●とある午後・授業中
気怠い午後の授業中。
ポケットからの微かな振動で目を覚ます。
気付けば机に突っ伏していた。顔を起こす。
メールが来たらしかった。もぞもぞと携帯電話を取り出して開く。
液晶に映し出された名前――今朝も一緒だった桜さんからだ。
何だろう?
差出人:鬼頭桜
宛先:梅山勉
件名:(無題)
本文: (▼) ←パンツ
「…………」
……何がしたいんだ、あの人は。
暇しているらしいことはわかったが、今は授業中なので構ってやれない。後で返信することにして、俺は携帯電話をしまう。
周囲は静かだった。
黒板の前で先生が喋る声とチョークの音。あとは隣の教室やグラウンドから聞こえてくる遠い音ばかりだ。
「……ふぁ」
小さくあくび。
眠ってしまっていたらしい。枕にしていた右腕がしびれていた。
全身が疲れている。四時間目の体育で動き過ぎたせいだ。
……どういう経緯でか忍者みたいな登下校が趣味になってしまった島本の更生を目的として行われた熾烈なサッカー対決。俺と島本の二人で、より多くの得点を決めたほうが勝ち。
幸い、事情をわかってくれそうな知り合いが同じチームに多かったため、協力を仰いで僅差で勝つことができたが……、正直きつかった。
その結果、すっかり疲れ果てて寝てしまっていた。五時間目が日本史で良かった。
日本史は英語や数学と違って、当てられたりすることのない平和な時間だ。結果的に、寝ていても看過されることが多い。見つかれば当然怒られるが。
――勝負の後だからってたるんでるな、俺。
軽く首を捻ると小気味良い音が鳴る。小さく伸びをして、それで眠気は吹き飛んだ。
俺の居眠りが周囲に気づかれた様子はない。生真面目そうな雰囲気の先生の声音が、淡々と教室に響いている。
「てっ」
横合いから頭に何かをぶつけられた。
それはそのまま俺の机に落下し、てんてんと数回跳ねる。使い込まれて小さく丸まった消しゴムだった。
飛んできた方向を見ると、すぐ隣の席の初見が横目でこちらを見ていた。形の上では丹念にノートをとっている風を装いながら、つつつと左手で何かをこちらに差し出してくる。
『大丈夫?』
机の隅に垂らされたウサギ型のメモ用紙に、そんな言葉が書かれていた。
どうやら俺の居眠りは右隣の初見にはバレていたらしい。情けない。
ともあれ、俺はすぐにノートの隅をちぎって返事を書き、同じように差し出す。
『平気。寝たらスッキリしたよ』
それを見た初見は、さり気ない仕草でメモ用紙をもう一枚めくって、さらさらと何か書き付ける。
『ツトムが寝てるなんて珍しいね。ノート取ってる? 後でうつさせてあげようか?』
書かれたメッセージは願ってもない内容だった。ありがたい。
すぐ返事を書く。
『頼むよ。今日の夜でいいか?』
それを横目で見て、初見はこくんと頷いた。
よし。これで次回から日本史がサッパリわからなくなるという事態だけは回避できた。初見には申し訳ないが、今日の復習を一緒にやらせてもらって取り戻そう。
感謝を込めて深々と頭を下げると、初見はノートと黒板を行き来していた視線をこちらに向けて、ほっとしたように笑んだ。
メールめいた筆談と身振り手振りの対話はそれをもって終了する。授業中という空間で先生の目を盗んで行われたそれが、なんとなくワクワクした。
「…………」
――さて。
先生は相変わらずしゃべっているが、黒板にびっしり書かれた年表を今さらノートに書き写す気には正直なれない。
どうせ後で初見が写させてくれると言うし、今日はのんびり話を聞いていることにしよう。
ぼんやりと。
歴史の講義をBGMに、午後の時間が流れていく。
真面目な初見は俺との会話の後もせっせとノートを取り続けていた。
初見はどちらかと言えば文系科目が得意なので、日本史はそこまで必死というわけではない。むしろ歴史小説とかが好きなので、割と毎回楽しみに受けているようだ。
ちなみに初見の苦手科目は理系全般、特に理科の物理。あと公用語。
理数系は俺もそんなに得意じゃないけど、全くわからないというほどじゃない。だからテスト前なんかは二人で一緒に勉強したりしている。
初見も決して勉強ができないというわけではないし、こうして真面目に努力はしている。
だが、どうもここ一番でポカをやらかす傾向が強い。わからないところも俺が教えた時の理解は早いのに、テストや問題集を前にすると緊張してしまうのか普段はやらない些細なミスを連発してしまうのだ。
結果、成績はあまり良くない。中の下といったところだろう。
本人もその辺りを気にしているようで、最近ではケアレス対策方法を色々と模索中らしい。俺もその辺よく相談を受ける。
ケアレスミスの大半は学力の不足というより、緊張や自信のなさから起こるものだ。従って、俺との勉強会でもわからないところを教え合うというよりは実戦形式がメインとなる。暗記した単語を言い合ったり、解いた問題集を交換して丸つけしたり。知識以上にテスト対策――問題を解くことに対する自信につながるように。
ちなみに勉強会には他の連中が混ざることもあるが、大抵誰かが(主に加山が)飽きて邪魔ばかりしてきて勉強にならないのであんまりやらない。
なお、いつも一緒にいながらも、俺たちの成績アベレージは結構分散している。
上 和泉>>>俺>ユーミン>>>加山>初見>>>ユキちゃん>島本 下
そんな感じで、俺たちの中で一番成績がいいのは意外にも和泉だ。日頃の発言や服装センスなんかはすごく頭悪そうなのに。
全国模試でも偏差値80近辺。当然定期テストや模試でも上位常連だ。うちの学校はレベル的には県内でも割と高めなほうだけど、その中においても和泉は余裕でこなしている感がある。正直敵う気がしない。
その反面、失礼な話だけどユキちゃんとか島本はよく入試受かったよなぁ、って感じなのだが……まぁ……。
そんな和泉は現在、先生の話などそっちのけで小説を読んでいた。
表紙に書店の紙カバーをかけているので多分ライトノベル。一般書なら、あいつはこれ見よがしにそのまま読むはずだからだ。妙なプライドがあるヤツなのである。
そんな見栄っ張りで不真面目なヤツが、ああして先生の話聞かなくても授業の内容がわかっているというのだから、不公平な話だ。
基本的に頭の回転が早いのだろう。こうして見ていると本を読むスピードもかなり早いし、あの調子で教科書も読み終えているのかもしれなかった。
そんな感じで余裕の和泉だったが、成績では大きく劣る加山も当然のように授業そっちのけで寝ていた。頬杖をついて、シャーペンを握って、上手い具合にバレない体勢を絶妙に維持している。その無意味な努力があいつらしい。
日夜無茶苦茶に活動しているあいつにとって、当てられない授業はちょうどいい休息時間らしい。特に昼間は眠くなるもの。大体いつもああして寝ている。
……だから成績が悪いのだろうが。
要領は悪くないのだから、真面目にやれば多分俺より勉強できるのに。というか、バレないように寝るスキルを磨くぐらいなら勉強した方が早いような気がする。
そのすぐ近くの席にはユーミンがいる。
ユーミンは真面目なのでちゃんと授業を聞いている。
「…………あ」
けどよく見たらシャーペンは動いておらず、代わりに指がリズムを取っていた。
作曲中らしい。
ユーミンは趣味で音楽をやっている。得意な楽器は鍵盤。更には演奏するだけでなく自分で曲を書いたりもする。音楽自体は昔からやっているが、高校に入って軽音楽部に入部してからは、その活動もますます精力的になっている。
そんなユーミンはフレーズが思いつくと瞑想に入ってしまって、周囲が目に入らなくなる、ということがたまにある。それは本当に唐突に来るらしくて、授業中でも会話中でも関係ない。多分今も頭の中で必死に色んな音の想像をふくらませているところなのだろう。
授業中で一応静かとはいえ、ひっきりなしに先生の声が聞こえている中でよく曲なんか思いつくよなぁ。やっぱすげぇな、ユーミンは。
ちなみに島本だが、
俺のすぐ後ろの席で加山と同じように寝ていた。
「ぐおおお……」
しかも突っ伏して。盛大にいびきをかきながら。
「梅山くん、島本くんを起こしてあげてください」
「……はい」
で、大体これが俺の役目。
ここまで高いびきされては先生もさすがに看過できるはずもない。
「おい、島本起きろ。授業中だぞ」
ゆっさゆっさするが全然起きない。当然か。
こいつもさっき俺と一緒に体育で大暴れしていたわけで、大分とくたびれているはずだ。
「おーい!」
耳元で声を上げながら肩をばしばし叩く。起きない。
クラスメイトの何人かが、そんな俺たちの様子を見てくすくす笑っている。その中でただ一人――俺が寝ていたことにも気づいていた初見は、笑みにもなんだか余裕が見られた。
初見にまただらしないヤツだと思われたかな。それがちょっと気がかりだけど、……なんにせよ、島本がいびきかきはじめる前には起きられてよかった、か。
今日も平和な午後だった。