●とある午前・始業
賑やかな通学路を経て、やがて学校にたどり着く。
バイクでこのまま家に帰るという桜さんとは駅前で別れた。連れ立って歩いていた八人は、この時点で七人になる。
「じゃ、またね」
昇降口でいち早く上履きに履き替えたユキちゃんが言った。
いつもつるんでいる俺たちの中で、ユキちゃんだけはクラスが違う。だから一緒に行けるのはここまでだった。
「あぁ」
「またね」
「後でなー」
「いってらっしゃい」
「……ばい」
「また明日」
思い思いにユキちゃんを見送った。
F組――ユキちゃんのクラスは六つあるクラスの中では昇降口から一番遠いので、やや急ぎ足になる。
……それはそれとして、
「ちょ、ちょっとユミくん!また明日って何?今日はもう会えないの?ユミくんはもうわたしとは会いたくないの!?」
階段に向きかけた身体を勢い良く戻し、こちらに駆け戻ってくる。
ユキちゃんは寂しがり屋なのだった。
「ご、ごめん、そんなつもりじゃないんだよ!ちょっと言い間違い!」
気圧されつつ、慌ててフォローに走るユーミン。
「ほ、ほんとに……?」
「ホントだよ。じゃ、じゃあ、教室まで送るよ。一緒に行こう?」
「ぁ……、うんっ」
ユーミンが差し出した手をユキちゃんが嬉しそうに握る。
一瞬こちらを振り返ったユーミンに、残った俺たちは全員で頷きや挙手を返した。
――ごめん。僕はユキについてくね。
言わずともそのような意思が伝わってきたからだ。そして俺たちはそれを別段咎めだてたりなんてしない。
そのままユーミンはユキちゃんと共に廊下を歩いていき、他の生徒たちに紛れて見えなくなった。
「ユキちゃんと付き合い始めて四ヶ月、ユーミンもしっかりしてきたもんだぜ」
「彼女がメンドくせえ性格だと振り回されて大変だな」
「いやいや、ユキちゃんのためとなるとマメなんもんだよなー。感心感心」
皮肉をこぼす和泉と、うむうむ、と誇らしげな加山。
「ユーミンのマメさはユキちゃんに限った話じゃないと思うけどな。昔っからフォロー上手だし」
「それはそーだな。加山軍団のリーダーとして、俺も見習わねばならんぜ」
「……フン」
ユキちゃんは高校に入ってからの友達だ。けど、そのこととユキちゃん以外の俺たち――同じ中学の六人が同じクラスなのは無関係で、そもそもクラス分けに生徒の俺たちは関与できないのだから、ユキちゃん一人だけ別方向なのは単なる偶然だ。
だけど、毎回ここで一人違う方向へ行かなければならないことを、ユキちゃんは気にしているらしい。今日のように寂しそうな表情をすることも多い。それに耐えかねてユーミンが教室まで付き添うのも割とよくある光景だった。
「……ねえ、ツトム」
「うん?」
階段へ向かっていると、初見が話しかけてくる。
「前から思ってたんだけど。和泉くんさ」
「和泉が?」
「ユミくんがユキに取られちゃったから、寂しいんじゃない?」
「……かもな」
見れば、元気よく歩いている加山と島本の後ろで、どことなく憮然とした表情の和泉なのだった。
和泉はなんだかんだ言いつつもユーミンと一番仲が良い。対立する部分はあっても噛み合う部分の方がずっと多いのだろう。なんと言っても付き合いの時間では僅差とはいえこの二人が一番長いのだ。
と、そこで初見も足を止める。
「……んっと、ツトム」
「どした?」
「私、ちょっと部室寄ってくるから。先行ってて」
「そっか。わかった。遅刻すんなよ」
「しないよ。またね」
「あぁ、また」
小さく手を振って、部室棟の方角へ歩み去る初見を見送る。
見慣れた背中が見えなくなると、あとは男子が四人残った。
「和泉」
小走りで追いつき、和泉の隣に並ぶ。
「……ん?初見ちゃんはどうした?」
「部室寄ってくって」
「ふうん……」
「…………」
何か言いたそうな和泉を見返すと、沈黙に耐えかねたように息を漏らした。
「……うるせえのがいなくなると、学校来たって感じになるな」
「あぁ、寂しいな」
「…………かゆいこと言ってんじゃねえよ」
「でも、そういうことだろ?」
「っ……、思っても言わねえもんだ。直球すぎんだよ、お前は」
「……そうかな」
「そーだな。ツトムは直球すぎる」と前を歩いていた加山が振り返る。
「……おまえまで言うのかよ」
「――――だが、それがツトムの愛すべきところだろ?」
「そうだな」
「………………」
加山の言葉に即答したのは島本だ。
和泉は何も言わなかった。ただいつもどおり、斜め下を向いて歩いていただけだ。
「……ったく」
一瞬の間をおいてあくびをする和泉。
そこで会話が途切れたが、誰も言葉を継ごうとはしなかった。
これもいつもの光景。
気取り屋の和泉はやたら静寂を尊ぶけれど、他のみんなだって賑やかな性質ながらも常に無理して騒がしているわけでもない。こうして落ち着いた瞬間もあるし、こいつら相手なら沈黙にも別に違和感を覚えない。
「今日もつまらん学校生活か」と和泉がぼやく。
「またサバゲーでもやるか」
「中坊の時みたいに?学校で?」
「うむ」
和泉の言葉に頷く加山。
「悪くねえな。みんなでSMG抱えて」
「うむ」
「そこで島本軍曹閣下による映画ばりの殺戮劇が繰り広げられると」
「うむ」
和泉の言葉に頷く島本。
「素直に頷くなよ」
ユーミンがいないと、ツッコミ役は俺しかいなくなってしまう。
そんな会話をしているうちに、教室の鼻先だった。
すると、ここまで一緒に来ていた和泉がふっと一人進路をそらす。
「どこ行くんだ和泉?」
「便所」
「外すなよ」
「外すかよ!」
和泉はトイレの方へ。携帯電話を手に持っていたところを見ると、用を足すのではなく桜さんに電話をしに行くのだろう。さっき別れた後に無事に家に帰ったかの確認というところか。わざわざ席を外すあたり、和泉の神経質なところが伺える。
茶々を入れている加山も気付いているんだろうが、敢えて指摘しない。
和泉はいじられキャラだった。
そうして連れ立っていた俺たちはさらにバラバラになる。
加山は呼び掛けに応じて他のクラスメイトのところへ行く。あいつは俺たち以外にも友人が多い。イベントの絶えない加山の性質を、色んなヤツが気に入っている。
島本はカバンを机に置いて、クラスメイトへの挨拶もそこそこに教室の隅へ移動して、おもむろに筋トレを始める。こいつの日々の習慣だ。入学当初はみんなの驚愕と笑いを買ったが、もう誰もがいつもの光景として見過ごしている。
そして俺の席はそんな島本の前。
「おー、梅山、おはよう」
「おはよう梅山くん」
左隣の席にたむろしていた女子たちが、俺に気付いて声をかけてきた。
「おはよ」と俺も挨拶を返す。リュックを開き、すぐ使う教科書だけを取り出しながら。
笠原、宮下、渡辺というこの三人は初見がこのクラスで仲良くなった友人である。初見とよく一緒にいる俺も自然と話す機会が多い相手だった。
「あれ?初見は一緒じゃないの?風邪?」
机に腰掛けていた笠原が訪ねてくる。本来ここはこいつの席だが椅子の方には宮下が座っていた。
「部室に行ってくるって。もう少ししたら来ると思う」
「そっか。それならいいんだけど」
「ん?なんか用事か?」
「あー、いや、別に。あんたたちいつも一緒にいるのに今日は梅山だけだったからさ。気になって」
「……ああ、なるほど」
今のクラスになってからの知り合いは、四月から今までの期間、俺と初見の普段のやりとりを見てきている。今や大体のみんなは俺たちが幼稚園の頃からの幼馴染という事情も知っていて、その所為か俺たち二人はいつも一緒みたいに思われている。
俺の友人関係は総じて付き合いが長い。加山たちは小学校からの仲間だし、初見はそれより更に前だ。それだけ長いこと関係が続いているのは噛み合うものがあるからで、自然と一緒にいる機会が多い。
とはいえ今はそれぞれ高校に入ってできた新しい付き合い――初見の場合は笠原たちのような友人たち――が結構あるし、部活動に参加したりもしているので、中学の時と違って四六時中一緒にいる……なんてことは少なくなったと思うのだが。
「ってか相変わらず一緒にガッコ来てんだね。何の前置きもなく聞いといて今更だけどさ」
「まぁ、家が隣だからな。わざわざ別々に行く理由もないし」
「仲良いねえホント」
「仲良いよねぇー」
ため息みたいな笠原の声と宮下のゆるいトーンが突然ハモって俺は驚く。机の脇に立って静観している渡辺もこくこくと頷いていた。
「そりゃまぁ……そうだけど。その妙な反応はなんなんだよ?」
「いんや、別にぃ」と宮下が意味ありげに笑う。「二人の仲良しぶりを実感してるだけだからさ、気にしないで」
「……そんな改まって言うほどのもんか?別に普通だろ。付き合い長いんだし」
俺がそう言うと、笠原は「いやいやいや」と手を振りながら笑う。
「……梅山、普通に仲が良い程度の男女は相合傘して帰ったりとかしねーから」
「相合傘……? あぁ、この間の話か?しょうがないだろ、あの日は初見が傘忘れて困ってたんだから」
「困ってたから……、か。いやあ……仲良いねえ」
「仲良いねぇー」
俺の言葉を繰り返しながら笠原は心底楽しそうな表情だった。宮下と渡辺も似たような心境なのか、同じような表情をして頷き合っている。
「…………」
そりゃまぁ確かに、俺と初見の仲は付き合い長いだけあって悪くないとは思うけどさ。なんか含みがあるんだよなぁ、こいつらの言い方……。
…………。
ひょっとして俺と初見のやりとりって、俺が思っている以上に変なのだろうか。そんなことはないと思いたいけど。
「ははは、まあ、あんまりからかうと後で初見に怒られるからこの辺にしときますか」
「……いいけどさ。別になんでも」
なんとなくおざなりな返事になってしまう。
しかし、いつも仲良くしているだけあって、笠原たちは初見のことをよく見ているようだ。それに関しては、なんというか、幼馴染として素直に喜ばしいことだと思う。
「んや?」
と宮下が不意にそんな声を発しつつ携帯電話を取り出す。カチカチと軽く操作をしてから、疲れたような息を漏らした。
「どしたナナミ。メールか?」
「……お姉ちゃんからだった。帰ったら今日の夜九時からやる連ドラ撮っといて……って。そんなん自分でやれっちゅーねん」
面倒くさそうにケータイを閉じる宮下に、笠原が思い出したとばかりに目を見開き、膝を打って立ち上がる。
「ヤベッ、今日金曜日だった!どーしよう、アタシも録画してねーよ!」
不意に大声を出すものだから周囲のクラスメイトが何事かとこちらを向く。それを受けて我に返って、少しばかり気まずそうな笠原。
「……別にいいんじゃないの?」と若干呆れたように宮下が言う。「ヨコさんどうせリアルタイムで見るんでしょ?なら録画せんでもええやん」
「で、でももし忘れたら一生後悔するじゃん! ああ、どうしよ、今から家に電話して録画予約しといてもらおうかな……!」
「忘れたらあたしの家のプレーヤーから落とさせてあげるってばさ」
二人が話題にしているのは毎週金曜に放送している連続ドラマの話らしかった。先週初見が家に来た時に俺も一緒に見たので、どんな話かは知っている。
「笠原、あのドラマ好きだったんだな」
俺がそう言うと、笠原はまた目を見開いて「うん!」と頷く。「もー、ここ最近毎週超楽しみにしてんだよ!なに、梅山もあれ好きなの?」
「……い、いや、見たのは先週の回だけだけど。初見が好きなんだよ。アレ。で、先週うちに来てた時に一緒に見たからさ」
「あー、そういうこと。ははは。で?梅山的にはどうだったんよ?」
「結構面白かったよ。凶器のつららをポット使って溶かすところとか驚いた」
「アレねー。あのポットが犯人の私物だってのは実は前話から言われてたんだよ。それがヒントになってんだ」
「あぁ、それは初見も言ってた。クーラーボックスもその人が持って来てるものだったから、多分この人で犯人間違いないって。あの犯人も十年前の事件の被害者だから心情的には理解できるけど、犯行自体は計画的だったって」
先週初見が言っていたことを思い出しながら喋っていると、三人が徐々に呆気に取られたような表情になっていく。
「……それ、初見が言ってたん?」と宮下。
「え?あ、あぁ。見ながら横で推理聞かせてきたんだけど……、なんだ?なんか驚くようなことあったか?」
微妙な反応に俺がそう尋ねると、「いやいや、そうじゃなくてさ」と苦笑交じりに手を振る笠原。「あんた初見の言ってたこと覚えすぎ。っつーかあんたたち仲良すぎ」
「家で一緒にドラマ見るなんてよっぽど仲良しなんだねー」
「……あぁ、いや……どうだろ?」
呆れたように言う笠原の言葉を受けて、渡辺から楽しそうに言われてしまった。なんか気づいたらさっきと同じ風向きになっていたので、俺は慌てて言葉を濁す。
「まぁ、トリックもだけど、人間の内面とかもかなりちゃんと描かれてて、深い話だなって思ったよ」
「だろー!?そこがいいんだよあの人の話は! いやー、そう言ってもらえると初見に勧めたアタシとしては嬉しいね。梅山も原作の小説読む? アタシあの人の本全部持ってるから貸せるよ?」
「……さ、さんきゅ。まぁそのうちな」
水を得た魚みたいにテンションアップする笠原に少し気圧される。笠原は水泳部に所属する体育会系っぽいヤツなのだが、ドラマとか小説とかが意外に好きらしい。
「ヨーコちゃんってドラマ好きだよねー」
「特にミステリとかねぇー」
そんな笠原の様子を見ながら、渡辺と宮下がそんなことを言い合う。
「あとはサスペンスとかもねー」
「若干ミーハー入ってんよねぇ」
「ミーハー言うな!アンタのオタク趣味よりマシだろ!」
「お、オタク言うなぁ!」
ややうろたえ気味に言い合いを始める笠原と宮下。そんな二人の様子を渡辺が平和そうに見守っている。
仲の良い三人だ。今はいないが、普段はここに初見が加わって四人で仲良くしていることが多い。昔からの友人である俺たちと同じような、それでいてまた別の友好関係。
……そんな姿を想像すると、初見もいい友達を持ったなと思う。
「と、そんな場合じゃねーや」と、しばし口喧嘩をした後に気を取り直す笠原。「一時間目古典だっけ。辞書取ってこなきゃ」
「そだね。んじゃあたしもー」
宮下もあっさりと平時のノリに戻り、占拠していた笠原の椅子から立ち上がる。
「んじゃ、梅山くんまたねぃ」
「またなー。っつーてもアタシは席隣だからすぐ会うけどな」
「あぁ、また」
連れ立って廊下に出て行く笠原と宮下を渡辺と一緒に見送る。
「それじゃあ、わたしも自分の席戻るねー」
「あぁ、渡辺もまたな」
「またね。梅山くん」
残った渡辺も自分の席に戻っていく。
そうしてそれからは特に何をするでもなく、頬杖をついてクラス全域を感じることにする。ガヤガヤと響く喧騒の中で、仲間たちの声を正確に聞きとることはできない。
やがて部室に行っていた初見が戻ってきて、空席だった俺の右隣の椅子に腰をおろした。
「……おかえり」
「ただいま」
そんなさり気ない言葉のやりとりと同時にチャイム。そして始業。
気が付けば通学時の連帯感は失せていて、俺たちはそれぞれが単純にこのクラスの一員となっていく。
「……、初見。シャーペンの芯、ないなら使うか?」
「えっ?あ、うん……もらう」
「ん。ほら」
「あ……ありがとう」
そんな中で、俺と初見はすぐ隣にいて、会話をかわしたりした。