十年前になくしたものは ~ Replay ~
朱く細い月が、ニタニタと嗤いながら沈んで行く。
ゲート越しの月を睨むように、ひとりの少女が佇んでいた。
かたく結ばれた唇は何かを決意しているようだ。
ゲートの向こうには、朱い月光の中にいくつものシルエットが浮かんでいる。
龍のごとくのたうつジェットコースター。巨人の首飾りのような観覧車。鬱蒼と茂るジャングルの中に、今にも噴火しそうな火山がそびえるアクアツアー。
そしてひときわ高い尖塔を持つ、『裏野ドリームランド』のシンボルでもあるドリームキャッスル――
それらは太古の生物の巨大な遺骸のように、ひっそりと佇んでいる。
かつてここは、人気テーマパークとして毎日大勢の来場客を楽しませていた。
だが廃園となった今ではその栄華の影はまったく消え失せ、ただ朽ちて行くだけの廃墟と化している。
「まさかほんとに来るなんて……」
呆れたような声とため息が、少女の後方から聞こえた。同じ年頃の少年が自転車を押してゲートに近付いて来ている。
「だって今夜しかないんだよ? 明日には工事が始まっちゃうんだから」と、振り返ってこたえる少女は、声もかたい。
しかしそれは決意の強さだけではなく、夜の闇、そしてこれから踏み込もうとしている場所に対する恐怖を、悟られまいとしているようにも聞こえた。
* * * * * *
裏野ドリームランドの建造物の老朽化が激しく、このままでは倒壊の恐れもあるため解体工事が決まった――そのニュースを少女が知ったのは約一週間前、夏休み初日のことだった。
少女には、十年前にこのテーマパークでなくしてしまった大切なものがあった。いつかそれを取り戻しに行きたい……とずっと望んでいた。
だがそれもこの先叶わなくなる。
そう考えた途端居ても立ってもいられなくなり、幼馴染みの少年にメッセージを送る。
『知ってる?
あそこ解体されちゃうんだって』
『ああ、そんな話でてたね』
『ねえ、木曜の塾のあとあそこに行けないかな』
『なんでいまさら?
あれから行きたがんなかったじゃん』
『なんでそんな言い方するの?
だって気にならないの?』
『つきか、あの噂知らないわけじゃないよね?
こわいんでしょ?
何があっても知らないよ?』
少年の態度は素っ気なく冷たい。
だが少年にどれほど脅されても、少女は怯まなかった。
『それでも行かなきゃいけないの
いいよじゃあこなくて
あたしひとりでも行くからね』
それを今夜、決行するのだ。
* * * * * *
「もう……どうしても行くんだね。ほんとに何があっても知らないよ?」
少年は不機嫌を隠さず、ため息をつきながら自転車をゲートの陰に駐める。それからチェーンで自転車を固定した。
少女はそれにはこたえず、斜めに掛けていたメッセンジャーバッグから手帳を取り出して開き、読み上げる。
「ゲートから右に歩いてって、四十四本目の柵が外れるようになっていて――」
時折どこかから、バチッとはじけるような音が聞こえる。
誘蛾灯に虫が飛び込んだ時の、哀れな断末魔のようだ。
「そこをくぐれば、ミラーハウスのすぐ近くの繁みに出るらしいよ」
少女は手帳をパタリと閉じ、少年を試すような目付きで見つめる。
少年はごくりと唾を飲み込んだ。
「わかった。本気なんだね。そこまで言うんなら行こうか――月華」
「うん、健くん」
そうして少女と少年は手を取り合い、いわく付きの遊園地へ踏み込んだ。
* * *
ミラーハウスの前まで来て、月華は手帳から一枚の写真を取り出す。
ラミネート加工されているそれは十年前のもので、幼なじみの四人が揃って写っている最後のスナップだ。
「日香も康くんも健くんも、一緒……あたしの一番大事な人たち」
月華は、おまじないのようにつぶやいた。
建物の後ろではバチバチッという音を立てて火花が散っていた。先ほどの音はこれだったらしい。
「ねえ、やっぱりやめようよ……どっか漏電しているみたいだしさ。万が一火事になったら危険だよ?」
健が周囲を見回しながら弱気な声を発する。
最近は随分男の子らしくなったと思ったのに、土壇場で弱気になるところがやっぱり健らしい、と月華は苦笑する。
「でも明日には工事が始まっちゃうんだよ? 今日しかないんだよ?」
「そうだけどさぁ……僕――俺は、月ちゃんに何かある方がイヤだよ」
「月ちゃんなんて、すごい久し振りに聞いた!」と、月華は頬を上気させる。
「幼稚園以来じゃない? その呼び方。やっぱりそうやって呼ばれる方が、たけちゃんっぽくて好きだな」
つられて小さい頃のあだ名で健を呼び、にっこり微笑んだ月華。
その表情を眩しそうに、そして苦しそうに見つめる健。
「大丈夫だよ。あたし、幸運のうさぎ持って来てるもん――あの時買ったやつ。ほら、これ」
月華はポケットからピンク色の塊を取り出す。
それはドリームランドのマスコットのうさぎだった。もう何年も持ち歩いているものらしく、色褪せて薄汚れている。
「これを持ってるから、大丈夫――ミラーハウスに入っても、たけちゃんと一緒に出て来れますように、って毎日お願いしてたから」
「つ、月華――」
健は月華の肩を掴み、自分と向き合わせる。
「え、痛……なに?」
「キス……してもいい?」
「ダメっ」
月華は即答する。
「なんでだよ」
「だって……こんな広いとこで。誰かに見られたら恥ずかしいし。あたしたちまだ中学生だよ?」
「中学生だって、キスくらいしてる!」
健は怒ったような表情になった。だが頬は赤く染まっている。
「……じゃあ、無事に出て来れたら、ってことにしよっか」
うつむいて視線を逸らし、そう言った月華の顔も真っ赤だった。
「お、おう!」
健はぐっと右手を握り締めて、大きくうなずいた。
* * *
「――やっぱりちょっと怖いねえ」
ミラーハウスの入口に足を掛け、緊張した面持ちで月華が振り返る。
ほんの数段を上るだけで、その先はまったくの別世界へ繋がっている――という感覚は昔も今も変わらなかった。
二人がそれぞれ手にしているのは小型の懐中電灯だけである。いくら光量があったとしても、二人きりの探検には心もとない灯りだ。
「見取り図だけは失くすなよ?」と言う健の声も緊張している。
万が一はぐれた時の用心に、携帯と見取り図は各自で持っている。が、やはり夜の闇は恐怖心を煽るのだ。
「右と左、どっちの道からでも行けるみたいだけど――どっちからにしようか? 一応、順路的には右になるんだよね」
目指すのはミラーハウスの一番奥にある、一枚壁のような鏡の場所だった。
その裏に大きな空間があるらしいことを見取り図は示している。
何かが住んでいるとか、別世界へ行けるとか、それもこの街に住んでいる子どもたちの間では有名な噂のひとつだった。
そこに何かがあるかも知れないことを信じて。
さいごの奇跡が起こることを望んで。
少年と少女の姿は、真夜中のミラーハウスに飲み込まれて行く。
――――その選択が運命を変えるかも知れないことには気付かずに――――
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◆◇◆◇◆ これは、ゲームブック風の作品になります ◆◇◆◇◆
◆◇◆ 『十年前になくしたものは』をトゥルーエンドとします ◆◇◆
◆◇ 下記リンクより、どちらかをお選びになってお進みください ◇◆
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