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●とある午前・中休み



 二時間目の授業が終わって、おとずれる休み時間。

 にわかに活気づく教室内。


「ツトム、初見ちゃん。おはよう」

 少し離れた席にいるユーミンがやって来た。朝は日直で忙しそうにしていたから、ちゃんと話すのは今日これが最初だ。

「おっす」

「おはよう、ユミくん」

 挨拶を返す俺たち。

「昨日チャットで喋ってたことだけど、今日、お昼は外ってことでいいんだよね?」

「……あぁ、そうだっけ」と初見。「なんとなくいつもみたいに学食行くつもりでいたけど、そっか。今日は外なのよね」

「桜さん来るからな」

 今日は土曜。授業は午前中で終わりなので昼食の手段として外が使える。もちろん学食や購買を使ってもいい。むしろ部活組はそっちが基本だ。

 昼食の手段が幅広くなるとはいっても学生なんて総じて金欠なもの。校内に比べて割高な外はそう頻繁に使えるものではない。

 普段の和泉のように家から弁当を持参したり、放課後学校に用のない生徒の中には直帰して家で食べたりする者も多い。

 俺と初見、それにユーミンとユキちゃんも昼食は基本的にいつも学食だ。平日はもとより、特に用事がなければ土曜も学食で昼を済ます。購買で弁当を買って食べるという手もあるけれども、やはり出来立ての料理が出てくる学食のほうが個人的には好ましい。

 加山と島本は逆に購買弁当が常。栄養補給ができれば何でもいいあいつらは味や品質には無関心なのだ。好きな時間に食べられて、しかも意外と量の多い購買部の弁当に、二人は満足しているらしい。

 そして和泉は弁当。和泉のお母さんは毎日気合の入った重箱弁当を用意してくるため、それをクラスメイトに見られるのが恥ずかしい和泉は昼休み中、俺たちと一緒か、あるいは一人どこかに消えて食べている。恥ずかしがっている割に、いつもちゃんと残さず全部食べている辺りには素直に感心するが。

 以前、そんな和泉の有り様を見て影響された初見が、俺たちふたり分の弁当を作ってくれていたことがあった。だが、そのために早起きしすぎた所為でただでさえ朝の弱い初見は貧血になり、ある日の体育の授業中に倒れて保健室に運ばれて以来、俺は初見に弁当作りはやめるように言い聞かせている。

 ……あの時の自分を俺は今でも叱る。どうして俺は初見の苦労にもっと早く気づいてやれなかったのか。

 ……と、それはさておき、

「他のみんなには連絡した?」とユーミン。

「あ、加山と島本には言ってねぇや」

 うっかりしていた。二人とも今朝学校来る時に会ったのに。

「まぁ、あのふたりなら多分予定とかないよね」

「だといいけどな」

 確かに前もって予定を詰めておくようなタイプではないが、その反面唐突に用事を抱え込んで忙しくなるタイプでもある。早めに連絡しておくに越したことはない。

 しかし教室を見渡すも二人の姿は見えない。

 まぁ、今日の授業はまだ二時間あるし、そう急ぐこともないか。

「ところでさ、ちょっと下まで一緒に飲み物買いに行かない?」

「ん、いいぜ。初見は?来る?」

「うん。行く」

 うちの学校では二時間目と三時間目の間の休み時間は少し長い。その時間を利用して、このように連れ立って購買部に赴くこともままある。

「加山と島本はいねぇな……、和泉は?」

「廊下にいるよ。電話中みたいだ。……多分お母さんじゃないかな、昼ごはんいらないとか言ってたから」

「なるほど」

 和泉のお母さんは優しいしキレイだし、親の間でも評判になるぐらいのものすごく良い人なのだが、息子の和泉に対してちょっと過保護なところがある。

 平日は毎日豪勢な弁当を持たせているし、半ドンの土曜日には当然のように家で昼食を用意して和泉の帰りを待っているらしい。そのため、和泉は外食をする場合、必ず事前に連絡を入れておかなければならないのだった。

 弁当を残さず食べていることといい、普段のがさつな性質に反して、和泉の母親に対する態度は妙に律儀なものである。さしもの和泉もあのお母さんの溢れ出る善性オーラを邪険にはできないのだろう。

 いや、和泉だからこそ、と言うべきか……。


 閑話休題。

 とりあえず今は三人で購買部へ向かうことに。

 連れ立って廊下に出ると、そこには待ち人がいた。

「ユミくんっ!」

 壁にもたれていた待ち人――ユキちゃんは、弾かれたようにこちらへ向かってくる。

「ユキ、来てたんだ」

「もぉーっ、待ちくたびれたよー!」

 おあずけを食らっていた犬みたいにユーミンにじゃれつくユキちゃん。人の多い休み時間の廊下なので、ユーミンが少しだけ気まずそうな顔をする。

「ゆ、ユキ……あんまりくっつかないでよ……」

「だってー、今日は朝からずっとあえなくてさみしかったんだもーん!」

「……仕方ないなぁ、ユキは」

 けど抵抗はせず、抱きついてくるユキちゃんの頭を撫でてあげているユーミンなのだった。昨日の部活に引き続き、いつも通りの二人。

「――それで、こんなところまでどうしたのさ?ユキ」

「あ、そうだ、」

 言いつつ、後ろ手から一冊のノートを取り出す。俺たちが使っているものと同じような普通の大学ノート。表紙には大きく「ぶんぽう☆」と書かれている。

 ……何故ひらがな?何故☆?

「宿題忘れちゃったんだよ~!ユミくんたすけてよ~っ!」

「えぇっ!?」

 驚くユーミン。まさかこんなところでいきなりそんな要請をされるとは思っていなかったのだろう。

「で、でも……ユキのクラスって、文法の先生、僕たちのクラスと違ってたよね?」

「えっ、そうなの……? 森川先生じゃないの?」

「うん。僕たちは村井先生に教わってる。教科書は……多分一緒だけど……」

 言いながらユキちゃんからノートを受け取り、パラパラとめくるユーミン。

「うわ、雰囲気全然違う……。僕たちまだこんなところまで進んでないし……」

 ほら、とユーミンが俺にノートを見せてくるので失礼かなと思いつつも覗き込む。

 ……確かに、同じテキストを使っているとは思えないような難しそうなノートだった。見たところ、俺たちの先生が使っていないサブテキストがあるような感じだ。難解な部分や、宿題にあたる部分の大半は、どうもそちらの引用らしい。

 ……ちなみにところどころにピンクやオレンジの蛍光マーカーで「ぜんぜんわからないよ~」とか「あとでユミくんにきくところ」などのフキダシが書かれていた。全体的にカラフルで、異様にゴチャゴチャしたノートだ。これを授業中に作ってるんだから、勉強熱心なんだかそうじゃないんだか……。

 とはいえ、出された宿題は量も多く、難易度もなかなか高そうだった。これを授業中に当てられて即興で解くのは……たぶん無理だろう。少なくとも俺には無理だ。

「そんなぁ……、ユミくんに宿題写させてもらおうと思ったのに……」

 俺たちの手に負えなさそうと知って泣きそうな顔になるユキちゃん。昨日の演技と違って今日は本当に。

「な、泣かないでよ、ユキ……!」

 慰めるユーミンだったが、事態がそれでどうにかなるわけじゃない。

「もうイヤ!わたし三時間目は保健室で休む!」

「だ、ダメだよ。ユキ、別に体調悪くないだろ」

「じゃあサボる!学校抜け出して、本屋さんとか行ってる!」

「ちょ、もっとダメだよそんなの!」

「じゃあどうすればいいの!? ユミくんでも無理なのにわたしが今から終わらすなんて無理だよ~!」

 今にも「うわ~ん」と泣き出しそうなユキちゃんに、ユーミンはおろおろするばかりだ。

 と、そこで不意にユキちゃんは冷静に立ち返り、「んー」と思案を始めた。そうして何か思いついたらしいユキちゃんは、名案とばかりに目を輝かせて、

「じゃあじゃあ……、ユミくんも一緒に授業サボっちゃおうよっ?」

 上目遣いにユーミンを見ながらそんなことを言った。

「え……?」

 不意打ち気味のその言葉に、思わず固まってしまうユーミン。

「ね?いいでしょっ。一人だとなんか後ろめたいけど、二人でなら怖くないし、退屈もしなくて楽しいよっ?」

 硬直するユーミンに畳み掛けるように言うユキちゃん。

「よ、よくないよ……僕は別にサボる理由なんてないし……」

「えーっ、いこうよ~、ユミくぅん」言いつつにじり寄る。

「か、可愛く言ったってダメだよ、ユキ……、サボりなんて……」

 無茶な要求にも苦笑混じりに抵抗しているユーミン。誘惑に屈しない彼氏の様子に業を煮やしたのか、ユキちゃんは「むー」と頬を膨らませてから、ずい、とユーミンに接近する。

「ちょっと、ユキ……あんまりくっつかないでってば……」

 気付けばユーミンの背後は廊下の壁。完全に追い詰められており、抱きつかれても逃げられない。

「――――デート」

「はっ……?」

 そんな状況下、耳元でそんなことをささやかれて、ユーミンが再び固まった。

「デート……しよ?ユミくん。わたしと……」

「そ、そんな……!」

 その言葉の威力と、首筋に絡みつくユキちゃんの両手に、ユーミンの表情がどんどんツラそうな色に染まっていく。

「ほらぁっ、わたしの方から誘ってるんだよ? 断るなんてしないよね、ユミくん。ねっ?」

「う……」

「ユミくんは優しいから、女の子に恥かかせたりしないんだもんねっ?」

「うぅ……!」

 ユーミンが目を閉じ、絶息するように上を向いたその時――、ぽかり、とユキちゃんの後ろ頭を初見が小突いた。「あいたっ」とユキちゃんがヘンな声を出し、それで場が一旦収まる感じに。

「……その辺にしときなさいよ、ユキ。ユミくん困ってるじゃない」

「だってだってー!」

「もぉ、だってじゃないの。あんまりユミくんにワガママ言ってちゃダメでしょ」

「……むー!」

 再度頬をふくらませるユキちゃんと、ほっと胸をなで下ろすユーミンだった。

「ごめん、……初見ちゃん」

「ユミくんも、こういう時はガツンと言ってあげないと。男の子でしょ」

「……う、うん、努力する」

 肩を落とすユーミン。

 ユキちゃんに対し、彼氏である自分よりも強くものが言える初見について、ユーミンは常日頃からやや複雑な心境を抱いているらしい。

「……とはいえ、どうするんだ?」と微妙に逸れ始めている話の方向を俺が修正。

「そ、そうだよ……わたしの宿題~!」

 現実に立ち戻って再び青ざめるユキちゃん。さっきの時点でユキちゃんの頭はもうすっかりユーミンとのデートコース選考に入ってしまっていたらしい。現実逃避というかな。

「……今から、できるところまでやってみようよ。僕も協力するから」

「俺も手伝うよ」

「私も手伝う。だから頑張ろう、ユキ?」

 ユーミンの言葉に俺と初見が追従する。

「き、気持ちはうれしいよ。でも……、」

 けれどもユキちゃんの表情は晴れない。これから残った休み時間を使った程度で全て解けるほど容易い雰囲気の問題ではないことは既に明らかだった。

 当てられる部分が決まっていれば、姑息的な手段としてその問題だけ解く方針も考えられるのだろうが、今回は生憎とそういうケースでもない。

 加えて宿題の主要な範囲は俺たちの知らないサブテキストの問題。果たしてどこまで対抗できるものだろうか……、

「…………こんなところで何してんだ、お前ら」

 と、真横から声がかかって俺たちはそちらを見る。そこには電話をかけて戻ってきた和泉が立っていた。

「てゆうか、往来でイチャイチャしてんじゃねえよチビどもが」

「チビじゃないもん!」

 声を荒げるユキちゃん。またも売り言葉に買い言葉だ。

 けど今はユーミンもいるので朝のような戦争には発展しない。「……いやユキ、残念だけどそこは真実だよ」とツッコミを入れながらも上手いこと二人の間に立っている。

「なんだそれ?公用語?」と和泉がユキちゃんの抱えているノートに気付く。

 和泉に見られて慌ててノートを背後に隠すユキちゃん。その動作で場の流れが一旦止まる感じに。

「……おい、なんで隠すんだよ」

「和泉くんにはカンケーないもん!あっち行って!」

 ぷい、と視線を外すユキちゃん。どうも朝の一件で、和泉はすっかり信頼をなくしてしまったようだ。

「……ユキ、和泉となにかあったの?」

「なんにもないよ!」

 ユーミンの追求にも答えない。というか、ユキちゃんの心情を思えば答えられないか。

「…………」

 対する和泉は憮然としていた。こいつにこういう表情は珍しくないが、今の和泉はどこか寂しげというか、ユキちゃんに拒絶されたことを気にしているような気配があった。

 和泉としても朝の一件に対する反省がなくはないのかもしれない。それを口にする和泉ではないだろうが。

「ユキちゃんが宿題忘れたらしくて、ユーミンを頼ってうちの教室来たんだよ」

「けど授業の進度も違うし、僕たちの使ってないテキストもあるみたいでさ。どうしようって思ってたところだったんだ」

 そう思った俺と、俺の言葉から何かを察したユーミンが事情を説明する。それを受けた和泉は「ふうん」とか相変わらず冷ややかな態度。素直じゃない。

「べーだ!いじわるな和泉くんと違って、ユミくんは優しいからわたしの代わりに宿題全部やってくれるって言ってるもんっ!」

「いやユキ、僕はそこまでは言ってないです……」

「バカかお前。こんな遠くのクラスまで来ないで、向こうのクラスメイトからいくらでも写させてもらえばいいじゃねえか」

 で、挙句そんなことを言ってしまう。


「……あ………………」

 と、それまで元気にしゃべっていたユキちゃんが和泉の言葉に声を呑んだ。他の三人も思わず口をつぐむ。和泉だけが空気も読めずに「あ?」とか首を傾げていた。

 ユキちゃんは俺たちの中で一人だけクラスが違う。だから今もこうして苦労しているのだが、本来ならユキちゃんのクラスには当然ながらユキちゃんと同じ宿題を抱えているクラスメイトが大勢いる。

 しかし、和泉の今言ったようにクラスメイトを頼れたなら苦労はしていない。できるものなら最初からその手段をとっている。

「ああ、そうか……」

 和泉もようやく気付いた。思い出した。

 ……ユキちゃんの、抱えているものを。

 場に満ちた重い沈黙。

 この話はタブーだった。俺たちの中においても、触れずにおかれている数少ない部分。


 しかし今の和泉のように、ついうっかり踏み込んでしまうことだってある。

 もちろん、意図的な行為ではなかった。和泉は確かに無神経で嫌味なヤツだが、本当に痛いところを敢えて突付くほど最低なヤツじゃない。

 考えなしではない。反省もできる。ただ少し、素直になるのが苦手なだけで。

 それは、信じられる。親友だから。

「チッ」

 舌打ちする和泉。それは空気が重くなったことに対してであり、ひいては自分に向けられているものであるようだった。

「おいユキ」

「……なに?」

 和泉の呼び掛けに、普段の朗らかさとは明らかに異なる低い声音が返る。

「……っ」

 そんな痛ましい様子のユキちゃんに、和泉はグシャグシャと頭をかきむしる。神経質なほど綺麗にセットされたその髪型を自ら崩すかのように。

 そして観念したようにため息をついてから、和泉はユキちゃんの頭に優しく手を置く。

「ダッシュで教室行ってそのテキストとやらを持ってこい。このオレ様が付き添って一から教えてやるよ」

 そんな頼もしい言葉を投げる和泉。

 今かきむしった所為で少し乱れてしまった髪型のまま。

「え……?」

 普段と少し違う和泉のそんな言動に、ユキちゃんはあっけに取られたような顔をした。

「何ぐずぐずしてんだ。てめえの頭じゃ今から急いだって終わるかわかんねえぞ」

「で、でも……あの宿題、和泉くんたちのクラスじゃまだやってないって……」

 ユミくんが、と不安気に和泉を見上げるユキちゃん。

 それに対し、和泉は鼻で笑う。その不安が取るに足らないと言うように。

「なめんなよ。天才無敵のオレ様にかかれば肉の国の絵文字なんざいちいち教わるまでもねえ。見れば一発で理解できるんだよ」

「…………い、和泉くん――」

 言葉は乱暴だったが、そこには確かな優しさがあった。

 昔から和泉を知る俺たちはその不器用さが少しおかしく、ユキちゃんもそれを感じ取る。

「ほら、ユキ行こう」と促すユーミン。「和泉が手伝ってくれればすぐ終わるよ」

「う、うんっ……! ありがと、和泉くん!」

「フン」

 照れたように視線を外しつつ、「さっさと行け」と手を振る和泉だった。


 ユキちゃんの抱えるもの。その境遇を一番理解しているのはもしかすると和泉なのかもしれない。和泉もまた過去に似たような経験をしているだけに。

 よく言い合いをしている二人だが、決して心からいがみ合っているわけではない。和泉のユキちゃんを見る目には不器用ながらも優しい理解と、友情めいたものがあるように俺には感じられていた。


「和泉――」

「ツトム、お前ら飲み物買いに行くところだったんだろ?」

 俺の呼び掛けにかぶせるように、和泉はそんな言葉を返してきた。

 その後に言おうとした何か、それ以上口にするのは野暮だとでも言いたげに。

「あ、あぁ……そうだけど」

「だったら今から行って、ユーミンとユキとオレの分も一緒に買ってこい。金は後で渡す」

 そう言って、和泉は気怠げに教室に戻っていった。

 ……普段は色々問題児だけど、たまにはこういう気づかいもできるのが和泉だ。



 その後、人数分の飲み物を購入して教室に戻ると、三人は仲良く宿題を進めていた。

 和泉一人だったら教え方が下手すぎてまたすぐケンカになりそうなのだが、ユーミンが間に立っているおかげで順調な進度を見せているようだ。

 結果、休み時間終了を前にユキちゃんは無事に宿題を片付け、大喜びで自分の教室へ戻っていった。

 三時間目をサボらずに済んだようで、よかった。

 サボり、か。

 ……それについてユーミンは少しだけ残念そうな顔をしてもいたが、まぁ、それについては触れずにおいてやるべきだろう。



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