日常と剥離
学校からの帰宅途中、真夏の太陽が眩しいくらいに顔を照らしていた。この時間帯は、帰宅途中の生徒とすれ違うことは少ない。みんな部活に一生懸命なのだ。私は帰宅部なので、チャイムが鳴って仕舞えば学校にはもう用が無かった。
私は疲れていた。それは今日の体育のマラソンの所為でも、抜き打ちで行われた数学のテストの所為でも無く、重い様に感じる足は軽く、曇っている様に感じる心は晴れやかだった。しかし、それとこれとは別なのだ。自分でも何が別なのか分からなかったが、たしかに私はどうしようもなく疲れていた。
この原因不明の疲労感は物心つく前から私を支配していた。
思わず溜息が出る。そんな私の肩がバシンッと叩かれた。思わず振り返ると、見慣れた顔が近づいていた。
「またそんな暗い顔して。笑えとまでは言わないけど折角の美人が台無しよ。」
「…瑠花。」
瑠花はお母さんと私が公園デビューをした時からの付き合いで、一番気心が知れている親友だった。消極的な子供だった私の手を掴んで、よく遊びに連れ回す、やんちゃな子だったのだ。
「疲れたの。」
私は最早口癖になっている言葉をまた、溜息と共に吐き出した。
「また君は、口を開けば直ぐに疲れた疲れたって、我慢強さが足りないって言うか、根性が無いって言うか…」
「瑠衣!あんたは口を開けば憎まれ口ばっか!捻くれ者なんだから。誰に似たのよ!」
瑠衣は、瑠花の双子の弟で、昔から可愛い顔付きに似合わずに歯に衣を着せない物言いをしていた。それは直るどころか、年々ボキャブラリーを増やしつつパワーアップしていて、私は兎も角、毎回瑠花の神経を刺激していた。
私たちは生まれた頃から三人ずっと一緒だった。
「え〜。僕の悪いとこは全部瑠花に似たんだよ。いい迷惑だね。僕は完璧な心優しい青年なのに、姉貴が瑠花だってだけで、性格が捻くれちゃった。」
「なんですって。瑠衣!あんたの何処が私に似てるって言うよ!」
この二人は仲が悪く見えて、実は、小さな喧嘩を楽しんでいる節がある。まぁ、どっちも無自覚っぽいけど。
ぼんやりと平和な日常だと思う。ほぼ毎日似た様なやり取りを繰り返して、私たちは今日も似た会話を繰り返す。
「…瑠衣、瑠花。近所迷惑だよ」
「叫んでるのは瑠花だけだよ。」「悪いのは瑠衣よ!」
私の口癖が喧嘩の発端だと言う事は棚に上げて、注意してみたけど、やはり効果はない様だ。
「もう、ほら家着いたから私は帰るけど、お二人とも道中仲良くね。バイバイ。」
『また明日!』
こう言う時ばっかり双子らしく声を揃えるから面白い。
「ハモってんじゃないわよ!」
「うわ〜怖いなぁ。そうやってすぐ怒鳴る。もっと理性的な会話は出来ないの?」
「馬鹿にしてんの⁉︎」
家の扉を開けて、靴を揃える。外からはまだ二人の喧嘩騒ぎが聞こえてきた。
「相変わらず仲良いんだから。」
本人達に直接言えば猛抗議を喰らう言葉だが、側から見ればあの二人は、喧嘩するほど仲が良いを体現しているように見えてしまう。ただいまとリビングに声をかけると明るい声が返ってきた。
「あら、美沙ちゃんお帰りなさい。今ね、おばあちゃん来てたんだけど入れ違っちゃったわね。」
ニコニコと満開の笑顔でお母さんがリビングから顔を出す。ふんわりとした雰囲気でエプロンを外しながら近づいてくる。
「おやつに羊羹持って来てくれたのよ。冷蔵庫に入ってるから手を洗ったら一緒に食べましょう!」
嬉しくてたまらないと言った様子で母は私を水道まで押す。何歳になっても可愛いらしいと思える愛嬌を母は持っていた。
「わ、分かったから、待って!取り敢えず部屋に鞄置かせて。」
鞄には今日の宿題に使う辞書が入っている。別に持つのが辛いと言う程の重さでは無いけれど、できれば早く降ろしたかった。そんな私をお母さんが急かす。
「速く速く!無くなっちゃうわよ。地方の名物店の限定販売。一日100本即完売の貴重な小豆をふんだんに使った口でとろける高級羊羹よ!」
「それおばあちゃんが買ってきたの?凄いね」
「ね!食べるの楽しみよね!」
おばあちゃんは食べるのが好きな私の為に、いつも食べ物をくれた。最初は駄菓子や煎餅だった物が、チョコレートになり、ケーキになり、有名な店がテレビで特集されたりすると、毎回その店に並んでお土産を買って来た。一度、申し訳なくなって、そこまでしなくて良いと言った事があったけど、おばあちゃんは、
「美沙ちゃんに買っているうちに私も甘い物にハマってしまってねぇ。一緒に食べてくれる人がいるともっと美味しくなるでしょう?だから私は美沙ちゃんに感謝してるのよ。」
と言って笑っていた。それが幼い私に気を使って出た言葉なのか、本心からの言葉なのかは未だに分かっていない。
二階に上がり、自分の部屋に入る。勉強机に鞄を置き、少しベットに転がった。
…瞬間視界がぶれた。
「……え。」
前触れは無かった。突然私の視界は白く染まり、圧迫感が私を支配した。白い空間に女性が浮かび、此方を見据えている。その女性は金のシルクの様な長い髪を艶めかした絶世の美女だった。しかし外見以上にその存在感に当てられた。彼女が嫌な訳じゃない。ただ、その神聖な存在の前に身を投げ出しておくには私は矮小すぎた。私の様な一人の人間ごときをその目に写して欲しく無かった。
「見つけた!貴方が一番古い魂なのね!」
彼女はそんな私に御構い無しに歓喜している。
「やっと見つけたぁ!危なかったわ。あと少しで時間切れだったのよ!でも良いの。私は見つけた!見つけたのだから!」
興奮した様に早口にまくし立てられたその言葉は頭に入ってこない。だけど、私は彼女の正体に行き着いていた。
「神…さ…ま?」
神様だ。彼女は。私はそれを確信していた。
「そうよ!私は今日まで神様だった。これからもずっと神様として存在する予定だった!でもそれは過去の話。私はあなたを見つけた!」
神様は飛び跳ねる。天に向けて両手を広げ恍惚とした。
そして、私は…。
「ねぇ、あなた、お願いよ。私の代わりに…」
「神様になってぇ!」
ーーこの日を境に神様になった。ーー
私は三千年生きたけれど、区切りの無い生活にもう耐えられ無いの。
神様はリリアルと名乗った。私は圧迫感に慣れ、まともに喋れる思考を取り戻しつつあった。
「私の支配していた星は滅びたわ。私がもっと頑張れば、寿命を伸ばせたかもしれなかったけれど、穏やかに、静かに星の人々は最後を受け入れた。そして、神の代替えはこのタイミングでしか行えないの。」
彼女は悲しそうに目を伏せて語った。それは見ている方が切なくなる様な表情だった。そんな彼女には、質問しずらかったが、私にはどうしても解消したい疑問があった。
「どうして私なんですか?その古い魂って言葉と何か関係が?」
私が選ばれた理由。それが分からなかった。私は特別な力のない、ただの人間なのに。偶然と言われた方がよっぽど納得できた。しかし彼女は私を見て言ったのだ。見つけた…と。
「えぇ、えぇ!勿論!あなたじゃないとダメなの。あなたしかいないのよ。あなたは地球で、神を除けば最も古い魂をもっているの!きっと、最初は地球に微生物が誕生した頃から、輪廻を繰り返しているのでしょう?美しく研磨されて、鍛え上げられた強い魂だわ。」
神様の言葉の意味が理解出来ない。いや、理解は出来るが実感がない。彼女は嘘を言っている訳では無いのだろうが、突拍子の無さ過ぎる話にどうすれば良いのか分からない。
「でも、その強さは人で言えば、肩が凝って硬くなっているのと同じ様な物。あなたの魂は輪廻転成に疲れている。」
ギクリと身体が固まる。それはあまりに身に覚えのある言葉だった。
疲れる。身体も精神も疲労していないのにいつも私は疲れていた。
「魂の疲れ…。私は、どうすればこの疲れから解放されるのですか?」
いつも疲れていた。魂が疲れていた。気が付く筈が無い。私は魂の存在なんて信じていなかった。彼女に会うまでは…。
「輪廻の輪から抜ければ良い。神として星を創り、その魂を癒せば、氷を溶かす様に少しずつ、あなたは疲れから解放される。」
神様は慈悲深い微笑みを浮かべ、私に手を差し伸べる。
「美沙」
甘い声が脳を焼く。
「もう一度言うわ。私の代わりに神様になって。お互いに、損はしないでしょう?」
もう悩まなかった。私は何不自由ない日々を過ごしていた。大切なひとは沢山いるけど…私に愛情を注いでくれた人も地球に残して行くことになるけど…私は
「はい」
神様の手を取った。