先人よりの遺産と託されし使命
「ふう」
用意された部屋に通され、旅の荷物を置くとようやくビアトロは安堵の息を吐く。
ラトに勧められたこの部屋は宿の二階の角部屋。
少々宿代は張ったが、鍵もしっかりついており、寝台も窓からは死角になっている。安全面の不安は少なそうだ。
南と西向きの窓を開け、外の空気を入れる。港町らしく潮の香りが強くなる。
日は西の海原に向かって傾きつつあり、窓からわずかに西日が差し込む。
ひろがる屋根の向こうに水平線が見える。
この『オーヴェ・スタフィ王国』の西には『滝の川』と言われる大海が広がっている。
なぜ、そう呼ばれているか、それはその果て無き水平線の先には滝があり、そこまで行ったものはその流れに飲み込まれ、二度と帰っては来られないと、いつからか語られているからである。
しかし真相は…どうなのだろう。
そんなことを考えながらビアトロは懐からあるものを取り出す。それは彼が肌身離さず持ち歩いてい三冊の本。
獣の皮を加工して作られた丈夫な紙をまとめた分厚いそれのうち、二冊はびっしりと文字が書かれているが、もう一冊は途中から白紙となっている。
この白紙が目立つ本に後世に伝えるにふさわしい英雄譚を記すこと、それが彼らの務め。
あのエダ・イスパーという剣闘士がここに記すに足る存在かも知れない。それを見極める意味でも、しばらくはこの町に滞在したいところ。となれば、当面の食い扶持を確保しなければならない。
そう考えながらビアトロは二冊目の本を開く。
この本には過去、活躍した幾多もの英雄の逸話がつづられている。この物語を人々の前で唄って聞かせる事こそが彼らの商売。
「さて、今夜はどの物語を披露しようか」
そう呟いたビアトロは三冊目の本を開く。
この本にはかつて彼らの先達たちが旅して集めた事象がまとめられた、いわば旅の手引書とも言うべき本。
そこにはこの『スカータ・マレ・スタ』についても書かれている。
前にこの町を訪れた詩人が記した「仕事場」の場所も記されている。
彼が目を止めたのは町のはずれ、海神『ラタペイロス』を祀る神殿の近くにある酒場『海神の盛り場』。
もちろん今もあるかどうかは分からない。だが行ってみる価値はある。そう決めたビアトロは外出の用意を始める。
と、そこに部屋の外から声がかかる。
「ビアトロさん」
「ラトかい?」
聞き覚えのある声にビアトロは本を閉じながら聞き返す。
「うん、お父さんにビアトロさんの事を話したらね、夕飯は屋敷でどうかだって」
その、半ば予想されていた提案を聞いたビアトロはわずかに笑みを浮かべる。
「ああ、わかった。でも、これから一仕事するから、少し遅くなるかもしれない」
「うん、だったらジョルトに呼びに行かせるね」
そのラトの言葉にビアトロは目を見張る。
そのジョルトという人物についてわからないが、この決して小さくない街のどこにいるかわからない一人の人間を探し出せるというのか。
「呼びに行かせるって…どこにいるかわからないぞ」
「大丈夫、この町の事は知り尽くしている人だから」
平然とそう言うラトにビアトロはあっけにとられる。一体どんな人間が迎えに来るのか。
「分かったよ」
その声の後、軽快な音を立てて足音が遠ざかっていく。その音を聞いたビアトロは…
「ともかく…今回はどうやらうまいものにありつけそうだ」
そう言ってやや戸惑いつつもビアトロは口元に笑みを浮かべると、懐に本をしまい最小限の荷物だけを持って部屋を後にする。