噂
彼はそっと席を抜け出し、声のする方へ近づく。
そこには卓を囲む二人の人物。風体が他の客とは異なる。二人とも大きな袋を卓の下に置いたまま話をしている。
あれだけの荷物を肌身離さず持っているという事は商人だろうか。身体も鍛えられている風なので交易商人かも知れない。
ビアトロは近くの席にそっと腰を下ろし、二人のやり取りを盗み聞きする。
「あんたもってことは、やっぱりそっちも気にしているのかい」
「まあな、前の戦で突然現れ、一気に名を高めた凄腕の剣士。あれだけ腕が立つのならぜひうちの商隊の用心棒として雇いたいさ」
やはりこの二人は商人の様だ。
「なんでダメなんだ」
「よくは分からんがどうやら領主のお気に入りらしい。金ならだすと言ったのだが取り合ってはもらえなかった。代わりの剣闘士を紹介されたがな」
そう言って商人の片割れはそう言って杯をあおる。
「そいつを雇ったのか」
「ああ。エダにこだわっていたわけじゃないからな。その雇った剣闘士もようやく自由が得られたと喜んでいた」
「その剣闘士、役に立ちそうか?」
「以前から名前は知っていた。腕も確かさ」
「やるな。ただでは転ばないというわけだ」
「ああ。だが何にしてもエダはやめておけ、下手をすればとんでもない額を吹っかけてくるやもしれん、何しろフォルト・ガシオンの後ろにはスリエード商会がついているからな」
スリエード商会の名が出ると相手の商人の顔が渋くなる。
「そうか、それは残念だ」
そこでその話は終わり、二人の商人はそれぞれ店を後にする。
「…ふむ」
その二人の後姿を見送ったビアトロは思索に沈む。
どうやらエダの存在は商人たちの間でも結構な噂になっているようだ。だがなぜここの領主であるフォルト・ガシオンは手放さないのか。
いや、あれだけ腕が立つのなら自分の手元に置いておきたいのもうなずけるが…
ビアトロは考えを巡らせながら元いた席に戻る。
と、そこに酒場の店主が再びビアトロに声をかけてくる。
「詩人さんや、しばらくこの町にとどまるかね。だったらちょくちょくうちに顔を出してくれないか?あんたの唄を聞きたくて人が集まってくるだろうし」
「…ああ、考えておこう」
店主の提案にビアトロは言葉を濁しながら答える。
普段ならこうした提案は喜んで応じているのだが、今回はもう少し情報を集めたい所、なので他の酒場もめぐりたいのが本音である。
だが、店主も客引きを確保したいのか、卓について酒をすすめてくる。
ビアトロはそれを受けて杯を差し出すが、あまり口はつけようとはしない。