「先の、話…」
繰り返して、自分に言い聞かせる。肌に染みる体温に安堵し、深呼吸すると、石けんの爽やかな匂いが佐倉の肌の匂いと混じって、胸を満たしてくれた。
「痛い…」
混乱が過ぎると、今度は痛みが主張し始めた。肘の辺りに熱を持って痛むところがある。私はのろのろ起き上がってそれを確認した。予想通り、両肘を盛大に擦りむいて血が出ていた。
「あ、破れたな」
佐倉はもっとひどかった。両手のひらが擦り剥けて、ベージュのチノパンは右膝が裂けて血が滲んでいる。
「うわ、ごめんなさい、私のせいで」
謝罪すると、佐倉にはあっさり気にするなと言われた。
「それより俺の洗面器探してくれ。あと石けん」
一瞬なんのことだかわからなくてぽかんとしていると、佐倉はもう一度わかりやすく説明してくれた。
「銭湯の帰りだったんだ。飛びつかれた拍子にどっか飛んでった。ほら、風呂に入るとき使うやつだよ、このくらいの大きさで丸いの。石けんは水色のケースに入ってる」
合点がいって辺りを見回すと、2つとも左手の斜面に転がっていた。怪我した足で土手を下ろうとする佐倉を制して、斜面に滑り出た。
「拾ってきます。待っていてください」
「ああ、助かる」
青々と伸び切った雑草を踏み分けて、斜面を下る。水色のケースを拾い上げると、コト、と中で石けんが滑った。
「あの、すみませんでした。せっかくキレイにしたところだったのに」
佐倉を見上げると、向こうもしゃがみこんでこちらを伺っていた。
「だから、気にするなって。俺も悪かったよ。怖かったんだろ」
「佐倉さんこそ。謝ることなんて何も……」
口調と態度は怒っているように見えるが、言っていることは優しい。この佐倉という男は、どうやらいい人のようだ。さっきも、私が起き上がるまで、じっと動かずに待っていてくれた。
思い出すと恥ずかしくなってきた。初対面の男性にいきなり飛びつくなんて、自分で自分が信じられない。無我夢中でしたこととはいえ、やったことは痴漢、いや痴女だ。
私がうつむき加減に赤くなったり青くなったりを繰り返していると、佐倉がぼそぼそ呟いた。
「俺がここに来たときは、聞いてもないのにあれこれ言われて混乱したんだ。もし迎える番が来たときには、ああはするまいと思っていた」
洗面器も一緒に抱えて斜面を登り、佐倉に差し出す。
「迎える番?どういうことですか?」
聞くと、佐倉は眉を寄せて、恐い顔になってしまった。つい、半歩下がる。
「あ、質問は駄目でした」
「いや、だから」
すっと立ち上がった佐倉が、洗面器を取り上げ、ついでとばかりに私の腕も掴んで、土手まで引っ張り上げた。
「俺は、説明するのが下手なんだ。ちゃんと上手く話してくれる奴のところへ連れて行くから、それで勘弁してくれ」
そのまま腕を引いて歩き出そうとするので、私は足を踏ん張ってしまった。
「あ、待ってください!」
「!? わ、悪い」
佐倉は慌てて私を解放したが、またもや眉間がシワシワだ。恐い顔に怯みはしたものの、私は彼の右腕を取った。
「……あの、どうせなら、杖にしてください。肩どうぞ」
スルリと脇に入ると、とりあえず佐倉は従ってくれた。やはり右膝が痛むのだ。こんな状態で無理して歩いて欲しくなかった。
「重くないか」
おっかなびっくりといった様子で試しに体重を掛けている佐倉に、私は軽く肯いた。
「これくらい平気です。鍛えてるんでもっと乗ってもいいですよ」
「鍛えてって…、女子高生ってみんなこんなものか?」
イメージと違ったのか、佐倉は眉を持ち上げて驚いている。思わずぷっと吹き出すと、まじまじと覗き込まれた。
「わわ、やめてください!そんなに見られると恥ずかしいです」
「え?ああ、そうだな」
佐倉はぱっと顔を上げて空を仰いだ。つられて空を見ると、星が輝き始めていた。いつの間にか紫のグラデーションが山の端から迫って来ている。
「まだ、名前を聞いていなかった」
問いかける彼の横顔をそっと目だけで盗み見る。くっきりした印象的な目。形の良い眉。睨まれると恐いが、笑ったらきっと素敵だ。無精髭を生やして、首から薄っぺらいタオルを垂らしていても、佐倉は整った顔をしている。
「吉良 美月夜、です」
自己紹介に照れつつ、私ももう一度空を見上げた。
拙い文章で失礼致しました。
誰かに読んでもらうのは初めてなので、貴重なご意見をいただけたら幸いです。