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●とある夜・トラブルバスター

 


 みんなと別れて帰宅した後、なんとなく風呂に入りたくなったので沸かして入った。

 風呂からあがるとちょうど洗濯にやって来た母さんと出くわし、そのまま家族全員分の洗濯を仰せつかった。カゴに入った三人分の衣類を洗濯槽に放り込み、洗剤を入れ、スイッチを押す。

「………………」

 そのまましばらく、中の水流や回転の様子を、何をするでもなく眺めていた。

 昔はよく、こうして親の手伝いをしたものだった。叶見さん――初見のお母さんや親戚のおばさんなんかは進んで手伝いをする俺を褒めてくれていて、俺はそれが嬉しかった。

 けれど、いつの頃からか――中学に入って少ししたぐらいから、俺はかつてほど手伝いをしなくなったように思う。言われたことや忙しそうな時は勿論手伝うが、以前と比べればかなり回数は減った。

 昔は……そうするのが当たり前だと思っていたのだ。自主的にというより、最早無意識にやっていた感じで、ただ何も考えずとも、体が自然とそうしていた。

 けれど、中学生になった俺にはその余裕がなくなっていた。

 何故か。理由は自分でもわかっている。それを考えるようになったら、色々なことが不自由になったのだ。手伝いを当てにしてくれていた母さんには申し訳なかったけれど。

 こういうのを……心境の変化とか、パラダイムシフトとか言ったりするのだろうか。

 そんな風に思うようになった俺のことを、どう思っているのだろう。

 俺は最近それが少し気になっている。


 洗濯を終えて部屋に戻る。

 一人で時間をつぶすのは苦手だ。一人でゲームをしたりするのはあまり好きではないし、今は読みたい本やマンガもない。

 部屋は内面を映すとか、心象風景が現れたものだ、なんて……そんな話を聞いたことがある。

 ……だとすれば俺の部屋は、何を映し出しているのだろう?

 誰かが家に来なければ起動しないゲーム機や、友人との交流以外の目的では使われないパソコン。ラックにならぶわずかばかりの本やCDは身内で話題になって購入したものだ。そういうものでも普段は借りて済ますことが多い。

 本来自分の物であるはずのベッドや机の椅子でさえ、そこに誰かが座って俺と談笑する姿を空想してしまう。その家具にしたって、加山たちがどこかから持ち込んで来たものがほとんどなのだし……。

 ……そう考えると、俺の趣味や行動は全て他人を前提にしているのだと思わされる。

 本当の意味でのプライベートというものを、俺は持たないのかもしれなかった。

 それは一体、どういう性質の人間を意味するのだろう?



「あ……」

 などとガラにもなく考え事をしていたら、机の上に置かれた携帯電話が鳴った。

 ピリリリリリリ……と、素っ気ない電子音が静かな室内に響く。

 手に取り、液晶を開くと……加山の名前が表示された。

「……もしも――」

『ツトムか!?大変だァー!!』

 音割れするぐらいの大声で叫ばれて、俺は思わず受話器を耳から離した。スピーカー特有のキーンという耳鳴りが頭に残響する。

「……っ、なんだよ加山。そんな大きな声出して、おまえらしくないぞ」

『あー、いや。これはちょっとした雰囲気作りってヤツだぜ。ホントのところはこの通り、落ち着いたもんさ』

「……」

 ずっこけそうになる。余計な演出しやがって。こいつの行動は十年来の付き合いでもまるで予想ができない。

「……で?なんの用だよ?そんな大変な話じゃないのか?」

『ま、大した話じゃねーよ。今日の午後、樋口に頼まれた件あんだろ?あれがいよいよ動き出したぜ』

 樋口に頼まれた件――拳銃を拾ってしまった仲間から、その拳銃を奪い返しにいく。何か大きな動きを見せ始めたら作戦開始って話だったが、もう来たのか。

「いよいよって……頼まれたのさっきだぞ。連中もう何か始めるつもりなのかよ!?」

『みたいだぜ。樋口も大慌てで連絡してきやがった』

 樋口が大慌てというのはそれこそ想像がつかないが、不意を突かれたところはあっただろうと思う。俺たちに面倒事を押し付けた直後だっただけに。

 というか、加山落ち着いてるが、これだって十分大変な話じゃないか……。何で今更無意味に軽そうな話にしたがっているんだ。

 ……俺が一昨日、一人で無茶をしたから?

「……とにかく集合するんだな。どこに行けばいい?」

『樋口が先行って待ってるらしいから、一緒に行こうぜ。島本と一緒にお前んちまで行くよ』

「わかった。下で待ってる」

『んじゃな』

「おう」

 通話を終え、ケータイをそのままポケットに放り込む。

 ――さて、と。

 ざっと部屋を見渡しながら何か必要なものがないかを考える。今からでは大した準備もできないが、立てられる対策はしておきたい。

 思いついた中で持っていけそうなものを適当にポケットに詰め込んで、俺は部屋を出た。



 加山と島本の二人と合流し、加山が事前に樋口から聞いていたという集合場所へ向かう。

 一昨日も訪れた繁華街の奥の方――ビルとビルの合間の薄暗い空間に、樋口は一人待っていた。腕を組んで、ぼんやりと退屈そうに夜空を見上げている姿が、何だか妙に様になっている。場所と調和しているというか。

「おっと、ようやく来たな」

 俺たちに気がついて、樋口は座っていたエアコンの室外機から腰を浮かせた。

「早速来てくれてありがとよ。この先ちょっと行った先が、俺たちのたまり場の一つだ」

「へー、こんなところをね」

 興味ありげに路地の奥を眺める加山。町で自分の知らない場所や道は、この男にとって最も気になるものの一つだからだ。

「……そんなこと、俺たちに教えちゃっていいのか?」

 こうして話しておきながら何だが、樋口の属するチームと加山率いる俺たちは仮にもこれまで色々敵対してきたのだ。つまり現状は敵方の首脳陣に潜伏場所を知ってしまったことになるわけだが……。

「別にいいんじゃねえの?」なげやりな様子の樋口。「お前らにここ教えとけば、また今日みたいになんかややこしいことになった時、迎えに行かねえでも助けに来てもらえるし」

 そして相変わらず都合のいいことばかり言っている。

「それで樋口。この作戦はどういう手筈になってんだ? 俺たちが出てって適当に暴れてくりゃいいのかね?」

 いかにも乱暴な聞き方をする加山。というかおまえはそんな考えなしの解決法を実行する気だったのか。

「まあ、大体そんな感じでいいよ」

「いいのかよ!もっと細かい作戦とかは――!?」

「こんなのに作戦もクソもねえだろうよ。お前ら三人がこの先にいる俺の仲間を全員たたきのめして、銃を没収してイイ感じに改心させといてくれ」

「適当すぎる……」

 確かにそうだが、もっと具体的なプランがあるものと思っていた。脱力するしかない。

「で、そこで俺が登場してこう言ってやるのさ。「その辺にしときな織田。こいつらは今のお前の敵う相手じゃねえよ」ってな」

 無駄に演出的な言い方に聞こえるのは気のせいだろうか。胡散臭くないのか?

 ちなみに織田というのは樋口たちのチームのリーダー……だと思われる女の子だ。樋口たちは普段はその子の言うことを聞いて動いている……ようには見えないのだが、一応彼女が司令塔になっているようではあった。

 仮にもリーダーとしてやっているヤツが、そんな都合の良いタイミングで現れた樋口にいきなりそんなこと言われて納得しちゃったらダメなんじゃないだろうか。

「オッケー、じゃあそういう感じでいくか」

 しかし、うちのリーダーもこんな感じに安請け合いしてしまう。誰も彼もがノープラン。頭が痛い。

 ――しかし……、

 仕込みとはいえ実際に戦闘をさせられるわけで、俺たちのリスクばかりが高い作戦だ。樋口は高みの見物をしておいて、最後に出てきて場を収めるという楽な役回りである。

「…………」

 けれども何か言ったところで適当に言いくるめられるに決まっているのだ。悔しいが、口の上手さで樋口にはかなわないことは昼間にも実感したばかりである。俺がまた余計なことを口走った所為で更なるリスクを背負うことになったりなどしたら目も当てられないし、ここは大人しくしているのが賢明だろう。



 樋口に促されるまま俺たちは路地を進み、広場のような場所に踏み出た。そこはビルとビルの合間に偶然生じてしまったらしい空間で、不法投棄されたような壊れた機械やドラム缶などがいくつも放置されていた。

 その広場に入る前から聞こえてはいたが、曲がり角から覗き込めば確かに見覚えのある連中がたむろしていた。人数は九人――樋口以外の全員がいる。

「おー、確かにここは秘密基地にはうってつけだな」

「そんなことに感心してる場合かよ……」

 呑気なことを言っている加山にツッコミを入れるが、正直その気分はわからなくもなかった。普段も何かしようとしている連中を止めようとやって来ているわけだが、今日は相手の身内である樋口の手引きを受けてここまでやって来ているのだから。いつもと比べて緊張感が薄れるのも無理はないというか……。

「よー、お前ら元気かー!?」

「――それにしたってそんな親しげに突入していくなよ!」

 猿芝居にしたって舐めすぎだ!

 楽しそうに談笑していた一同の注意が突然陽気に割り込んできた男に向いた。中でも広場の真ん中辺りにいた三人が加山の姿を見た途端に思わず目を見開く。

「おンま――!」

「お前は加山!?てっめえ、夏休みだけじゃ飽きたらず、二学期にも俺たちをやっつけに来たのかよ!」

 三人の中心にいた女の子――例のリーダー・織田が何か言いかけたところで、脇にいた二人の片方がそんな反応を示した。ええと名前は確か……坂井だっけか。

 ……それにしても、なんだかこいつまで示し合わせているんじゃないかと思うような言い方をするな。お決まりの反応というか、ヒーロー物の三下の悪役台詞そのものだ。

「ノブヒコォ!」

 そしたら、織田が突然坂井に飛び蹴りを食らわせた。織田は体格的にはユキちゃんよりも小さい小柄な女の子なのだが、鋭い飛び蹴りに坂井は「ギャーッ!」と悲鳴を上げる。

「お、オダッチ!いきなりなにすんだよぉ!?」

「アタイを差し置いてオイシイ反応するんじゃねー!うっかり噛んじまったじゃねーか!あとおまえのその言い方じゃアタイら既に負け確定だァ!」

「そんなつもりねーよっ!あと噛んでるのはいつものことだろっ!」

「うるさーい!」

 言い合いが始まった。自然と俺たちは放置される。

 すると残ったもう一人が持っていた木刀を肩に担いでシニカルに笑って見せる。こいつは……ええと、なんて名前だったかな?

「ヘヘ、加山か。懐かしいじゃねェか……夏休みにあった俺とお前のドッグファイト……あの闘いはアツかったな……」

 派手に逆立った髪をかきあげながらクールに決める。

 それを見て加山は、

「誰だお前?」とまるきり覚えていないように言った。

「な、なにィ……!?」驚愕を露にする木刀くん。「お前、あれだけの激戦を繰り広げた俺のことを覚えていない……!」

「知らん。誰だ?織田だっけか?」

 加山の言葉に言い合いをしていた織田が「それはアタイだァ!」と叫んだ。

「リーダーなんだぞ!忘れるなァ!」

「あー、そっかそっか。お前が織田かー。ちっちゃいから覚えてなかったぜ」

「……ひんっ!」

 加山の何気ない一言に、一瞬泣きそうな顔になる織田。

「な、泣くなよオダッチ!俺らのリーダーはオダッチなんだぜ!」

「っ、ったりめーだ!泣いてねー!」

「ギャーッ!」

 フォローに入った坂井がまた蹴られている。

「……てゆうか森田。お前覚えられてないの当然だぜ」と蹴られた背中をさすりながら坂井が言う。「前回のお前、開幕と同時にそこの……梅山だっけ?に蹴倒されてノビてただけじゃねえか」

「な、なにィ……!?」

 言い合いをしていた坂井が俺を指さして言い、驚愕を露にする木刀くん改め森田。

「あぁ、そういえばそうだったかも。木刀振り回してて危かったから」

 思い出した俺がそう言うと、森田の顔が見る見るうちに青ざめていく。

「じゃ、じゃあホントの俺はお前らに一瞬でやられちまったのか!?」

「そうだな」「そうだな」

「ヒイィ!?」

 俺と坂井の声がハモり、森田は逃げ去るようにのけぞった。

「まーた森田のクセが出たな。どんなにあり得ない展開でも、酷い目に遭った時はすぐ記憶を都合のいい内容に捏造しちまうんだこいつは……」

 やれやれ、と坂井が苦笑する。それは確かに困った癖だな。

「ついでに言うとドッグファイトって何だ?戦闘機で戦っていたのかおまえらは」

「な、なにィ!? ドッグファイトってお互い猛犬みたいになりふり構わず相手を喰いあう闘いって意味じゃないのか……!?」

「違うぞ」「違うぞ」

「ヒイィ!?」

 またハモってまたのけぞった。

「まーた森田のクセが出たな。意味知らない言葉でも、語感がカッコいいとすぐ使っちまうんだこいつは……」

 やれやれ、と坂井が苦笑する。それも確かに困った癖だ。

 ちなみにドッグファイトの本来の意味としては戦闘機が互いを空対空放火の射程に捉えようと機動することだ。尻追い戦とも言う。泥仕合って意味は別にない。

「コラァ!ノブヒコ!森田をイジメるなァ!」

「はァ!?イジメてねーよ!こいつ放っとくとどんどん妄想加速させて終いにゃ手に負えなくなんだろ!早めに現実教えてやるのが情けってもんだぜ!?」

「うるせー!仲良くしろー!」

「ギャーッ!」

 ガタガタ震えだす森田を無視して言い合いを再開する織田と坂井。俺たちはまた放置される。

 ……いつものことだけど、なんなんだこいつら。本当に町一番の不良チームなのか?


「へっ、なんだ? まぁたあいつらかよ」

 壁沿いのドラム缶に座っていた男――松山が、凶暴そうに笑う。あいつは有名人だから最初から名前は知っていた。

 いやに余裕そうな表情だったが、その脇にいる女の子は不安気におろおろしている。

「た、大変だよ……、樹里ちゃんものんちゃんも、また前みたいにやられちゃう……。松山くん助けてあげて!」

「おい智。一葉がビビッてんぞ。オマエ行って適当に片付けてこい。その間にオレは一葉を安全な場所まで連れていくからよ」

 傲岸な態度で言われ、智と呼ばれた少年――苗字は岡崎っていう――は松山を睨み返す。

「掃除ならお前がすればいい。一葉は俺が守る」

「空気読めっつってんだよチビガキ。オマエがいると邪魔だってちゃんと言わなきゃわかんねぇか?一葉だけ置いてとっとと失せろ」

「だまれ。お前なんかに一葉は任せられない。お前こそ俺の前からいなくなれ」

「ふ、二人ともっ!どうしてそこでケンカするの……っ!」

「こいつが悪い」「こいつが悪い」

「そ、そんなぁ……!」

 互いを指さし合う二人を前に、ますますおろおろしている。あの一葉って名前の子はいつもあんな調子なのだが……そもそもなんであんな普通っぽい子がこいつらの中にいるんだろう?

 壁沿いにいたその他の三人は俺たちが来たことにも大して興味がなさそうだった。サングラスをかけたガタイの良い男は黙ってこっちを見ているだけだし、金髪の男の子は本を読んでいるだけで見向きもしない。その端にいる不精ヒゲを生やした怪しい雰囲気の男も、なんとなくこっちを伺っているだけだった。

 ……相変わらずまとまりのない連中だ。本当に仲良いのか?


「やれやれ、これじゃいつまで経っても話がすすまねーな……」

 あの加山でもため息をついている。話の進行を邪魔することにかけては自分も相当なものであるという事実を完全に棚上げして。

「ヘイ、いいか!これから俺たち加山軍団が、加山軍団の名のもとにお前たちをやっつけるぜ!」

 そうして一歩踏み出し、堂々と啖呵を切った。場に居合わせた全員の意識と視線が、加山一人に集中する。

「お前らが軍隊から拳銃を盗んできたことは割れてんだ!おかしなこと企んでるよーだがそうはさせねー。それは俺たちに預からせてもらうぜ!」

「ぬ、盗んでなんかいねェよ!あの銃は織田が拾ってきただけなんだ!」

「バカ森田!」

 言い訳のつもりなのかあっさりと銃の存在を白状してしまった森田を、織田が先程の坂井と同じように蹴り倒す。

 ……一応ケンカになると想定していたが、戦いが始まる前に既に二人がリーダーによってダウンさせられている。

「銃は誰が持ってるんだー?大人しく渡せば、島本のツープラトン・ブレンバスターを喰らわずに済むぜ!」

 加山の脅しに坂井と森田は震え上がり、織田も若干腰が引けていた。連中は島本に投げ飛ばされたことがあるからだ。強さを知っているが故にその恐ろしさも体に植え付けられている。

 ……それにしてもさすがの島本も一人でツープラトンは物理的にできないだろうが。

「と、智!それに松山!おまえらもこっち来て手伝えよォ!」

 未だ言い合いをしている背後の二人に呼びかける織田。

「オラ、智。呼んでるぞ。早く行って片付けてこい」

「お前も呼ばれてる。面倒を俺一人に押し付けるな」

「コラァ!押し付け合いすんなァ!リーダーの言う事は素直に聞けよォ!……菅井!」

 と、今度はもっと興味がなさそうなサングラスの男に向かって叫んだ。サングラス――菅井はおもむろに前へ出て、指にはめたでかい宝石のついた指輪を突き出した。

「……アメジストが何故二日酔いを防ぐはたらきを持つか教えよう。それはギリシア語の――」

「聞いてねーよ!誰がおまえの今日のコーディネートを聞いたんだよッ!」

 織田の一喝に、菅井は「そうか」と短く言って、また壁にもたれかかった。前に出てくる気はないらしい。前から思っていたが、服装といい発言といい、こいつは本当に謎だらけだな……。

「やれやれー。おい島本。どうやらやっつけるしかないようだぜ?」

「うむ」

 頷き合って、加山と島本がじりじりと前進を始める。

 一番近くにいるのは坂井と森田だが、二人は織田にさんざん蹴られて既に戦闘不能だ。まともに立っているのは島本からすればお腹辺りまでの身長しかない織田だけだ。

「お、おい……?」

 さっきまで威勢が良かった織田も、自分の1.5倍くらいありそうな島本に迫られて、自然と気勢を失い後ずさっていく。

「……だめーッ!」

 そんな彼女の姿を見かねて意を決したのか、奥にいた連中の一人が飛び出した。

 しかし、

「ンなっ!?戻れ、ひとはァ!あんたが敵う相手じゃねーよ!」

 織田が叫ぶ。島本の前に立ちはだかったのは一葉と呼ばれていたあの女の子だった。仲間たちを守るように両手を広げて、必死に島本と加山を睨み返している。

「一葉!なにやってんだ!?」

「やめろお前ら、一葉に手を出すなっ!」

 その果敢……というか無謀な行動には、俺たちばかりでなくむしろ仲間たちの方が驚いているようだった。彼女と一緒にいた松山、岡崎の二人が口々に叫んでいる。

「んー?どいてなお嬢ちゃん。ケガするぜー」

「下がっていろ。俺は女にも容赦がないぞ」

 加山と島本が言うが、この状況でその言い方だと完璧にこっちが悪役だった。繁華街の路地裏で純朴そうな女の子相手に凄みを利かせて……一体俺たちは何をしているんだろう?

「……さ、さがりませんっ!わたしだって、みんなが大切なんだからっ!」

 応じる様子はない。バカでかい男が出てきて怖いだろうに、仲間のために気丈に振舞っている感じだ。仲間思いの良い子らしい。がんばりの方向が間違っている気がするけれど。

「…………」

 その姿に島本は諦めたように息をつく。しかしそこから引き下がるはずもなく、島本はその子を無視してずいずいと進み始めた。

「あっ、だめッ!やめてー!」

 叫びながら、島本を行かせまいとしがみつく。

「離せ」

「はなしませんッ!」

 服の裾をぐいぐいと引っ張られている。

 仮に俺が島本の立場だったら、あの健気な姿に免じて許してしまいたくなっていたかもしれない。だが、本人が前言したように俺たちの中で一番容赦がないのが島本だ。服をつかんだ手を離さないと悟るや、島本は彼女の胴体を両脇からむんずとつかんだ。

「えっ、ええっ……!?」

 そしてそのまま体ごと持ち上げられる。抵抗して足をじたばたさせるが、島本の体格じゃそれも無意味だった。

 そして島本は短く「すまん」と言って、掴み上げた彼女をぽーんとボールのように放り投げた。

「きゃあああ!」

 悲鳴をあげながら飛んでいく女の子。

「ひとはァァァ!」

 宙を舞う少女の姿を見て、路地裏に複数の声が響き渡った。さっきから後ろで騒いでいた二人は駈け出し、織田に蹴られて倒れていた坂井までもが立ち上がってきていた。

「くらえッ!」「死ねェ!」

 そして次の瞬間、鋭い掛け声と共に島本に二発の蹴りが突き刺さる。先程走り出していた松山と岡崎の二人がその加速を生かして同時に飛び蹴りを浴びせたのだ。

「むう……!」

 突然飛んできた二発のキックを島本は太い両腕でがっちりと受け止めた。

 だが、どちらの蹴りも普通の人間相手なら吹き飛ばせるぐらいの威力があった。受けたのが島本だからよかったものの、俺や加山では倒されていたかもしれない。

 ガードされたのを感じ取って、二人はすかさず間合いを離す。さっき言い合いをしていたとは思えないほど息の合った動きだった。

「やりやがったなデカブツ!オレの一葉をブン投げといて、覚悟はできてんだろうなァ!」

 松山の方は完全に頭に血が上っている感じだ。乱暴な言葉を吐きながら、威嚇するように中指を突き立てる。

「ノブヒコ!一葉は無事か!?」

 岡崎の方はまだ少し冷静なのか、投げ飛ばされた一葉さんの方を気にかけていた。彼女は見事な放物線を描いて飛んでいったが、立ち上がってすぐにヘッドスライディングした坂井によって受け止められていた。

「ああ、死んじゃいねーよ! ひとは!大丈夫か!?」

 呼びかける坂井。しかしいきなり投げ飛ばされた一葉さんの方は無傷の様子ながらも「の、のんちゃぁん……」と目を回していた。

 普通の人間はあんな常識外の投げ方をされたことなんてないだろうが、あれは本当に目が回るのだ。ものすごい勢いで飛ばされるから実際ぐるぐる回るし、墜落する時のことを考えるともうパニックに陥ってしまう。

 俺たちは昔から食らっているので多少は耐性ついているが、あんな子なら気絶するほど怖くても無理はない。

「ち、ちきしょう……!俺が不甲斐ないばかりに一葉をこんな目に!」

 泣き崩れる坂井。

「行くぜ、松山!智!あと菅井!森田も立て!一葉の弔い合戦だっ!」

 しかし決意を込めて立ち上がり、仲間たちに鬨の声を発する。それに呼応するように、壁沿いで腕を組んでいた菅井も動き出し、倒れていた森田もよろよろと復活した。

 島本があの子を投げ飛ばしたのは彼女がたまたま前に出てきたからだが、期せずして不良たちの戦意を劇的に上げてしまったらしい。

 あの子の存在はこいつらにとって導火線みたいなものなのか、立ち上がった連中は次の瞬間一斉に島本に殺到していた。

「島本ッ!」

 俺は叫ぶ。しかし加山の方は「ふーん」と余裕そうに構えていた。

 ……いやだから、俺も内心ではそんなに危機を感じていないが、おまえの態度はゆるすぎるだろう。


「……弱いぞ」

 着衣の乱れを直しながら、息をつくように言う島本。

 結果的に、戦いはすぐに終了した。

 飛び掛ってきた松山の腕を島本が掴み返して、横薙ぎに投げ飛ばした松山で坂井と森田もまとめて倒し、続けて飛び込んできた岡崎には反転しつつラリアットを決め、最後に来た菅井には力任せのタックルで強引に迎撃した。

 ここまで、大体一分ちょっと。実際に動いていたのは島本だけで、俺と加山は横から眺めていただけだ。

「まーた島本のひとり勝ちかよ。俺らも頼りになる仲間を持ったもんだぜ」

 満足げに頷いて言う加山。

 一応フォローしておくが、不良を称するだけあって連中はケンカの強さもなかなかのものだ。菅井は島本にも匹敵するガタイの良さだし、岡崎の動きも鋭く素早く洗練されている。松山は元々この辺りでは知らない者がいない程に有名な不良だったぐらいなので、その強さは肩書きが証明している。特に目立っているのがこの三人だが、残りの連中だって素人なりに動ける方だ。

 ……だが、常識を越えた体格によって裏打ちされた強さを持つ島本では相手が悪すぎる。これまでこいつらとやり合ったことは何度かあるが、毎回島本一人で全員に勝ってしまっている。

 今回も島本に向かってきた六人は全員がのされており、唯一向かってこなかった金髪の子も何故か壁際で倒れていた。見るとすぐ近くに島本のサンダルが落ちている。立ち回りの最中にすっぽ抜けて飛んでいったものが被弾したのだろう。かわいそうに。

 もう一人いた不精ヒゲの男も、いつの間にかいなくなっていた。気絶した一葉さんを連れていち早く脱出したのだろうか。随分薄情だが、ある意味で一番賢い選択かもしれない。

「み、みんな……!?」

 残ったのは、なんとなく流れに乗りそびれた感じのリーダー、織田だけだった。やっつけられて周囲に転がる仲間をキョロキョロ見渡しながら、起きた事態をようやく認識したようだ。

「て、てめーら……許さねーぞ……!」

 口元をひくつかせている。たった三人――実質一人に仲間を蹴散らされたとあっては、ある意味当然の反応だろう。不良としてのメンツがますますそれを許さないのかもしれない。……この圧倒的な状況が最早毎度のことになっていたとしても。

「おーいオダッチ。そろそろ降参して銃出せよー」

「おめーにオダッチ呼ばわりされたくなんかねーよ!」

 相変わらず異様に気安い加山の態度に声を荒げる織田。そうして凄まれても「んー?」と全く気にした様子のない加山に、ぎりぎりと歯を食いしばっている。

 しかし、不意に無表情になったかと思いきや、にやりと悪そうに笑う織田。

 素早く後ろに飛び退いた後、なにやら手を後ろ手に回し、背中のあたりをごそごそやっている。

 何をするつもりかと思ったその時、

「……ふっ、てめーら、アタイを本気で怒らせたこと……後悔させてやるぜェッ!」

 そう言って織田は背中から引き戻した手を、俺たちに突き付けてきた。……その手には、見覚えのある黒い物体が握られている。

 ――拳銃……!? ここで出してきやがった!

 俺も加山も島本も、現れたその兵器に思わず身を固くする。

「はっはっはー!これがあったのを忘れてたぜー! いくらおまえらがバカみたいな強さでも、本物のチャカが相手じゃどうしようもねーんじゃねーの!?」

 大胆不敵に高笑う織田。

 確かに言う通りだ。あれをこの場で出されたのでは、手も足も出ない。

 予想していなかったわけじゃない。拾われたあの銃が、再び俺たちに対して向けられる可能性があることを……。

 ――だけど、予想していたからって何ができた……?

 こうして実際に突き付けられて、実感する。武器としての絶対的な威圧感。それの前にはどんなに強い人間にも、屈服を迫られてしまう。

「……おいおーい、それでどうしようって言うんだよ?」

 口調はいつものまま、しかし表情は緊張させた様子で加山が尋ねる。

「決まってる!撃たれたくなかったらさっさと帰れ!そんでアタイらの邪魔はすんな!」

「……撃ったらお前、捕まっちゃうよ?」

「ケーサツなんか怖かないね!」

 へん、と胸を張る織田。その態度には一片の雲りも見られない。

 ――樋口の言う通りだ。

 俺は実感する。

 この子、警察とか軍隊とか、世の中に対しての恐怖心が全くない。

 そう言う樋口にも、或いは加山にだってそういうところはある。けど、あいつらはその怖さを知らないわけじゃない。捕まったらどういうことになるか、ちゃんと知っている。その上で、必要に応じて危ない橋も渡っているだけだ。

 ……この子には、それがない。

 捕まっても、どういう目に遭うか、どういう事になるかが想像できていない。それが自分のキャパシティを超えていて、それがどのぐらい恐ろしいことなのかも、きっと理解できていないに違いない。

 ……もしかすると、だから、こんなにも必死なのか? 自分を圧倒するものがあるということを知りたくなくて、なんとかなるって思い込みたくて、こんな態度を取り続けている……?

 まるで子供だ。高校生なんて子供だし、俺だって人の事は言えないけど。樋口が守ってやりたいと言うのは、こうして見ると頷ける。

 ――こんなの、危なっかしくて見ていられない。


「ほら、どーすんだよ!?帰るのか、このままやるのか選べよ!」

 拳銃を更にぐい、と付き出してくる織田。

 あれじゃうかつに近寄れない。近づいてなんとかするにしても、先日の軍人の時と比べて相手――銃までの距離が長すぎる。あれじゃどう動いても一発は必ず発砲されてしまう。それが当たってしまったら、勿論……死ぬ。人間なら。

 それを考えたら、不用意な動きなんてできやしない。さっきまであれだけ大立ち回りをしてみせていた島本だって、実銃を前にしては動きがとれないでいる。

「はっはっはー!さすがに手も足も出ないってかー!?」

 これは、まずいな……。簡単には片付かない……長期戦の臭いがしてくる。


 ……その時だった、


 ――……~~♪

 停滞した路地裏の空気の中に突然音楽が流れ始めた。

 少しくぐもった音色で奏でられる、少し昔の流行歌。

 一音目で解る。反射のように、体が動く。

 カチリ、と。スイッチが入る。


「初見か? どうした?」

 俺はポケットから携帯電話を取り出し、通話ボタンを押した。何百回も行っている手順。よどみなく実行された。

 液晶を確認するまでもなく、相手は初見だ。着信音で判断できる。

『……あ、ツトム?今平気?』

「あぁ。暇してるよ」

 聞こえてくる初見の声に意識を集中させた。前にいた織田が何か言っているが、うるさいので無視して腕時計を見る。時刻は七時より少し前。

 ――土曜日に向こうから帰ってくる時間としては、まぁ普通か。

『そ。私もね、今帰るところ』

「そっか。おかえり」

『うん。ただいま』

 スピーカーから届く初見の声を注意深く聞く。土曜夜の初見は元気なことが多く、基本的に機嫌が良い。その調子で俺に電話をかけてくることも珍しくはない。

 けれども反対にものすごく落ち込んでいて、それで電話をかけてくることもある。そういう時には俺はそれなりに気を使うというか、そういう時用の対応をすることにしている。それを知られると初見は気にするので、本当にさりげなくだけど。

 今日も、電話が来ると予想していた。こんな状況だし、常に意識していたわけではないけれど、心の隅でこのタイミングを予感できていた。

 だからいつも通り早く出られた。初見を待たせないで済んだ。

『それでね、さっきメールがあったんだけど』

「メール?」

『お母さん、今日帰ってくるのが遅いみたいなの。だから……』

「そうか。なら一緒にメシでも食いに行こうか?」

『あ……うんっ。そういうこと。どう?』

「もちろんいいよ」

 喋りの調子を聞く限り、今日の初見はあまり沈んでいる様子はない。安心する。

『ついでに、一緒に勉強しない? 月曜日、単語テストがあるでしょ』

「そっか。じゃあ単語帳持ってくよ。初見、今どこだ?」

『あ、ごめん。まだ帰り道。駅のホームからかけてるの』

「駅って、向こうの?」

『うん』

 帰り道。向こうの駅のホームからかけてきているということは、次に来る電車に乗ってくるということだ。

 初見がそこから電車に乗って家に戻り、準備を終えて家から出てくるまでの時間はどのぐらいだろう?

 ――全部終わるまで、約一時間ってところか……。

 瞬時に計算を終え、言う。

「初見」

『どうしたの?』

「いったん家、戻るだろ? そのぐらいの時間に、俺が初見の家まで迎えに行くよ」

『うん。わかった。外で待ってればいいかな?』

「だから駄目だって。夜だし危ないかもしれないだろ。時間見計らって連絡入れるから家にいてくれ」

『じゃあ、そうするね』

「勉強するなら、ノート忘れるなよ」

『わかってるよ。ツトムこそ忘れないでよ』

「ん。じゃ、また後で。何か他に話しとくことあったか?」

『ううん。平気。あ……電車来ちゃったからまた後でね』

「ん、じゃあな」

『うん、ありがとね』

 少し物足りなさそうな口調で初見は締めた。人の少ないあのホームから、人の少ないあの電車に乗り込んでいく……そんな姿が目に浮かぶ。

 ――よし。

 俺は携帯電話を閉じて、ポケットにしまった。外の液晶に表示された時間を見る。

 初見と夕食を食べに行くことになった。初見が帰宅して着替えて、再度外出準備を終えるまで約一時間。俺はそれより少し早くに家へ戻らないといけないことになる。

「加山。島本」

 俺はそれぞれ数メートル離れた位置に立つ加山と島本に呼びかける。

「おう。どうした?初見ちゃん元気か?」

 加山は少しからかいが混じったような慣れた反応を、島本は黙ってこちらに視線を送ってくれる。

「元気そうだったよ。で、悪いんだけどさ、ちょっと初見と夕飯食べることになった」

「へー、そりゃいいな。初見ちゃんも喜ぶだろうぜ」

「あぁ。だからさ、――」

 俺は視線を前方に戻す。そこには呆気に取られたような顔で銃を構えている織田がいる。

 盗難された拳銃、その奪還――現在の俺に課せられたタスク。それを視界に収めつつ、自分の内に算出した解決への所要時間が現実的であることを実感する。


「――あと三十分で全部終わらすってことでいいかな?」

 その現実性に基づいて、俺は発言した。

 これから実行する行動の指針。仲間たちには包むことなく伝達する必要がある。

「……銃とか出てきちゃって、割と大事になってきてるけど平気なのか?」

「あぁ、頑張ればなんとかできるよ」

「……撃たれたら、死んじゃうかもしれないぜ?」

「当たらなければ死なないよ」

 慎重に重ねられる加山の質問に、俺は即座に返答していく。今回の場合、人命が関わる危険性もあるのだから、そのらしからぬ注意深さは当然だろう。

 しかし俺に退く意思はなく、その必要性が皆無であることも加山は理解してくれるはずだ。今はただ、最善を。いつもと同じ。与えられたその場でできる最善の判断と行動を。

「しゃーねえな。お前、一度こうなっちまったら絶対中止しねーんだもん」

「それがツトムの愛すべきところでもある」

 苦笑する加山に、島本が落ち着いた声音で追従した。

 要請が受理される。これで加山たちも、俺の意図した通りに行動してくれるはずだ。


「おい、織田」

 俺は前方に問いかけた。

「……な、なんだよッ!?」

 放置されていたところでいきなり話が戻ってきて、不意を打たれたようにびくつく。

「その拳銃、こっちに渡してくれ」

「っ……ふざけんなッ! こっち無視していきなり電話し始めたかと思ったら、言うに事欠いて三十分で片付けるだァ!?アタイらナメんのもいい加減にしろよッ!」

 今まで沈黙していたからか、堰を切ったように喚き始める織田。

 まぁ、そう思われても仕方のない状況ではあったかな。反射的に電話にでちゃったけど、さすがに色々唐突すぎたかもしれない。

「そんなつもりはないけど。ただ、銃は渡してもらう。大人しく渡してくれないなら、渡さざるをえない状況にするだけだ」

「……ッ、お、おまえ……これがなんだかわからないのかよ!?」

「拳銃だろ?」

 うろたえ気味に突き出されるそれの名前を言って返す。

「こ、怖くないのかよッ!? アタイが引き金引いたら弾が当たって、そしたらおまえ死んじゃうんだぞ!」

「銃はトリガー引いただけじゃ人は殺せない。当てるように狙って、当てるように撃たないと」

「だ、だから……! それが怖くないのかって、聞いてんだよ……ッ!」

「怖いよ。だけど事情が変わったんだ。そっちの方が優先度が高いから、俺がどう思ってるかなんてどうでもいいんだ」

「は、……?」

 理解不能といった体の織田。

 震える銃身がその困惑を伝えている。

「おいオダッチ。つべこべ言っても無駄だと思うぜ?」と加山が頼もしげにニヤつく。「ワケがわかんねーかもしれんが、ウチのエースに火が入っちまった。こうなったらお前の負けは確定なんだけど……まー、お前にしてみりゃ意味不明だろ?現実知る意味でもあがくだけあがいてみれば?」

 俺を信じてくれているんだろうけど言い過ぎだ。けれども言い返している場合じゃないし、俺の作戦にとっても好都合なので何も言わずにおく。

 ポケットの中に手を入れる。行きがけに見渡した部屋の中にあった、何かに役立つかと思って持ってきた道具の一つ……、そんなのあくまで気休め程度で、まさか使うことになるなんて思っていなかったけれど。

「…………」

 その形を確かめるようにしながら、丁度良い形で手に握った。それは磁石だ。直径三センチ程度の丸型の磁石。書類などを壁やドアに貼り付けたりするのに使う、小型マグネット……何の変哲もない日用品。だが状況を打破する布石としてはこれが最適だ。

 最後にこれから先実行する一連の行動工程を脳内でシミュレートし、実現性を再認識した俺はポケットから手を抜き放ち、

 その手にした磁石を前方の一点目がけて投げつけた。

「――ッ、くそッ!」

 俺が動いたことを視認して、織田が反応する。

 しかし遅い。そして俺の投げた磁石のルートもほぼ完璧。条件の齟齬ない一致を確認し、俺は地を蹴った。

「このォ……、あッ!?」

 ――パァン……!

 織田の虚を突かれたような声と共に、周囲に空を裂くような破裂音が響き渡る。銃声だ。

 俺の発動に焦った織田が、思わずトリガーを引いてしまったらしい。

 しかし、撃ち放たれた銃弾は俺たち三人の誰かも、倒れている不良たちの誰かも傷つけることなく、路地裏のビルのやや高い壁を焼いただけだった。発射された銃口の先も俺はおろか、島本の頭よりも上方を向いている。

 ――成功だ、銃撃は外れた。後は想定した通りに動くだけ。

 半ば無意識に近い曖昧な感覚で俺はそんなことを抱く。


 ……前提。俺は最初から織田が発砲すると踏んで動いた。

 これまで何度か見てきた中で知った彼女の性質的に撃ちそうだったし、撃つと想定して動いた結果撃たなかったならそれはそれで問題ない。保険だ。

 ……布石。最初に飛ばした磁石は牽制だ。

 投擲するのに丁度良いサイズのそれをやや上向きに飛んでいくような軌道で投げて銃身に当て、照準を上にずらすのが狙いだった。当てるだけなら普通に投げるほうが楽だが、照準が左右にぶれた場合、加山たちや他の連中に銃弾が当たってしまう危険性がある。

 投げるのに適した道具は他にも何個か持ってきていたし、その中から磁石を選択した理由も大した理由じゃない。単純に黒くて見にくいからだ。薄暗いこの路地裏で、あの大きさの物体が飛んできたのではまず見えるはずがない。

 ……状況。一度発砲させてしまえば、そこに大きな隙が生じる。

 織田はあの通り小柄だし、咄嗟につかんだ結果だろう、銃の握り方がそもそもちょっとおかしかった。あれでは発砲時の衝撃で体勢は崩れてしまうだろうから、撃たせて外させてしまえば、構えなおして次弾を発射するまで最低約三秒のラグが発生すると俺は読んだ。

 ……結果想定。三秒。三秒得られれば、全て終えられる。

 必要な距離を踏み込む速度を出すための溜め時間と、実際に踏み込んで織田の反応を許さずに腕を打ち払い拳銃を弾き飛ばすまでの時間、両方合わせて俺の身体能力なら二秒半もあれば事足りる。

 ――そして、一瞬の間に状況が全てクリアされたことを俺は全身で感じ取る。

 状況の変動を視覚で、発砲の音を聴覚で、火薬の臭いを嗅覚で、場の空気の変化と自身の状態変化を触覚で……、ありとあらゆる情報を五感の全てで収集する。

 牽制の銃身への命中、確認。織田の暴発、確認。脚部への溜め時間の必要最小限化、確認。万全な体勢と角度をもっての踏み込みの発動、確認。無関係な場所への着弾、確認。織田の体勢の崩れ……、確認。

 ……想定通り。後は先行で入力したプログラムのように身体を動かす……ことはさすがに機械じゃないから不可能なので、自分の判断が最善であることを信じて身体を適切に動かすだけ……!


 だから今までの思考は全て無意識。

 動作実行中の俺は、思考すら追いやって足を引き、踏み込み、着地と共に足を振り上げ、

「ふッ!」

 短く気合を発しながら、織田の手に握られた銃のバレルを蹴り上げて、拳銃を弾き飛ばすことに成功する――。

 ――最後の動きだけは、心から信頼できたな。

 それは唯一、明確に思う。

 なにせつい先日、本職の軍人相手に成功させたばかりなのだから。



「ツトムナイス!センターフライだ!ここなら俺が余裕でキャッチ……って、アッチィ!銃って撃つとこんなに熱くなんのかよ……!ツトム、ヤケドしたぁ~!」

 背後で加山がなにやら騒いでいる。俺がはじき飛ばした銃を無事にキャッチしてくれたようだ。

「見事な踏み込みだ。ツトム」

 島本の声がする。武術経験者にそう言われると俺も少しは自信が持てる。

 それでも油断せず、俺は蹴り抜いた足を素早く引き戻した。織田との距離が遠すぎて島本も加山も援護できないため、銃は弾いても今回は前回のような仲間のフォローはない。

 武器を取られた織田がどんな行動に出るかはわからないのだから――、

「――って、あれ?」

 しかし、俺の目の前にいた織田は気づけば腰を抜かしていた。

「あ、アタイ……撃っちゃった……のか?」

 どうもようやく状況を把握したところのようだった。「ふ、ふえぇ……」と、へなへな脱力して、座り込んでしまっている。

「お、おい……?平気か?」

「あ……おまえ……、」

 俺が思わず声をかけると、織田は泣きそうな顔でこっちを見上げてきた。

「ぶ、無事なのか……? どこも、あたってないのか? あ、アタイ、ホントは撃つつもりなんかなくって……、」

「……ええ、と……?」

 心から安心したような反応をされて戸惑う。

 うっかり撃ってしまったことに織田自身もビビってしまったらしい。

 さっきは怖いもの知らずの危なっかしい子なのかと思ったけれど……どうやらそのぐらいの危機感は持ちあわせていたようだ。その辺はやはり女の子だからだろうか。

「こ、怖かった……人殺しちゃったかと思ったよぅ……!」

 怯えたようなその姿に、俺は安心する。さっきまでのギャップとかではなく、単純にこの子ちゃんと人並みに恐怖を感じられていることに。


「――そこまでだ!」

 と、その時、まるで読んだような絶妙すぎるタイミングで上の方から聞き覚えのある声が響いてきた。こちらが上を向くまでもなく、その声で樋口とわかる。

 加山は無意味にノリを合わせて「なにっ、誰だー!?」などと言ってキョロキョロしているが、正直俺はそこまでしてやる気にはなれなかったが、あまり平然と構えていても変に思われそうだったので、警戒したフリをして織田から数歩分離れておく。

「とう!」と高らかに掛け声など発しながら、樋口は手近な建物の外階段から飛び降りてきた。そんなところにいたのか。気付かなかったが、随分と近くに隠れていたんだな。

 颯爽と飛び降りた樋口はスタッと着地する。先日の加山と同じような、危なげない動作。こいつは頭が切れるタイプだが、ケンカもできるし、運動神経も悪くない。この程度の飛び降りなら造作もない感じだった。

「ひ、樋口……!」

 織田がそう声を上げると、島本に倒されてダウンしていた他の面々もゆるゆると顔を上げ始め、樋口の登場を確認する。

「た、助けに来てくれたのかァ……!?」

「やったー!樋口が来てくれれば安心だー!」

「フン……ようやく来やがったかよ」

「樋口、早くそいつらを!織田が危ない!」

「………………」

 口々に樋口に声をかける不良たち。この状況でこんなに歓声を浴びるなんて、樋口のヤツ、仲間内ではよっぽど信頼されているのか、……それとも過度な期待をかけられて無茶を言われているのか。

「…………」

 なんとなく、後者のような気がする……。別に根拠はないんだが。

 真打ち登場と顔に書かれた樋口は不良たちの反応を満足そうに受け止めて頷いた。白々しい。……というか、あいつらは樋口がどう見ても見計らったタイミングであんな近くから抜け抜けと登場したというのに、それについてのツッコミはないのだろうか。

「樋口!今回もお前の差金かー!?」

「クックック、俺の仲間を随分とかわいがってくれたようじゃねえか加山!」

 無駄な寸劇を繰り広げる加山と樋口。そんな余計なことしたらバレてしまいそうでヒヤヒヤする。

 だが、言い合いをしながらも加山は無造作に振り上げた手に握った銃を樋口に見せつけて、奪還に成功したことを確認させていた。それを見て樋口が小さく頷く。

「――その辺にしときな織田。こいつらは今のお前の敵う相手じゃねえよ!」

 そして最初に俺たちに言っていた通りの台詞を言った。一字一句全て同じ。事情を知っているとものすごく台本を感じさせる。

 しかしこの撤退の進言によって場を上手く収めることができるはず……、

「えーっ、樋口そりゃないぜー!」

「そうだそうだ!お前がそいつらやっつけてくれるんじゃねェのかよ!」

 しかし、樋口の台詞に壁際に転がっていた坂井と森田が反発した。裏の事情を知る俺たちにはやや都合よく聞こえるとはいえ、樋口の提言は十分理性的だと思えるのだが……、こいつらは樋口が俺たちを倒さないことには納得いかないらしい。

「無茶言うなっての! 岡崎と松山までいて敵わなかった相手に、俺ひとりで勝てるワケねえだろ。退却だよ退却!」

 この辺りは割と本音なのだろう。坂井と森田の名前が挙がらなかった辺りが哀れだが。

 樋口にそう言われて、ようやくよろよろと立ち上がる不良たち。動作を見る限りまだ動けそうだったが、戦意は大分削がれているようだった。無理もないか。

 ともかくこれで事態は樋口の思惑通り収まりそうだ。俺たちは全員があいつの手のひらの上で踊らされていたわけで、その事実は釈然としないところがあるが……今回はまぁ仕方がないか。

 しかし、

「待て」

 と、いつの間にか俺のすぐ隣までやって来ていた島本が言った。予期していない反応に樋口が「……なんだよ?」と振り返る。

「敵前逃亡とは見苦しい。お互い仲間の手前だ。せめて俺一人を相手に正々堂々戦っていけ」

「は……?」

 意味不明とばかりに唖然となる樋口。

「お前の手癖はよく知っている。退却すると見せかけて俺たちが油断したところを、騙し討ちにするつもりだろう。その手は食わん」

「…………」

 樋口が助けを求めるように俺を見てくる。

 ――おいおい、こいつ一体何を言っているんだ?作戦と違うじゃねえか?

 そんな疑問が伝わってきた。しかし、口に出すワケにもいかないので俺は黙っているしかない。

「覚悟はできたか?では、いざ尋常に勝負――!」

「ちょ……!待て待て待て!お前は俺の話の何を聞いて……って、うおぁー!?」

 先手必勝とばかりに飛び込んでいく島本を必死に制止しようとする樋口だったが、もう遅かった。言い終わる前に襟首を掴まれ、他の連中同様に軽々と持ち上げられていた。

「――ふんっ!」

「うおおおおおっ!」

 そして、気合一閃。見事なまでに滑らかな、島本得意の一本背負いが決まる。

 意味不明な展開に完全に置いて行かれていた樋口は抵抗もできずに容赦なく島本に投げの体勢まで持ち込まれ、そのまま硬い地面に容赦なく叩きつけられた。

「……っ、こ、腰が……!」

 受け身もとれなかったのだろう、仰向けからうつ伏せまで移行したものの、そこから立ち上がることができないようだった。

 そんな樋口の様子を見て、俺たちより後方にいた加山が勝ち誇ったように言う。

「残念だったな樋口!うちの島本は、三十分以上会話した相手の顔しか覚えないんだ。だからお前のことも敵だと思ったのさ! お前の奇策も、島本という男の全ては計算しきれていなかったようだぜ!」

「な、なにィ!?」

 あっさりバラしてしまう加山に叫ぶ樋口。幸い不良たちは何だかわかっていないようだったが、樋口にしてみれば計算外もいいところだろう。味方として考えていた相手に援軍と勘違いされて投げ飛ばされるなど。

 ……ちなみに、三十分以上会話した相手の顔しか覚えないとか、島本もさすがにそこまでアホではない。確かに人の名前と顔はあまり覚えようとしないヤツだが、樋口程度の交流があればちゃんと記憶しているはずだ。

「島本」

「……うむ」

 従って今回の行動は、島本なりの機転だろう。

 樋口にひとり勝ちさせておくことをよしとしなかった……或いは俺がそう思ったのを読んでくれて、わざと一芝居打ってくれたのだ。島本のことをよく知らない樋口なら、この通りまんまと騙しおおせた。

 樋口も俺たちとの結託をばらすわけにはいかない以上、襲いかかる島本に対しては何も言えない。事態を脱するには島本以上の機転を利かせなければならなかった。さすがの樋口もあの状況でそこまでの思考は回せなかったようだ。

 まぁ、当然だが。

「く、くそ……今回は俺たちの負けってことかよ……仕方ねえ、今回ばかりはそっちに花持たせておいてやるぜ」

 よろよろと立ち上がりながら、まだ性懲りもなくそんなことを言っている樋口。

「ああ、この銃は俺たちが預かっておくぜ。お前らみたいなのの手にわたらないように、ちゃんと処分させてもらう」

「チッ、勝手にしろ……」

 ホコリまみれになりながらふらついて、状況的にはかなりリアルな絵面だったが。

 なんにせよ、思いのほか自然に捨て台詞を言い合って、状況はようやく決着を見た。

 樋口は撤退しようと加山から振り返り仲間たちの方を向く。

 が、

「ぐすっ……ひぐっ、うっうっ……、うわははぁぁああん!怖かった……怖かったよぅ!」

「おー、よしよしオダッチ。お前はよぉく頑張ったぜー!」

「全くだ。あの局面で気丈な振る舞い、リーダーだからこそできることだぜェ!」

「あれ?」

 連中は樋口のことなどまるで目に入っていない様子で、泣き出してしまった織田をメンバーたちがあやしていた。張り詰めていたものが途切れたのか、ああして見る限りじゃ普通の女の子なのに。

「おいおい!?お前ら俺が投げ飛ばされたことについてはフォローなしかよ!?」

 仲間からも完璧に放置されている状況に樋口は抗議。しかし、

「おー、やっと茶番は終わったかよ樋口?とっとと帰るぞボケ」

 真っ先に向けられたのは輪の外周にいた松山からの、冷たいそんな一言。他の面々もその言葉で樋口に気がつくが、その視線は松山のそれよりも痛ましい。

「……おいおい。何かな?この空気は?」その空気にさすがの樋口もうろたえる。「坂井が調子こいて一葉にセクハラしすぎて泣かせちゃった時より酷くないか?これ?」

「……樋口ぃ、お前後から登場してあんなあっさりやられてんじゃねーよ」

「口程にもねェな軍師さんよ。ったくカッコ悪いにも程があるぜェ」

「落胆ですね。ヒグチ。皆が、信頼していたというのに」

「結局敗北だからな。所詮この程度か」

「…………」

 口々に罵倒を浴びせされて閉口するしかない樋口。

 ……さっきあれだけ煽っておいて、負けた途端にこの扱いとは、恐ろしいチームもあったもんだ。

 ――樋口もあれで苦労しているのかも知れないな……。

 ともかくこれで、事態はなんとかなった。島本が不満を取り除いてくれたので、俺としても最早言うことはない。


 そうして、路地から去っていく樋口たちの背中を見送った。

 罰として最後尾を歩かされていた樋口が哀れだったが、ある意味自業自得だろう。

「さて、俺らも解散にすっかツトム。お前も早く帰りたいだろ?」

「ああ、悪いな」

 懸念として残ったのは加山の右手に握られたままの拳銃だ。弾があと何発残っているのかは知らないが、撃てるかどうか以前に銃の所持は犯罪なのだ。

「まー、コレはしばらく俺が預かっとくよ。また今度どーやって処分するか樋口も呼んで相談しねーとな。今回の仕事は高くついた。あいつに働かせよう」

「はは、そりゃいいな」

「ツトムもちゃんと呼ぶからな」

「わかった。また協力するよ。気をつけて管理するんだぞ」

「安心しろよ。俺は加山軍団のリーダーだぜ?」

 ……だから心配なのだが。俺が預かるよりはよっぽどいいか。

 俺の不安を知ってか知らずか、加山は上手く全体が隠れそうな大きめのポケットに銃をしまいこんだ。多少不自然に膨らんでいるが、一見で拳銃とはわからないだろう。

「じゃあまあ、早く帰ろうぜ。初見ちゃん待たせたらいけねえし、俺も腹へった。島本、今日はお前の家でメシ食ってっていいかな?」

「うむ」

「うっし、じゃあ行こうぜツトム」

「あぁ」


「それにしても、お前は今日もすごかったな。超カッコよかったぜ。銃弾かいくぐってのハイキック!まさにヒーロー!な!?」

「ヒーロー……、ね――」

 そうして、今日も事件は無事に収束し、俺たちはそろそろと家路についた。

 時間は思ったより少し余裕がある。

 けれども何があるかはわからない。初見との夕食に間に合うように、急いで帰らなくっちゃな。




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