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●とある朝・通学路



 数え切れないぐらいたくさんある俺たちの日々のうちのどれか――


 ――――とある朝のことである。



 朝、体は自然に目覚める。

 だがそれは規則正しいサイクルを維持できていればの話で、一日でも乱れてしまえば目覚まし時計は必須のものとなる。

 今日の俺がまさにそれで、飛行機の音で目が覚めた時のショックといったらなかった。念のためにセットした目覚まし時計にも気付かず、あと少し飛行機が我が家上空を通過するのが遅れたら、母親か幼馴染のどちらかに部屋まで乗り込まれていたところだった。


 …………この日、梅山勉は寝坊をした。



「ツトム、あんた何やってんの!?」

 いつもより慌しく朝の支度を整え、居間で朝食を摂った後。

 つい先程たいらげた朝食の食器をいつもの調子で片付けていたら、母さんから声をかけられた。それがやたらと大きな声で、ずずいと近寄って来ながら言うものだから俺は何事かと少々戸惑う。

「何って……、片付け」

「そんなのいいから早く学校行きなさい!外で初見ちゃん待ってるんでしょ!」

 言うが早いか、俺の手からスポンジがもぎ取られる。

「え、でも……」

「でもじゃないの!あんたが寝坊なんかするから、心配して見に来てくれたんじゃないの」

「……えっと」

「あんたただでさえ今日ご飯食べるの遅かったんだから。のんびりしてたら遅刻するわよ!」

 さっさと行った行った、と追い払おうとする。仕方ないので、キッチンの流し場――水を張ったボウルの中に洗おうとしていた食器をつけおくにとどめた。

 居間の時計を見ればいつもより数分遅い。今日は朝から初見を色々と待たせっぱなしなので、母さんの言葉はありがたかった。

「じゃあ、行ってきます」

「はいはい行ってらっしゃい。ちゃんと初見ちゃんにお礼言うのよ」

「わかってるよ」

 俺がそう返事をした時には、母さんは俺から奪ったスポンジで洗い物を始めていた。俺が寝坊した所為だろう、いつにも増して働き者のその背中を尻目に、リュックを背負って玄関へ向かう。

 親父の方は俺のことなど放って早々に出勤してしまっていた。

 全くもって相変わらず。我が家の両親はいつもの調子だ。


 ドアを開いて玄関先。

 差し込む日差しに、俺は思わず目を細めた。眩しさから逃れようととっさに右手を額の上にやって、今日もいい天気だと実感する。

 微かに吹く風が庭木を静かに揺らしていて、葉擦れの音と共に小鳥の声が聞こえた。たったそれだけのことで、なんとも爽やかな気分になる。

「ふぁは……」

 あくびだ。噛み殺す。

 まだ少し眠気が残っているが、体調は悪くない。今のあくびによって身体の眠気が発散されて、心地よい覚醒感が広がっていく。ようやく活動を始めた身体機能によって、ついさっき口にした朝食がいい具合に消化されていくのがわかった。

 朝食の内容はご飯と味噌汁、卵と梅干、それに漬物を少しだけ。親父の影響で、梅山家の朝食は和食派である。基本的に食べることは好きだ。けど今日は初見を外に待たせているので慌ててかきこんだ。

 朝の補給が一日を生きる力。その信条に基づいて、うっかり寝坊した今日も俺は朝食を抜くことはしなかった。

 ――けどそれで余計に待たせてるんだから、世話ないよなぁ……。

 かといって朝を抜いたりしたら絶対今日またどこかで集中切らせて、余計なポカをやらかしてしまいそうだし。

 頭をかく。この埋め合わせは、いずれどこかでしよう。


 そんな感じで、今日もここからいつも通り。

 いつもの、朝。



 そうして移した視線の先――我が家の門を挟んで向かい側に見慣れた立ち姿がある。

 いつも通りのその様子に、安心感が満ちていく。


「おはよ、ツトム」

 家から出てきた俺に気づいて名前を呼んできた。

 こちらへ振り向く動きに合わせて、長い髪がさっと踊る。

 ――窪田初見。俺の幼馴染。


「目、ちゃんと覚めた?」

「あぁ。なんとか。ごめんな、待たせて」

「ふふっ、いいよ。ちゃんと反省してるみたいだし」

 門から出つつ挨拶を返す。少しだけの教科書が入った軽いリュックを背負い直しながら。

 俺は予復習の不要な科目の教科書については置き勉を行っている。カバンが軽い日は気分も軽いというバイオリズム。

「ツトム。髪、跳ねてるよ」

「えっ、うそ?」

 言われて触ってみると確かに後頭部近くがヘンな方向を向いているのがわかった。寝癖だ。この辺、鏡では見えない角度なんだよなぁ。寝坊なんかするからこんなことに。

「うわぁ、気づかなかったよ。このまんまじゃまずい、よなぁ……」

「あっち向いて、なおせるかもしれないから」

「悪い。頼む」

 俺は回れ右。背後から初見が接近してくる気配。直後、髪に手ぐしが入れられて、慣れた手つきで髪をすかれる。俺は目を閉じて、大人しくそれに応じた。最初感じたむずがゆさが、徐々に希釈されていく。

「ツトム、相変わらずのクセッ毛だね」

「そりゃ初見のとは全然違うよ」

「昔っからこうだもんね。でもさわり心地は悪くないよ、こういう髪質も」

「誰かに触らせるタイミングなんかないよ」

「私。今触ってるよ?」

 くすぐったがりだから、基本的に他人に体を触られるのは好きじゃない。でもこうして初見に触れられるのは昔からそれほど気にならなかった。

「……戻りそうか?」

「うん。うまい具合に隠れた」

「サンキュ」

 俺がそう言って振り返ると、初見は再度俺の頭に手を伸ばしてくる。

「せっかくだから、ついでにカッコよくしてあげる」

「いや……いいって……、ちょっと……、」

 慣れているといっても、こうも長々と無防備に髪を触らせているのはやはり何とも気恥ずかしい。

 かといって強く拒絶する程のことでもないので、俺は何も言わず少しだけ頭を下げた。目が合ったら何か誤魔化しのようなことを口走りそうだったし、こうしていれば初見もやりやすい高さになるような気がしたからだ。

 そうしてそのまま向かい合った状態でしばらく前髪を少しいじられた後、不意に「これでよし」と額を軽くはたかれた。微かによろめく俺に、初見は少し嬉しそうで、それでいてちょっと意地の悪い表情を浮かべる。

「ねぼすけ。起こしてあげなかったら遅刻だったんだからね」

「……、悪かったよ」

 申し訳ない気持ちはあったので素直に謝る。

 そんな俺の姿を見て、初見は普段のように穏やかに笑んだ。

「朝、外で待ってても出てこないから、心配したんだよ?おばさんたち起こしちゃったら悪いから、声かけなかったけど……」

「……あぁ、そうか。ごめんな、ホントに。今日は一人で走ったのか?」

「うん。いつも二人なのに今日は一人で、ちょっと変な気分だった」

「そっか。えらいな。……、明日からは絶対寝坊しないよ」

「あはは、いいよ。……でも、ツトムが寝坊するなんて珍しいね。平気?疲れてるの?」

「ん、平気。たまたまだよ」

「そう……?ならいいんだけどね。それじゃ、行こ?」

「あぁ」

 歩き出す。

 自然な動きで並び合って。


「……なぁ初見、叶見さんって今、仕事忙しいのか?」

「え?えっと、どうして?」

「車、なかったからさ」

 先程出てきた我が家と隣り合う初見の家。一階駐車スペースに停めてある車が今日……いや、ここ数日なかった。

 叶見さん――初見の母親は自分で車を運転して働きに出ている。この時間に車がないということは、相当早い時間から出勤しているということになる。

「……うん、忙しいみたい。朝走って戻ってくると、大体いつも出かける用意してる」

「そりゃまた……随分早いんだな。朝飯は?初見一人で食べてるのか?」

「うん。お母さん、出社してから食べるって言うから。前は作って置いておいてくれてたんだけど、大変そうだから最近は自分で作ってる」

「自分で……そんな、無理すんなよ。初見、早起きするだけできついだろ?」

「そんなことないよ。家事、慣れておけばきっといつか役に立つしね」

 苦もないといった感じで言っている初見だが、きつくないはずがない。初見は昔から低血圧で早起きが苦手だし、以前それで無理をして倒れたことだってあるのだ。

 そしてそんな大変な時期に、俺はあろうことか寝坊して初見に余計な気苦労をかけてしまった。なんという悪いタイミングだろう。というか気付くのが遅い。気付いていれば寝坊している場合ではなかったのだし。

「…………」

「なに?どうしたのツトム?」

「……初見、明日からはうちで朝飯食っていけよ。後で母さんにも事情説明しとくから」

「えっ、そんな、……いいよ。おばさんたちに悪いもの」

「悪くねぇよ。初見、前から言ってるけどさ、こういう時は頼れよ。せっかく家も隣なんだし、せめて叶見さんが忙しくなくなるまではさ……」

「……もぉ、ツトム心配しすぎ。朝走るようになってからは、私も少しは早起き得意になったんだよ?」

「でもさ……、叶見さんもお前が一人で頑張ってたら心配するぞ」

「……んー、もぉ……。わかったわよ、じゃあ明日からお世話になります」

「そ、そっか。よかった」

 周囲――俺の両親や高校の友人たちの間では、初見は自立したヤツだと言われている。

 ただ、昔からの付き合いである俺にとってはまだまだ心配が尽きない。立派になってきたのは事実だろうけど、まだまだ危なっかしくて手放しではいられない。

「……ツトムこそ、あんまり無理しないでよね」

「俺が?俺は別に……って、今日寝坊しといて言う台詞じゃねぇけどさ。申し訳なかった、今日は」

「だから……そんな気にしないでもいいよ。たまにはいいじゃない、寝坊したって。ツトム、普段からものすごく頑張ってるんだし」

「……そう、かな」

「そうよ。私の心配より前に、まずは自分を心配して」

「そういうわけにはいかないな」

「え、即答!? な、なんで!?」

「なんでも」

「……もぉ、私は平気だって言ってるのに……、心配性なんだから」

「そうは言ってもさ」

「…………。まぁ、いつも心配してくれて、ありがと」

「……ん」

 そんな感じで、明日は朝食を一緒に食べる約束をした。

 通学路。

 朝の静かな住宅街を二人並んで歩いていく。


 目指す学校は、歩いていける距離にある。近場だった。電車を使ってもいいけど一駅分でしかない。従って、家が隣の初見と一緒に、時間を合わせての徒歩通学。

 だいたいいつも、そんな朝。今日もそんな朝だ。

 距離的にも立地的にも、学校へは自転車を使えば多分もっと早い。学校方面への道は高低差も少ないし、人ごみにまぎれることもない。

 でも、俺たちはいつも歩いていく。

 何故なら――、


「とう!」

 どこからか響いた掛け声。そして、目の前の道路にスタッと着地する人物。

 曲がり角の家から、バンダナを海賊巻きにした男が飛び出てきた。……飛び出た、と言っても玄関からではない。茂みをくぐり抜け、塀を乗り越えての登場だった。

 見上げると、塀の縁より更に高所から張り出た庭木の枝がガサガサと揺れていた。どうやら幹を伝って塀の高さまで上り、あの枝の辺りから落下してきたらしい。

 散った木の葉がそいつの周囲をひらひら舞い、突然のダイブに驚いた通りすがりの野良猫が「フカーッ!」と露骨な警戒を顕にした。

 ……当たり前だけど、普通の人間は家から出るのにそんな妙な場所から出てこない。

 あまりに自然な感じで飛び出してくるものだから、ともすれば看過してしまいそうになるが、平和な住宅街においてそんな場所から人間が登場するなんてことはちょっと冷静に考えたら普通ありえないだろう。

 鋭敏な野良猫の感性を持たずしても判断できる。どっから見ても不審人物だった。

 けど残念。こいつ俺の知り合いなんだ。

「…………」

 ……なので、俺は色々な要素を加味した結果、そいつを無視してそのまま歩いてくことにした。

「行くぞ初見」

 すぐ隣を歩いていた初見も手を引いて連れて行く。

「えっ、ちょっ、ツトム――ッ」

 突然手を取られた初見が軽くよろめいていたのが申し訳なかったけど、そのままずかずか歩く。一刻でも早く、この場から立ち去ってやりたい。

 しかし、すぐに後ろからたったっと足音が聞こえてきた。

「おいおい、朝だからってノリが悪いぜ親友よー」

 声と共にしゅたたと小走りで俺たちに追いつきながら、軽くスライディングするように隣に並んでくるそいつ。

 ――加山章介。友達。


 ホント言うとこのまま他人のフリをしたかったけど、追いつかれたので俺は仕方なく視線を合わせる。

「悪い、加山。俺はその親友を警察に通報しないといけない」

 加山の家には何度も行ったことがあるから場所を知っている。そしてそれはこいつが今飛び出してきた家じゃない。つまり加山は余所の家の庭から塀を乗り越えて俺たちの前に現れたことになる。

 世間ではそれを家宅侵入、もっと言うと不法侵入とかプライバシーの侵害とか言う。

「ほー、さすがに正義の味方は言うことが違うな」と他人事のように感心しながら加山が言う。

「ホントなら見逃してやりたかったんだけどな。友達として、言い訳は交番で一緒に聞いててやるから……」

「仕方ねえ、俺も行ってやるとするか。ったく和泉のヤツ。一体何やらかしたんだか?」

「おまえのことだよ!」

 あまりにも自然な責任逃れに思わず素に戻ってしまった。

「――俺?」

 しかも当の加山は意味不明って感じでキョトンとしてるし。

「そうだよ!おまえ、今そこの家から出てきただろ。明らか不法侵入! おまえの家はその三軒となりだろ!」

「お、よく知ってるなあ!」

「意外そうに言ってんじゃねぇよ! 何十回も遊びに行ってる!」

 俺の言葉に加山は大口を開けて「わはは」と笑った。

「まぁまぁツトム落ち着いてよ」と初見が肩を叩いてくる。

「そうそう。初見ちゃんの言うとおりだぜツトム」

 こいつもしれっと言う。「大人になれよ」みたいな顔をして。

「加山くんも、なんであんなところからいきなり出てきたの?」

「俺がそこの吉田さんちから出てきた理由か。そいつを話すと長くなるぜ……」

 加山は神妙な態度で目を閉じ、腕を組んだ。

 俺と初見もなんとなくその雰囲気に合わせて、黙って次の言葉を待つ。

「……実はな、俺んちの庭の樹をよじ登って塀の上に登ると、そこを伝って一気にこっちの道路まで出れるってのがわかったんだよ。だからショートカットしてみた」

「やっぱ不法侵入じゃねぇか!それにその説明全然長くねぇよ!むしろ短いよ!」

 一言じゃツッコミ切れなくて、俺がむしろ説明臭くなってしまっていた。

 無茶苦茶だ。

「心配するな。ちゃんと花村のおばちゃんからも吉田のじいちゃんからも許可もらってるから不法じゃないし、その時に俺が野良猫を捕まえたってエピソードを織りまぜながら話せば結構な長さになるから」

「もういいもういい!話さないでいい! 学校行こうぜ!」

 大仰なジェスチャーで解説をはじめようとする加山の背中を平手で叩いて、俺は歩みを促した。

「……加山くんらしいね」

 初見が呟き、二人して脱力する俺たちだった。

 そう。今の一連の会話は何から何まで加山らしい……つまりいつものことなのだ。苦笑するしかない。

「おはよう、ツトム、そして初見ちゃん」

「……おはよう」

「おはよ」

 そして今更になって朝の挨拶。何から何まで唐突。

 加山はこういうヤツだった。


 そのまま三人で住宅街を歩いていく。

 と、三つ目の角にて、また見知った顔が登場した。

「あ、おっはよー!」

 俺たちを見つけるや、元気に手を振って挨拶してくる女の子。

「ハッちゃーんっ!」

 そして猛ダッシュ。

 ――有馬由紀江、通称ユキちゃん。友達の彼女。


「ハッちゃん愛してるーっ!」

「わっ、きゃあ!」

 走ってきたユキちゃんに、初見がそのままタックルされていた。実際は抱きついてきたつもりなのだろうが、猛スピードの助走と共にぶつかられたとあって、初見は衝撃によろめく。

「アタックー」

「ちょ、やめてってば」

 そして、そのままじゃれあう感じに。お腹などをつつき合っている。

「危ないでしょー、道でいきなり抱きついたりしないの」

「だってー」

 けれどすぐに初見のお説教タイムが始まる。ユキちゃん相手だと大体がこの構図だ。身内ではその上手いバランスぶりに、「仲良し姉妹」などとも呼ばれている。言い得て妙だった。

「だってじゃない!ユキ!」

「えへへーっ」

 二人とも楽しそうだった。

 ユキちゃんは初見よりずっと活発な女の子だ。初見も無口なわけではないが、どちらかと言えば大人しい部類に入る。ユキちゃんと並ぶとその差は対照的とも言えた。

 こうして初見に怒られているところを見るとちょっと落ち着きがなさそうにも見えるけど、いつも楽しそうにしているユキちゃんは見ていて飽きない。

「ツトムくんも加山くんもおはよーっ」

「おはよ」

「おー。今日も元気でなによりだ」

 加山のそんな言葉を受けてユキちゃんが「元気に行こーっ!」とか言ってまた無意味に走りだそうとするが、初見によって阻止された。

 そしてそのまま通学風景は四人に。

 先頭に加山。その真後ろに俺。俺の左右に初見とユキちゃんが並んだ。広い道なので、このぐらい広がって歩いても迷惑にはならない。


「ツトムくん、朝なに食べた?」と、ユキちゃんから会話が始まる。

「ご飯と味噌汁。あと卵」

「相変わらずのごはん派だー」

「ユキは朝、パンだもんね」

「うん、そうなの。今日はね、フランスパン」

「パンって腹持ち悪いからなー」

「だよな。昼まで持たないよ」

 加山の言葉に俺が同意。動いてばかりの男子二人は揃って飢えていた。

「いろいろ具のっけて食べるんだー」

「へぇ。それはうまそう」

「今日はー、アボガドっ。あと生ハムと、昨日の晩御飯の残りのサーモン」

「…………」

 センス溢れるオシャレな朝食と言えなくもないのだろうか。割かし平穏なイメージの食材であるフランスパンがかなり混沌とした様相を呈している感じがする。

「おいしいよ?」

 反射的に無表情になった俺の抱いた疑問を察してか、小首を傾げてくるユキちゃん。これで結構味覚……というか全体的にセンスが独特なのだ。悪くはないけど雑然としているというか、朝からカレーうどんとか平気で食う。

「ユキは食べるの好きだよね」

「う……、そう言われると、急にブタさんの危機感が……」気まずそうな表情でお腹をさすっている。

「朝はね。すぐ影響でるよね……」

「でるんだよねえ……」

 ため息ふたつ。女子二人は日々こうして意味不明の質量増大と戦っているのだった。

 前を歩く加山が興味ゼロっぽい顔をして眺めているのがなんだか笑えた。「体重なんて測ったこともねーよ」とか、また無茶苦茶を口にしている。

「ツトムくんも、食べるの好きだよね」

「よく動くからな」

「背は伸びないのにね」

 ユキちゃんの言葉に、前と右側から本人の俺を差し置いて素早い返答が。

「……初見うるさい。これから伸びるよ」

「どうだか。私の方が勝ってるもん」

 誇らしげにそんなことを言う初見に俺は思わず目を見張った。加山とユキちゃんがすかさず反応する。

「あ、ホントだー。ハッちゃんの方がちょっとたかーい!」

「ち、違うって……か、髪の毛の量だよ!」

「ツトムの方が毛立ってるんだから、髪の毛部分カットしたらむしろ不利だろ」

「ちっちゃくて可愛いねー、ツトムー」

「や、やめろよ……、ガキ扱いすんなよ……!」

 頭をなでようとしてくる初見から必死で逃れる。身長のことは本気で気にしているのに。初見はなんでか嬉しそうだ。ホント、なんでだ。

「でも、男の子は高校生ぐらいまでが一番伸びるって言うよねー」

「くぁあ……!」

 ユキちゃんの言葉が突き刺さる。

 ――む、無邪気な顔してなんて残酷なことを……!

 ……俺の身長は161センチ。言いたくないが、男子としては小柄な部類に入る。

 初見の身長も俺と同じぐらいだ。今さんざん言われている「ちょっと高い」というのは見た目の話であって健康診断の数値上はあくまで同じなのだ。けど女子で160超はやや長身に見られるのが一般的。

 ……身長の伸び悩みについては中学中盤ぐらいからずっと俺を焦燥に追い込んできた。中学三年ぐらいになり、今のように初見の身長が俺と同じぐらいになってきた辺りでそれはピークに達し、高校入学時の身体測定で完璧に並ばれていることを知った時、焦りは絶望に近いものに変わった。

 そして周囲的にはもう完璧に俺の方が小さいという扱いだ。次の学期の身体測定では数値の上でも負けることになるのかもしれない。

 そうなったらもう言い逃れできない。初見に毎日こうして頭なでられながらチビ扱いされるのか……、それは……イヤだなぁ……。

 別に見下ろしたいなんて傲慢なことは考えていないけど、初見より小さいとなると、なんとなく色々な面目が立たない感じがする。

 ……落ち込むしかなかった。


「どけ、チビ」

 そしてダメ押しのように、不意に背後から傷つくことを言われる。

「っ!」

 後頭部をいきなり指で押されて、俺は前につんのめった。

 代わりに初見とユキちゃんの間に収まったのは、加山ほどでないにせよ長身の男子(完璧に負け惜しみ表現になっていた)。

「朝から両手に花とは、目障りだな」

 だるそうな口調で言われる。

「うるせぇな。たまたまだよ」

「へっ」

 返答は嘲笑。カチンとくる。

 一瞬火花が散らされて、

「おはよう和泉くん」

「ああ、おはよう初見ちゃん」

 初見の挨拶が割り込んだことで俺はあっさりとスルーされ、結果的に場は沈静化する。

「今日も素敵だぜ」

「ありがとう」

 初見の前では元気が良い。調子が良いとも言う。さっきの俺への態度と比べて口調も表情も明らかに愛想が良くて楽しそうだ。

 ――和泉正幸。友達……いや、悪友と言う方が適切か。こいつに関しては。


「しかし今日は朝日がきついぜ……」

 歩みを再開したところで素に戻った和泉がぼやく。

 大体テンションはいつも低い。やる気が希薄なのだ。

「和泉くんまた徹夜?」

「桜が寝かせてくれなくてな」

 その発言に、加山が「アダルティーだなー」と口笛を吹いた。

「ち、違えよバカ!ゲームだよ!誤解すんな!」

 クールぶっているが、いじられるとこのように過剰反応する男、和泉。

 ちなみに桜さんというのは和泉の彼女だ。歳は俺たちより少し上で、近くの大学に通っている。

「……徹夜ゲームとはなんてアダルティーな、って意味だったんだが」

「くっ、こいつ……!」

 歯噛みする和泉を見て楽しげに笑う加山。二人の力関係はなんとなくいつもこんな感じだ。和泉が激し、加山がそれをいなす。

 煽る加山も加山だが、和泉は怒りっぽい。だからこうしてからかわれる。

「うっわ~、和泉くんったら不潔~」

 と和泉の隣を歩いていたユキちゃんが口元を抑えながら微妙に距離を離した。

「……あぁ?なんか言ったか?」

「すーぐエッチなことに捉えようとするんだからサイテー。このけだもの!」

「……殺されてえか、ガキ」

 すぐに争いが始まる。ダウナーながらも基本的に気性の荒い和泉は周囲と衝突する機会が多い。同じく感情の起伏が激しいユキちゃんなんかとは特に。

 中には深刻なケンカもあるが、この程度の場合なら俺はあまり介入しない。

 民事不介入というか……いや、それはちょっと違うか。

「和泉くん、おはよう」

 しかし初見がもう一度挨拶を割り込ませた。

「ああ、おはよう初見ちゃん」

 すると和泉も自然に応じる。何事もなかったかのように。

 ……このやりとりは二度目だが、気にした様子は皆無だ。ニワトリか。

「今日も可愛いぜ」

「ありがとう」

 そして余計な一言も相変わらず。相変わらずすげぇいい顔して。

 ともかく場は収まった。かなり不自然な流れだったけど。


「あー……」

 そのまま位置は変えずに歩き出す。

 和泉に押し出された俺は加山と並ぶかたちになり、初見とユキちゃんの間に和泉が収まった。

 加山ほどではないにせよ和泉はけっこう背が高いので(負け惜しみ再度)、三人が並ぶと頭ひとつ突き出る感じになる。

「和泉くん、昨日はあの後、桜さん疲れてなかった?」と初見が言う。

「……疲れてないどころか元気すぎるぜ。帰って真っ先にゲーム機起動させてたぐらいな」

「今度また一緒にご飯食べにいきましょうって伝えておいて」

「騒がしくなりすぎるからなあ。あいつが来ると」

「そんなこと言わないの。彼女でしょ」

 自然と始まっていく会話。初見相手には饒舌な和泉なのだ。

「むー」

 結果的に微妙に放置されたユキちゃんは低く唸っていたが、やがて、

「……うわき」

 ボソッと言った。

「…………おいコラ、今なんつった。てめえ?」

「べーだ!あやしいって言ったんだよっ」

 またまた争いが始まる。こう見えてやっぱ微妙に相性が悪い二人だ。

「いっつも初見ちゃんの隣行きたがるし、わたしとケンカしてても初見ちゃんと喋るとコロッと機嫌なおすし、挨拶するし、初見ちゃん以外には言わないもんね、おはようとか」

「知るかよ。鬼の首を取ったような顔してんじゃねえ鬱陶しい」

「よくアクセサリーとかプレゼントしてるし。いい服屋教えるとか言ってデートしてるし」

「えっ?」

 ……ちょっと待て。最後のは俺も知らないんだが。

 思わず振り返るが、さっきと違って割り込める空気じゃなかった。

「絶対怪しい。ちょー怪しい。浮気なんてサイテー。桜さんに言いつけちゃうもんね」

「ふざけろよガキ。お前の本性ユーミンにバラすぞ」

「うわ、チクるんだ。やること小さいなあ」

「どっちがチクリ魔だ!」


 その瞬間。

 ぱしっと。激する和泉の肩に手が置かれる。

「今日も元気だね、二人とも」

 穏やかな口調がそう告げる。

 全員で振り返ると、同じ制服の男子がそこに。

「あー、ユミくんーっ!」

 ユキちゃんが声を上げて、真横に移動する。自然なタイミングで手をつなぐ二人。

 ――鈴木勇美、通称ユーミン。友達。ユキちゃんにとっては彼氏。


「よおユーミン、朝から元気過ぎるってのも問題じゃねえか?」

 気怠げにユーミンを睨む和泉。

「和泉こそ。大きな声出して近所迷惑だよ」

 それに怖じることもなく返すユーミン。童顔に見合わない豪胆さ。

 それに気圧されたわけではないだろうが、そこで和泉も「フン」と鼻を鳴らして一旦退く。

「ユキも、あんまり和泉を挑発するようなこと言ったらダメだろ」

「……だって」

「和泉が何か言ったって、いちいち目くじら立ててないで流せるようにならないと。ホントに我慢できないことがあったら言って。その時は、僕がやっつけてあげるから」

「ユミくん……!」

 ユーミンの言葉に表情を輝かせるユキちゃん。祈るように手を合わせて、目をキラキラさせている。

 それを見て、ユーミンは頼もしげに頷き、和泉はげんなり肩をすくめた。

「はぅう……ユミくん素敵すぎるよー。ピンチの時にはカッコよく助けてねっ!」

「もちろん」

「約束っ」

「うん、約束」

 往来で指切を交わし始める二人。

 ――こうして見てると、……仲良いな。ホント。

 見ていてちょっと恥ずかしくなってくる。

「鬱陶しいやつらだ。バカップルってのは公害だな」と和泉。退屈そうにカバンを担ぎ直したりしている。

「和泉だって桜さん相手だとこんな感じになるじゃないか」ユーミンが言い返す。さり気なくユキちゃんをガードしながら。

「チッ、反面教師にしといてやらあ」

 視線を外すように、和泉は前に向き直った。振り向いていた俺と目が合って、再びそっぽを向く。桜さんの話は和泉にとって苦手な話題だからだ。追求されるのが嫌なのだろう。

「ははは……」

 俺はそんな姿がおかしくて小さく笑った。

 こんなふうに、和泉は案外押しにも弱い。見た目が整っているから隙がなさそうに見えるが、意外に弱点が多いのだ。


「なあ、そういや単語のテストっていつだっけ?」と隣の加山が聞いてくる。

「月曜だろ。三時間目」

「そっか。なーんも勉強してねー」

 自分から聞いてきたクセに、あくび混じりにそんなことを言う加山。

「おいおい……。大丈夫かおまえ?前回の期末も赤点ギリギリだったんだろ?」

「んー、まー、どうすっかねえ。宿題と違ってテストじゃ和泉に見せてもらうわけにもいかねーし」

 チラ、と二人して振り向くと和泉と目が合った。そしたら和泉はいつも通り皮肉っぽく笑う。

「……バカだな加山は。その日サボればいいだけの話だろ」

「サボってどうすんだよ。小テストでも成績関係してんだから受け直しだぞ」

 俺の反論に、和泉は「やれやれ」とバカにしたように口元を歪める。

「ツトムも加山と同レベルか? 出る問題は一緒なんだろ。誰かにその内容聞いて、そこだけ覚えときゃ対策になるだろうが」

 白昼堂々行われる、不正幇助の現場だった。

 しかも悪びれる様子皆無。

「和泉、カンニングはよくないぞ」

「ハッ、笑わせんなよ優等生が。それにするのはオレじゃない。加山だ」

「友達にそんなことさせるなよ。ちゃんと勉強して受けないと意味ない」

「出たよ、ツトムのお利口さん発言が。……いいじゃねえか。勉強できねえならそれ以外で努力すりゃあよ」

「単語覚えるなんて大した努力じゃないだろ。カンニングする方がよっぽど面倒だ」

「まぁ、一つ言えるのは――」

 埒があかなくなってきたところで口を開いたのは、和泉の後ろを歩いていたユーミン。

「――加山はどっちの努力もあんまり好きじゃなさそうだよね」

「…………」

「…………」

 言われて加山の方を見ると、目を閉じてなにやら真剣に思案している様子だった。

 そして、パッと目を見開いて、俺の方に向き直き、

「試験範囲のページの単語、全部校庭に書いておくとかどうだ?」

 さも名案みたいにそんなことを言うのだ。

「どうだよ?俺の席窓際だし、ちょっと外見るぐらいなんでもねえだろ」

「おまえがなんでもなくても校庭がなんでもありすぎるだろ」

「いや、そんぐらい堂々とやったら意外と気付かれねえかも?」

 気付かないわけあるか。そんな学校おおらか過ぎる。

 おまえの家じゃないんだから。

 しかし、ちゃんと止めないとこいつは絶対実行する。しかも俺たちまでそんなくだらないことの片棒を担がされるに決まっている。

「やめろって。ちょっと前に校庭で人間スゴロクやって怒られたばっかりだろ。立て続けに校庭でなんかするのはまずい」

 少し前にそんな事件があったのだ。もちろんその時は俺も一緒に怒られた。和泉は逃げた。

「ちぇー」とすねる加山。見ての通り勉強嫌いなのだ。

「今から覚えれば間に合うって。がんばれ」

「仕方ねーなー。ツトムは?」

「俺?一応勉強してる。初見と一緒に」

「へー、そうなんだ」

 初見の方へ振り向く加山。初見は応えるように頷きを返した。

「うん。二人で一緒に覚え方とか考えてるの。ゴロ合わせみたいに」

「楽しそうでうらやましいねえ」

「……なんだよその含みのある言い方は?」

「そんなつもりねーって。まー、俺はやっぱ誰かと一緒に勉強するより誰かの勉強邪魔して遊ぶ方が楽しそうで好きだなあー」

「意味ないじゃん……」

 こいつと喋ってると、自然と論点がズレてくなぁ……。

 俺の言葉にそっぽを向く加山。わざとらしく頭に巻いたバンダナを直したりしている。

 さっきの和泉と似たようなごまかす仕草だが、雰囲気がぜんぜん違っていておかしかった。


「ぬん!」

 そしたらなんかまた唐突に掛け声が響く。

 前方頭上からガサガサッと音がして、何かが目の前の道路にドスンと着地した。

「おー、島本じゃねーか」

 加山が名前を呼ぶ。

 俺含めた他のみんなも加山に遅れて、突如飛び出してきた人物が友人だと気付く。

 曲がり角の塀を乗り越えて現れたその巨漢はのっそりと立ち上がって、俺たちの方へ向き直った。

 ――島本学。友達。でかい。


「おっす」

「おはよう島本くん」

「おっふ……」

 先んじて挨拶をした俺と初見に、島本は妙な声を返してきた。

 ……舌を噛んだらしい。

「…………」

 多分、「おはよう」って言うつもりだったんだろう。途切れた挨拶を強引に黙殺して、島本は加山の隣に並んだ。

「おっふ……、オッフェンバック?」

 初見が一人そんなことを自問していた。たまに空気が読めないのだ。

「誰だよ?昔の作曲家か?出会い頭にそんな話題はシュールすぎるだろ」

「シマのことだから、案外あり得る展開だけどね……」

 ユーミンが言う通り実は島本は結構博学だったりする。自己主張が少ないヤツなのでわかりづらいが、時々披露される知識の深さは俺たち全員を驚かせるほどだ。

 それにしても普段の行動は加山と並んで無茶苦茶なのだが。

 苦笑しつつ、歩き出す。

 ……って、その前に、

「っつーか島本、おまえどっから出てきた?」俺はたずねた。

「む?」

 首をかしげていた。「自分の行動のどこに不明な点があるか」とでも言いたげな。冗談じゃないありすぎる。

 俺は島本が飛び出してきた方向を指差して言う。

「おまえさっきそこの家から出てきたけど、あそこおまえの家じゃないだろ」

 そういえばさっきも似たような会話をしたのが思い出されて、なんとなく嫌な予感がした。

 そんな心中の俺に対して、島本は空を指差した。

 つられて空を見上げる俺たちに対して、島本はその野太い声で言う。

「屋根にのぼると、早い」

 ……相変わらずザックリした説明だなぁ、おい。

 詩人みたいだ。

「…………おまえ、家から屋根づたいにここまで来たのか」

「安心しろ。俺は屋根から落ちたぐらいじゃ怪我なんてしない」

「そうじゃない」

 ツッコミも事務的にならざるを得なかった。

「あっはっはっは、奇遇だな島本!俺も最近似たようなことやっててなー」

「加山は黙ってろ。話がややこしくなる」

 同レベルかこいつら。

 いや、島本の実家は商店街の酒屋なので、ここからちょっと離れた場所にある。つまり、数軒分をショートカットしただけの加山と違い、島本は何軒もの家々の屋根を歩いてここまでやって来たということになる。

 ……こいつの事だから、加山と違って通過する家の人にいちいち許可取ったりなんてしてないはず……。

「おい島本、おまえいつからそうやって通学してた?」

「かれこれ二週間」

「くっ……!」

 思わず歯噛みした。大失態。気付かなかったとはいえ、俺は友人の暴挙をそんな長期間放置しちまっていたのか……!

 加山は大笑いだったが俺含めた他の連中は失笑だ。

「そういえば最近、朝と夕方に屋根を野良猫が走っててうるさい、って角の掲示板に苦情が書いてあったけど……」と最後列のユーミンが絶妙に嫌な情報を持ち出してくれる。

「いやそれ間違いなくこいつだろ!野良猫じゃない!」島本を指差す俺。

「野良猫じゃなくて野良島本だったわけだな」

「あは、確かに島本くんがノシノシ歩いてたら真下の家はうるさいだろうねー」

 したり顔でそんなこと言ってる和泉と、楽しそうに笑ってるユキちゃん。どっちも間違っちゃいないが全体的に危機感が足りてない。

「島本、明日からは普通に道を歩いて登校するんだ」

「なんだ?藪から棒に」

 今の会話はどこも薮から棒ではなかったはずだ。こいつが流れとか俺の心情とかをまるで察していないのが発言からわかった。

「おい加山、おまえがなんとか言ってやれ。島本、おまえの言うことなら素直に聞くから」

「いいじゃねーか。屋根歩いて登校なんて忍者みたいでおもしれーよ。俺もやろうかな」

「おもしろくねぇよ!足踏み外したら危ねぇだろ!」

「島本が?」

「違う!近隣住民が!」

「そりゃ確かになー」

 言いつつ、後ろ頭をかいていた。まるで注意する気のない加山だ。

 ――こいつら……ムチャクチャすぎるだろ。

「つ、ツトム、どうすんのさ……?」ひとりだけ感性が常人のユーミンが小声で話しかけてくる。「このままじゃ、シマいつか町内会に呼び出されて怒られちゃうよ」

 こういうハチャメチャな事態の時、ユーミンだけは加山たちと違って相応に慌てているから俺としては不思議と安心する。

「慌てるな、ユーミン」

 だから、なるたけ力強くそう返した。

 ……っつーか、登下校しているだけで町内の問題扱いされる高校生って何者だ。そんな愉快過ぎる事になる前に、俺はこいつの無茶を止めなくてはいけない。

「島本、今日の四時間目の体育。覚えてるか、サッカーの試合」

「おう。もちろんだ」

 島本学、運動大好き。……和泉曰く体力バカ。酷い言い方だとは思うが本当にその通りだ。

「ゴールの数で勝負だ。俺が勝ったら、明日から普通に地面歩いて登校すること!」

「ふむ、勝負か。いいだろう」

 島本は基本的に加山の言うことしか聞かない。けれど、勝負事になると必ず乗ってくる。だから島本に言うことを聞かせるにはこれが一番手っ取り早い。

 とはいえ、それは体力勝負に限られる。勉強とかでは自分が絶対勝てないのを知っているからだ。

「つ、ツトム平気なの? シマとサッカーで勝負なんて」

「平気だ。なんとかする」

 ますます心配そうな顔をしているユーミンに俺は頷いた。

 ……実際はかなりキツイ。俺と島本じゃ体格からして全然違うし、ディフェンスもシュート力も俺が全然負けている。

 が、こうでもしないとこいつは止められない。

「ツトムが負けたら、明日からツトムも俺と一緒に屋根歩いて登校だぞ」

「…………」

 島本らしいバツゲームだった。頭悪すぎる。絶対に負けられない。

 ……加山が動かないなら、俺がなんとかするしかないのだし。

「前みたいにボール駄目にするんじゃねえぞ」と和泉が茶々を入れてくる。

「うるせぇよ和泉。おまえも俺のチームになったら協力しろよ」

「昼飯、染庵のきつね大盛り三食分」

 さも当然のように手のひらを差し出してくる和泉。

「ふざけんな!誰がおまえなんかに――」

「てめえがふざけんなっての。人にもの頼む時は金かモノだろ」

「……友達としてはかなり最低なこと言ってるよね……和泉」とユーミン。

「へっ、どうするんだツトム?」

 しかし和泉にユーミンのぼやきは聞こえていないっぽかった。都合の悪いことは耳に入れない性格なのだ。俺は無視することにした。和泉の助けはアテにしない。

「僕はツトムに協力するからね」

「あー、いや程々にな。無理に島本止めようとしてケガしたら大変だ」

 厚意は嬉しいがユーミンの体格じゃ島本とはますます勝負にならない。おとなしくしていてもらうのが賢明だ。

「んじゃ、俺は上手いこと立ちまわって勝負を面白く演出してやるかな」と相変わらず何も考えてないのは加山。

「しれっと掻き乱す宣言してんじゃねぇよ!おまえが一言言えば済む話なんだよ!」

 こいつはいつもこんなだ。面白いことを見つけたら膨らませないと気がすまない。

 そして俺はだいたいその巻き添えか尻拭い。

 勘弁して欲しい。


「んなっ……!?」

 そんな話題の最中。すこし広めの通りに出たところで、和泉が妙な声を発した。

 何だと思って視線を追って、俺たち全員が納得する。

 車道の隅に停められたビッグスクーター。その上にふんぞりかえって、いかにも体に悪そうなパッケージのカップ麺をすすっている女の人。

 公共の場であまりにもリラックスし過ぎなその状態だけでも既に相当変だが、更に目を引くのは、その人の服装が何故かジャージで、反面とんでもない美人だからだ。

 ――鬼頭桜。和泉の彼女。


「おいコラ桜!てめえこんなところでなにしてやがる!?」

「ずずずっ……、んぐっんぐっ……、はふー、ずずずずっ……」

 和泉がずかずかと詰め寄っていくが、ジャージの美女――桜さんはカップ麺をすすり続けている。一心不乱といった雰囲気で。それ以外に興味なさそうに。

「聞けよ!」

「んぐっ、……おや?和泉くんではないか。先程別れてもう私を追いかけてくるなんて、そんなに愛する嫁が大切なのかなー?」

 余裕げに足を組み直す桜さん。長身で美人なこの人がやると絵になるポーズだが、いかんせんジャージである。

「うるせえ。ここぞとばかりに通学路で待ち構えてんじゃねえ」

「ずずずっ、んぐっんぐっ」

「食うか喋るかどっちかにしろ!」

「ふむ、では喋ろう。私がカップ麺を優先したら、和泉くん傷ついちゃうからな」

「ぐっ……!」

 傍若無人を絵に描いたようなあの和泉が、こうも翻弄されている。ある意味で見事と言うより他ない光景だった。

 ……加山と並ぶかそれ以上に自由な性質の桜さん。その破天荒な生き様は誰にも掴みきれない。

「桜ちゃんチーッス!」

「おはよう桜さん」

「ん」

「おはよーっ!」

 集団の先頭に立つ加山が声をかけ、その他の俺たちもぞろぞろとそれに続く。

「おお?よく見ればみんないるではないかー。昨日ぶり!」

 そして桜さんも俺たちの存在に気付き、上機嫌に笑った。

「……ずずずっ、ずっ、んぐんぐ」

 そして急ぎカップ麺を完食し始めた。味の濃そうなスープまでぐびぐびと全て飲み干していく。

 ――あーあ……絶対体によくないぞ、あれ……。

 桜さんはカップ麺やスナック菓子などの高カロリー食品……いわゆるジャンクフードが大好きなのだ。

「よーし!ではみんなで登校しようではないかー!」

 ゴミをコンビニの袋にまとめ、そのまま意気揚々とバイクを押し始めた。ノリの良い加山とユキちゃんが「おーっ!」とその声に追唱する。

 歩み再開。

 割に大人数なので自然と縦列気味になりながら。

「つーか桜ちゃん、こんなところでなにしてんだ?」

 加山が問いかける。確かに家の場所も学校も違う桜さんが朝からこんなところにいるのはちょっとおかしい。

 先程もすこし触れたが桜さんは俺たちよりも年上の大学生で、ここから数駅離れた場所にある大学に通っている。住んでいるアパートもその近所だ。

「うむ。ちょうどさっき、和泉くんを家まで送り届けたその帰りだ」

「送り届けたァ……? 和泉、お前また桜ちゃんちに泊まったのかよ?」

「おい!話さないって約束――!桜ッ……!」

 いきり立つ和泉に対し、桜さんはそっぽを向いて口笛など吹いていた。

 呆れ声の加山の問いかけを肯定こそしていないものの、その反応は明らかに桜さんの発言が事実であると認めるものだった。

 ……あまりにも平然と彼女の家から朝帰りしている和泉に、俺たち全員の視線が向く。

「まぁ、確かにさっき徹夜でゲームしてたって言ってたけどな……」

「私、普通に家帰って、ネットゲームやってたんだと思ってたよ……」

 ひそひそと事実を確認しあう俺と初見。和泉が何か言いたげにこちらを見ているので程々にしておく。

「昨日あの後うちまで和泉くんに送ってもらって、そのまま二人でゲームしてたら終電過ぎちゃってなー。で、どうせ電車ないんだから朝までいればいいじゃんってなったのだ」

「オレ一人だらしねえみたいな言い方すんな。電車ねえからお前のバイクに乗せていけって言ったら、「夜道は暗くて怖い」とかアホなこと言って応じなかったじゃねえか!」

 だらしなさに関してはどっちもどっちな気がする。和泉も結局泊まってしまっているわけだし。

「ふしだら!」ユキちゃんが和泉をびしりと指差す。「彼女の家に上がりこんで、そのまま泊まっちゃうなんてだらしなさすぎるよっ。和泉くんサイテー!」

「黙ってろクソユキ。週単位でユーミンの家泊まってるお前が偉そうにすんな」

「ちょ、ちょっと和泉!それ他のみんなには内緒だって言っただろっ!」

 今度はユーミンが秘密を暴露されてあたふたしていた。

「え……ゆ、ユミくん、もしかしてわたしがお泊りしてるの、迷惑だったりするの……?」

「そ、そんなことないよっ!ユキさえよければ毎日でも来てくれていいぐらいだよっ!」

 不安げなユキちゃんを必死にフォローしだすユーミン。……というかこの二人もそんなことしてたんだな。

 ユキちゃんからの追及を強引に逃れて、ため息をつく和泉。妙に疲労の色が濃いのは徹夜明けだからというだけではないはずだ。

「……ったく余計なこと喋りやがって、オレの母親には言うな」

「泣いて心配されちゃうからな。以前初めて朝帰りした日、家の前で泣き出した母君に必死に言い訳してた和泉くんは、それはそれは可愛らしかったものだが」

「ッッ!」

 またも余計なことを言っちゃう桜さんに、和泉が周囲を睥睨する。視線が言外に「お前らこれ絶対他の連中に言うな!」と告げていた。

 ……言われて困るならやらなきゃいいのに、和泉も難儀な性質である。

「ともかく、面倒だから秘密にしとけ。とりあえず今回は知り合いの家に泊まったことになってるから」

「んー、どうしよっかにゃー」

「く、こいつ……!」

 桜さんはくねくねした。こめかみに青筋を立てかける和泉だったが、はたと何かに気付いたような表情になる。

「あっ、そうか。クソッ、桜てめえ……!」

「何のことかな?海より深い愛情の持ち主の和泉くん」

「……チッ、こういうくだんねえことには気が回るな!」

 バスケットボールを握るように桜さんの頭を鷲掴みにする和泉。

「ふふふ、なんのことだかわからないなー」

 対して、マジックハンド状にした指を和泉の脇腹に食い込ませる桜さん。

「要求を言いやがれ」

「今度どっかおいしいお店つれてってくれ。お好み焼きとか食べたいな」

「フン、いつか同じ目に遭わせるぞてめえ」

 なんだか、いつの間にか交換条約が交わされていた。頭がいいためにテンポの速い二人の会話。通じ合った関係性には他の面々にはない独特の空気がある。

 そのくせ観念したようなやり取りをしながらも、二人は体勢を変えようとしない。見た目や会話のノリに関して言えばメンバーの中で特に大人びた雰囲気の二人なのに、繰り広げるやり取りは毎回子供じみている。

 自然と、見ている俺たちの間に笑顔が生まれる。

 声を上げて笑う風ではないが、幸せな空気を皆が自覚していた。



 ……なんにせよ、これで八人。

 よくつるんでいる仲間全員で過ごす登校時間。


 いつもどおりの、平和で愉快な、朝だった。



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