深澤穂信とかカードとか 五番
やあこんちは(^_^)/
ごめんなさい。
さっそくですが、長い爆弾いきますm(__)m
アニメは最近、スポーツもののアニメ、「ハイキュー」とか「スラムダンク」、「黒子のバスケ」、「フリー」とかを見返してます♪
スポーツものはギアをかみ合わせて創作活動を進めたいときには重宝しているみたいです(^^)V
以前は「ガルパン」や「ウィッチーズ」なんかが、なんとなくこの用途だったようですが、より直接的なスポーツものになったみたいね(・o・)(・o・)
まあ、「ガルパン」はスポーツものですが(^_^)
小説は深澤穂信先生と、オースン・スコット・カード大先生を、並行してちょっと前まで読んでました。
深澤作品は2作読みましたが、カード作品はまだ途中(笑)
積ん読してた「シャドウ・オブ・ヘゲモン」、やっと下巻の半ばです♪
上巻200ページくらいでギアがかみ合い始めるのはやっぱりハヤカワですね(笑)アクセルのスタートが遅い遅い(^_^)
ただカードは自分の場合、創作意欲のギアが、ジェームズ・ティプトリー・ジュニア女史なみに入りやすい作家ですからね(笑)
何かお話とかシナリオ書きたくなるよね♪
今考えているのは、
タイトルはTRPG日記、ゴロが悪いからRPG日記か?
むかし、うちの同人誌で書きかけた、中断したお話を再利用した、
TRPGシナリオの舞台としてのセッションをクライマックスとして、
それらのお話を作ってゆく途中の日常や非日常の四方山話、このメールで書いているみたいな、どうでもいいネタ的なことを書ければいいなと思ってますが(笑)
キャラはラノベちっくなやつで考えて、ここ1年くらいグダグダしてますが、プロットからある程度形になったら見てくださいませヾ(*⌒∇⌒)ツ
旨く書ければいいけど…。
スペックオーバーにならない範囲でね、やれるといいな\(__ )
↑注『出来上がりがああなっているとは、この時には想像もしてないですね。俺のバカ~っ』
閑話休題(笑)
話を戻して、
深澤穂信先生、アニメ「氷菓」の人の小説、
読んだ2作は、「さよなら妖精」、「犬はどこだ」、です(^^)V
以前読んだ「氷菓」の「古典部シリーズ」、
人が死なないミステリーというスタイルと、シリーズを通してキャラクターが立ち上がり生き生きと動きだす様が素晴らしいという感想を述べた覚えがあります。
「氷菓」の背景設定、関谷祭に関わる物語の根幹部分は、実はかなりやりきれない気持ちになる部分があり、そういった思考がマイナス方向へ進みがちなところを、千反田のキャラ性、マイナスがあることを自覚しつつも、それでも前を向いて進もうとするところにお話の救い、物語を暗くし過ぎない要素があった気がします。
というのは、
深澤穂信先生の他作品、「季節限定…事件」の「小市民シリーズ」を読んだときに漠然とした感じで受けていた印象が、「さよなら妖精」や「犬はどこだ」、でより明確に意識できたのでしょうね。解るまで時間かかり過ぎ(笑)
比較して情報を見極めるやり方はオススメです(^^)V自分みたいなニブチンでも解りやすい(^_^)
「小市民シリーズ」は「古典部シリーズ」みたいな高校生が主人公、
「さよなら妖精」、「犬はどこだ」はそれぞれ大学、社会人と舞台背景は異なっていますが、
深澤作品背景としての印象、鮮やかな色合いではない、少しセピアがかった、というか色あせたような、少し疲れた、でも一息つけるような世界背景は同じです。
ただ千反田のような前向きというか、前に進む力を表すキャラクターが居ない、あるいは目立たないため、
自分が読んだ深澤作品に共通した、少しやりきれない気持ちになる事件、舞台背景から気持ちを持ち上げていくきっかけがつかみづらかった\(__ )
いや、キライではないです。特に「さよなら妖精」はかなり好き♪
あの切ない感じはたいへん好みに合いますし、あのお話、キャラをもっと生かせないかと読後に思ったりしました(笑)あのお話の造りだと無理なのは解っていますけど。
「犬はどこだ」、は犬探し専門の探偵のお話(笑)ですが、シリアスです。宮部みゆきの「火車」をちょっと思い出して読みたくなりました。
「古典部シリーズ」、「小市民シリーズ」、「さよなら妖精」、「犬はどこだ」、と読んでいって、
自分が読んだ最初の深澤作品であることをさっ引いても、
「古典部シリーズ」は自分が読んだ深澤作品の中で特別、
いや、千反田というキャラが特別なのかもしれませんね。
人は死なない、
でも事件によって抉られる気持ち、精神はある。
そこから生まれるいろんな気持ちの中、
千反田のある意味どっしりとした方向性は、揺らぐほーたろーに比べて非常に潔い、男前に感じました。
ああそうか、
「さよなら妖精」の心地よい部分の印象は、このあたりと共通点があるかも。
深澤作品の謎解き役に共通する、足もとが揺らぐ印象とのバランスの対比が好みなのかな?
はっきりしませんが(^_^)
また、読んでいる片方の「ヘゲモン」の方ですが、
いやぁ、あのシリーズ主役はビーンだと思ってましたが、もう一方の主役がエンダーの兄のピーターで、「エンダーズ・シャドウ」からのキャラ、アシルは敵役としての物語の縦軸とは意識してなかった。(^_^)♪
ピーターは印象として、エンダーの鏡でしたから、「死者の代弁者」からのシリーズで現れたエンダーの認識としてのピーター←ゆがんだレプリカみたいな印象のそれ、
自分として、ピーターの存在は物語として、それである程度語り尽くした感じで考えをまとめてました。
全然違ったよ!!
エンダーの影としてのビーンを語るなら、鏡としてのピーターはどうなるかは推して知るべし…でしたねorz
「アビス」のノベライズで主役のブリグマン夫妻、シールズの隊長コフィー、異星人の関係性を(自分自身の作品でないものを解析して)あれだけこと細かに書いてたカード先生ですから、
(自身の作品)完全な創作のエンダーたちを、(ペトラ・アーカニアンも含めて)ああ描くのは当然か\(__ )
今回のヘゲモンのペトラのシーンを踏まえて、過去の「エンダーのゲーム」を思い返すと、全体のイメージが大きく広がる。
以前お借りして読んだ「ゴシック」のシリーズ、外伝Sを読んだ時のキャラが立ち上がってくる感じを意識できました。
それと、なんといっても驚いたのはエンダー、ピーターの両親!!
ピーターの両親という存在がシーンとして入るだけで、ピーターの存在がああも際立って見えるとは驚きです。
両親すげー(^_^)
まあ、あれだけの知性がある子供たちがいるのだから、馬鹿なわけはないはずですが、
エンダーたち兄弟が、突然変異の天才だと当時は意識していたためか、えらいパラダイムシフトを味わいました(笑)♪
人間的なエンダーが感じていた、怪物ではない、人間としてのピーターの存在も含めてね(^^)V
超人でないエンダーやヴァレンタイン、怪物でないピーターは新鮮な驚きでした♪
以前「エンダーのゲーム」を読んだ友達が、エンダーの超人的知性、孤独さを見て、
彼を想い一緒にいられる生涯の伴侶は、姉のヴァレンタイン以外ありえないだろう!!みたいな言い方をしてましたが、
いましたねぇ、ペトラ・アーカニアン(^_^)
ペトラがあんなこと考えてエンダーラブでバトルスクールで頑張って、ガンバりすぎて失敗した、
そんな彼女の心象を物語に加えると、お話の広がりがあんな風に変わるなんてね〜。
付き合いはなくなってしまいましたが、「ヘゲモン」のことはあの友達に教えてやりたいなぁ。なんて思ってしまいました(笑)
長々とどーもでしたm(__)m
またね(^_^)/