スコルジーの終わりなき戦火を読んで 六番
やあ(^_^)/
(個人的な内容なので、中略)
先日は失礼m(__)m
お話、長かった(>_<)
メール出した後、「ドラえもん、のび太の恐竜」や「名探偵コナン」の劇場版見てました。
その前は「十二人の怒れる男」や「スリーパーズ」とかの法廷もの見てた(笑)
今さらながら、良くも悪くも人間がお話の肝だなぁと思う、今日この頃ですね(^_^)
はっ、いかんまた長くなる\(__ )
えっと、話をタイトルの内容に戻して(..;)
前に送ったメールと前後しますが、ちょっと前まで、「中二病でも恋がしたい」を観ながら思っていたことを書いた内容です(^_^)
先日、ハヤカワ、「スコルジーの終わりなき戦火」を読み、
ああ、すごいな。
こういったお話に惹かれるのかな?
こういうお話、また書きたいな。
なんて思ってました(笑)
この手のプロット、シナリオに解体できるネタの作品を読んだり観たりした時、そういう気持ちになります。
「パトレイバー劇場版」とか、「エンゼルハート」とか(笑)
まあ、そういったネタのお話です(^_^)
「中二病」も六花の父ちゃんが亡くなったとこがきっかけでしたね(^^)
ただ、今回それ以外にふと思ったのは、
自分は自らの死によって成される結果というものに憧れがあるのか?という事でした。
いや、死にたくはないよ(^_^)
むしろ、死んではならない感じ(苦笑)
以前よりだいぶ弱くなりましたが、プレイヤーとしてのTRPGのプレイスタイル、マンチキンなとこは、このあたりが無意識に影響しているのかもしれないですね(>_<)
んで戻して、
人と人が交わるからには、お互い何かしらの影響を与えあうし、
それによって強く結びつけられることもあり、つながりが切れることもある。
つながりが切れるということは相手もそうですけど、自身が影響を受けるし、傷つく。
そう考えると人の死が与えることの影響の大きいこと。
ましてや長い時間を過ごした相手となればね(;へ;)
何か、人に与えたい?
いや、上から目線な話でなく、影響?共感?
上手く言葉にならないな、もどかしい…。
まあ、死にたいとは思いませんし、
死によって相手を傷つけたいわけでもないですが、何だろう?
↑注『このあたりのネタは、最終的に、拙作「らのべ日記」の初め二つの話に結実していったのですね。読み返して気づきました』
さっき書いた、
逆の、死んではならないっていう意識。
死にたくない、ではなく、死んではならないっていうのがクセもので、
今はだいぶ抜けましたが、無意識にこれが出てきていた時のTRPGのプレイスタイルは、思い出すとあんまり気分良くないです。
意地汚い感じの命惜しみのマンチキンスタイル、
映画などの小悪党が、小賢しく立ち回ったあげくの報いを受ける。
床を這いずりながら死んでゆく。みたいな(苦笑)
そんな位置付けが自分のプレイスタイルと近いと自覚するのは、けっこう刺さりますよね(^_^)
まあ、非常に善人なキャラクターをロールプレイするのもかなりキましたが\(__ )、自分も含め、パーティー全体が危機的ダメージを受けている状態で、勝算がなくとも仲間を庇い守る為に矢面に立つというのは、当時の自分のキャラではなかった(>_<)
善人ではなかった自分にとって、当時のシチュエーション、善人プレイはかなりトラウマでしたけど今となっては良い思い出?かな(笑)
同じように、極悪プレイも無理でした。
せいぜいが小悪党な凡人プレイだね〜orz
自分の理想と現実とのギャップ、成功と失敗、結果をどう受け止めるか?折り合いをつけるか?向き合えず目を背けるか?
あの当時の青臭さは、思い返すと身悶えするよね(T_T)
死んではならないみたいな脅迫観念的なものの原因がどこから来ているのか?
全ては分かりませんが、今はなんとなくわかった記憶、事柄から推測、補完した形になってます。
まあ、
当時のTRPGのPCとしてのプレイスタイル。GMとしてのシナリオで無意識に出てた部分はある気がします\(__ )
中二病の黒歴史とえらく変わらん…orz
死という概念、そういうものに惹かれる気持ちはありますがね、
出てきた結論はまあ、死による影響を与えたい。ではなく、
まあ、死ぬまでになんか、ちょびっとでも影響を与えられるものを作りたいかな?ってこと(苦笑)
↑注『今、やっていることです(笑)』
何かねそういった事柄を旨く形に残せないかな?ってね(^_^)
ほら、男だから(笑)
女の人は子供を作れるけど、男は肋骨から創るしかないから(^ε^)
作品は人格の切り売りとは言い得て妙だよね(苦笑)
まあこんなとこです。
ご笑納いただければ幸いですm(__)m
ではね〜(^_^)/