●とある午前・休み時間
休み時間。ばったり出くわした初見と二人で廊下を歩いている。
俺は普通に洗面所に行ってきた所で、初見はユキちゃんに貸しっぱなしにしていた辞書を回収してきた帰り道だった。
次の授業で使う辞書をロッカーから取り出そうとして、一時間目に貸したそれをまだ返してもらっていないことに気付いたのだそうだ。
「まったくユキったら。借りたものは自分で返しにきなさいよ」
「まぁまぁ、さっきの休み時間はユキちゃんもそれどころじゃなかったんだろ?」
文法の宿題。和泉とユーミンの協力によってなんとか終えられたからよかったものの、A組にやって来た時のユキちゃんはそのことで頭がいっぱいといった様子だったわけで。
「辞書も忘れて宿題も忘れるなんて、なんだか今日のユキ、やたらうっかりしてる」
「週末だからな。気もゆるむさ」
「ま、私が聞いたらすっごい慌ててたし。反省してるみたいだからいいけど」
手の中で辞書を弄びながら初見。
ちなみに辞書を受け取るついでに初見が聞いたところによると、例の宿題は何の問題もなく提出され、受理されたそうだ。よかった。
「ま、なんにせよ万事丸く収まって一安心ってところか」
と、不意に前方の窓から加山がひょっこり顔を出してそんなことを言ってきた。いや、ここは室内なので「顔を入れてきて」と言うほうが正しいのか。
形容しがたいとは正にこの状況だ。バンダナ巻の男子生徒が「どっこいせ」とか言いながらいきなり窓枠を乗り越え廊下に入り込んできている。
あまりに普通に入ってくるもんだから忘れてしまいそうになるが、ここは三階の廊下だ。俺も初見も加山の奇行には慣れているとはいえ、そんな登場のされ方をすればさすがに少し驚く。まったく本当に神出鬼没だ。
大方、購買部まで行って、そのまま中庭に出てから壁をよじ登ってきたとかだろう。校舎内にある購買部からの帰ってくるのに、わざわざ一旦外に出る意味が全くわからないが。
「おまえさぁ……、ちゃんと階段から上がってこいよ」
「ヤだよ、この時間の階段混んでるし。戦果はのんびり味わいたいぜ」
右手に持っていた食いかけのコロッケパンをかじる加山。もぐもぐ。それ食いながら壁登ってきたのかこいつは。
自由過ぎる。歩きながら食べるのが前提かよ。せめて教室に戻ってから食え。
この類の出来事が結構よくあることなのだから勘弁して欲しい。見つかったらまた風紀委員に追い回されるだろうに。もちろん俺も一緒に。
「あんにせお、さっきあ大変あったみたいあな」と加山がもごもご言う。
「食いながら喋るな行儀の悪い」
食い物を口に詰められるだけ詰め込んで飲み込む……子供みたいな食い方だが、これは周囲がいくら言っても治らなかった加山の悪癖である。
「んぐぐ……、さっきは大変だったみたいだな」
「……知ってるのか?」
「ああ、今購買で鎌谷と会ってな。お前らのやり取り見てたらしい」
「誰だ?鎌谷なんてヤツしらないぞ、俺」
「あれ?知らないのか。まー、今朝ユキちゃんも言ってたろ。他クラスでも有名人なんだよ、俺たち」
「嫌すぎる……」
こいつはともかく、俺は目立ちたくなんて全然ないのに。
げんなりする俺だったが、「とりあえず、教室戻らない?」という初見の言葉で気を取り直す。「休み時間ももうすぐ終わっちゃうし」
「このまま中庭とかでマッタリするのも悪くねーが……、ここは荷物持ちに徹するとしようかね」
言いつつ、さり気ない動作で初見の持っていた辞書をかすめ取って行く加山。初見は一瞬「あっ……」と何か言いかけるが、既に歩き出している加山に今さら遠慮するのも変と思ったのか、そのまま何も言わなかった。
「それはそうとツトム」
「ん?」
「黒瀬がお前に会いたがってたぞ。この前のお礼がしたいんだと」
「……あぁ、この間の」加山の言葉に俺はため息を漏らす。「まったくあいつは。お礼なんて、いいのに……」
「何やったんだお前?」
「別に。黒瀬がまた面倒そうな仕事引き受けて居残ってたもんだから、ちょっと手伝っただけだよ」
「ふーん」
――黒瀬あずみ。一年F組の委員長。
誤解を恐れず一言で言い表すなら、いかにも委員長といった風情の女子である。髪の長い清純そうな外見の通り、とにかく規律正しく、教師受けも成績も良い、優等生の鑑みたいな女の子だ。
俺が黒瀬と知り合いなのは、俺が一年A組の委員長だからで、俺とあいつは委員会を介して交流が始まった間柄、ということになる。
俺は加山たちの推薦によって強引に委員長にさせられただけだが、黒瀬は小学校でも中学校でもずーっと委員長をやっていたそうなので、その似合いようも当然かもしれない。
その遍歴に違わぬ真面目な性格の黒瀬は、委員会の雑務や先生たちの個人的な依頼を積極的に請け負ったりして、いつも忙しそうにしている。
俺としても日頃加山たちの起こす騒動のフォローなどで黒瀬には世話になっているので、多忙な姿は見かけた時はいつも手伝うことにしている。大体いつも、一回目は笑顔で断られ、二回目は苦笑交じりに遠慮され、三回目で不承不承応じるというのが恒例のパターンだったりする。
……たった今出た話題も、先日たまたまそういった場面に遭遇し、いつも通り手伝った、と、ただそれだけのことである。
「ま、こういう時は素直に受け取っとけよ。向こうがそうしたいって言ってるんだし、何かくれるかもしんないぜ?」
「……そうは言うけどさ」
俺だって向こうが善意で言ってくれているのはわかっている。黒瀬はそういうヤツだし。何度手伝ってもお礼を欠かさない。だが、こっちこそ日頃のお礼のようなものなのだし、見返りを求めて手伝っているわけでもないのだ。
「あんまり自分を過小評価するなよツトム。お前はそれだけの価値のある男だぜ?」
「いや、評価とかそういう話じゃなくってさ……」
俺は黒瀬との関係がそういう貸し借りでのみ成り立つようなものになったら嫌だと思ったのであって……。
「……加山くん、ワイシャツの裾はちゃんとズボンにいれないと駄目だよ」
と。
不意に背後から声がかかる。
一瞬、先生が注意をしてきたのかと思ったが、そんなことはなかった。仮にも服装に関して苦言を呈する教師がこんな陽気な調子で話しかけてくるわけがない。
振り返ると、そこにいたのは――黒瀬あずみ。噂をすればなんとやら。今ちょうど話題に上っていた、一年F組の委員長だった。
「おー、黒瀬。おっす」
「おはよう加山くん。……って、あー、第一ボタンも外れてるじゃない。それに制服の下に着るシャツは、白じゃないといけないんだよ」
「ちぇ、会うなり指導とはな。黒瀬に目を付けられてからこっち、俺の学校生活から自由ってもんがどんどん消え失せていくぜ」
文句を言いつつ、ワイシャツの裾だけを適当に誤魔化す加山。第一ボタンはあくまで放置だった。息苦しいから嫌らしい。気持ちはわかるけど。
それに対して後ろ手を組みながら姿勢よく立つ黒瀬の制服は今日もシワ一つ見当たらない。昨日以前に引き続き、おろしたてのように綺麗な制服だ。
「黒瀬はいつも同じように制服を着てるな。毎日あンまりにも同じカッコだから、ずっと着替えてないみたいに見えるぜ」
「そんなわけないでしょう。ちゃんと毎日違う制服着てます」
……余談だが、以前本人から聞いたところによると、黒瀬は毎日自分で制服にアイロンがけをしているらしい。出会い頭に制服の着方を注意してくるだけのことはある。
「制服を着崩すのも校則違反になっちゃうんだよ? ちゃんとしたほうがいいよ」
「へいへい」
黒瀬も加山の調子にはこれで結構慣れている。校則だなんだと言いつつも、窮屈がる加山の様子には苦笑するのみ。規律正しくはあるが、杓子定規なヤツではないのだ。正しくありながらも併存するこの辺りの鷹揚さが、彼女が皆から好かれる大きな要因なのだろう。
絶対遵守するほどのものではないが、その存在を忘れてはならない。黒瀬にとっての校則――もっと言うなら法、秩序とはそういうものらしい。それは、長年委員長を務めてきた立場上、自然と培われてきた黒瀬なりの職業意識のようなものだろうか。
「梅山くんと窪田さんも、おはよう」
「ん、おはよ」
「お、おはようございます」
俺たちにも挨拶を忘れない黒瀬。律儀なヤツである。
……この通り。黒瀬は俺だけでなく加山や初見のとも知り合いだ。
秩序側の人間である黒瀬と、混沌の象徴みたいな加山が出会うのはある種必然のようにも思えるが、きっかけはそうであっても今のつながりはそれだけではない。
例えば先日も話題に上った通り、黒瀬はユーミンとユキちゃんのバンド――Y2-Prismのメンバーでもある。夏前辺り、色々あってベース担当として急遽加入することになったらしい。黒瀬はユキちゃんのクラスメイトであるため、多分そこからの縁故なのだろう。
時々行われるライブだとか、先日のように練習風景を見学させてもらった時とかに演奏する姿を何度か目にしてはいるが、今や初心者だったとは思えないほど様になっている。ユキちゃんの厳しい指導あってのことらしいが、本人の実力もあってのことだろう。多芸なヤツである。羨ましい限りだ。
とはいえ、優等生の鑑みたいな黒瀬と、こう言っては失礼だが反体制的っぽいイメージのある軽音楽部との結びつきがよくわからず、加入を知った当時は大層驚いたものだったが……。
何にせよそういうわけで、黒瀬は俺たちとは何かと接点が多い相手なのだった。
「そういえば。探したよ、加山くん。さっき下で見かけて、ずっと追いかけてきたんだから。やっと追いついた」
「えっ、マジかよ。俺の制服の着方を指摘しに、わざわざ追いかけてきたのか?」
「まさか。そんなわけないじゃない」
私もそこまで神経質じゃないよ、と笑う黒瀬。
それはそうだ。さすがのこいつもそこまでの執念はないだろう。何か他の用事があって加山を探していたということか。
「加山くんがまた校舎の壁をよじ登ってるのを見かけて、それで追いかけてきたんだよ」
「……いや、やっぱり注意するために追いかけてるんじゃないか」
思わずツッコミを入れてしまった。理由としては制服より大きいのかもしれないが、それでもそれだけのことでいちいち追いかけて来るのも十分すごい執念だ。
「駄目だよ、窓から入るなんて横着したら。ちゃんと昇降口から入りなさい」
「……おまえの注意の仕方、なんかおかしいぞ」
「え?そうかな」
「ちょっと前の黒瀬だったら、加山が壁よじ登ってるの見たら大騒ぎしてたぞ。きっと」
最近のこいつは加山の言動に微妙に慣れてきた所為で、驚いていいポイントを見失いかけている。
「あー……」
言われて黒瀬もちょっと複雑そうな顔をした。慣れに対する喜びはあるが、優等生の委員長という立場がそれを許さないかのような。
「それは……まあ、慣れもするよ。一学期は加山くんたちの無茶苦茶に驚かされっぱなしだったんだもの」
ため息混じりに言う黒瀬。
おっしゃる通り。俺としては一学期には黒瀬に大変お世話になったことになるわけだが、言い換えればそれは加山たちの件で随分黒瀬を振り回した、ということでもあるのだ。
「高校生活が、まさかこんなに騒がしいものだったなんて想定は全くしていなかったです」
「う……それは、すまん」
委員会ではよく一緒に仕事をする間柄とはいえ、本来は無関係のはずの黒瀬を加山たちのドタバタに巻き込んでしまっているのはどう考えても俺の甘えと力不足からだ。謝るより他ない。
加山たちの巻き起こす騒動を未然に防ぐ……のは長年の経験上もう不可能なので、俺はいかに事態を問題化させずに処理するかに奔走することにしている。その過程で色々と相談に乗ってくれたり、根回しをしてくれたりしたのが優等生委員長として学校で何かと便宜のある黒瀬だったわけだ。
「あはは、ごめんごめん、別に意地悪言うつもりじゃなかったの。梅山くんにはいつもお世話になってるんだから、そのお礼もあるし」
微笑を浮かべつつ言う黒瀬。その表情からは、こいつが加山たちとの関わりを本気で迷惑に思っているわけではなさそうだとわかる。
ただ、やはり立場上、それが「楽しい」と言うことはできないのだろう。
……真面目なヤツだなぁ。ホントに。
「この間も、ありがとう。話題のついでみたいで申し訳ないけど、本当に助かったよ。今度、ジュースでもおごるね」
「い、いいよ。俺こそ黒瀬にはいつも世話になってんだから」
礼の応酬だ。キリがないので適当に濁して終わらせる。加山たちの件で迷惑をかけ続けている所為で、こっちの貸しばかり増えているというのに、この上更にジュースを奢らせたりしたら本当に申し訳ない。
まぁ、さっきも思ったことで、貸し借りで成り立つような関係にはなりたくないし、そんな打算的というか数値的な付き合いをしているつもりもないのだが。
「というか、お前昨日もなんか用事を引き受けてたらしいな。ユーミンから聞いたけど」
「あ、知ってるんだ。部活サボっちゃって、有馬さんには夜に電話で怒られちゃったよ」
……電話って。やっぱり直々に何か言わなくちゃ気が済まなかったのかユキちゃん。ユーミンには内緒――なんだろうなぁ……。
「何の用事だったんだ?」
「部室棟の棟内清掃に関して相談を、ね。ほら、あそこの廊下とか汚いでしょ」
そして、やっぱ気にはなっていたのか。部室棟。
「入棟してる部活動の部員集めて、一度みんなで清掃しましょうって言ってるんだけど、整備委員になかなか受理されなくってね」
「なんでだ?自分たちの使ってる場所なのに」
「みんなそれぞれやりたい活動があるから。そっちの時間が減っちゃうのは、やっぱり嫌でしょう。その辺のすり合わせが、上手くいかないみたい」
「なんだよそれ。協力的じゃないなぁ」
「みんなが納得の行く答えを探さないといけない。ある種の政治だね。これは」
頭がいたいよ、とこめかみの辺りを押さえつつ苦笑する黒瀬。
そんな俺たちの会話を聞きつつ、「黒瀬とツトムは無意味に呼吸がそろってるなー」とペットボトルのジュースを飲みつつ言うフマジメ代表選手の加山。
「やっぱマジメーズは気があうのかね?」
「加山くんはもうちょっと真面目にならないと駄目」
「んなこと言われても。それより黒瀬、前に頼んどいた屋上の立ち入り許可はいつになったらオーケーが出るんだ?俺は高いところで昼飯食ったり遊んだりしたいんだよ」
「そういう危なっかしいこと言う子がいるから、屋上は立ち入り禁止なんだよ。うっかり落ちたら危ないでしょう。それに私はそんな説得を引き受けた覚えはないよ」
……おぉ、加山のムチャ振りにもちゃんと返せている。
本当に慣れてきたんだな黒瀬。
「ちぇ、引っかからないか。ならお詫び。このジュースもう飲んでいいよ。飽きたし」
「えっ……、それは、ちょっと……。加山くん、……」
と、思ったら飲みかけジュースを差し出されて固まってしまう黒瀬。やっぱり未だ加山の突拍子もない無茶苦茶を完全に制御するのは難しいようだ。
加山の存在に慣れきっている俺には黒瀬が対応できる振りとできない振りの差がよくわからないが。
……ちなみに、相手が女子であろうと全く気にせずそういうことを言う加山の性質に関しては一旦置く。黒瀬には申し訳ないが、この程度のことでいちいち突っ込んでいたらこっちの身がもたない。
「そ、それはそうと加山くん?」とやや強引に話を逸らす黒瀬。「この間の話、考えておいてくれた?」
「どの話だ?あ、もしかして生徒会がドーノコーノってヤツ?」
「それです。来年の生徒会選挙、一緒に出ようよ」
「それはヤだって前も言ったじゃん。俺はそんな堅苦しい場所にいたくねーの」
勘弁してくれよー、と逃げ腰になる加山。
その様子に俺も初見も驚いた。こいつが本気で嫌がるとは珍しい。
「加山くん、できる子なんだからふらふらしてばっかりじゃもったいないよ。その能力を私と一緒にこの学校を良くしていくことに使っていこう?」
「ツトムでいーじゃん。俺は一般生徒として大衆の中から学校を賑やかしていく役目っつーことで……」
「梅山くんは来年も委員長をやるんだから駄目だよ。加山くん以外の子たちのことも、それはそれで放っておけないしね」
だから加山くんがやるしかないよ、と外堀を埋めていく黒瀬。それに対して加山は「うぐぐ……」と苦渋の顔。
黒瀬の中では加山だけでなく俺の来年の立場まで既に決定しているらしい。……俺自身の意思を当然のようにスルーしている辺り、黒瀬も結構強引である。
……先のやりとりでは、黒瀬は加山のことを迷惑千万な問題児として頭痛の種にしているとも取られかねない雰囲気だったかもしれない。だが、実際の黒瀬はこの通り、加山のことをかなり高く評価している。一緒に生徒会に立候補しようだなんて、よほど信頼のある相手にしか言い出せないことだろう。にしても、黒瀬の加山評は少々過剰なんじゃないかとは思うが。
「オホン!黒瀬クン、俺は加山軍団団長として団員たちをまとめていかねばならのだ。生徒会などという低俗なモノに、かかずらっている暇はないのだよ!」
「それなら加山くんたちみんなで生徒会に入ればいいじゃない」
「うーん……。す、すまん黒瀬、今日の俺はバンダナがないから力が出ないんだ……」
「今自分で外して腕に巻き直したでしょ。……もう、すぐそうやってごまかすんだから」
どうも黒瀬は加山のこうした言動が、敢えて道化を演じているもので、全て計算ずくで行われているのだと思い込んでいるらしい。加山の行動は無茶苦茶なものが多いが、結果的に良い結果をもたらすことが多いことからだろう。真面目な黒瀬にとっては、そういう理由付けをしないことには納得できないに違いない。
……最も、実際にはそんなことはなく、加山は常に自分のやりたいようにやって、その結果としてなんとなく上手くいっているだけだ。それも実力と言えばそれまでだが、黒瀬の抱いている加山の印象はやっぱり行き過ぎているところがある。期待しすぎ、というか。
「とにかく、私は真面目なんだから。ちゃんと考えておいてよね」
「んー、まー、テキトーになー」
面倒だという素振りを隠しもせず、そんな風にはぐらかす加山。黒瀬もさっさと諦めればいいのに。加山が生徒会をやる気が全くないことぐらいわかっていると思うのだが……、普段恐ろしく理性的な黒瀬なのに、この件に関してはなんだか妙に諦めが悪かった。
「とはいえ、まず目を向けなきゃいけないのは未来のことより今のことだね。文化祭。どう?梅山くんのクラスも忙しい?」
「まぁ、それなりにな」
我が校に限らず多くの高校にとって最大のイベントのひとつである文化祭の開催まで、あと半月程である。
装飾や看板の作成など、本格的な準備期間は開催一週間頃から開始されることになるが、クラスや部活では既に夏休み頃から出し物の練習などが始まっており、校内は着実に文化祭ムードに突入しつつある。
「文化祭かー」とイベント大好き男の加山が反応した。「メッチャ遊ぶぜー!もうケータイのスケジュール帳に分単位で予定組んであるんだ」
「アホがいる」
見せつけられた液晶ディスプレイには予定がギッシリ詰められて、ワケのわからないことになっていた。一秒も無駄にしないつもりだ。イベント好きすぎるだろうこいつ。
「だってよー、面白そうな出し物は全部見てーし、うまそうな売店は全部食いてーじゃん」
「まだパンフレットすらできてないのに?」
「事前調査は欠かしていないぜ!」
ガッツポーズをする。その執念には脱帽するが、もうちょい他のことに気を配れおまえは。
「黒瀬のクラスは何やんだっけ?」
「おばけ屋敷だよ。装飾とか作るの、もう大忙しで」
「へー、いいなー。ツトム、俺たちも来年はおばけ屋敷にしようぜー」
「今年の出し物だけで既に頭痛いってのに来年の話なんかすんなよ……」
「加山くんたちのクラスは……えっと、縁日だったっけ?」
「そうそう。よく憶えてたな」
「そりゃあね。どんな出し物があるのかぐらいは大体把握してるよ」
当然と言う黒瀬だが、そんな細かいことをこの時点から記憶しているヤツなんてこいつぐらいだろう。
「縁日も楽しそうじゃない。輪投げとか、射的とか!」
と、コルク銃を構えるジェスチャーをしてくれる黒瀬だが、俺はどうしたものかとため息をつく。
「……あー、黒瀬。うちのクラスの縁日に、そういうのはないんだ」
「え?そうなの。じゃあなんだろ?ヨーヨー釣りとか?」
「焼きそば屋とお好み焼き屋。あとベビーカステラ屋とチョコバナナ屋、フランクフルト屋とリンゴ飴屋だ!」
首を傾げる黒瀬に対し、加山が自身満々にそう言った。
「ええと……」
意味が分からないとばかりに硬直する黒瀬。まぁ、こんな答え方をされたら、普通はまず間違いなく同じ反応をするに違いないが。
「すげーだろ。リンゴ飴とフランクフルトの屋台には、ちゃんとボーナス用のパチンコ台も用意してあるんだぜ。アタリが出たら二本か三本もらえる」
俺がオヤジと一緒に作った、と胸を張る加山。
「え、え……、ちょっと待って加山くん」
呆気に取られた後、額を指先で押さえながら、なにやら思考し始める黒瀬。
あー、混乱してる混乱してる。まぁ、無理もないか。
「……まぁ縁日って言ったら、普通は黒瀬が言ったみたいなヤツを想像するよな」
このままでは場が停滞してしまうので俺が一応フォローを入れる。
「それじゃ芸がねーだろ。っつーか、俺は高校の文化祭ではぜってー最初はメシ屋をやるって決めてたんだ」
「それで……」
「だから、全部食い物の屋台にした」
鼻息荒く言う加山。「おまえが決めてんのかよ」というツッコミも思わず言いよどんでしまう程に、自信に溢れかえった顔だ。
「……ホント、無茶苦茶言いやがって。衛生検査クリアすんの死ぬほど大変だったんだぞ」
「ツトムと私とヨーコと島本くんで、交代で家庭科室に待機してたもんね」
「そうだった。あの時はホントに助かったよ初見。ありがとな」
「楽しかったからいいよ。終わってから食べた島本くんの焼きそば、おいしかったよ」
笑顔で語る初見。あの日は文化祭実行委員の見ている前で延々と調理をさせられて、本当に疲れた。品数が多すぎて、いくら作っても終わらない。チョコバナナとか一生分を食い終えたような感さえある。
「普通の飲食部門って大抵一品……多くても二品の料理しか出さないよね?」
「一応な」黒瀬の疑問にため息混じりに返答ずる。「ただそれも別にそうしなきゃ駄目って明記してあるわけじゃなくて、単に暗黙ルールみたいなもんだったからさ」
「衛生的に問題なければ何品でも出していいってことなの」
「……そういうことです」
出す側もチェックする側も、そんな大量の料理を検査するなんて面倒すぎるから普通はやらないんだけど。
申請を出す時には当然あちこちから反対された。だが、普通じゃないうちのクラスの連中がゴリ押した結果、あれよあれよという間にこういう事になったのであった。
……まったく何がどうなっているのやら。それというのも加山という強力なアジテーターが中心でクラス全体を煽りまくっているからだ。
そんな話を聞きながら、黒瀬は目を閉じてしみじみと何かを思考してから、決然とした様子で俺を見据えてきた。
「梅山くん」
「……なんだ?」
「私、加山くん見てたらなんだかやる気が出てきちゃったよ」
「対抗意識燃やされてる!?」
「もう今日からおばけ屋敷の装飾、一人で作り始めてようかな」
「休んでくれ!」
お前まで冷静じゃなくなったら、一体この学校はどこへ行ってしまうというんだ。
「……あ、そういえば加山」
「ん?」
俺はふと思い出す。今日桜さんが来るということを、加山と島本には伝えるのを忘れていたのだった。
「今日の午後なんだけど。開いてるか?」
「ん?開いてるぜ。なんだよなんだよ?秘密基地の近くに失われた古代文明の超巨大遺跡でも見つかったのか?」
「見つかってねぇよ」
その展開だと俺は「今日の午後使ってその遺跡を探索しに行こう!」って誘うことになるのか。そんなわけあるかと。どうやったらそんな予想が出てくるんだ。
「昨日の夜ゲームやってる時に決まったんだけど、桜さんが――」
「おーい、加山」
と、そこで背後からそんな声がかかり、俺は言葉を途切らせる。
なんだろうと思い振り返ると、そこにはまたしても見知った姿が、いたのだが……、
「……あれ、樋口か? 珍しいな」
「だな、おーい!」
加山が呼びかけると、その男子生徒も気怠げに挙手。平均より高めの身長と、屈強そうな体躯。そして相変わらずやる気のなさそうなその目付きで、俺たちの姿を捉える。
一応、同級生なのだが……どうしたものだろう。
俺はちらり、と左後ろを見やる。
「……おー、梅山も一緒か」
向こう――樋口はやや遠くに立ったまま、様子を伺うようにしてこちらを眺めていた。そして無表情のまま一瞬だけ思案するような素振りを見せて、「ちょうどよかった」と独り言のように言う。
「探したぜ加山。お前に少し話があるんだ」
「ん?そうなの? なんだよ?そんな遠くにつっ立ってないで――」
こっちに来いよ、と言いかけたところで、加山は不意にぴたりと停止した。ちらりと背後を見てから、俺の方に視線をよこす。
「俺一人で行った方がいいかな?」と尋ねてくる加山。俺以外には聞こえないようなその小声から、俺はその意図を察して頷く。
「できれば」
その返答に、加山は「了解」と言って笑みを浮かべた。
「なんなら、初見ちゃん連れて先帰っててもいいぞ」
「ん、わかった。悪いな」
俺がそう頷くと、加山は「そんじゃ」と言って一人で樋口の方へ向かっていき、そのままなにやら話し始める。
加山の気づかいに心中で感謝する。先程の黒瀬の時のように樋口をこちらに呼ばなかったのには理由があった。
「加山くん、樋口くんと何の話をしてるんだろう?」
と、先程までと比べて少しばかり不安そうな口調で黒瀬が言う。微妙に距離が離れているため、加山と樋口の会話は断片的にしか聞こえてこない。
「さぁ」
「……大丈夫、かな」
俺の曖昧な返事に対して、黒瀬の反応は芳しくない。二人の様子を興味ありげに伺うような、それでいて妙に消極的な態度。
「初見、長引きそうだし先に教室戻ってるか?」
「えっ?い、いいよ、加山くん置いていっちゃうの、悪いし……」
「気することねぇよ。子供じゃないんだから、話が済んだら一人で帰ってくるって」
「でも……」
言いよどむ初見。言葉だけでなく仕草もどことなくそわそわしていて、なんだか目に見えて居心地が悪そうだった。
……この通り、今ここに一緒にいる初見と黒瀬……二人はそれぞれ樋口に対して少なからぬ苦手意識を持っている。
加山はその辺りのことを一応知っているので、自分一人が話を聞きに行くことで樋口を二人に近づけさせないようにしてくれた、ということだろう。何も考えていないようでいて、こういう部分にはよく気がつく加山である。
一方的に苦手意識を抱くなんて、それだけ聞くと初見も黒瀬もらしくないように思えるが、樋口に対しては、まぁ致し方ないというか……何というか。
加山と並び立つその姿を、何気なく流し見る。
黒瀬が指摘していた加山以上にだらしなく着崩した制服と、染色された頭髪。耳にはピアス。要素だけ抽出すると和泉とどこか通ずる感じがあるものの、樋口の服飾は和泉のそれと比べると全体的にやや粗雑な印象だ。
目立つ部分ばかりを抽出したが、その実体は見ての通りというか……こいつはいわゆる不良である。
黒瀬が典型的委員長なら、樋口は典型的な不良学生という表現が的確だろうか。治安の良い平穏な田舎町の、しかもそれなりの進学校であるうちの学校の中、ただ一人だけ反骨的な、やる気皆無のアウトロー。
樋口浩次とは換言すればそんな男子である。
先程の初見や黒瀬のどこか微妙な反応もその辺りが理由だ。
優等生の黒瀬としては樋口みたいなヤツは看過しがたく警戒すべき相手であろうし、初見にとっても樋口のような手合いはきっと不慣れな相手なのだろう。
俺としては苦手な相手と無理して関わることもないと思うし、樋口みたいなのに感化されて初見が不良になられても嫌だし、現状で構わないと思っているが。
しかし、樋口の方が加山を探しているなんて珍しい。樋口はあまり学校に来ないし、来ても大体同じクラスの不良仲間みたいなやつらとつるんでいることが多い。
様子を見る限りだと、二人の雰囲気はいつもどおりだ。例によって顔の広い加山には同級生の友人は山ほどいるが、樋口はその中で最古参の一人である。仲は良い。
だがその関係は色々と危うい。やることが無茶苦茶な加山と、校内でも数少ない不良の樋口。二人が合わさったことで発生してしまった問題は今までに枚挙にいとまがない。
加山の起こしたイベントで俺が巻き込まれたものなんてそれこそ数え切れないが、その中でも特に大変だったものには大体樋口が関わっている。
その樋口が加山に相談事、である。
「…………あれ……かな?」
一体何の話なのだろう……と考えかけたところで、先日の出来事が思い返される。
繁華街であった出来事――何かに怒った様子だった軍人と、その場に居合わせた様子だった樋口。……もしかして、それに関する話題だろうか。
――だとすると、一つ気になることがあるな……。
さっき加山は先に帰っていて良いと言っていたし、俺も流れで頷いてしまったが……、やはりここは俺も一緒に話を聞いておくべきなんじゃないだろうか。
ここで放置しておいて、後になってから、何も知らずに大事件の渦中なんてことになったら、どうなる?
…………それは、普通に勘弁して欲しい。
せめて先日の一件に関しての確認ぐらいはしておくべきだろう。
――よし。
一応俺も話を聞くだけ聞いておくことにする。図々しく割りこんでいくのには少々気が引けるが、これがなんでもない雑談だったなら、それはそれで御の字というヤツだ。
俺は再度視線を左後ろに戻す。
「初見、ごめん。加山たちほっとくの気になるから、俺もちょっと話聞いてくるよ。なんだったらさっき言ったとおり先に戻ってても」
「い、いいよ。待ってるよ。置いてくの嫌だし、それに……」
「それに?」
「……辞書。加山くんが持ってっちゃったもん」
見れば、加山は初見の辞書を今も片手に持っていた。さっき荷物持ちを買って出て、そのまま持ちっぱなしだったのだ。あの様子じゃ持っていることすら忘れていそうである。
「あいつ……。じゃあ仕方ないか、ここで待っててくれ。初見」
「うん。気をつけてね」
気をつけろ、とはなにやら剣呑な物言いだが、樋口を苦手としているなら無理もないだろうか。
だから俺は初見が安心するように、黙って強く頷いた。
とはいえ待たせるのは心苦しい。段取りの悪さ、自分の至らなさを痛感するばかりだった。
「ん?おうツトム。どうした?」
「いや、何話してんのかなって思って。おまえら二人が揃うと、毎回ろくでもないことばっかり起こるし」
「だってよ、樋口。嫌われたもんだな」
「……よくもまあ二人って言われたそばから堂々と自分だけを除外できるな」
いつも通りの加山に呆れた風の樋口。加山の風のような奔放さを看過できるような人間は普通いない。
「よう、梅山。調子はどうだ」
やって来た俺に対し、だるそうに挨拶を向けてくる樋口。
「……おはよう。いつも通りだよ。樋口は、相変わらずやる気がなさそうだな」
「こっちも会うなり手厳しいな」
俺の返答に樋口は肩をすくめ、加山は「ははは」と軽く笑った。
自然に取り交わされる売り言葉に買い言葉。ただし別に真剣な罵り合いではなく、挨拶の延長というか、冗談のような雰囲気がある。
「加山、いつものことながらなんで梅山は俺に対して冷たいんだろうね?」
「気にすんなよ。ツトムはお前みたいなヤツとは根本的にそりが合わないのさ」
「フォローもなしか。……オーライ、そういう人間もいるさ。ゆっくりやっていくとしよう。初めましてミスター梅山。樋口です」
「知ってるよ。なんなんだよ今日のおまえ、いつにも増して胡散臭いぞ」
軽口を叩き合う。
「で?何の話をしてたんだ?」と俺はどちらともなく尋ねる。
いきなり一昨日の話題に入るのも唐突すぎるし、まずは普通に話を聞こう。
「ちょうどこれから本題に入るところさ。ついでだからお前も聞いてけよ。話が早いし」と、気怠げに言う樋口。
話が早い……つまりは俺とも関わりのある内容のようだ。
加えて、今日の樋口はちょっとばかりシリアスだ。雰囲気を見て思う。何も知らない人が見れば「このだるそうな仕草のどこが?」と思うだろうが、普段を知っていると今日の樋口はいつもより真剣なのだとわかる。これでも。
混ざっておいたのはやっぱり正解だったようだ。
「初見が待ってるから手短に頼む」
「……わかりましたよ。んじゃ、そうだな、何から聞いてこうか」
樋口は腕を組みながら、吟味するように言葉を選ぶ。
「……一昨日の夜、繁華街で何があったか知らないか?お前ら、そこにいたよな?」
「…………」
そうして正面から投げかけられた問いかけに、少しばかり背筋が冷えた。
確かに俺たちは一昨日の夜、繁華街に居合わせたが、そんな話題が昼間の学校で出てくるなんてただごとじゃない。
――まさかと思ったが、もしかしてビンゴなのか……?
「へー、ってことは、やっぱりあの時見かけたのは樋口だったのか」
加山が納得したように言う。対する樋口は「まあな。ちょっと色々あってよ」と相変わらず曖昧な返事。そう言えばあの時樋口がいたようなことを言いだしたのは加山だった。樋口自身も認めた通り、それは本当らしい。
「で、どうなんだ?お前らその時なにか変わったことはなかったか?今ちょっと調べてることがあってな。知ってそうなヤツらに色々聞いてるところなんだよ」
「変わったこと……って。何を調べてるんだよ?それがわからなきゃ答えようがないぞ」
「別に何でもいいんだよ。とにかくあったこと話せ。そっから必要なことがあるかどうか俺が判断するから」
「…………」
微妙に上から目線な問いかけに少しだけむっとする。優位な立場からの、なんだか一方的なやりとりだ。
「変わったことっつったら……、ユキちゃんに教えてもらったラーメン屋がうまかったってことぐらいだな。樋口も一緒に行きたいか?」
「……何でもいいとは言ったが、さすがにそれは関係ないことぐらいわかるだろ」
加山の発言にため息をつく樋口。ホント、思いつくまま喋ってるな加山は。
「……変なことって言ったら、いきなり軍人に絡まれたりしたけど」
樋口に言っていいものか一瞬迷いつつも、俺はそのことを告げる。
加山の中ではその日に食べたラーメンのほうがインパクトある出来事だったようだけど、変なことといったら普通こっちだろう。
「軍人……?」
「あー、それな。確かにあった。突然インネンつけてきやがって、面倒だったからやっつけちまったぜ」
「……なるほど」
加山の言葉に、樋口は納得したような素振りを見せる。
「……その時、その軍人は拳銃を持ち出さなかったか?国産の自動式。製造年月は……多分割と新しめだと思う」
「拳銃……」
その言葉に、その日の出来事が反芻される。
「細かい種別はわからないけど、確かにそいつは拳銃持ってたよ」
……そして俺がそいつの手から弾いたものだ。
「……ふーむ、やっぱりか。それっぽいな。お前ら、それどうした?」
「ツトムがふっ飛ばしたよ」
「……。その後は?回収して届け出たりしたのか?」
「ん?してねーな。そういや。ツトムが蹴っとばしてどっかいっちゃったままだ」
「…………」
――そうだった。あの時は完璧に忘れていたんだ。だから俺は……、
俺はあの時の自分の迂闊さを呪う。弾き飛ばした後、警察が来ると聞いて慌てて逃げてきてしまった。その後銃がどうなったかは全く知らない。
すると樋口は何かを思考してから、確信したように頷く。その表情が一瞬不敵にニヤついて、嫌な気配を感じさせた。
――また何かややこしいことを企んでるんじゃないだろうな……。
そう思うと、ついうっかり樋口に都合が良いことを口にしてしまったんじゃないかと後悔が募りかける。が、俺の思考とは裏腹に樋口は「やれやれ」とため息をついた。
「実は、昨日俺の仲間の一人が、どっから持ってきたのか知らんけど拳銃手に入れたーっつって見せびらかしてきてな……」
「…………」
「聞けば一昨日の夜に繁華街をぶらぶらしてた時に見つけたらしいんだが……、全員の前で自慢しようと思って隠してたんだそうだ」
ったく余計なことを、とため息をつく樋口。
「見せるだけならオーケーなんだが、ウチのバカどもはそれ使ってなんか愉快なことを考え始めたみたいでな。俺としては落とし物として大人しく交番に届けるってのを勧めたんだが、サツ嫌いの連中だ。聞きやしねえ」
「警察が嫌いなのはお前もだろう」
俺がツッコむと「そりゃ否定せんがね」と樋口は笑った。
「まあ確かに、俺も警察や軍隊は嫌いだよ。なんで適当にイタズラするぐらいならむしろ乗り気なんだが――、」
「乗るなよ」
注意しても始まらないのを知りつつ指摘したくなってしまう。加山とは違う意味でこいつは考えが足りていない。樋口の場合わかっていて考えないようにしているんだから余計タチが悪い。
「――ただ、今回のオモチャはさすがにヤバイな。なんせ簡単に人が死んじゃう道具だ。警官や軍人殺したりしたらシャレにならん……というか俺ら民間人だし、持ってるの見つかったらそれだけで捕まっちまう」
この国の法律では、民間人による無認可の銃火器所持は禁止されている。いかなる経路から入手したものであっても、銃を拾った人間は警察か軍に届け出をしなければならない。
「……樋口、お前の仲間ってその法律知らないのか?」
「知らんかもな。バカばっかだから」
諦めたように笑う。一切のフォローもしない潔さだった。
――……しかし、そういうことだったのか。
俺は樋口の話を聞きながら、俺は一昨日の夜の件に一人得心が行く。俺がはじき飛ばした拳銃は、樋口の仲間が拾っていたのか。
「そういうわけでね。うちの連中のワンパクぶりはいつものことだが、今回はさすがに危ないからさ。没収しようと思ってんだけどお前らいつもみたいになんとかしてくんねえか?」
やおらそんなことを言い出した樋口に俺は驚く。
「いつもみたいにって……おまえらの邪魔しろってことか?」
「いいだろ。町の平和のためだ。トラブルバスター加山の名前が泣くぜ」
「町の平和乱してんのはおまえらだろうが」
ツッコミを入れながら呆れてしまう。
町のトラブルに関わった時にこいつらと何かいざこざがあるのは結構いつものことだけど、まさか樋口自身からそれを言われるなんて。
樋口は、この界隈を縄張りにする不良グループの一員でもある。樋口がさっきから言っている仲間というのはそこのメンバーたちで、ほとんどが樋口と同じ1年F組在籍。中学時代からの友人だったりするらしい。
樋口とその仲間たちが我が校において唯一と言っていいレベルに少数派の不良であるように、この町の治安は基本的に良い。従ってそうした粗暴な連中は元々少なく、現在台頭しているのは樋口たちだけだ。
他の面々にも俺たちは何度か会ったことがあった。その中には数年前に地元を騒がせた伝説的な不良がいたり、素性の知れない怪しげな大人が混じっていたりする。そんな連中なので、大抵ろくでもないことをする。別地区の不良と小競り合いしている程度なら良いのだが、時々犯罪スレスレ――というかほぼ犯罪の、本当にヤバいことをやっていたりする。
その度に、なんとかしているのが何を隠そう……この加山なのだ。
そんなことをやっている間に加山は名前が知れ渡り、いつしか町のトラブルバスターなどと呼ばれるようになった。以来加山は町の色んな人たちから頼りにされ、トラブル解決を依頼されて動き回っている。
……ちなみに、俺と島本も大体その活動に駆り出されている。俺が何度も危ない橋を渡っているのはその所為だ。いい加減やめにしないかと言っているところであるが、加山の活動を喜んでいる人も多いだけに強くも言えないでいる。
「どういう意味だ?」と加山も首を傾げる。「樋口の仲間たちのところまで行って、いつも通りやっつけて拳銃奪ってくればいいの?」
「そういうこと。警察とか軍に知られたくないんでね。最近調子こいてるうちの連中にも、お灸をすえておきたいし」
ひょうひょうと語る樋口。
だが、警察沙汰にしたくないために敢えて仲間を俺たちに倒させるなんて。起こっている出来事だけ見れば加山の言う通りいつも通りだけど(不良たちは実はあんまり強くない……というかこっちの島本が超強いからだが)、裏から見ればちょっと常軌を逸した感じだ。
内緒で俺たちと結託して、そんなことをするなんて……それは、仲間って呼べるのか?
樋口は一体、何を考えているんだろう……?
……こいつのそういう無情なところは、俺はやはりちょっと好きになれない。だからって敢えて口出ししたり、露骨に毛嫌いしたりするほど子供じゃないつもりだが。
「どうするんだ加山? 受けるのか……この依頼?」
「んー、まーな、ほっとけねーし」
なんでもない風に言う加山に樋口がニヤつく。その反応も気に食わないし、加山の脳天気さも色々言いたいことはあるのだが……、
「まぁ、仕方ないか。今回ばっかりは」
「お?ツトムが止めようとしない?」
加山がぎょぎょっとこちらを見返してくる。俺の毎度の提言が制止であるとは理解してくれていたようだ。それで聞く耳持たれていないのはそれはそれで悲しいけれど。
「まぁ……確かに俺たちは樋口たちとは無関係だし、勝手にやってろって感じだけどさ。あいつらの危なっかしさは無視できないよ。放っておいたらまた何かややこしいことをおっぱじめそうだ」
「そうそう。そういうことだよ」
「――したり顔で言ってるなよ樋口。おまえがいつもそれを煽ってるんだろうが」
俺が言うと「そりゃ否定せんがね」と樋口は笑った。牽制の意味も少しあったのだが、あまり効果はないようだ。
「……それに、今回に関しては俺にも責任があるし」
「あん?そりゃどーいう意味だ?」
「あの時、銃を回収するのを忘れてた責任だよ。
――実は俺、後から一人で探しに戻ったんだけど、見つからなかったんだ。その時はもう、樋口の仲間が拾った後だったんだな」
「な、何ィ!?」
俺のその言葉に、加山は驚きを見せた。いつも驚かせる側のこいつが驚くなんて珍しい。
「おいおい、お前一人でそんなことやってたのかよ!? ったく、言えよ!水くせーな!仲間だろ!」
「加山たちと別れてから気づいたんだ」
それは嘘だが。本当は帰り道の途中で気がついて、加山たちと別れてから一人で戻った。
「……どうりでお前昨日は一日眠そうにしてたわけだ。初見ちゃんとのジョギングも寝坊してサボったらしいじゃねーか」
それもバレてたのか。初見本人から聞いたんだろうか。気にしてるっぽかった、からな。
「…………不甲斐ないって、思ってるよ」
「ばーか、そんな話じゃねーよ。危ないことに一人で首突っ込むなって言ってんの。お前俺のこといっつも注意してるクセに、もっと危なっかしいじゃん」
「だ、だって、あのまま放置してたらまたおまえが危ないことするだろ!そんなの放っておけるかよ!」
「その理屈おかしいっつーの。お前の危険が考えられてねーだろ。なんのためのチームなんだよ。副リーダーのお前に仕事させて、一人でグースカ寝てましたーなんて、リーダー失格じゃねーか、俺……」
「加山……」
いつもの陽気さが若干薄れてどことなく落ち込んだ様子の加山に、俺も言い返す言葉をなくす。
一昨日の俺が加山より無茶だったなんてことは別にないと思うが、確かに軽率な行動ではあったかもしれない。加えて何の成果もあげられないばかりか、寝坊して初見を不機嫌にさせるわ、その後疲れて授業中も居眠りするわと色々と情けないことになっていたのだ。
――俺も、まだまだ修行足りないな。
俺がもっと強ければ。余計な事件も起こらなかったし、初見にも心配かけずに済んだのに。……もっと強くならなければ。落ち度なんて何一つないぐらいに。
「あー、そろそろいいかねお二人さん」
俺たち二人が沈黙したところを見て、樋口がぽんぽんと手を叩く。
「君らの美しい信頼関係はさておき、僕の依頼は結局受けていただけるんでしょうかね?このままだと、色々面倒なことになるんですけど?」
「あ、そっちはオッケー。ツトムも、いいよな?」
「あぁ。今回は、俺も賛成するよ」
「……ツトム、今回は一人で突っ走るのナシだかんな」
「……オーケー」
頷き合う。
「んじゃ、とりあえず近日中に来てもらうってことでな。明日か明後日かわかんねえけど、あいつらが危ないことする前にはなんとかしてもらうってことで頼む」
「了解」
「わかった」
なんとも興味なさそうな顔をしている樋口の言葉を了承する俺と加山。
不良たちの活動時間は夕方から夜だ。明日か明後日か。心の準備をしておこう。
「にしても」と樋口が安心したように言った。「まさかとは思ったけどお前らが関係者とはね。いや、話がうまいことまとまって助かったぜ」
「……そういえば樋口、お前は俺たちに協力してくれって言いに来たわけじゃねーんだよな?」と加山が聞き返す。
「最初はさ、拳銃の持ち主の軍人探し出して、うまいこと穏便に帰す方法考えようって思ってたんだ。銃の紛失なんて向こうにとっても辞職モンのミスだろ? こっちが黙ってるってのを条件にその辺うまく強請ってやろうと思ってたんだよ」
……相変わらずとんでもないことを考えている。
「それにしたって、銃を回収しないことには始まらないだろ?」
「だから、その辺の協力はそれで仰ごうと思ってたさ。加山を巻き込むためのネタ探しが必要だったんだけど、梅山が責任認めちゃったから話が早かったな。まあ、加山を押さえれば梅山も付いてくるのはほぼ確定なんだけど」
「………………」
「ひとまずお前らがあいつらボコって銃取り上げておけば一安心だ。あ、銃はそのまんまお前らの方で預かっててくれ。その後どうやってその軍人に返すかは、後で一緒にゆっくり考えようぜ」
樋口の口上に愕然としかける。おいおい、俺の余計な一言がきっかけで、まんまと巻き込まれているじゃないか。
――くそ、全部こいつの手のひらの上ってことかよ。
出し抜かれた事実も悔しいし、その相手が姑息な手段を平然と取るこいつというのも色々不満だ。まして今回は俺たちだけでなくこいつの仲間までもがこいつに踊らされている。
「それにしても樋口」
「なんだ?」
「おまえは、一体仲間をなんだと思ってるんだ?」
悔し紛れにそんなことを聞いてみた。
特に何かを期待したわけではなかった。こいつのことだからろくでもない返事をするのだろうし、それに対して俺がそれを矯正できるような何かを口にできるわけでもないだろうとも予想できた。
だけど、
「ん?大切だと思ってるよ。なんで今更そんなこと聞いてんだ? だからこうやって色々根回ししてんだろうが」
妙に爽やかにそんなことを言う樋口の姿に、俺は本当に何も口に出せなかった。
仲間を大切に思っている。
それならそれで、いいのだろうか……?
話し込んでいたため、休み時間も終わりかけていた。
樋口はそのままどこかに消え、黒瀬も自分の教室に帰るということで、俺たちは再度三人に戻っていた。初見と加山と三人で教室まで戻っていく。
どことなく空気が重い。
銃の話なんかしたものだから、俺はどうも色々気になってしまって雑談をするような気分じゃなくなっていた。
「――んで、ツトム。桜ちゃんと古代遺跡がどうしたって?」
「は?」
なので唐突にそんなことを加山に言われて、一瞬思考が停止しかけた。
「いや、樋口が出てくる少し前に言ってただろ。桜さんが古代遺跡発見したって」
「言ってねぇよそんなこと」
こいつはそんなにも遺跡探検したいのか。
……それはそれとして、
「……ちょっと言いかけただけなのによく覚えてたな、そんなこと」
「まーな」
鼻を高くしつつ、「早く言えよー」と先を促してくる。あんな話題の直後だというのに、もう全く気にした様子がない。
桜さんの名前を聞いて、何かイベントの匂いを嗅ぎとったのだろうか。耳ざといというか何というか……。こいつの中では遊びの予定も拳銃を巡る事件も詮ずる所は同列なのかもしれない。
……そう思うと、何だか俺一人悩んでいるのもバカバカしくなってきた。
「今日の午後、桜さん来る。メシ食いに行こうぜ」
「ほー」楽しげに頷く加山。「そりゃ楽しくなるなー」
付き合いの長いこいつにはこれだけの簡単な言葉で伝わった。
加山のことだから、頭の中ではもう様々な面白スケジュールが高速で組み上げられていっているところだろう。
「ちゃんと全員に伝えたか?」
「島本にだけ、まだ伝えてないや」
「そうか。んじゃ電話してみよう」
加山は携帯電話を取り出す。
「っつーか、あいつはどこ行ったんだ?」
休み時間開始と同時にどこかへ向かったはずだった。
「島本か?多分、外」
「外?」
数回のコールの後、繋がったらしい。島本の太い声が聞こえてくる。
「お、島本か? 今日な、放課後遊びに行くぞ。え? そうだ、桜さん来る。全員でだ。……そう、そうな……え?なんだって? お前なに言ってんだ?」
どうも島本はホントに外にいるらしい。見たところ通信状態があまり良くないようだけど……、短い休み時間、それももうすぐ終わるっていうのになにをしてるんだあいつは。
四苦八苦しながら通話している加山の様子を見ていると、「ねぇ、ツトム」と初見が話しかけてきた。
「どうした?」
「ファミレスとか行くなら集まるの駅前がいいんじゃない? 桜さんにこっちまで来てもらうことないと思うんだけど」
「あぁ……そういやそうだな」
うちの学校は駅から少し離れた場所――しかもちょっと入り組んだ場所にある。桜さんは大体バイクでこっちまで来るのだが、そういう立地も影響してか二回に一回の頻度で道に迷う。前に実家がこっちだって言っていた気がするけど、方向音痴なのか?
なので、初見の言うとおり駅前集合の方が都合はよさそうだ。道もわかりやすいし駐車するスペースにも困らない。
「……え?駅前集合? 桜さんこっちまで来てもらうことないって?なるほど、確かにな」
なんか島本もそのことに気がついたらしい。鈍そうに見えて、島本はこういうことに意外に気が回る。
「じゃあ後で俺の方から電話……え?なに? どこだって?桜さんの大学? そりゃお前……、うん、そうだけど……おいおいお前なにワケわからんこと言って――、あ?島本?」
そこで加山が携帯電話を耳から離す。
「…………ちぇ、切られちまった」
「……おい、なんか最後のほう、妙な感じになってなかったか?」
「うーん?」と加山は首をかしげつつ、「なんか、よくわからんこと言ってた。桜さんの大学までの距離がどうとか……」
距離……?
「っつーか、あいつまだ授業あるのになんで外いるの?」
「ん? 知らねーのかツトム。島本は休み時間になると、だいたいいつも学校の周りをジョギングしてんだよ」
「……全然知らねぇ」
どんだけ元気なんだ、あいつは。
しかしその後、加山との電話の後どこかに消えた島本は休み時間が終わっても帰ってこなかった。
「おい初見、島本のヤツまさか……」
「……。まさかね」
微妙な笑いを浮かべながら、始業のチャイムを聞く俺たち。
そんな感じで迎えた四時間目の最中にメールが来た。
差出人:鬼頭桜
宛先:有馬由紀江、和泉正幸、梅山勉、加山章介、窪田初見、鈴木勇美
件名:(無題)
本文:
今、大学の友人からメールが来た。なんか柔道着姿の大柄な男が門を強引に乗り越えようとして警備員に捕まっていたらしい。
なんか話を聞く限り島本くんじゃないかと思うのだがどうか?ちゃんとそこで授業受けてる?電話かけてもつながらないのだ。電源切ってるっぽい。
心当たりがあるなら、私は授業休講だったから家でゲームやってるので大学にはいないよ、ということを伝えておいてくれると良い感じ。ちなみにそろそろ出る。
「わははははは!」
同じくメールを見たらしい加山が、授業中にも関わらず爆笑していた。




