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●とある午後・部活見学

 


 コンビニを出た俺は先程のアクセサリーの露店の前で初見たちと合流した。

 和泉と遭遇して話したりしていたことで、思いのほかコンビニに長居をしてしまった。初見とユキちゃんを待たせてしまったかと思ったが幸いそんなことはなく、俺が急いで戻った時にも二人はアクセサリーの検分に夢中のようだった。

 俺が少し遅れたことで、かえってちょうどいいくらいの時間を二人はアクセサリーを眺めて過ごせたようである。結果的には、よかったと言っていいのかな。

 しかしまぁ、ユキちゃんが露店の人に俺のことも紹介してくれたりした辺りまではよかったが、その後初見やユキちゃんからカラフルなピンズをあれこれと勧められたのには、なんというか閉口しきりだった。

 ……そんなことがあって。

 今は改めてアーケード街を歩いている。当初の目的である、ユキちゃんイチオシの今川焼き屋台を目指して。

 俺の右前を歩いていたユキちゃんがくるりと振り返った。

「ねぇ、ツトムくん。この間ツトムくんに借りた本、あるじゃない?」

「ん?あぁ」

「あれ読み終わったんだけど……、ハッちゃんも読んだんだよね?」

「うん。前にツトムが読んでるところ見て、その後に借りたの」

「あは、そうなんだ。ツトムくん、いっぱい本持ってるよねー。あんな難しそうな本自分で買って読むなんてえらいなー」

「あぁ……いや、あれは親父の蔵書で――って、それはまぁいいや。どうだった?」

「面白かったよー! スラスラ読めちゃった感じ!」

「あれ、面白いわよね。広がりがある感じっていうか」

「そうそう。雰囲気カタいのに、文章も読みやすいし、なんて言うか――――」

 初見とユキちゃん。女子ふたりに挟まれて、三人で会話を交わす。

 最初は二人の会話を後ろからついていくような形で聴いているだけだった俺だが、時折話題を振られているうちにこっちの調子も上がってきて、気付けばこんな具合だ。

 さすがにユキちゃんほど元気ハツラツに喋ったりはできないが、その活気にあてられて初見も俺も普段より饒舌になっているかもしれなかった。

 ユキちゃんにはそういうちょっと不思議な雰囲気がある。一緒に喋っているだけで元気が出るというか。例によってあの女子嫌いで無愛想な和泉でさえも、ユキちゃん相手なら俺たちに対してと同じかそれ以上に無遠慮な態度を取るぐらいだ。

 ……とはいえ和泉のユキちゃんに対する言動は、無遠慮すぎて色々問題があるような気がするが……まぁ、それはそれとして。

 ムードメーカー的存在というか……、自分から前に立って場を率いて行く加山などとはまた違ったカタチで、集団に活力をもたらしてくれる。

 良い子だ、と思う。まだ半年にも満たない付き合いだし、ユーミンの彼女っていうちょっと特殊な関係ではあるけど。友達としての明確な好感。

 純粋に、この子と知り合えたことを俺は喜んでいる。


 そんな中で目的の屋台にたどり着く。小説の話に夢中で、危うく三人揃ってついつい通過してしまいそうになった。

「これか。ユキちゃんが言ってた今川焼屋って」

「そうだよ。知ってた?」

「見たことは、ある」

 軽トラの荷台を改造して調理と販売スペースを設置した、移動式の店舗だった。

 前にもこのアーケード街や駅前とかで出店しているところを見かけた覚えがある。こうして買いに来るのは初めてだけど。

 屋台の軒先には何枚もの木札がぶら下がっていて、それぞれに具と価格が記入されている。今川焼きなんてあんこぐらいしか想定してなかったが、かなり種類が豊富だ。チョコやクリームなどの聞けば意外に合いそうに思える味から、ポテマヨやらお好み焼きやら明らかなゲテモノ風まで様々。

「かなり色々あるな。どれにしようか」

「どれもおいしいよー。特につぶあんがおすすめ!」

 これは試験に出るよー、とユキちゃんが人差し指を立てる。

 やはりあんこ系がスタンダードか。どうせ皆で分けっこし合うなら、もう何種類か味があったほうがよさそうだけど……、

「初見、つぶあんあっても平気か?」

 左斜め後ろに向き直りながら尋ねる。

「……?いいけど。どうして?」

「初見、小学生の時はこしあんしか食べられなかっただろ」

「そ、そうだっけ……? お、憶えてないよ、そんなこと」

「あれ?そうなのか。まぁ平気ならいいけど……」

 憶えてないのか。

 あの頃は俺の母親がおやつに用意してくれた饅頭とか大福を俺が食べる前に全部検閲して、つぶあんが初見に行き渡らないように気を配ったりしてたんだが。

 そう言えば確かに、中学に入ったぐらいから特にそういうことをしなくても初見は何も言わなくなったな。そう、あれは確か近所の爺ちゃんが亡くなった時の葬式饅頭で――、

「ユミくんはチーズが好きだからチーズにしてあげよう」

「私は……カスタードがいいかな。ツトム?ツトムはどれにするの?」

「……あぁ」

 気付けば益体もない回想に浸っていたところを、初見の言葉で意識を戻す。

 なんだか不思議と良い気分だった。初見がいつの間にかつぶあんを食べられるようになっていたことというより、そうして移り変わっていく色々を俺が忘れずにいられたことが嬉しかったから。


「ごめんねーツトムくん、おごってもらっちゃって」

「いやいいよ」

 ……そして何故か俺がおごった。俺と初見とユキちゃん、それに部室で待ってるユーミンの分それぞれ一個ずつと、分けて食べられるようにもう二個の全部で六個。

「どうしたの、ツトム? 今日はずいぶん気前いいのね?」

「まぁ……気にすんなよ」

 照れ隠しというわけではないが――なんとなく、店のおじさんから受け取ったおつりを、手の中でちゃりちゃりと弄ぶ俺。

 おごったことに関して、理由は本当に特にない。何かの礼でも誤魔化しでもない、ただなんとなくの行為。……強いて言うなら直前の些細な出来事で機嫌が良かったからだ。

 俺たちの間ではおごったりおごられたりというのはこれで結構あるのだが、その辺りで過度な遠慮はしないように、というのもこれまた暗黙のルールだ。

 仲間内とはいえあまり頻繁におごってばかりいるのも良い事ではないと思うけど、たまにこうしてその大切な仲間に何かしてあげた気になるのは決して悪い事ではないはずだ。

「ユキちゃんには、このお店教えてもらったお礼ってことで。後でユーミンがなんか言ってきてもそういう風に通すように」

「あはっ、そうだね。ありがとうツトムくん」

 はにかむユキちゃんに少しだけ達成感がある。おごってあげたから……ということよりも、こうした会話ができたということに。

 ……とはいえ、四人分ともなるとさすがに財布が寒くなったが。見苦しいのでその辺は間違っても口にしたりはしない。それでむしろ良い気分になれているのだから、感謝こそすれ文句など言えるはずもない。

「それじゃあ、冷めないうちに――」

「ねえハッちゃん、せっかくだからこのまま部室来ない?」

 ――学校戻った方が、と言おうとした俺の言葉を遮ってユキちゃんがそんなことを言う。

 …………部室?軽音部の?

「これから? 学校戻って?」

「ダメかなあ~?今戻っても多分まだきっとユミくん集中してると思うの。メールも来てないし」

 改めて携帯電話を見ながら言うユキちゃん。着信はないようだ。確かにユーミンならユキちゃんを放置していると気づいたら、大慌てで「戻って来て」とか言ってきそうな感じはする。

「だから部室戻っても暇なの。せっかく学校いるのに一人で練習してたら家でするのと変わんないし……、ハッちゃんとツトムくんいてくれたら退屈しないかなー、なんてっ」

 こちらの顔色をうかがうような上目遣いで言うユキちゃん。

「私たちがいたら練習にならないんじゃないの?」

「そんなことないよー。人に聞かせたり、弾いてるところ見てもらったりするのも大事な練習なんだよ?」

「それはそうかも知れないけど……、って、ユキの場合はただの退屈しのぎじゃない」

「えへへ、ばれちゃったっ」

 舌を出すユキちゃんに初見が小さくため息を漏らす。

「……もぉ、仕方ないなー。じゃあついてってあげるから」

「やったー! ツトムくんは?ツトムくんも一緒に来るよねっ?」

「あ、あぁ……、いいよ。行こうか」

 飛び跳ねて喜ぶユキちゃんの姿に断りを入れられるわけもなく、初見に倣って俺も承諾する。

 あれよあれよと話が決まって行ってしまった。こういう時のユキちゃんのスピード感というかフットワークの軽さは、さすがと言うより他にない。

「よーし、じゃあさっそく戻ろうーっ! 今日はハッちゃんの好きな曲弾いてあげるね」

「はいはい。ちゃんと練習もするのよ。ユミくんがんばってるんだから」

「はーい。がんばりまーっす」

 元気よく挙手するユキちゃんに頷きを返す初見。

 そしてそのまま自然な流れで歩きはじめる女子ふたり。気付けばまた手を繋ぎながら、楽しげに会話をしながら。

「ツトムくーん? 早く行こうよー」

「あ、あぁ。今行く」

 呼び声に応じて、後を追う。

 本日の楽しい放課後は、まだまだ続きそうだった。



 うちの学校の軽音楽部は、数ある文化部の中でもかなり規模の大きい部で、文化部室棟上階のワンフロアーがまるごと練習スペースとして与えられている。一部屋につき一つのバンドが練習している感じで、軽音部員のユーミンたちはそれらの一部屋を「部室」と呼んでいる。

 とはいえ部室棟の一室は狭いし、備え付けの機材もないから使いたい道具は各自の持ち込みが基本前提。その上防音設備も何もないので隣の部屋の演奏なども聞こえてきてしまうため、練習環境としてはあまり良いとは言えない。

 音楽室や視聴覚室に行けば当然ちゃんとした機材も防音設備もある。だが、それらの部屋は軽音楽部だけでなく合唱部や吹奏楽部も利用するため常に予約でいっぱいで、本当にたまにしか使えないのだそうだ。

 金銭的理由により町のスタジオを利用してばかりもいられない金欠の学生バンドマンたちは、色々不平を言いつつも部室棟の個人練習部屋の存在をありがたいと感じているようだ。騒音やら何やら色々問題はあるが、そこは各バンド同士の譲歩と許容の精神によって成り立っているのだそうである。

 ……とまぁ、この辺りは大体がユーミンの受け売りで、俺自身は音楽系の部活とは何の関わりもない生徒なわけだが。


 とまれ、そんな軽音部員たちの練習場所がある部室棟に、俺たちはやって来ている。

 本校舎から渡り廊下で繋がっている文化部室棟は、例によって各部の活動拠点になっている場所である。細い廊下に教室の半分程度の大きさの小部屋がいくつも並んでいて、活動備品や記録などが収納されていたり、中には簡単な家財などが持ち込まれて部員たちのちょうど良いたまり場になっていたりするような部屋もある。

 雰囲気としては、加山が以前作った俺たちの秘密基地と近いように思える。決して住み心地の良い場所とは言えないけれど、明確に自分たちの領域だと主張できるような、安心できる場所。

 様々な部活がごった煮的に詰め込まれている部室棟の廊下や階段は少々乱雑な印象だ。本校舎と違って掃除も行き届いていないから全体的に散らかっていて、少々汚い。

 今日のようにユーミンの部活見学をするのは今日が初めてではないし、当然この建物にも何度も出入りしたことがあるが、俺はその度に掃除をしたい衝動に駆られる。

「普通に学校戻ってきてるけど、ユキ、ユミくんから連絡はあったの?」

「うん。学校戻ってきた辺りでメール来た。あはっ、見てよこれ。すっごいあわてちゃってるのが目に浮かぶよね」

「……ふふっ、ホントだ。もぉ、仕方ないんだからユミくん」

 ただ、初見もユキちゃんもこの埃臭い雰囲気を特に気にした様子はない。まぁ、ユキちゃんは軽音部員として頻繁にこの建物に出入りしているし、初見の出入りする運動部室棟は活動形態上もっと泥臭い感じなので、二人共単純に慣れているのだろう。

 そんな状況の中で俺一人が部室棟廊下の不衛生さをあげつらうのもなんだかせせこましい気がするので、先を行く二人のあとを黙ってついていく。初見たちが平気なら、別に言うことはない。色々言っておいて何だが、俺自身小汚い男なわけで、多少汚れた場所に来たことでいちいち嫌悪感を示すようなキャラでもないだろうし。

 しかし、極端な綺麗好きというわけでもない俺ですらこう思うのだから、例えば黒瀬みたいな真面目なヤツはどう思ってここに来ているのだろう。

 ――あ、そういえば黒瀬……?


 そんな独特の雰囲気のある廊下と階段を、何人かの知り合いとすれ違いながら歩いて行った先――軽音部の練習フロア。

 いくつもの部屋から鳴り響いてくる音が混ざり合っているのに、不思議と不快ではない。溶け合ったような残響の中に微かに感じられる音色の一つ一つは、ここにいる誰かが奏でた音楽で、そこには俺がよく知る二人と同じように練習の積み重ねがあることが感じられるからだろうか。

 そんな空間に並ぶ小部屋のうちの一室、戸のネームプレートにユキちゃんの筆跡で「Y2-Prism」と書かれた部屋の前で俺たちは足を止める。

 Y2-Prism――それがユーミンたちのバンド名。

「ただいまー、ユミくーん」

 嬉しげにそう言いながらユキちゃんが戸を引くと、部屋の真ん中辺りをユーミンがうろうろしていた。腕を組んで、なにやら悩ましげな表情で狭い部屋の狭い範囲をぐるぐる回って……落ち着かない様子。

「っ!? ユキッ!」

 そして俺たち……というかユキちゃんが来たことに気がついて、ものすごく必死そうな表情でこっちに向き直ってきた。

「ご、ごめん!」

 ……かと思いきや、ものすごい勢いと角度で頭を下げた。

「きょ、今日は一緒に練習しようって約束してたのに、僕、また夢中になっちゃって……、ユキが来てたのにも全然気が付かなくって……!」

 おずおずと顔を上げて、そんな説明をし始めるユーミン。なんというか、見ているこっちが申し訳なくなりそうなぐらいおろおろしている。

「それで、顔あげたらそこにギターとカバンが置いてあって、ユキが来てたんだってことには気がついたんだけど……その、メールしたんだけど返事こないし……、怒ってるよね、ごめん!」

 見れば部屋の奥にセットされたキーボードには電源が入りっぱなしだし、鍵盤の上には書きかけっぽい譜面がユーミンらしからぬ乱雑な様子でばらまかれていた。ついさっきまで弾いていたような雰囲気である。

 きっと不意にユキちゃんが来ていたことに気付いて、没頭していた作曲作業を慌てて中断し、それからずっとさっきのようにそわそわしていたのだろう。

「も、もしかしてA組まで来てくれたりしてたかな?だとしたらホントにがっかりさせちゃったよね……ああもう!なんで僕はすぐこうやって周りが見えなくなっちゃうんだ!」

「ユミくん……」

 普段は割と落ち着いているユーミンがこれだけ取り乱すなんて珍しい。それはユキちゃんをこうして放置してしまったことを本当に深く悔やんでいる姿であって、つまりはそれほどユキちゃんのことを強く思っているということでもある。

 そんな、今にも泣きそうな表情のユーミンを見て、ユキちゃんもそれを感じ取ることができたのだろう。ちらりと俺たちの方を見て、優しげに笑みを浮かべてきた。

 だが、不意にユキちゃんはキッと厳しい表情になって、ユーミンにずいと近寄る。

「もぉっ、わたしのことほったらかしにして、ユミくんったらホントに勝手なんだからっ! 二人が見つけてくれなかったら、わたし寂しすぎて死んじゃうところだったんだよっ!」

「えぇっ!?」

 それはもう不機嫌そうな表情でぷりぷり怒り出すユキちゃんに、ユーミンは戸惑いを通り越して、この世の終わりみたいな顔をする。

 ……一応付け加えておくけど、さっき校門の前で会った時の反応からも伺えた通り、ユキちゃんはユーミンが作曲や演奏に夢中になる癖があることを知っていて、それについても好意的な理解を示している。

 今日だってこうして戻ってきているわけで、全然気にしてはいなかったのだが……、

「ご、ごめんよユキ……! 今日はホントに、僕が悪かったから……」

「ふんだっ!今日で何回目になると思ってるのっ!謝っても許してあげなーいっ!」

「そ、そんなぁ……!」

 だからつまり、今こうして怒っているのも単に怒ったフリをしてユーミンを困らせて遊んでいるだけだ。ユキちゃんはユーミン相手にはこういうちょっといたずらっぽいところがある。

 その辺りを知っていると、ここぞとばかりに怒ってみせるユキちゃんと、それを真に受けて心底焦っているユーミンの様子には思わず笑いがこぼれてしまう。

「ユキったらもぉ……、ホントは全然怒ってなかったくせに」と、初見も仕方ないといった風に苦笑を漏らす。

「まぁ、寂しくはあったんじゃないのか?」

「……いいけどね。怒ってみたくなるくらい、ユミくんの反応が嬉しかったんだろうし」

 見守るような初見の言葉と眼差し。そんな姿にユキちゃんとの仲の良さが現れているように感じながら、改めて視線を前に戻す。

「あーあ……、ユミくん、ホントはわたしのこと好きじゃないんだ……」

 と、さっきまでやたら大げさに怒って見せていたユキちゃんが今度は一転してしょんぼりした姿を見せた。そんな表情を見せられたのでは、芝居だとわかっている俺たちはさておき、真剣な反応だと受け止めているユーミンとしてはいよいよ冷静ではいれられない。

「そ、そんなことないよ!」

「じゃあ言って!愛してるって!」

「え……っ?」

 いきなり泣き叫ぶような口調でそんなことを言い始めたユキちゃんに、ユーミンは思わず硬直する。というか、俺や初見も思わず無表情になりかけた。

 その反応を見て、「あーあ、やっぱり……」とつぶやくユキちゃん。心底がっかりした表情で。即答できないようではもうダメだと言わんばかりに。

 ……というかこれ、ホントに演技でやってんだよな?すごいな……。迫真の演技とはこのことだ。ユーミンが焦るのも無理はない気がしてきた。

「あ、愛してるよ、ユキ……!」

「ホントに?ならもう一回!」

 こんな場所で唐突に愛の告白なんかさせられて死ぬほど恥ずかしいだろうに、ユキちゃんは更に駄目を押す。

 するとユーミンは一瞬言葉を詰まらせてから、もう開き直ったと言わんばかりにぐっと拳を握りしめて、今度はユキちゃんをまっすぐに見据えて、言う。

「――愛してる!ユキ!」

「っ……うん!わたしも、愛してる!」

 そう言い合うや否や、ユーミンとユキちゃんは両手を広げて飛びつくように抱き合った。お互いの背に手を回して、陶酔するみたいに目を閉じた二人は、そのまま映画のワンシーンのようにくるくる回りだす。

「…………」

「…………」

 突然目の前でそんなやりとりを見せつけられて、俺と初見はどんな反応をしていいのかわからず顔を見合わせるしかなかった。どのタイミングで声をかけようか考えてもいたのに、なんだかここまで来ると急激にどうでも良い気分になってきてしまった感じだ。

 ――愛してる、か……。

 何気なくその言葉が脳裏をよぎった。自分が言われたわけでもないのに、なんだかひどくむずがゆい。

 直球過ぎて洒落っ気のない、もっと言えば幼稚ですらある愛情表現。でもそれだけにその言葉はとても純粋で、相手に心を許しているからこそ言えるものだということも伝わってくる。……だから、この二人の関係にはそうした言葉が相応しいのかもしれない。

 普段のユーミンはもっと落ち着いていて、俺たちの中では間違いなく一番の常識人だ。性格は純朴で素直だし、雰囲気も健全でモラルもあるから変なことはしたがらない。

 けれども、ユキちゃんにあんな風に迫られた時だけは、なんだかんだ言いつつも拒むことはしない。実際、俺たちがここで見ているというのに、二人は気にせずお互いをいとおしむように見つめ合っていて……まぁ、その、見ているこっちが気恥ずかしい気分になるというか……。

「ユ、ユキ……、そろそろ、さ。練習も、しないと」

「えーっ、やだぁ。もうちょっとぎゅーってしてたいよぅ……」

「で、でも……、――あぁ、もう、僕ってホント、駄目だなぁ」

「えー?どうかしたの?」

「いや、いっつもこんな風に流されてばっかで、さ」

 意志弱いんだなぁ、と目を閉じて憂えるユーミン。その割には吐き出したため息はなんだか嬉しそうに震えてもいて、自己嫌悪と状況を楽しむ気持ちがないまぜになっている心中の様子が伺える。

 理性的なユーミンだからユキちゃんの要求を全面的に、場も弁えず受け入れてしまうことにはやはり躊躇があるのだろう。だけどユキちゃんの求めには応じたい。それはユキちゃんのためであり、ユーミン自身そうするのが楽しいからというのもあり……。

 ユキちゃんが初見やユーミンの前で甘えた態度をとりたがるように、ユーミンもユキちゃんと作るそういう空気に安心感を覚えているということなのかもしれない。それがあまりに心地良すぎて、理性では良くないと思っていても拒めない。

 ……でも、別にそれでいいんじゃないかとも思う。ユーミンは普段からすごく真面目で頑張っているからたまにはいいだろうとか、ユキちゃんはああいう性格だからそんなもんだろうとかそういう適当な感じというよりも、

 ――だって、まぁ、ユーミンとユキちゃんが、あんな幸せそうな顔してればさ。

 ひとりの友人として、それが正しいことと思わずにはいられないのだ。

 とはいえ……それはそれとして、

「ちょっと、二人とも!仲が良いのはいいけど、いつまでくっついてるつもりなのよ!」

 いい加減見ていられなくなったらしい初見が、ずいと一歩前へ出てそんなことを言った。

「見せつけられる私たちの気持ちにもなってよ。な、なんかもう……どうしたらいいかわからなくなっちゃう!」

「えー?」

「え……えぇっ!?」

 そこでユキちゃんは緩慢な返事でこっちを見返してくるだけだったが、ユーミンはようやく状況を認識したらしく、俺たちの方を見て固まった。

「は、初見ちゃん……、それにツトムも……、」

「よ、遊びに来たよユーミン」

「……あ、えっ……と、その……」

 気まずそうな反応。俺たちが来ていたことに今気付いた、ということさえ口に出来ないぐらい慌てているのが見て取れた。顔は耳まで真っ赤で、目が泳ぎまくっている。

「ユミくん、もしかして私たちが来てたことにも気付いてなかったの?」

「あ、あはは……えっと……その……」

「ふぅん、仲がおよろしいことで」

「う、うわああぁぁ!」

 初見の言葉に頭を抱えてうずくまってしまうユーミン。本当に恥ずかしいらしい。初見もわざわざそんな意地の悪い言い方しなくてもとは思うが。

「こらぁハッちゃん!ユミくんいじめちゃダメーっ」

「ちょっ……自分だってさっきまでユミくん困らせて遊んでたくせに。それともユキも私たちがいるの忘れてたっていうの?」

「ううん。そんなことないよっ。ごめんねハッちゃん。わたしはハッちゃんとの友情も恋愛と同じぐらい大事に思ってるんだよっ」

「……開き直ってそんなこと言うし。まったくもう、少しは悪びれなさいよ……」

「えへー、だってーっ」

 そんな言い合いをしている女子二人。とはいえ二人とも本気ではなく、これもまたじゃれあうような雰囲気が感じられる。

「こ、こほん……! ゆ、ユキ、練習するよ!」

 そんな空気をユーミンのぎこちない咳払いが打ち払う。今さっきまで羞恥心で機能停止していたユーミンだったが、いつの間にかキーボードの前まで戻っていて、おもむろに楽譜を整頓し直したりしていた。

 ……とはいえそう言いながらも視線は未だに定まっていなかったし、顔も相変わらず真っ赤だったので、その誤魔化しきれていなさが可笑しかった。

「ユーミン。その前にちょっとぐらい休憩しないか?」

 だからというわけではないけれど、俺はそんな提案を投げる。

「そう!そうだよユミくん。みんなで食べようって思って、おやつ買ってきたんだよー」

 俺の言葉に反応して、ユキちゃんが「じゃじゃーん♪」と今川焼きの袋を取り出す。

 今すぐこれまでの空気をリセットしたそうな感じのユーミンだったが、ユキちゃんが帰ってきたのだから少しくらい休憩をしてもいいだろう。

 なにより、せっかくオススメしてくれたのだから温かいうちに食べるべきだと思うし。

「そ、そう……。じゃあ、ちょっとだけ……いい、かな」

 キーボードの向こうから、再びこちら側に戻ってくるユーミン。

「じゃあ食べようー? ユミくんが好きな味選んできてあげたよー」

 わーい、とユキちゃんが袋を机の上で広げた。手提げ用の袋から、一つ一つの今川焼きを包んだ紙製の小さな袋がひょいひょい取り出されていく。つぶあんが二つに、チーズが二つ、カスタードクリーム、チョコレート……がそれぞれ一つずつ。例え味が違っていても外見は同じなのだから、運ぶ過程でシャッフルされたらどれがどれだかわからないのではないかと思ったが、お店のおじさんは丁寧にも色の違う紙袋に入れてくれていた。

「はい、これとこれツトムくんとハッちゃんの分だよ」

「ありがとう」

 差し出された紙袋二個を初見が受け取り、その片方を俺は初見から受け取った。袋越しに感じられる今川焼きはまだ充分温かく、口から漂う香りがなんとも食欲を誘う。

「ツトム、せっかくだから半分こにしない?」

「あぁ、いいよ」

 俺と初見は互いに自分の分を取り出し、二つに割ったそれを交換し合った。初見はカスタード、俺はユキちゃんオススメのつぶあん。

「あー、いいなっ。ユミくん、わたしたちもっ」

 そしてそれを見たユキちゃんがユーミンにせっついた。まぁ、こういうお菓子は色んな味を楽しめるのが面白いところだから、分け合いたくなるのが人情だよな。

 ……と、そんなことを思っていたら、ユキちゃんは自分の分の今川焼きを半分よりやや小さめに割り、その小さな今川焼きをユーミンにさし出す。

「はいユミくんっ、あ~ん」

「…………」

 唐突に、またしてもそんなアプローチを仕掛けられて、ユーミンが再び硬直した。

「……え、と…………」

 さっきは突っ込みを入れていた初見も二度目ともなるとさすがに反応に困るのか、所在無げな視線をこちらにチラチラ向けてくる。

 ……仕方ない。今度は俺が止めに入るか。

「ユキちゃん、その辺で許してやろうよ。ユーミン恥ずかしがってるぞ」

 いやまぁ、恥ずかしいのは見ている俺もなんだが。ユキちゃんの素直な愛情表現自体は決して嫌いではないにせよ。

「そ、そうだよ、ユキ、……ツトムたちの前でそんなことするのは恥ずかしいよ……」

「えーっ」

 恥じらうユーミンにユキちゃんは不満そうな顔をするが、こちらも今回は素直に応じた。

 というか、ユーミンの発言は俺たちの前ではやらないけど二人きりならやるって風にも聞こえたけど……。まぁ……それはさすがに気にしすぎか。彼女いない男のひがみみたいだからやめておこう……。

「あは、恥ずかしがるユミくん見れたから、これはこれで満足」

「…………」

 そう言って、ユーミンが手に持っていたチーズ今川焼きにかぶりつくユキちゃん。突然飛びつかれてユーミンはまた慌てていたが、そんな反応もユキちゃんは嬉しそうだった。



 そんな感じで一つめの今川焼きをぺろりと平らげ、残り二つをどう分配するかを俺たちは議論しあっていた。

「ってか、ぱくぱく食べといて今更なんだけど、今日黒瀬はどうしたんだ?あとスミレさんも」

 俺のその言葉に、初見とユーミンが「え?」とこちらを見てくる。

「あぁ、そういえば……」

 初見も今になって気がついたようだ。ユーミンとユキちゃんのバンド、Y2-Prismの他のメンバー、ベース担当の黒瀬あずみ、ドラム担当の松村菫が今日はいない。

 とはいえ、俺も気がついたのはさっきのことだ。部室棟の廊下が相変わらず汚い……とかそんなことを思っていたそんな時。

 今川焼きを買うとなった時、ユキちゃんがユーミンの名前しか挙げなかったものだからすっかり失念していたが、軽音部に行くならユーミンだけでなく黒瀬たちの分も買っていってやるのが筋だ。

 ……で、帰ってくる途中で黒瀬たちの存在を忘れていたことを思い出して、内心結構すまない気持ちだったのだが、どうやら今日は二人とも不在のようだ。いざとなれば俺の分を提供する気でいたので、予定通りつぶあんが食べられたことは喜ばしかったけれど。

「スミレさんは他のバンドの応援に行ってるよ。黒瀬さんも、今日はお休み。先生に用事を頼まれたから、それの手伝いに行くんだってさ」

 だから心配ないよ。

 俺の心中を察したようにユーミンが言う。

 ドラム担当のスミレさんはいろんなバンドを掛け持ちしている器用な人だ。通っぽい感じのおしゃれな人で、クラスのみんなは同い年だけどさん付けで呼ぶ。

 黒瀬は――、

「気にすることないよツトムくんっ。黒瀬さんはどーせわたしたちとバンドやってるより、先生にいい顔する方が大事なんだよっ」

 だがそんな調子のユーミンに対してユキちゃんの方はいかにも不服そうな表情でそんなことを言ってくる。

「いやいや……あいつは別にそんなせこい性根のキャラじゃないだろ」

「ふんだ!文化祭も近いのに、たるんでるよねっ! ほら、黒瀬さんのことなんかいいから、今川焼き食べちゃおうよ!おいしいよっ!」

 ぷんすかしている。いやまぁ確かにこの今川焼きは絶品だけど、それだとなんかまるで黒瀬には食わせてやらないことを強調するかのような言い方だ……。

 恋人であるユーミンやそれに連なる俺たちに対してはいつも友好的な態度で接してくれるユキちゃんだが、黒瀬に対してだけは何故かこうした揚げ足取りみたいな言葉を口にすることが多い。ユキちゃんは黒瀬と別に仲が悪いわけではなく、俺などから見れば初見とはまた違った意味で仲の良い女子二人という感じに映るのだが、どうも相性が悪いタイミングが多いようだ。

 まぁ、猫みたいに自由奔放なユキちゃんと、真面目を絵に描いたような黒瀬とでは確かに噛み合わない部分は多かろうとは思わなくもない。見ている限り、黒瀬の方はその辺りをさほど気にしていなそうな辺りもなんだか複雑そうだが……。

「ユキ、そんな意地悪な言い方よくないよ。黒瀬さんは僕らなんかより忙しいんだからさ」

「むー!なに、ユミくんは黒瀬さんの味方なのっ?」

「いや……敵とか味方とかじゃなくてさ。確かに文化祭近いし心配なのはわかるけど、黒瀬さんも家でちゃんと練習してるみたいだしさ。信じてあげようよ」

「し、心配なんかしてないもんっ!」

 そっぽを向いて、ハムスターみたいに今川焼きをかじり始めるユキちゃん。そんな姿にユーミンは苦笑する。俺や初見も見慣れた光景なのであまり気にしないよう務めつつ。

「……それにしても黒瀬のヤツ、またそんなことやってんのか。真面目だなぁ……」

 本当に。つい先日も委員会の雑務を引き受けて居残っていたというのに。

 困っている人を放っておけない。その一面でせわしくもある黒瀬の行動力には心底から感心させられる。他人が問題を抱えているところを見過ごせないタチなのだろう。

 その献身性は……俺も見習うべき、なんだろうな。

 まぁ……それはそれとして……、

「あの子はもっと合わせる練習しないとダメなのーっ!この間始めた曲だって、Bメロのところでいつもモタッてるじゃん」

「いや、あそこは僕が難しく書きすぎただけだよ。そんなこと言ってるけどさ、ユキだってあんなベース弾くの無理でしょ」

「弾けるもん」

「えー」

「弾けるのっ!」

「わ、わかったよ、仕方ないなぁ……。じゃあまぁ、次に黒瀬さんが入っても問題ないように、今日は僕たち二人がちゃんと合わせられるようにしておこう?」

「ほんと、しょうがないんだから。普通逆じゃん。わたしたちが弾けててもベースが安定してなかったら意味ないのに……」

 やんわりと黒瀬を擁護するユーミンに対して未だぶつぶつと何事か言っているユキちゃんだったが、今川焼きを食べ終わり、楽器をセットし終えた辺りで唐突に機嫌を直した。

「ねーユミくん。思ったんだけど」

「ん?どうしたの?」

「今日ってハッちゃんたちいるけど、練習はわたしたちふたりっきりだよね!」

「……?うん。そう、だね」

「えへへ、やったぁ。今日はユミくんひとりじめだよ。もう思いっきしカッコよくギター弾いちゃうもんね。いやー、そう考えると黒瀬さんもたまにはいいことしてくれるよねー」

「……いや、その……ね」

 何か言いたそうにしながら、ユーミンは複雑な表情を浮かべるだけだった。ユキちゃんと黒瀬の間に立たされて色々と大変そうだったが、ユキちゃんがやる気を出していることに関しては純粋に嬉しかったのだろう。


 そうして、部室にはキーボードとギターの音色が鳴り始める。ユキちゃんはケースから取り出したギターを慣れた手つきでチューニングし始め、さっきまで弾いていたユーミンの方はその間に先程作っていた曲のチェックをしていた。

 俺と初見は練習の邪魔にならないように、部屋の隅の椅子に腰掛けて二人の様子を黙って見守ることにする。こうして二人の練習を見学したことは何回かあったけど、毎回この瞬間は映画の上映開始を待っている時みたいにワクワクする。

「ユキ、準備できた?」

「うん。おっけー」

 肩にかけたストラップの位置を直しながら親指を立てる。

 ユキちゃんの使っている種類のギターは一般的なエレキギターよりやや大ぶりだそうで、小柄なユキちゃんが持つと本当に大きく見える。にもかかわらずそれを自在に弾きこなす姿は、不釣合いな気配など微塵も感じさせない。

「さて、と。じゃあ最初は軽く合わせてみようか」

「あ、そうだ。ユミくん」

「ん?」

「曲練習もいいんだけど、さっき作ってた新しい曲聴かせてよ」

「あ、これ?」と楽譜台に乗せられた数枚の楽譜を指差す。「いいけど、まだざっくりとしかできてないよ?いくつかメロディつないだだけだし」

「それでもいいよー。それに今日はせっかくハッちゃんとツトムくんも来てくれてるんだよ。感想は色んな人から聞けた方がいいってユミくんいつも言ってるじゃない」

「そ、そうだね……じゃあ、えっと、二人とも。いきなりで悪いんだけどさ、今からちょっとさっき作った曲を弾いてみるから、意見もらっていいかな?」

 ユキちゃんに促される形で問いかけてくるユーミンに、俺と初見は揃って頷きを返す。音楽の専門的なところはわからないから、どうせ大したことは言えないだろうけど、俺はユーミンの作る曲が好きなので、それを真っ先に聴ける機会を拒否できるはずもなかった。

「じゃ、ちょっと弾いてみるね……うぅ、最初となるとやっぱり緊張するなぁ……」

「がんばってユミくんっ!」

 ユキちゃんの声援に応えるように笑って見せてから、ユーミンはすっと居住まいを正して、鍵盤に両手を添える。そして静かに目を閉じ、一度深呼吸をした。ユーミンが何か集中をする時にいつもやる行動だ。その姿に、見ているこっちも自然と気が引き締まる。

 そうして短い呼吸を三回ほど繰り返した後、四度目の息を吐くと同時に、決意したかのように高く、最初の音が鳴り響く。そこから次々と音が連なり、よどみなく続くそれらが美しい旋律の姿を帯びていく。俺たち三人はその静かで耳慣れない音の流れを感じ取ろうと、そっと目を閉じ、耳を澄ませた。

 今はユーミンが弾いているだけなので、当然まだ一つのパートのみだ。いずれこれにギターやベースが加わり、バンドとしての音になるであろうことを思うと、ピアノソロのみの現状はまだどこかもの寂しくもある。

 だけど、物足りない感じは全然しなくて、むしろこの曲は今の状態が最も純粋で、無垢な音であるかのようにも聞こえた。別にバンドとして編曲されたものが不純だなんて全く思わないけれど、今この瞬間に奏でられている音たちには、ユーミンがたった今生み出したものであることが強く感じられて、それを思うとなんだかものすごく感動的だったのだ。

 生み出す。創作する。

 一つ一つの音自体は大昔から存在しているし、今聴こえるこれと全く同じだったり似たような感じだったりするメロディというものも広い世界には存在しているのかもしれない。

 だとするとこの曲だって、純粋な意味でユーミンが創作したものとは、もしかしたら言えないのかもしれない。

 ――だが大事なのはそういうことではなく。

 この、まだ名前もない音楽は、俺の大切な友人が、すべてを忘れて夢中になるぐらい真剣に思考した結果生み出されたものである、ということが俺にとっては本当に素晴らしいことのように思えるのだ。

 それが今こうして目の前にあるということが、とても誇らしいことのように思えるのだ。

 今しがた、生まれ落ちたばかりのメロディ。それを最初に披露する相手に選ばれた――、それはきっと、ものすごく光栄なこと。

 ……そう思った。

 だから俺は、曲が終わると同時に立ち上がって、手を打ち鳴らした。友人の努力と、その末に生まれてきた作品への精一杯の祝意を込めて。それは俺だけではなかったようで、初見もユキちゃんも同じように椅子から立って拍手を送る。

「……と、こんな感じにしてみたんだけど。ど、どうだった、かな? 伴奏はあんまり考えてなかったから、割と適当に弾いた感じなんだけど……」

 突如巻き起こった拍手三人分に、少しだけ照れくさそうな調子でユーミンが言う。

「すごーい!ユミくんカッコいいー!」

 ユキちゃんが歓声をあげながら駆け寄って行き、キーボードに乗せられた楽譜を覗き込んだ。自分も音楽をやっている子だけあって、たった今聴かせてくれた曲の構成を早速ユーミンにあれこれ質問しながら確認し始めている。

「今回はまたアップテンポな感じだねー」

「うん。こういう雰囲気のヤツが、もう一曲ぐらい欲しいって思ってたから」

「わたしこういう曲好きだよ。疾走感あるけどキレイな感じするし」

「そ、そう?嬉しいな、気に入ってもらえて。ユキはギターパート、どんな風にしたらいいと思う?」

「んー、Aメロの伴奏とか、そのままギターで弾いちゃえばいいんじゃない?ここはあんまメロディアスにしないで、ちょっとソリッドめにリズム刻んでくぐらいがちょうどいいと思う」

「なるほど……そういう感じか。いいね」

「うーん、今のままでもすっごくいいから、ここにギターとかのっけちゃうの、なんかもったいないなー。ねーツトムくん?」

「え?」

 真面目な作曲の会話をしていると思っておとなしくしていたところにいきなり声をかけられて驚く。やばい、弾いてる最中は曲に聴き入ってて、感想なんて何も考えてなかったぞ……。

「ツトム、どうだった?今の曲」

「え、えーと……、カッコいいんじゃないかな」

 自分でも嫌になるぐらいつまらない感想を口にしてしまった。もちろん本音ではあるのだが、そんな言い方じゃなんだか場当たり的で白々しいというか……。

「ホント?」しかしユーミンは俺の言葉に、嬉しそうに聞き返してくる。「どのへんがよかったとか聞いてもいい?」

「その、真ん中あたり……伴奏の感じが変わるところ……かな。音がポンポンって鳴った後ぐーんって伸びてく感じのところ……あそこですごく盛り上がる感じがした」

「うんうん、サビのところだね。じ、実はね、さっき思いついたフレーズってそこなんだ。だからそこ褒めてもらえるのはすごくありがたいなー」

「で、その後。二番に入るところ、最初の方で聞いたのと同じメロディがまた聞こえてきて、なんかそれがすごく安心する感じがした。さっきの部分に比べて伴奏が静かな感じになるけど、それまですごくノッてる感じだから、別に違和感なかったよ」

「え、ホント!?僕その辺りが一番気になってたんだよ。サビ終わってAメロに戻っちゃうと、どうしてもちょっと地味になっちゃうからさ。それまであったドライブ感消えちゃってつまんなくなっちゃうかなって不安だったんだ」

「えっと、……うん」

「よし、じゃあ二番のAメロのリズムはやっぱりキックで刻んでくだけにしよう。けど、すごいなツトム、僕が左手で弾いてたリズムが、よくドラムのだってわかったね?」

「え?いや……」

 目を輝かせながら興奮気味に色々語ってくれるユーミンに俺は若干気圧されながら、辛うじて反応を返す。

「でもよかったぁ。ツトムがそう言ってくれたんならきっと大丈夫だね」

「あ、いや……俺の意見なんかあんまアテにしないでくれよ。音楽のことなんてなんもわかってないんだからさ」

 実際のところ、無知な俺は直感的に思ったことを口にしただけで、細かな曲の構成や、ドラムのイメージを持った上での発言などでは全然なかったわけで。

「そんなことないよ。ありがとう。僕が一番聞きたかったこと答えてくれて、嬉しかった。やっぱこういうのは仲良い友達に聞くのが一番だね」

 ……根拠のない自信を与えてしまった。どうしよう……。

 まぁ、自分の発言で喜んでくれたことに関しては素直に嬉しい。この四人の中では俺がぶっちぎりで一番の素人なので、アホなこと言って呆れられるかもしれないという不安もあっただけに。

 ……とはいえ、こんなの単なる偶然だから、反省しきりだけど。

「こらぁーっ!ツトムくんっ!」

 と思ったら突然ユキちゃんに怒られた。

 いきなりのことに俺だけでなく隣にいた初見も、上機嫌に自分が書いた楽譜を見なおしたりしていたユーミンも何事かとユキちゃんのほうを見る。

 そしたらユキちゃんは両手をぶんぶん振りながら悔しそうな表情で叫んだ。

「それはわたしがこれから言おうと思ってたのー!先に言っちゃだめーっ!」

「え? いや、その……ごめん」

 思わず反射的に謝ってしまう。どうやら自分が言おうとしていたことを俺が言ってしまったことで不機嫌にさせてしまったようだ。参ったな。

「ううう……!ユミくんと一緒にバンドやってるのわたしなのに、わたしが一番いいこと言わないといけないのに……!」

 唐突に泣きそうな顔になられて俺は焦るが、初見がそんなユキちゃんの姿にため息をもらす。

「こーらユキ。子どもみたいなこと言わないの。音楽全然わかってないツトムが自分より的確なこと言って、悔しかったのはわかるけど」

「だってだってー!わたしだってユミくんに喜んでもらいたいんだもん!」

 初見にあやすように両肩を掴まれてじたばたするユキちゃん。

 ……というかなるほど、そういう理由で怒っていたのか。

 けど、だとしたら本当に余計なこと言っちまったかな。確かに俺なんかがわかったようなことを言っていたらユキちゃんだって面白くないだろうし、つい浮かれて色々しゃべりすぎたか。

 ……加えて、俺の発言が深い思慮の末に吐かれたものでもない完全なる素人意見であっただけに。

「あはは……びっくりした。ごめんね、ツトム。ユキも悪気があるわけじゃないんだけど」

「はは、わかってる。ああいう風に言うのはそれだけユーミンとのバンドに真剣になってるってことだしな。ってか俺こそ悪かった。ちょっと差し出がましかったよな」

「そ、そんな、気にしないでよ。ツトムは僕が聞いたことに答えてくれただけなんだから」

 ユーミンがそう言ってくれると少し気が楽になる。今の曲が本当に良いと心から思っただけに。

「でも……そっか、ユキが僕とのバンド、真剣に……か」

 鍵盤を撫でながらそんなことを漏らす。初見に叱られながら微妙にしょんぼりしているユキちゃんの様子を眺めながら。今回も微妙に笑みが隠しきれてないその表情は、なんだか本当に嬉しそうで、ただそこにいるだけでそんな顔させられるユキちゃんの存在はユーミンにとってとても大きいのだろうなと思った。

 だから悔しがる必要なんて全然ないのに、とも思う。いや、でもそれはユキちゃんにとってもユーミンがそれだけの存在ということか。

「後で、ユキちゃんには謝っとくよ」

「いいのに」

「それでもさ。ちゃんと言っときたいから」

「……そっか、ありがとね。ツトム」

 そう言ってもう一度優しげに笑んで、ユーミンは何気ない仕草で鍵盤を鳴らし始める。それが先程聴かせてくれた新曲で、流すような弾き方でもさっきの感動が俺の中に蘇ってくる感じがした。

「その曲、文化祭でやるの?」

「え?今弾いてたこれのこと?」

「うん。なんか、気に入っちゃってさ。ちゃんと完成したらどんな風になるのか聞いてみたいなって思って」

「そ、そっか。ありがとう。でも……ごめんね、文化祭でやるのはさすがにムリかな。まだメインメロディしかないし、他のパートも作るとなると……さ」

「あぁ、そっか。それも全部ユーミンがやんなきゃいけないんだもんな」

「わわ、ぬか喜びさせてごめんね。でもツトムが気に入ってくれたのは嬉しいから、絶対いい曲にするよ」

「ああ。頑張ってくれよな」

「う、期待が肩に重い……でも、嬉しいな。よし、家帰ったら早速他のパートも作ろう」

 Y2-Prismの楽曲はこの通りユーミンが作曲を行っているわけだが、実はそれはメインメロディだけでなくなんと全てのパートを含めての話である。他のメンバーは各々が自分の弾くメロディを考えてきているわけではなく、弾きやすいように軽くアレンジする程度で、大筋は全てユーミンが作っている。

 つまり、全部ユーミンがやるというのは文字通り、Y2-Prismの楽曲ほとんど全部をユーミンが一人で組み立てているということなのだ。

 前にそのことを褒めたら、「ギターやドラムだって全然わからないわけじゃないし、たまに一人でスタジオ入って触ったりもしてるから平気だよ」と返された。軽く言っているが、それってものすごいことなんじゃないだろうか。ユーミンの担当楽器はキーボードなのに、実際に弾くわけでもない楽器でもああしてフレーズを作れてしまうほど熟知しているのだ。

 そこまでの追求をする辺り、ユーミンの完璧主義っぽいところが伺える。

 ……そしてそれ以上に、それほどまでに音楽が好きなのだろうな、ということも。

「あ、ごめんなさい。練習中断させちゃって」

 ユキちゃんへのお説教を終えたらしい初見が慌てた様子で言った。

「ねえユミくん、ハッちゃん今の曲すごく良かったって言ってたよ」

「ほ、ホント?」

 さっきと同じように期待に目を輝かせるユーミンに、初見は満足げに頷いた。

「ユミくん本当にピアノ上手くなったね。久しぶりに聞いて私感動しちゃった」

「そ、そんな……、初見ちゃんは僕がへたくそな頃知ってるからそう思うだけじゃないのかなぁ?」

 初見は小学生の頃、ユーミンと一緒のピアノ教室に通っていたことがある。つまり初見は音楽をやるユーミンの一番長く見てきている人物、というわけだ。

「もぉ、そんな頼りないこと言わないの。もっと自信持って。すごくいい曲だと思ったよ」

「ご、ごめん……ありがと。……うわぁ、どうしよう。なんか大人気だな。ツトムだけじゃなく初見ちゃんも気に入ってくれたなんて、早くいい曲に仕上げたいね、ユキ」

「そうだね。わたしも早くユミくんの作った曲弾きたいなっ!」

 ユキちゃんのその言葉に、ユーミンは不意に何か物思うような表情を浮かべた。

「……ねぇユキ。今回の曲から、ユキがギターパート作ってみない?」

「え?なんで?いいよー、いつもみたいにユミくんが作りなよ」

「この曲、ギターたくさん使ってロックっぽくしたいからさ、ユキが弾きたいようにやって欲しいんだ。僕も相談に乗るぐらいはするけど」

「うーん……やっぱりいいよ。わたし作曲なんてしたことないし、ユミくんが作った方が絶対センスいいのできるもん」

 苦笑交じりに遠慮するユキちゃんに、ユーミンは小さく「……そっか」と返事をした。さっきまでのはしゃぎぶりと比べてやや淡白なその反応に俺は若干の違和感を覚えかけるが、すぐに作曲談義を再開する二人の様子にその感覚も霧散していく。

「それにしても、ユーミンもう随分曲作ってるよな。何曲目だ?」

「これ入れて五曲目、かな。まだ全然できてないからこれ数えていいのかわかんないけど」

「文化祭のライブって、何曲ぐらいやるんだ?」

「今のところ四曲の予定。一応オリジナルで申し込んでるから今まで作ってきた曲と、一曲ぐらいはみんなが知ってるバンドのカバーとかやるかなって」

「カバー」不意に出てきた言葉を復唱してしまう。「……って、なんだ初見?」

 そのまま反射的に隣の初見に尋ねると、若干呆れた風に見返された。

「他のアーティストの曲をやることよ。コピーとも言うけど」

「そうそう。僕らみたいな高校生のバンド……特に学校の軽音部のバンドなんかだと、カバーを専門にやるバンドがやっぱり多いもんなんだよ」

「なるほど。そういうもんか」

 ユーミンの解説に頷く。言われてみれば確かに軽音部のライブは、知らないバンドの演奏でも聞き覚えのある曲であることが多い気がする。

「実際はコピーとか……あとトリビュートとかって言い方だと微妙にニュアンス変わってくるけどね。僕らがやるのは原曲を再現するだけだからコピーっていう言い方が正しいのかも。カバーだとちょっとそのバンド色のアレンジ濃い感じで、トリビュートだとそのアーティストへのリスペクトがもっと露骨に出てそうな感じ。まぁ、この辺はあくまで僕のイメージだけどね」

「それをメインにやるってのはなんでなんだ?他のみんなはユーミンほどいっぱい作曲できないってことなのか?」

「そ、そんなことはないよ。カバーをやるのはバンドがそのアーティストの熱烈なファンだからっていうのがやっぱり大きいから、すごく忠実に真似をするんだよね。演奏だけじゃなくって衣装とかパフォーマンスまで似せてくるぐらい力入れてたりして、単に持ち歌が少ないからとかって消極的な感じじゃないよ全然」

 あれはもう一種の芸だね、と感心した様子のユーミン。

「今度、僕の知り合いのカバーバンドが何個か集まってライブやるらしいから、ツトムも一緒に行こうよ。スーパーロボット系の歌いっぱいやるって、加山も来たいって言ってた」

「アニメの主題歌ってこと?そういうのもOKなのか」

「なんでもありだよ。愛があれば」

「愛、ね」

 確かに。そこまで気合いの入った真似――と言っては失礼かもわからないが――をするには相当の熱意が必要だろう。ファンが高じて演奏者に……ということなのか。だとしたら根本の動機的にはオリジナル曲を作って演奏するのとさほど変わらないようにも思えてくる。

「オリジナルばっかりってとっつきにくいもんだしね」

「そういうもんかな」

 俺はユーミンの曲やユキちゃんの演奏は好きだが、それは二人そのものもよく知っているからというのもあるのかもしれない。何も知らない生徒にとっては多少なりとも聞き覚えのある曲が流れるぐらいの方が、空気としては馴染めるものなのだろう。

「……それでユーミンたちは、誰の曲やるんだ?」

「実は、まだ決めてないんだよね。それなりに練習しないといけないから、早く決めないとダメなんだけど」

「だからー、カバーやるならあの曲でいいじゃん」と悩んでいるユーミンに苦笑混じりのユキちゃんが言う。「音程もわたしと大体同じだから、そんなアレンジしないでも唄えるよ?」

「あの曲って?」

「ツトムくんも知ってるでしょ。ユミくんが好きな――」

 挙げられたバンドの名前は俺も聞いたことがあるものだった。昔からユーミンが好きで、俺も何枚かCDを借りて聴いたことがある。変わった響きのバンド名だったから覚えていた。

 ……というか、今もちょうどすぐそこの棚に置いてある。この部屋にはバンドメンバー同士で貸し借りできるように各自のお気に入りCDを入れる用の棚が設置されているのだ。ノリとしてはいわゆる学級文庫。

 それらはY2-Prismの音楽とどこか通ずるようなユーミンお気に入りのバンドやアーティストのCDが主だが、ところどころ雰囲気の全然異なるやたら泥臭い雰囲気のロックなどが混じっているのは他の二人どちらかの趣味だろうか。

「いいんじゃないか?ユーミン昔から好きじゃん」

「まぁ、そうなんだけど、アレは弾くの難しいんだよね。モチーフになってるのが民族音楽とかだし、プログレっぽい変拍子ばっかだから今からそんなすぐ弾けないよ」

「ぷろぐれ?」

「あぁ、えっと……プログレッシブロックのこと。ロックなんだけど、ジャズとかクラシックとか、色んなジャンルの雰囲気を取り入れてる感じの……説明難しいんだけど、前にシマが僕の家でかけてたCD憶えてないかな?あれだよ」

「……あぁ、和泉がなんかのアニメの主題歌みたいって言ってたヤツか」

「そうそう。元々和泉の言ってた人も、元々は西洋のプログレにすごい影響受けててさ。例えば……ほら、この辺のプログレと関係ない楽曲のタイトルとかにもその辺の雰囲気が――」

 CDまで持ち出して解説を始めてしまうユーミン。

 気づけばなんか関係ない話になっている気がするけど、これはこれで面白い内容なので俺は聞き役に徹してみた。こうして色々聞いてみると、ユーミンの知識の深さと自分の不勉強ぶりが歴然たるものであることが露呈するばかりだ。

「……元は、何のカバー曲やるかって話じゃなかった?」

「ユミくん、音楽の話しだすと止まらなくなっちゃうからねー。ツトムくんが聞き上手ってのもきっとあるんだよね」

 初見とユキちゃんのそんな会話が聞こえてきた。けれどもそこにはさっきと同じで別に鬱陶しがる気配はなく、むしろユーミンのそんな様子を微笑ましく見守っているかのようだった。普段あまり我を張らないからか、自分の好きなことを目の色を変えて語るユーミンの姿はなんというか、本当に楽しそうに見えるのだ。

 そんな姿がもっと見たくて、もっと色々なことを喋って欲しいと思ってしまう。

 常日頃抱いている感謝などもそこにはあったりして。


「……じゃ、じゃあ改めて、今日はどれから行こうか。一応文化祭でやる曲は、今日も全パート持ってきてあるけど」

 プログレッシブロックの歴史を語り終えたところで冷静に立ち返ったユーミンは、その後しばらく先程と同じように羞恥心と自己嫌悪に苛まれていたが、ユキちゃんのフォローによって復活を果たした。いいバランスの二人である。

 こういう普段の反省深いところなんかも、さっきの興奮した様子と妙にギャップがあって友人的には面白いんだけどなぁ……。

 ともあれ、そんな感じで一息ついて、練習は再開される。ユーミンはすぐ脇の机に置かれたミニコンポのスイッチを入れ、その前の小箱から何枚かのMDを取り出していく。

 それらのMDにはユーミンが家のパソコンで打ち込んできた自分たちの曲が各パートに分けて録音されている。

 これらの音源は練習する場面において、曲の全体像を把握したり、自分のパートのみオフにされているバージョンを流しながら演奏することで擬似的に合わせ練習をしたりするのに使うのだそうだ。今日のようにメンバーが揃わない日や、家で個人練習をする時などに用いられる。

 今日の場合、ベースの黒瀬とドラムのスミレさんがいないので、その二つのパートだけをMDで流して、ユーミンとユキちゃんはそれに合わせて自分のパートを演奏する、ということになる。そうでなくてもY2-Prismには専属のドラム担当がいないので、練習時のドラムはいつもこうしてMDで補われるのが常らしい。

 ……この辺も以前聞いた時に例によって丁寧に説明してくれたから知っているだけだが。

「じゃあ、ライブで流す順番……といっても予定だけど……、でやるから、ハッちゃんとツトムくんが今日のお客さんだよ」

「ユキ、しっかりね」

「わかってるよーぅ。二人も今日はブレーコーだから、モッシュとかしちゃっていいよ」

 両腕を持ち上げるように俺たちに煽りを入れてくるユキちゃん。

「……初見、モッシュってどういう意味?」

「ご、ごめん……それは私もわかんない……」

 先程と同じように初見に耳打ちしてみたが、今回は初見も知らなかったようだ。

「モッシュっていうのは、ライブとかで最高潮に盛り上がったお客さんが、おしくらまんじゅうみたいにもみくちゃになってる状態のことだよ」

「あぁ――」

 ユーミンが解説してくれて、俺も初見も「あれのことか」と得心がいった。前にユーミンたちに連れて行ってもらったライブ会場の最前列で、そんな感じで押し合いへし合いしている観客を見たことがある。

 ……とはいえ今この場で初見とそれをやっても、人数的におしくらまんじゅうすら成立しないが。

「ユキ、“当店ではモッシュ禁止となっております”だよ」

「あ、やっぱ禁止したりするのか」

「うん。盛り上がるのはいいけど、やっぱ危ないからね」

「あはは、まぁ、そんなのいーから!ふたりとも、適当に盛り上がってよ。じゃ、行きまーす。一曲目――!」

 ユキちゃんが曲名を告げると共に、ユーミンの静かな前奏がゆるやかに始まっていく。ユーミンらしい、落ち着いた優しい雰囲気の旋律……しかし、そのメロディが次第に細かく刻まれ、すぐさまユキちゃんのエレキギターが激しい音色を奏でると同時に、曲は一気にスピード感を増して行く……、

 ユーミンがY2-Prismとして最初に作ったこの曲は、そんな緩急に富んだイントロからスタートする。そうして盛り上がりを見せたところでまた演奏はシンプルなものに立ち返り、代わりにユキちゃんによる歌が始まり、曲の主柱とも言える歌声の音色に俺たちは自然と耳を傾ける。

 ユキちゃんの歌――声という自分にも備わった音であるが故に、ユキちゃんが発する歌声が、自分などのそれとは比べ物にならないほど美しいものとわかる。声音も、言葉の紡ぎ方も、響かせ方も聴かせ方も、全てが聴き惚れてしまうほどに洗練されているのだ。

 普段の明るく元気な声色と少し異なる、唄う時だけ聞くことができるユキちゃんの真剣な声。彼女らしく繊細で、澄み渡っていて、それでいて芯があって力強い。一言で言うと、格好が良い声だ。

 そんな歌声がメロディに乗せる言葉は、ユキちゃん自身が考えている。ユーミンが作曲をしているのに対して、作詞はユキちゃんというわけだ。最初ユキちゃんは先程と同じような理由から「ユミくんがやればいいよ。わたしは言われたとおりに歌うから」と言っていたそうだが、これに関してユーミンは譲らなかったようで、作詞だけはユキちゃんが手掛けることが通例となったらしい。

 歌詞の話をするとユキちゃんは恥ずかしがってすぐ話題を逸らしてしまうのだが、卑下する理由がわからないぐらい良い詩を書くと俺は思う。言葉の選び方が独特、でもとてもキレイで、ユキちゃんらしいと言えばいいのか、好ましい空気が感じられるのだ。

 今まで聴かせてくれた曲の歌詞の内容は様々で、具体的な作風は見えてこない。一人称が「僕」だったり、詩自体も変わった比喩が多くて抽象的だけれど、ユーミンとユキちゃんの二人のことを知っていると、それが自分たちやユーミンのことを歌ったものらしいことがなんとなくわかる。口にするのも野暮だから、それを指摘したことはないけれど。

 作詞って大変だろうな、と思う。俺は芸術面の才能が皆無だからなおのことそう思うのだが、整った文章、それも曲に合わせて口にしやすい形のものを、考えなければならないのだから。

 もちろん、ユキちゃんだって何もせずに思いつくまま詩を書いているわけではなく、常に専用のノートを持ち歩いていて、フレーズを思いつくたびにそこにメモしている姿をよく見かける。ちゃんと意識をして、努力をしている。絶対に見せてくれないあのノートにはきっと想像がつかないぐらい無数の言葉が書き込まれていて、さっきの新曲の歌詞もそこから用意されていくのだろうな、と思う。

 そんなユキちゃんの有り様は、すごく似ていると思う。いつも音楽のことを考えていて、一度メロディを思いつけば夢中になって作曲を始めてしまうユーミンに。

 ……そういう姿を見るたびに、二人は本当に音楽が好きで、一緒にバンドをやっていることが楽しくて仕方がないんだろうな、と思う。

 その楽しさも、真剣さも、俺たちには理解の及ばない大変さも、そんな二人の全てが、俺にはとても眩しく見える。


「――っしゃぁーっ! ありがとぉーっ!!」

 最後の曲のアウトロの余韻も覚めやらぬ中で上がったユキちゃんの爽快な喚声。演目の決まっていない三曲目のカバー曲を除き、文化祭ライブでやる予定の曲目が一通り演奏し終わる。時間にして十分ちょっと程度だったが、心から集中していた二人の表情には少なからず疲労が見て取れた。

 それでも俺と初見が先程以上に盛大に拍手を送ると、二人は笑顔を取り戻す。

「わーい、わーいありがとう!ありがとう二人ともー!」

 左手でギターを奏でながら、俺たちに向かってぶんぶんと右手を振るユキちゃん。これまで何度も人前で演奏して来ているだけあって、歓声への対応にも慣れが見える。

「おつかれさま、ユキ」

「ユミくんもおつかれさまー、最後のソロ、ちょーカッコよかったよー!」

「あ、あはは……ありがとう。ユキも今日は苦手なところもピッチ安定してたね。ちゃんと練習してるんだ」

「もちろん!」

 ユーミンに対して胸を張り、ついでに俺たちにまで「イェーイ!」とガッツポーズを向けてくるユキちゃん。俺たちも反射的にガラにもない「イェーイ」を返して、場にはなんとも微笑ましい空気が漂う。

「ユキ、ツトムたちが見てる時はちゃんとそういう風にできるんだよね。ライブでのMCもその調子でやってよ」

「えー、それはいいよぉ……。知らない人の前で喋るのやだもん」

「うーん……」

 さっきまでのご機嫌な調子から一転してすねてしまうユキちゃんにユーミンが難しい顔をする。

「MCってのは、えっと……ライブでユーミンが喋ったりしてる時のこと?」

「そうそう。曲の合間に挟むトークのことだね。普通あれはボーカルとかギターの人がやるんだけど、ユキ、ボーカルなのに全然そういうのやりたがらなくってさ。喋るのは毎回僕なんだよ」

 ユーミンが言うとおり、何度か見たことあるY2-Prismのライブでは確かにユーミンが喋っている印象しかない。ユキちゃんは演奏の合間は大体そっぽ向いてチューニングしてたりして、司会をやる気は全然なさそうだった。

「いいじゃん。わたし喋るのへたっぴだし、ユミくんが喋ったほうがいいよ」

「いやいや、普段あれだけ屁理屈言ってるくせにそれはない……っていうか、その発言が既にそうでしょ」

「いいのっ!」

「えーっ、そこで強引に押し切っちゃうの? うーん、フロントマンなんだからもっと前に出たほうがいいと思うんだけどなぁ」

「わたし女の子だから。マンじゃないもんっ」

「いや、それもう完璧に屁理屈じゃん」

 ちなみに実際のところ、ユキちゃんの唄う以外では喋ろうとしない無愛想な近寄りがたさと、その歌声の澄んだ感じや歌詞の感じなどとのギャップがかえって好感を呼んでいるのだそうだ。

 文化祭などの大規模なライブではなく、昼休みとかにたまに行われるゲリラ的なものの評判に過ぎないとはいえ、そこに来ているお客さん内においてはユキちゃんの評価はユーミンの不安とは裏腹にとても高いのであると聞く。

 お客さんにとっては、ライブ中は壇上の人物とはいえ普段はユーミンもユキちゃんも自分と同じ学校の生徒だ。従ってユキちゃんの普段俺たちといる時の快活そうな姿も目撃されている以上、ステージ上で喋らないのは単なる恥ずかしがり屋と思われているのかもしれない。その結果妙なカリスマ性が出ているのだから、不思議なものだ。


「ま、なにはともあれお疲れさま。ちょっと休憩しようか」

「そうだねー。あ、そうだ、ハッちゃんキーボード弾いてみてよ。ハッちゃんが演奏するところ見たーいっ!」

「えぇっ!? 嫌よ。二人の前でなんて……やだ、もうやめてったら、ユキ!」

「あははははっ!」

 そんな感じで。頑として楽器に近寄ろうとしない初見の姿を残り三人で笑ったりしながら、夕方の時間が流れていく。

 加山軍団でバンドをやるとしたら誰がどのパートをやるか……加山はボーカルで、和泉は絶対ギター、島本はドラムで、桜さんは見たこともないような民族楽器で……とか、そんな雑談をしたりしながらも、再度場が乗ってきたところで改めて楽器を構え、真剣な面差しで練習を再開するユーミンとユキちゃん。それを眺める俺と初見。


 そんな平和な空気の中、下校時刻はすぐにやってきてしまう。

 最後のチャイムすらかき消すぐらいの勢いで鳴り続ける二人の演奏。


 夕焼けに染まった部室が、笑えるぐらい平和だった。




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